織田信長、宇都宮城で朗報を待つ
時は暫く前に戻る。織田信長は宇都宮の本営で信忠率いる軍勢の報告を受けていた。杉目城を落とした報告を受けて一息ついた信長は、西国の情勢が不安になり丹羽長秀を帰還させた。桑折西山城を佐竹勢を抑えに置いて前進した、との報を聞いた信長は明智光秀に言った。
「桑折西山城は急普請なはず。下手に抑えを置いて戦力を削るよりも押しつぶして置いたほうが良かったやもしれぬな。」
更に本体が白石城に進み、白石城が多数の銃を装備しておりなかなか落とせない為、斎藤利治に兵を預けて包囲させ、自らは仙台に向かう、との一報を受けた信長は床几から立ち上がり、森成利を呼んで言った。
「急ぎ使者を送れ。白石に信忠直属の2万も置いておくだと?いくら伊達が手薄と思われるとはいえ、それだけの兵を白石に置いているならそこが勝負の要であろう。信忠に白石に留まり俺が出陣して合流するのを待て、と連絡を。」
「しかし信忠様はすでに仙台目指して進軍したと。」
「こういうところだけ動きが早いのも良いのか悪いのか。斎藤利治には無理攻めをせず兵力を温存せよ、と送れ。」
「はっ。」
それからしばらくしてやってきた報告に信長は耳を疑った。
「なに?伊達が名取川を決壊させて軍勢がずぶ濡れだと?」
「は。死傷者もほとんど出ず信忠様は一息に仙台を落とすので心配ご無用と。」
「とはいえ糧食はほとんど使い物になるまい……さらに奥州諸侯をそれぞれ分散して制圧に向かわせただと?」
「信長様も奴らの兵が少ないと嘆いていたではありませんか。きっと本来の軍勢を引き連れて参陣するつもりかと。」
と明智光秀がニヤニヤしながら言った。
「たわけがっ!」
信長が光秀を殴り倒す。
「まだ下ったばかりの奥州の連中、兵数など少なくて良いから信忠は後方に本陣をおいて城攻めをやらせて使い潰せばよかったのだ。奴らの本領でウロウロさせていたら下手をすると翻意するやも……いかん。」
「上様、いかがいたしました?そもそも諸侯は信用ならないと思いますが。」
と殴られた顔をなでながら起き上がった明智光秀が聞く。
「信忠を急ぎ撤退させよ。白石まで逃げ切れば態勢は立て直せる!」
「武田を滅ぼした信忠様の武勇でしたら心配せずとも仙台は落とせましょうが。」
「落とせる、と思わされていたやもしれぬ。名取川が決壊しては泥濘に味方は沈み、疲労も溜まってろくに城攻めもできぬわ。こんなことならわしが直接出向くかもっと抑えが利くものを目付に付けるべきであったわ。急ぎ使者を!」
と信長は信忠に撤退を命ずる使者を送ったが……その使者は船岡城に滞陣する蘆名盛輝の手のものに軒並み捕らえられて信忠に命令が伝わることはなかったのである。そもそも蘆名盛輝は味方と思われており、使者が軒並み油断したのが致命傷となった。
撤退命令を出した信長は返事がないことにイライラしつつも、白石城への後詰めを行うべく出陣準備をしていた。しかし出陣したは良いものの、折からの悪天候で那須の辺りで足止めをされることになった。
「信忠からの返事はまだか!」
信長が森成利を怒鳴りつける。
「まだでございます……あ。使者が参りました。あれではありませんでしょうか?」
と成利は泥だらけになった使番を向かい入れた。泥だらけであるので仙台から戻ったもの、と判断したのだ。使者から早速報告を聞いてみると
「我は白石城の斎藤利治様の使者です……」
よく見ると背には矢も受けており、使者はボロボロである。
「最上義光、謀反。出羽から軍を率いて白石城を包囲する斎藤様の陣に襲いかかりました。」
「なんと。」
「我らは応戦するも出撃してきた白石城の守将、片倉景綱と挟み撃ちになり……」
とうっうっぅと泣き始めた。
「で、利治は!?」
「生死は不明であります、とにかく私に信長様に知らせるように、と。」
信長は呆然とした。
「最上義光、許さん!討ち取って逆さ磔にしてやる!」
と息巻いたが、明智光秀がぼそっと言った。
「最上が裏切ったとなりますと、やはり他の諸将も怪しいのでは?」
「信忠からの返事はまだか!」
信長は今度は奥州諸将がいると思われた道を避け、より選りすぐった忍びを使い探らせた。白石の片倉・最上を叩くべく前進しつつ、忍びの報告を待っていたが、ついに来た報告を聞いて信長は愕然とした。
「南部、相馬、蘆名も裏切ったと?伊達政宗自ら出陣し、信忠の軍勢は瓦解しただと?滝川一益は何をやっておる!」
「(どうせ滝川殿が正しい献策をしても信忠殿が蹴っただけでしょうよ。)」
と明智光秀はぼそっと聞こえないように呟いたつもりであったが、信長に聞かれていて
「この糞金柑頭が!」
と軍杖で額をしたたかに殴られて昏倒した。
「その糞禿を俺の目の届かないところに連れて行け!信忠の生死を早く確認せよ!」
と指示を出す。杉目城に入った信長は、桑折西山城を包囲している佐竹勢に合流するように使者を送ったが、その返事は
「馬鹿め。」
の一言だった。佐竹はすでに桑折西山城に入城して伊達と共に守備についているという。
「……佐竹までも、か。となると信用できるのはひとまず北条のみか。いかん。ひとまず古河を目指して撤退するぞ。古河で軍を再編し、北条と合議してまず佐竹を滅ぼす。」
と信長はすばやく撤退の指示をした。
急ぎ陸奥を引き払い、下野に入った信長の軍勢であったが、大関高増、太田原綱清兄弟が山道で散発的に襲撃してくるのに難儀した。
「なんだあの連中もうろちょろと!」
「信長様、那須勢はここで押しつぶすべきでは?」
「時間をかけてはならぬ!那須共には後で報いを与えよう!ひとまず引くのだ!」
と手勢をズルズルと失いながらも織田信長はどうにか宇都宮城に入城することに成功した。
宇都宮城で一息ついた信長に入ってきたのはまさに悲報であった。
「織田信忠様!桑折西山城でご自刃。」
「……信忠も死んだか……」
「信長様。」
額の傷に布を巻いた明智光秀が進言した。
「滝川一益殿は戻りましたが、斎藤利治殿、森長可殿も討ち死にとの報が。ここは一旦小田原に下がって柴田勝家様の軍を上州を経由して招き入れ、ひとまず我らが本国との間の徳川家康を先に片付けてはいかがでしょう。」
今回は信長も素直に光秀の意見を聞き入れた。
「うむ。小田原は天下の堅城。たとえ伊達が奥州全ての軍勢を引き連れてきても支えられよう。その間に権六(柴田勝家)と合流して体制を立て直し、まずは西方を片付けてからあらためて伊達と当たるのもよかろう。権六に上杉攻めは抑えを置き、こちらに向かうように伝えよ。」
と算段をしていたが、その夜駆け込んできた伝令の言葉は信長がとても信じられないものであった。
「徳川家康、駿府から軍を発して駿河の団忠正様を討ち取りました。ほぼ同時に甲斐で武田旧臣の一揆が起きて河尻秀隆様討ち死に。徳川勢は甲斐に侵入したかと思うとそのまま武蔵に侵攻!川越城、八王子城、岩槻城はすでに落とされ、現在江戸城を包囲中です!」
「……北条は何をしていたのだ。」
織田信長は呆然とした。
「それは上様が北条に兵を無理に駆り出すから……」
と思わずいってしまった明智光秀を信長は殴りつける。
「いずれにせよ小田原城に向かう途上に徳川が立ちはだかっている事態に。上様いかがいたしましょう。」
とこの事態になってもどこか涼し気な森成利が言った。




