直江兼続、上杉景虎の死を訝しむ
大手門の楼閣から取って返した上杉景勝は、樋口兼続に尋ねた。
「……兼続。やったのか。」
「間違いなく手応えはあったのですが、伊達のものは『息はある』と申しておりましたな。」
「……仕損じたか?」
「うーむ。仕損じてはいないのと思うのですが。」
「兼続ほどの腕ならば過ちはないと思うが……」
疑問に思いながらも城下を見ると明らかに包囲陣が少ない。
上杉景虎が負傷したことで混乱して兵を引いたのか、と景勝主従は判断した。
「景虎が死んでいれば伊達も兵を引きましょう。ここは春日山に籠城して時を待つのがよろしいかと。」
斎藤朝信は籠城を主張した。
「いえ、ここは包囲が乱れたのは好機。景虎が身動き取れずとも伊達の大軍がいるうちはどうにもなりませぬ。ここは一旦脱出して越中の河田長親殿を頼るのはいかがでしょう。」
と直江信綱は脱出を主張した。これに樋口兼続らも同調し、一同脱出、と決まった。
春日山城の搦手から出撃した景勝ら一行は予想以上に包囲陣が手薄であったことに安堵しつつ脱出した。しかし殿を務めた直江信綱は雑兵の放った矢に射たれてしまい、人事不省となり、翌日亡くなったのであった。景勝は急ぎ、樋口兼続を呼び、同行していた信綱の妻、船と娶せ、直江の姓を名乗るように命じたのである。こうして直江兼続が誕生したのであった。
景勝・兼続ら一行は、予想よりもあまり数は多くなかったが追手と戦い、身を隠すこともありながら日数はかかったものの無事に越中松倉の河田長親のところへ到着した。
「景勝殿!お待ちしておりました。」
「おお、長親殿、世話になる。ともに春日山城を取り戻しましょうぞ。」
「ところで早馬が先程着いたのですが。」
「うむ?」
「上杉景虎・憲政、銃弾を浴びて死亡、遺言で越後上杉家嫡男、上杉成実に家督を譲り、上杉成実は山内上杉当主として春日山城に入城した、と。」
「なんじゃそりゃあ!」
兼続は聞いた。
「それで諸将は納得しているので?」
「伊達が後ろ盾でいる間に諸将を説得してしまったようです。『上田長尾よりは扱いが良い……』などと申しているものもおるようで。今では越後に残る諸将は上杉成実から所領安堵の朱印状の発行を競って受けている、と。わしはそのような輩に与するつもりはありませんからな。景勝殿を支えていく所存。」
上杉景勝・直江兼続主従は河田長親が味方でいてくれたことに感謝して安堵するとともに、越後の事態に呆然としたのであった。
少し時は戻る。上杉景虎が撃たれた後、伊達政宗は景虎と憲政を大急ぎで本陣をおいていた寺に運び込んだ。そして盛んに
「景虎殿!まだ大丈夫であるぞ!医師の治療を受けるのだ!ここを乗り切れば越後は景虎殿のものだ!」
と叫びつつ、部屋に運び込んだ。そして急ぎ、上杉成実を呼ぶと、成実は道中の住人や兵が
「景虎様が撃たれたがまだお命があるようじゃ……」
「景虎様は回復なさるかの……」
と話しているのを聞いた。そして二人がいる部屋に入ると、政宗と片倉景綱、鮭延秀綱が待ち受けていた。
「景虎殿!」
布団に臥せる景虎に思わず成実は駆け寄る。
「よい、よいのだ。」
と伊達政宗は平静な声で成実に声をかけた。
「二人は最初から絶命しておる。景虎殿は心の臓を撃ち抜かれて即死、憲政殿も腹を撃たれて急所に当たり、すぐに亡くなった。」
「そんな……甲冑を着けていたはずでは。実際お二人を運び出した際は晴嵐徒士隊は銃を浴びてもほとんど跳ね返していた、と。」
「憲政殿は前に出るつもりがなく甲冑をつけておらんかったからのう。景虎殿は止めたのだが、華美な儀礼用の甲冑をどうしても付けたい、とおっしゃってな。」
成実は思い出した。儀礼用の甲冑、というのはいつもの甲冑は仙台胴の作りにより銃撃にも強いが鉄で重くて長時間つけていると疲労する。よって儀式の時に形だけ整えればよい、と張り子の上に漆を塗って整え、金箔などで見栄えだけ整えた代物だ。
「そんなもの何に使われるのですか?」
と幼かった成実が政宗に聞くと
「本当に戦乱が終わったら儀式の際はこれでも着ていればよかろうよ。まあこれを着て戦場に立つのは愚か者であろうがな。見栄えは本当に素晴らしいであろう。」
と答えたのである。その『戦場に着て立つのは愚か者』な代物をなぜ政宗様は持ってきたのであろうか。少し話しただけで派手好きで見栄っ張りな事がわかる上杉景虎ならその白銀に金の飾りがついた『西洋騎士の姿を真似た』甲冑を着たがるであろうと思わなかったのか。
「我は越後が平穏になったら使っていただこうと思ってお持ちしただけなのだがな。景虎様がここが見せ場だからどうしても、とな。」
「儀礼用のペラペラとはお話したので。」
「特に聞かれてないから話してないぞ。武士ならばいくらなんでも着れば疑念に思うだろう。」
成実は政宗はわざとやったのであろう、と推察した。まったくもって恐ろしい方だ、と思ったが、ここは胸のうちに収めておくこととした。
こうして上杉成実は越後国主、山内上杉家当主となった。揚北衆や新発田兄弟の尽力もあり、神余親綱などの有力武将も味方に付き、越中に逃れた景勝主従以外の家臣は比較的早く恭順し、越後の支配体制を整えることに成功したのである。
本日はここまでです。また明日。明日は2話の投稿です。




