伊達陸奥守政宗、京で鎮守府大将軍となる
上杉景勝主従は越中へ逃れた。とはいえ越中は全て景勝方の上杉家が支配していたわけではなく、すでに越中侵攻を始めていた織田家と勢力が混在しているような状況だったのである。
越後がひとまず安定を見ると、政宗は越後を上杉成実、実元父子に任せると軍勢の指揮を鬼庭左月斎、白石宗実らに任せて仙台に引き上げさせた。そして自らは片倉景綱と鮭延秀綱を伴い、奥州の平定が目処がついた礼をするために上洛の途に着いたのである。
越中に入ると織田家臣、斎藤利治の出迎えを受けた。斎藤利治は上杉家の名将とうたわれた河田長親を破り、越中に織田家の支配を及ぼさせた名将である。その備の迅速な運用に定評があった。
「おお、伊達殿。此度の噂は聞きましたぞ。」
「景虎様、憲政様は残念ではありますが。」
「戦の場とあらば致し方ありますまい。」
件の儀礼用甲冑はすでに念入りに油をかけ焼却、処分されていた。表向きには不吉な代物なので海に沈めた、としてある。
斎藤利治の案内で越前北ノ庄城に入る。柴田勝家と甥の佐久間盛政の歓迎を受けた。
佐久間盛政は
「政宗殿とはぜひ一回お手合わせを願いたいところですな。」
と言い出したが、政宗は
「猛将で知られる盛政殿とはごめんいたしたいですな。どうかこれからも仲良くしてくだされ。」
と遠慮し、皆は笑い合ってその日の宴は盛り上がった。北の庄を辞して近江に入り、長浜の旧知、羽柴秀吉のところへ訪ねていった。秀吉は歓迎しつつ、
「信長様は今は安土には不在であります。京の帰りに寄っていただきますよう。」
と告げた。そして
「お気をつけくだされ、これは衷心からですが。」
と申し添えたのであった。織田信長が安土には不在であったため、伊達政宗一行はそのまま京に入り、宿に泊まり一服着いた後、日を改めて身なりを整えて主上に参内することになった。その夜、政宗の実母、普光女王に政宗は呼ばれた。
「母上様、ご無沙汰しております。」
「まぁ梵天丸、こんなに大きくなって。」
そりゃもう政宗も22歳である。小さい子供の訳はない。政宗はふと母を見るとそのたくましい体格に『大きくなったのはむしろ母上の方では……』と思ったが身の危険を感じて口に出すのは止めておいた。
母は政宗に抱きつくと、ひとしきりお互いの話をした。
「母上もこれからもお元気でいてくだされ。」
「まぁ、梵天丸に言われてはこの母も頑張らなければ。それはそうと明日は兄上から良い話が聞けると思いますよ。」
兄上、とは主上、正親町天皇陛下のことだ。なんであろう……と政宗は訝しみつつも翌日、京の御所に参内したのであった。
「おお、我が甥よ、皇孫よ、ついに奥羽の安寧を成し遂げたな。」
正親町天皇からのお言葉に政宗は平伏して答えた。
「いえ、陛下。陸奥・出羽にはまだ北は安東、大浦、小野寺などの諸大名が服しておらず、南も結城、岩城はまだ佐竹に属し、とても奥州を平定したとは言えませぬ。」
「皇孫殿は謙遜するのう・・」
と陛下は答えた。そして
「此度の上杉家の跡目争いを収めた手腕も見事であった。よってそなたを鎮守府大将軍に任ずる。」
「ち、鎮守府将軍ですか。この身に余る光栄ですが……」
「ちがうぞ、『鎮守府大将軍』だ。」
「大将軍ともなれば二位相当になりますが。」
「よってそなたを従二位、鎮守府大将軍に任ずる。家柄も皇孫であるそなたなら問題はない。」
「ですが。」
「公卿共も左大臣にでも任じられては困ったろうが、鎮守府大将軍のための二位だから問題ない、と賛同しておる。もちろん受けてくれるな。」
「は!この政宗、身を粉にして主上、天下の安寧のため働きます!」
「よきかなよきかな。」
退出した伊達政宗はまだ身が震えていた。二位といえば織田信長が正二位、右大臣であるがそれに継ぐものである。
朝廷に丁重に礼と数々の贈り物、献金をし、政宗は仙台への帰路についた。往路で不在であった安土城の織田信長を訪ねることにしたのである。
織田信長の安土城は壮麗な天守を持つ山上の楼閣であった。信長は政宗を出迎えると
「鎮守府大将軍になられたと聞きましたぞ、上様と呼ばねばなりませんな。」
と笑った。
「いえ、上様なれば五畿内を制した信長様こそ呼ばれるべきでしょう。」
と返したが、鮭延秀綱がつい、小声で
「しかしこの安土城、朱塗りの上階と言い美しさの点では見事でありますが殿の仙台城の天守にはちと及びませんな。大殿の会津若松と張るぐらいか……」
と言っていたのを聞かれてしまい、信長は
「なに、仙台の城はそんなに素晴らしいのか。」
と聞き返されてしまった。
「いえいえ田舎の城にございますれば。」
と政宗は応えたが、
「秀吉、お前この間伊達との伝手で仙台へ行かせただろう、仙台の城について正直に答えよ。」
と羽柴秀吉を呼びつけて聞き出す。
「白塗りの天守はなんというか真四角で安土のように華麗ではありませんな。高さは五層でなかなかでありますが、それより安土は天守のほかは目立った櫓はありませんが仙台には三層櫓が四基あるのでそちらのほうが目立ちますな。」
「櫓がそんなに……鎮守府大将軍殿のところはそれほどのものなのか。」
「いえ、これも信長様が穴太衆をお貸しいただいたおかげ。」
「ふむ。そうであったな。穴太衆にはこちらでも良い仕事をしてもらわぬと。」
冷や汗が出る思いの政宗であったが、それはその夜の宴でますます強まった。




