伊達政宗、安土で『やりすぎた』ことに気づく
伊達政宗を安土城に迎えたその夜の宴で、ひとしきり食事などが進んだ後、織田信長は伊達政宗に声をかけた。
「政宗殿、鎮守府大将軍といえば古は北畠顕家が任じられたものであるな。」
「いかにも。おっしゃるとおりであります。」
「うちにも北畠がおってな、北畠信雄というのだが。」
北畠信雄は信長の次男である。優秀と謳われ、次代を期待されている嫡男、織田信忠と同母弟ながら伊賀攻めなど戦働きはパッとせず、凡庸と見られていた。
「鎮守府大将軍は北畠にこそふさわしいと思わぬか。政宗殿、譲ってくださらぬか。」
政宗はいくらなんでも凡庸無能と噂される信雄に大将軍を譲れ、というのはあんまりだと思った。
「主上から賜ったものなれば某の一存では決めかねます。またなったばかりで辞しては家臣たちも悲しみましょう。それでもしお譲りしたとして、某はどの様に余生を過ごせばよろしいのですか?」
「北畠信雄には北の首府としてふさわしい仙台から統治するのが良いと思うのだ。」
「仙台を譲れ、と。であれば某は信雄様の補佐として西山あたりに住まいましょうか。」
「それには及ばん。伊達の故地米沢30万石でゆるりと余生を過ごすというのはどうだ?」
「お戯れを……」
と言った政宗に、いきなりニコリとして信長は言った。
「もちろん戯れよ。本気ではない宴の戯言よ。政宗殿、ご笑納くだされ。」
「もちろん戯言でありましょうな。」
と言って二人は呵呵呵、と笑った。
伊達政宗は
「戯言とはいえ、米沢30万石ではいかにも少ないですな。それに某、生まれは京で育ちも丸森のほうが長うございます。」
「となればいかほどご所望で。」
と聞く信長の表情は真摯であった。落とし所を探るつもりである。
「武蔵江戸250万石ほどあれば、信長様の世の後、徳川家康様のように天下を望め……あ。」
徳川家康が江戸250万石から征夷大将軍になったことなど、この面々は知らないのだ。
「250万石とは大きく出ましたな!上様、これは伊達殿にやられましたな!」
と羽柴秀吉が言い、その希望の領地の大きさに、『戯言』の話で大言壮語して上手くやり取りしたもの、とお互いの諸将は受け取った。しかし政宗は気づいた。織田信長の目が急に暗く、遠くを見つめるようになったのを。
この場でのやり取りは宴の余興、と言うことでお互い納得し、翌日、伊達政宗は仙台に向かって出発した。
それを見送った織田信長は配下を集めると、急ぎ号令した。
「徳川家康、これまで俺によく付き従っていると思ったが俺の死のあとに天下を伺うとはとんだ野心を隠しておったわ。徳川に裏がないかよく調べ、今後徳川の行動に警戒せよ。今は良いが将来時が来れば家康は除くものと思え。」
と伝えた。
仙台にたどり着いた伊達政宗は諸将を集めると鎮守府大将軍就任の慶賀を受けた。ひとしきり儀式や祝賀が済んだ後、政宗は自室で片倉景綱と語り合った。
「政宗様、鎮守府大将軍就任おめでとうございます。奥羽のみならず越後も号令し、天下の三分の一は殿のものでございますな。」
「小十郎よ、われはやりすぎたのかもしれん。」
と政宗は思い悩んだような表情をしている
「といいますと?伊達の勢いはまさに日の出のように思われますが。」
「いや、小十郎よ、我は豊臣……羽柴秀吉が小田原の北条征伐に来るまでに蘆名を併合し、早々に秀吉の陣に参じて所領を安堵され、米沢も失わず秀吉に認められた代官として奥州諸侯に号令する心づもりだったのだ。」
「そりゃ羽柴様が東国の軍司令とは出世なさる話ですな。今は播磨方面ですが、そちらが早々に落ち着くとはさすが羽柴様。」
「それが信長公が生きている間に鎮守府大将軍になってしまった。」
「なってしまった、とは。」
「ここまで大身になると気楽に織田や羽柴に従い、以後下知を仰ぐ、というわけにはいかないだろう。」
「まぁいくら右大臣が官位で上回るとはいえ、同じ二位、ほぼ同格ですな。その上鎮守府大将軍は征夷大将軍と並び幕府を開くことも出来ますでしょう。主上は不甲斐ない鞆の足利義昭様に代わって殿を武家の棟梁として認めた、ということでは。」
「だからどうしようかと悩んでいるのだ。織田や羽柴と争うのは危険だ。彼らがいくつ鉄砲を持っていると思うのだ。おそらく万に近いだろう。」
「殿の知勇があれば戦えるのでは?」
「だから石高も装備も我らに数倍する相手では危険と言っておる。」
「殿にしてはめずらしく弱気ですな。」
「うーむ。かと言って付き従うだけではよくて米沢30万石か……さすがにそれを受けるわけには男子の矜持としていかんな。せめて仙台100万石と言ってくれればすぐにでも従っただろうに。」
「思うたのですが、ここまでの勢力を築き上げた上様を、織田がそう簡単に放置してくれそうもありませんな。これまでは仲良くしてくれましたが。」
「だから上様と呼ぶのはまだよせ。しかし景綱、お前の言う通りだ。これからは織田は我らを放っておいてくれないだろう。」
「それは今後は慎重に動かなければなりませんな……」
「だから『やりすぎた』と言ったのだ。嗚呼、これからどうするべきか。」
こうして祝賀に湧く仙台の雰囲気と相反して伊達政宗主従は頭を抱えていたのであった。
本日はここまでです。次回はまた明日午後から夕方予定です。よろしくお願いします。




