北畠信雄、浪岡御所の北畠氏を訪ねる
天正10年(1582)の正月明け、雪が積もった仙台城に織田信長の次男、北畠信雄が到着した。
「北畠信雄です。よろしゅう。」
織田信長に似ているが、武将というには幾分線の細い若者が挨拶した。兄で家督を継いで今では織田家総領の織田信忠も、数々の戦で武功は示しているものの、能を好むなど文化的なところが強くある。この弟の信雄は兄よりも前線で戦う必要が少なかったこともあって(伊賀攻めの失敗などあるが)よりひ弱なところがあるのかもしれなかった。その夜、仙台城で歓迎の宴が開かれた。
「しかし仙台は何を食べても美味いですな!城も堅固で私が総大将ならとても落とせないでしょう!」
来た早々城を落とす話をするのはさすが空気が読めない信雄である。しかし伊達政宗は織田信雄と話しているうちに、意外と信雄が政治的には穏当かつ現実味のある目を持っていることを感じた。
『……これまでの評判からただの坊っちゃんかと思っていたが……侮れぬな。またこれならば使いようもあるやもしれぬ。』
政宗は胸中、信雄を見直していた。そのため、『最悪の暴君ならばさっさと捕えて半年ぐらい幽閉してほとぼりが冷めるのを待つ』作戦は取りやめることにした。手の仕草で黒脛巾組に合図を送り、黒脛巾組は素早く信雄を捕まえる準備を撤収した。
「ところで政宗殿、私に鎮守府大将軍の座を譲ってくださるというのは?」
……ちゃっかりしておるわ、と政宗は思った。
「何分陸奥の田舎者には大事ですので、準備に時間がかかっております。お許しください。」
「おお、どういったことに?」
先程推察したとおり、意外と抜け目がない、と政宗は感じた。
「実はこの仙台城は武辺一辺倒で山上にあり、信雄様が御所を開くのには不便、と推察いたしまして、本来の鎮守府大将軍の本拠たる多賀城の地に、新たな御所を築いているのです。これがその図面です。」
と一枚の絵図を差し出した。
「おお、これは花のような御所ぞな。父上が築いた京の二条の御所よりも壮麗かもしれぬ。」
ここで単純に喜ぶ所はやはり世評通りか、と政宗は一安心した。
「そこで信雄様には御所が完成するまでの間、古の鎮守府大将軍、北畠顕家の子孫で信雄様の同族、浪岡御所北畠具愛の所で奥州北畠氏の有職故実を治めていただこうかと。」
「うむ。陸奥の習俗に長けることは奥羽の主として必要であろうからの。」
北畠信雄は納得し、近習のものを引き連れて浪岡御所へでかけていった。
浪岡御所の北畠具愛は信雄を歓待し、お互いに贈り物などを送り、親交を深めていたが、ある日、払暁に周囲が騒がしい事に気が付いた。信雄は
「なにごとぞ?秋田城介(本来だと織田信忠の官位だがこの場合は安東愛季辺りを想定していたと思われる)か?」
近侍の小姓が応えた。
「さにあらず、旗印は水色桔梗……じゃなくて卍!大浦為信の軍です!」
「大浦為信ではない!津軽為信だ!」
陣頭でヒゲの武将が叫ぶ。浪岡御所を取り囲んでいたのは大浦改め津軽為信の軍勢であった。
「な、南部が援軍を送ってくれていたはず?」
「南部とは手打ちしたのよ!」
「まさか。南部信直とお主は仇敵なのでは?」
「実父石川高信の城は落としたが、本人は殺さず済んだからな!さるお方の仲介で南部は石川城を返せば、と言ってきたのでそれは無理、と拒んだのだが、元長峰館を中心とした里を森山館を境として南部に引き渡すことで和議を結んだのだ。」
「なんだと!それほどの力技を現実にするさるお方とは……」
「お主は知らぬでよかろう!総員、力攻めにせよ!」
津軽為信の号令一下、津軽の兵は浪岡御所に攻めかかった。そして浪岡城は半日も持たずに落城したのである。しかし攻め手の警戒にはどこかゆるさがあり、北畠信雄と浪岡御所北畠具愛はなんとか脱出に成功した。
「あまり信用はできぬがとりあえず南部に逃れるしかなかろう。」
と北畠信雄は逃避行を始めたが、北畠具愛の一族が御所を恋しがり取り返すために一戦を、と言い出したのに対して撤退の邪魔として斬り捨ててしまったのである。
「信雄様、これはどう言えばよろしいですか?」
と家老の滝川雄利が聞いた。
「うむ。津軽に押し付けてもあのものの知略なら却ってバレてしまうだろう。落ち武者狩りに遭って農民に竹槍で腹を突かれた、とでもしておこうか。」
と平然と答える信雄なのであった。
三日三晩雪の中を彷徨うも凍死することなく、北畠信雄主従は南部領に辿り着き保護された。一息ついた後仙台へ送り届けられた信雄は伊達政宗に会うと
「いやぁ陸奥は聞きしに勝る魔境ですな。やはりここは政宗殿に色々支えてもらわぬとこの信雄、立ち行きませぬ。」
と言って仮落成した多賀の御所に入ってしまった。政宗は美女を贈るなどしてもてなそうとしたが信雄は受け取らず、その暮らしぶりは意外にも質素・堅実で伊達家のものや地元のものと接する姿も傲慢ではない腰が低いものだった。
「信雄様、意外や意外。隙を見せませぬな。」
と片倉景綱が感心していうと、政宗は
「まったくもってそうよのう。浪岡に送った時は御所のものを連れ歩いてノロノロ逃げていたら津軽殿に討ち取っていただこう、と相談していたのだが果断な動きであった。」
「こうなりますと。」
「うむ。ここは信雄殿を粗略に扱うようなことはせず、我々の手駒になって頂いたほうが良さそうだな。」
「しかしその準備として南部と津軽の和睦のため、南部に和賀郡を引き渡したのは痛かったですな。御屋形様の顔の渋かったこと。」
「南部も津軽の一部とはいえ取り返して顔が立ち、和賀郡も加増とあって引き下がってくれたからな。津軽にしても南部との関係が落ち着き、後は両者とも安東愛季だけが相手となったから悪い話ではなかろう。」
「最上義光殿も小野寺・由利十二頭をほぼ従え、安東に面しておりますな。」
「そうなると安東は四面楚歌だな。」
といって政宗主従は笑いあった。
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