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織田信長、分倍河原で徳川勢と合戦に及ぶ

 徳川家康が関東に侵攻したとの報を受けた織田信長は軍議を開いた。


「かくなる上は徳川勢を打ち破って江戸に入り、小田原の北条氏と連携してまずは徳川を滅ぼすか降伏させよう。まず一戦して武蔵から徳川を駆逐できれば越後にいる柴田勝家の軍団と挟撃できるようになる。」


 と織田信長は方針を決した。それに対して明智光秀は


「お味方は奥州での敗戦に士気が低下し、疲弊しております。ここは徳川家康殿を京で襲ったのは信忠殿の独断専行によるものとし、家康殿に謝罪して和睦するべきではないでしょうか?甲斐・信濃を譲れば家康殿も首を横には振りますまい。」


 と意見を言った。それに対して信長は


「家康に今更頭を下げよとはどの口が言うか!ましてや死んだ信忠を辱めるとは!」


 と激昂して光秀の額を扇子で血が出るほどに打ち付けた。


「明智殿は臆病にござりますな。」


 と森乱丸成利がすました顔でいう。


「いえ、ここは譲りませぬ!なにとぞご一考を!ここで引いても西国に帰ればいくらでも巻き返せます!」


 となおも明智光秀は食い下がるが。


「まだいうかこの金柑頭め!」


 と織田信長は光秀の髻を掴んで縁側に引きずり出し、欄干に頭を打ち付ける。


「どうか、どうかご検討を!」


 と叫ぶ明智光秀を庭に投げ捨てると


「ふん!どこぞへ連れて行け。ほとぼりが冷めるまで顔を見せるな。」


 と言い残すと合議の場に戻った。


「ここは我に先陣を賜りたく。」


 とどうにかこの場に戻っていた滝川一益が申し出ると、信長は


「仙台の恥をここでそそぐか。良かろう。一益、先陣を務めよ。」


 と命じ、方針は徳川勢との決戦、となった。そうするうちに佐竹勢が下野に向かい出陣した、との情報も入り、信長は軍勢を出立させ、急ぎ南下をはじめたのであった。


 武蔵に入った織田勢は直接東側から江戸に向かわず、大きく進路を西に採った。森成利が織田信長に理由を尋ねると、信長は


「まず徳川に江戸城に籠もられると厄介なのが一つ。

ついで東側から江戸を攻めると南下してきた佐竹に挟撃される可能性があるのが一つ。

逆に西に回り、江戸から徳川勢が出てこなければ八王子を落として逆に徳川の帰路を塞げるのが一つ。

そして相模に近く北条の援軍も期待できるのがもう一つ。」


 とスラスラと答えた。


「さすがは上様のお考えは天地無双であります!」


 と成利は感激したように答えた。


 西に大きく迂回した織田勢に対して、徳川家康は江戸城から出てくる気配がなかったが、密かに出陣し、織田勢を相模に向かわせまい、と多摩川のほとり、分倍河原に布陣していたのである。織田勢はさらに逃亡者が出て減ったとはいえ、2万2千、徳川は1万2千ほどの軍勢を出していた。滝川一益は


「分倍河原は新田義貞が鎌倉幕府を破った古戦場にて、我らの布陣は新田勢に同じでございます。さらに敵は我らが半分ほど。しかも多摩川を背に背水の陣を引くとは。早々に打ち破ってご覧に入れましょう。」


 と自慢の鉄砲隊(どうにか再編成した)を率いて3備ほど繰り出して徳川の正面から当たる。さすがは攻めるも引くも、と称された滝川で徳川の前衛は押し込まれたように見えた。


 しかしほどなくして滝川の圧力は止まった。一益は


「なにごとじゃ。ここは押してかかれ。前に出るのじゃ!」


 と鼓舞するも


「一益様なりませぬ!本多忠勝の隊に抑え込まれております!」


 と虚しく伝令が届く。


「滝川は何をしているのだ!家康本陣どころか前備も破れぬではないか。」


 織田信長はイライラしていた。そこに体中傷だらけになった母衣武者が飛び込んできた。


「信長様いけませぬ!左翼から迂回してきた井伊直政、水野勝成が我が陣に突入してきました!手がつけられませぬ。」

「勝蔵!出番だ!奴らを打ち払え!」


 と信長は思わず先日戦死した森長可を呼んでしまうが、すぐに長可がここにいないことを思い出した。


「ぬうぅ。ここで勝蔵の剛があれば活きたものを……ここは鉄砲隊で打ち払え!」


 と命じたが、逆に徳川勢の弓矢が降り注ぐ。


「あの強弓!内藤正成か!」


 数は多くとも戦意に乏しい織田勢はそこここで綻びが見られ、逆に戦意旺盛な徳川勢は勢いに乗って攻めかかる。


「やむを得ん、ここは引くぞ!」


 と信長は素早く馬を引かせると極わずかな見廻りを率いて退却を始めた。それを見た徳川勢は


「あれが大将の信長ぞ、討て、討て!」


 と雑兵が群がるが、そのような木っ端にやられる信長ではない。


「雑魚が!引っ込め!」


 と手槍で蹴散らすと急ぎ馬で走り去った。しかし三方を徳川勢に囲まれた信長は、しかたなく東に逃れたのであった。徳川勢の落ち武者狩りにもあい、信長は逃げ延びたものの付き従っているのは森成利をはじめ僅かな近習のみとなっていた。


「信長様!こちらの寺が泊めてくださるそうです。徳川勢に狼藉を働かれて我らに同情したと。」

「おお、それはありがたい。」


 夜もたっぷりと更けた頃、森成利が江戸城にほど近い寺に掛け合い、信長一行は宿を取ることができた。


「しかしこんな江戸のお膝元、わざわざ来るとは上様のお考えやいかに?」


 寺の門に向かいながら成利は信長に聞く。


「うむ。探りを入れた所江戸城の留守居を任されているのは高力清長とわかった。」

「おお、あの『仏高力』の。」

「そうだ。江戸を落とした直後水野勝成の手のものがこの寺などで狼藉を働いてな(実際には勝成本人が『態度が悪い』と傲慢な対応をした坊主を叩き斬った)、その慰撫に高力清長が任されたのだ。故に高力はあまり周囲に口出しをせず、江戸城周辺の安寧に努めているがゆえに警戒が甘い。」

「おお。」

「ここから船を仕立てて相模に向かえば北条氏政とも落ち合えよう。最悪小田原に籠れば徳川が来ようが伊達が来ようが西国からもしくは勝家が援軍に来るまで耐えられよう。船頭にはすでに渡りをつけてあるのだ。」

「では今晩休んだら早速湊から出港ですな!」


 とすこし気分が楽になった成利であった。


 寺の門の前で和尚が丁重に出迎え、信長たちを中にいざなう。


「このご時世ゆえどこのお方かは問いませぬ。どうか当寺ですっかりと休んでいってくだされ。そうそう。先客の方もいらっしゃいますぞ。」


 と言って信長一行は門の中に誘われた。そして門に入り、閉じられた扉の上には寺の名前が掲げられていたのである。


 その名は『本応寺』。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 先客……… M・Aさんかな?? [一言] 調べてみると全国に本能寺ポツポツありますねぇ。 本応寺(本應寺)も。
[気になる点] 寺の名前がー!
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