織田信長、本能寺で激昂する
本能寺にいた織田信長は周囲を取り囲んで軍勢の旗印が『水色桔梗』と聞くと驚いた様子もなく着替えをして正門から出た。前にいるのは明智光秀が率いる軍団である。
「金柑頭、やったか?」
「はっ。ご下知の通り、堺にて徳川家康、討ち果たして御座います。」
とでっぷり肥った首を差し出した。それは確かに安土城で会ったあの徳川家康であった。
「うむ。確かに。ところで共にいた影武者も念の為討ち果たしたか?」
「それが影武者の三郎四郎は安土城での失態に家康に激しく叱責され、数少ない供周りとともに先に三河に戻られたと……」
「なんと。では家康に付き従っていた本多忠勝等の徳川家の重臣は?あれらを家康とともに討ち取る事で徳川家を容易に滅ぼせるはずであったが。」
「家康と一緒にいた穴山信君はこの通り。しかし他の名のある将はおりませんでしたが……」
「確かに忠勝らは家康に同道していたはず。まさか。」
と言って信長は何かに気がついた。
「光秀、この家康の胸に7つの傷はあったか?」
「いえ、気づきませんでしたが。」
「体を出すのだ!」
と命じて首と泣き別れになっている徳川家康の胴体が持ってこられた。そして胸を開けたが……傷はない。
「やられたわ!あの三郎四郎こそが家康だったのだ!謀られたわ!」
「上様、どうして。」
「家康が竹千代と名乗って織田家に人質でいた頃、あまりにも生意気なのでわしは『俺の名前を言ってみろ』と言いながら奴の胸に北斗七星の並びで傷をつけたのだ。」
この人は何やってんだか、と思いつつ光秀ははぁ、と答えた。
「この家康は偽物だ!そちらに付いていったのが本多忠勝ら重臣だろう。逃げられたわ!」
と言って扇子で明智光秀の金柑頭を激しく打ち付ける。
「上様、申し訳ありませぬ。お許しくだされ。」
と光秀は激しく土下座して信長の赦しを待つ。
「ふん。とはいえ三河の守りはまだ固めて……」
と言いかけた信長の所に急使が届いた。
「なに!家康はもう三河に逃げ込んで尾張・三河等の国境を閉じて軍勢を展開し始めたと。なんだその動きの速さは!」
と激昂した信長の背後で、本能寺の本堂が突然爆発した。
本堂に残っていた下男などが不幸にして死んだものの、信長自身は健在であった。
光秀や京に滞在していた嫡男信忠に命じて素早く調査をさせ、本能寺の本堂を爆破したのは直江兼続の手のくノ一の仕業、とわかった。
「小癪な奴め、蛇責めにでもしておけ!」
と命じて信長は京近傍の諸将を招集した。織田信忠、明智光秀、四国攻めに出発する予定であった丹羽長秀等の軍団長格の諸将である。四国に対しては数を減らして織田信孝のみが出陣し、現地の十河らと協力してひとまず淡路・讃岐を押さえればよい、と命じた。
「上様、本能寺の爆破を命じた上杉景勝、直江兼続を誅殺いたしましょう!」
と信忠が言い出すと、明智光秀は
「いや、ここは実質的に宣戦布告となった徳川を叩くのが先決かと。」
と意見を言った。丹羽長秀は
「ここはどちらも急がず、まず備中を攻めている羽柴秀吉を応援して毛利を下し、西の憂いを取り除いてから当たるというのはいかがでしょう。」
と具申した。それを黙って聞いていた織田信長であったが
「皆の意見はわかった。しかしわしの意見はさにあらず。」
「父上、と申しますと」
と信忠。
「本能寺を爆破したのは直江兼続の手のものであったな。」
「さようで。」
「しかし直江兼続程度のものにこの本能寺を爆破させるような手はずを整えさせる才覚があろうはずがない!」
「おお。となれば。」
「必ずや兼続らを動かした黒幕がおる!」
「それは?」
と諸将は固唾をのんだ。毛利か足利義昭か。
「それは伊達政宗の仕業に違いない!」
諸将はどよめいた。そして明智光秀が聞く。
「なぜ政宗が黒幕と。」
「うむ。兼続はおそらく越後の一部しか上杉景勝に与えられなかったからその不満をわしにぶつけて暗殺を試みたのであろう。しかし兼続のくノ一程度が本能寺に爆薬を仕掛けるのは不可能である。いくら懐いていないとは言っても甲賀者が仕事はしているのだ。仕事は。」
「でありますな。」
「それをかいくぐれるとなれば伊達忍軍『黒脛巾組』に違いない。」
「たしかに。」
「更にだ、今回の家康の逃げっぷり、事前に準備をしていたとしか思えぬ。」
「最初から影武者に入れ替わっているとは我らも思いませんでしたからな。」
「そんな事を唆せるのは伊達政宗しかおらぬ!」
「おお。」
やつならばきっとやる、やつならばきっとできる、と織田信長配下の諸将は信長の言い分にえらく得心した。
「よって織田家は総力を上げて伊達政宗を討つ!者共!出陣じゃ!」
織田信長は伊達政宗の鎮守府大将軍を停止し、朝敵として勅許を出させようとしたが正親町天皇は頑として拒否し、諦めざるをえなかった。その代わり御所の周りには細川藤孝率いる軍勢が包囲し、帝や公卿の動きを封じたのである。
織田信長は直ちに諸将に伊達討伐の号令を出した。上杉景勝・直江兼続主従は本能寺で織田信長を爆殺する計画が失敗したと見るや逐電し、その所領は柴田勝家の軍団が接収した。そしてそのまま佐々成政を先手とする北陸方面軍が越後からの攻略を命じられた。
徳川家康は戦意を示しているものの、三河・駿河・遠江の所領に引きこもって侵攻してくる姿勢は見せず、信長は団忠正と河尻秀隆を抑えに置いて対処した。
今回、伊達政宗の討伐にもっとも積極的な姿勢を見せたのは北条氏直であった。ここはひとまず中立で、と渋る父氏政を説き伏せ、信濃を越えて上野の滝川一益と合流した織田信長本軍を父氏政が隠居城として使っていた江戸城で出迎えたのである。
「上様、お待ちしておりました。」
北条氏直が平伏して挨拶する。脇の北条氏政も平伏している。
「うむ。出迎え大儀であった。伊達討伐の暁には北条殿には大きな役目を担っていただきたい。」
と信長は恩賞を仄めかした。織田信長は江戸城から伊達討伐の大号令を関東、奥州の諸将に送ったのである。
その頃、備中高松城を攻めていた羽柴秀吉は、織田信長の援軍を待ちわびていた。
「上様はまだ着かぬのか……」
「伝令、上様は大軍で以て奥州伊達攻めに出陣、毛利攻めは禿鼠にまかせる、とのこと。」
「なんと。援軍は来ないのか。」
織田信長東国へ進発、の報は備中高松で対峙していた毛利勢にももたらされた。
「隆景よ、信長は来ぬぞ!」
吉川元春は小早川隆景に言った。
「信長どころか援軍も来ないとなると羽柴と我らには戦力差はない!であれば羽柴に譲って和睦する必要などないな!」
と和平の条件を探っていた隆景にまくしたてる。
「兄上、しかし織田は強勢であり、ここはなんとか。」
「ひるまずともここは羽柴と一戦して備前ぐらいまでは取り返そうではないか。その上で交渉したほうが有利であろう。」
「……ですが。」
「何を遠慮しておる。皆のもの!織田勢は恐れるに足らず!いざ、出陣じゃ!」
和睦成立が見えてきた、とこれまで吉川元春を留めて来た小早川隆景であったが、援軍の可能性がない間に押し返す、という兄の考えを止めることができなかった。
毛利勢は傍観を止めて積極的に備中高松城を包囲する羽柴勢に攻撃を始めた。
羽柴勢も一方的にやられるようなことはなく、態勢を立て直して毛利勢に反撃した。両者は決戦にまでは至らず、小規模な戦闘をあちらこちらで行いながら睨み合った。しかしこれまでのような余裕は羽柴勢にはなく、兵も物資も少しずつではあるが、削り取られていった。
「上様……お待ちしておりましたのに私を捨て置いて伊達攻めに向かうとは。我が主よ、我が主よ、なぜ私をお見捨てになったのですか。」
防戦に追われる羽柴秀吉の目にはどこかこれまでと違った光が宿るようになっていたのである。
一応前回の話でも三郎四郎のほうが家康とわかるようになっています。作者の力量が足りず単なる書き間違いに読めてしまうのが難点ですが……。




