織田前右府信長、甲斐府中にて北条氏政と会う
織田信長は安土城で武田征伐の準備をしながら諸将の報告を受けていた。
「木曽義昌当方に返り忠を約しました。」
「うむ。これで木曽路から主力を差し向けることが出来るな。」
「砥石の真田昌幸ですが……」
「どうした?」
報告を口ごもる森乱丸成利に信長は聞く。
「こちらも内応を申し出てきたのですが、当家ではなく国境を接する上杉実元の所に、と。」
「なに?」
一瞬信長は眉をひそめた。
「どうも引っかかる、とはいえすでに歯が抜けるようにボロボロの武田家の家臣の内でも有力な力を持つ真田が武田から離れるのであればよいか。許すと伝えよ。」
「はっ。」
上杉実元といえば伊達一門、また伊達がなにやら企んでいるのか、と信長は思った。
「伊達といえば徳川の動きはどうなっておる?」
「我らが命に従い、駿河方面へ粛々と侵攻準備をしているようですが。」
キョトンとした表情で森成利は応えた。
「ならばよし。両上杉の状況は?」
「上杉景勝はまだ所領が安定せず、援軍は難しいとのこと。」
「……この役立たずが……いずれ報いは負わせてやる。とはいえ伊達の傀儡の方は?」
「こちらはやる気満々で1万の兵を仕立てて嫡男、上杉成実が率いる軍が号令を待つ、と。」
「姿勢だけは立派だな……裏で何を考えているかわからんが。伊達上杉(実元方のこと)、徳川は戦後恩賞を抑えるようにいたそう。」
「はっ。」
「北条は?」
「こちらは佐竹との戦で防戦が忙しく、あまり兵は出せないとのこと。」
「ここが踏ん張り時であるのに北条氏政は時勢が読めぬ男よの。」
と信長は吐き捨てた。
こうして天正10年2月、織田信忠率いる軍団を先遣として信濃・甲斐の武田領に侵攻を開始した。武田信豊が軍を率いて織田勢を迎え打ったが、『真田昌幸まですでに逃亡している』との話が兵に広がり、ろくな戦闘にすらならず兵の逃亡が相次ぎ信豊は逃げ出す羽目になった。仁科盛信が高遠城で唯一組織的な抵抗をしたが戦力差も絶望的で後詰めもなく、森長可が城の屋根に上がって屋根を引き剥がし射撃大会をするだけで落城した。信濃の北方では真田昌幸が次男、信繁を上杉実元に人質に送り、道案内をして北信は上杉家に占領された。北条の動きは上野で箕輪城を落としたのみであった。徳川は穴山信君を調略し、駿河全土を掌握し、徳川家康は駿府城に入った。
そして武田勝頼は土屋昌続が『片手千人斬り』で時を稼ぐ間に天目山で嫡男信勝や妻子とともに自刃し、武田家は滅亡したのである。
信忠の軍勢のみでほぼ武田家を滅亡させた後、織田信長は甲斐府中に入った。武田家の本城、躑躅ヶ崎館は焼け落ちていたため、一条小山に陣を取り、論功行賞を行った。
上杉実元は信越国境から真田昌幸の領国までの領有と、真田昌幸の上杉家への帰属は認められたが、以南の信濃は森長可に与えられた。甲斐は河尻秀隆に与えられ、北条は動きに不審な点がある、と詰られ、箕輪城は滝川一益に与えられた。駿河攻略で奮戦した徳川家康は遠江高天神城の領有が認められたのみで相変わらず国境は大井川とされ、残る駿河を治める穴山信君は家康ではなく河尻の寄騎とされてしまいそうになった。家康は憮然としつつも黙っていたが、酒井忠次が猛然と抗議を行い、由比川を境として以東は団忠正が蒲原城に入って収める裁定となった。
結果として上野を削られる形となった北条氏政はその一報を聞くと大慌てで出立して甲府から出発しようとしていた織田信長に面会した。
「信長様、此度は北条が力になれず申し訳ない。しかしこの北条氏政、身命をなげうって信長様のために働く所存。」
「おお、氏政殿、わざわざ来てもらいご苦労であった。今回の沙汰には不満があろうが、来てもらってちょうどよかった。実はな……」
と厳重に人払いをして両者は話し始めた。部屋からは氏政の
「ほぅ、そんな事をお考えで。」
「……それがし信長様の鬼謀に心服いたしました!」
「……おお、それならば我が北条も全力を上げて働きましょう!」
などの声が漏れていたという。
徳川家康は加増こそ駿河の一部に留まったが、駿河守に補任された。そして本拠を駿府に移し、駿府城を本格的な城郭として整備を始めたのであった。
そんな中、織田信長に三職推任の話が出た。
「しかし三職、と言っても征夷大将軍は足利義昭が鞆で手放さず、鎮守府大将軍も伊達政宗め、なかなか信雄様に譲ろうとしませんな。」
森成利が信長に言った。それに対して織田信長は
「うーむ。三介(信雄)も政宗に丸め込まれて『ゆっくり焦らずじっくりで良いと思います。』だの気長な便りをよこしてきておる。全くあのうつけが。」
「となりますと関白か太政大臣しかありませんな。三職ではなく二職しかない。」
くくく、と成利は笑った。その頭を扇でスパンっ!と信長は叩くと
「…たく。我が織田家は平家であるから相国(太政大臣)となろうと思う。そして相国を古の後漢の董卓に倣って国家で史上の地位とするのだ。」
「はっ。」
と言って成利は平伏した。
「ところで徳川家康様が駿河守補任のお礼に、と安土に参りたい、と申してきておりますが。」
と書状を出すと
「……ついに時が来たな。あの青狸め。駿河でなにか企んでいるのがこの信長に何もわからんとでも思っているのか。成利、明智光秀を呼べ。」




