佐竹義重と遠すぎた橋
後にいう『人取橋の戦い』が切って落とされた。阿武隈川の西、青田原で佐竹義重率いる連合軍が伊達政宗率いる奥羽諸侯軍と激突したのである
佐竹義重は当初、本陣から戦場を俯瞰し、下知を出していた。
「所詮奥羽諸侯は政宗につきあわされているだけ、戦意が旺盛とは言えまい。こちらの中央軍が正面を突破すれば敵両翼は散り散りとなろう。見よ、そもそも諸将でまとまった数の兵を出しているのは最上ぐらいではないか。相馬や田村は参加しておるものの数えるほどか。付き合いで兵を出しただけと見える……小野崎義昌、我が佐竹の馬廻りを前に進めよ。」
佐竹義重の下知に佐竹勢の備が横隊を組んで前進を始めた。
「正面の敵を突き崩せ!両翼は石川・岩城などの諸将に任せよ!なに日和見を決め込むであろうから我らが正面の伊達・最上勢を打ち破り、川向うの政宗本陣まで突き抜ければよいのだ。」
しかし伊達方の備はなかなか崩れなかった。突き崩そうとすると鉄砲隊が素早く反応して長柄隊の左右から斉射してくるのである。しかし鉄砲の数で言えば佐竹もなかなかのものであり、一方的に射撃を受けるようなことはなかった。
正面の佐竹勢が伊達・最上勢を攻めあぐねている間に、両翼を見ると右翼の岩城勢は小勢の南部や相馬相手に押し込めずにいた。岩城勢はほぼ完全に佐竹家の傀儡に近い状態になっており、督戦や指示もしっかりとしているはずだが、騎馬を駆使した機動力のある相馬・南部に翻弄されていたのである。左翼で蘆名盛輝と対峙している白河結城と石川昭光に至っては押し込むどころか、ジリジリと後退を始めていた。佐竹義重はいらだちを感じて
「左翼なにやってんの。弾幕薄いよ!」
と叱責の使者を出すほどであった。とは言っても義重率いる佐竹の主力はジリジリと伊達・最上勢に対して押しており、気がつけば佐竹隊が突出してむしろ両翼を破られて包囲されかねない状況になっていた。
「どいつもこいつも頼りにならぬ。こうなっては俺自身が先頭に立ち、血路を切り開く!馬廻り、来い!」
と号令するや近習とともに前線に自ら躍り出た。
「佐竹義重見参!死にたくなければ道をあけよ!」
と音声を上げると自慢の木杖をふるい、伊達勢に突入した。木杖、といっても木刀のようなものではない。巨大な樫の木に鋲を打ち付けた打撃兵器である。義重の膂力に伊達の長柄隊は吹き飛ばされ、なぎ倒された。それを見ていた最上義光、延沢満延に
「ここはまかせた。」
と言い残すと自慢の金砕棒をひっつかんで伊達に襲いかかる佐竹義重の眼前に割り込んだ。
「佐竹義重殿とお見受けいたす!勝負!」
「その金砕棒……名高き出羽の虎、最上義光か!鮭につられて尻尾を振るとはもはや虎ではなくて飼い猫だな、にゃあにゃあ。」
「言わせておけば!」
そうして二人は何合もその自慢の武器で打ち合った。しかしその技倆は互角であり、やや義重に疲れが見え始めた。
「ぬう。出羽の猫が、疲れを知らぬのか。」
「普段から鮭食っているからのう、シャーッ!」
そこに佐竹の陣からもう一人の武将がやってきた。鍛え抜かれた体に八尺(3メートル強)を超えるような巨大な木杖を持っている。それはもはや木杖とよぶにはあまりにも巨大な存在であった。
「真壁氏幹、殿をお助けいたす!」
「しゃらくさい、名高き鬼義重と鬼真壁、まとめて葬り去ってくれるわ!」
二人の鬼が襲いかかっても最上義光は互角に渡り合っていた。その様子に佐竹勢では
「鮭を食べるとあれほどの力を得られるのか……」
「これからは我らも那珂川での鮭漁をもっと盛んに行わないと……」
と囁かれる始末であった。
しかし、その撃ち合いには唐突に終わりが来た。最上義光の総鉄製の金砕棒が振り下ろされたのを受けた佐竹義重の木杖が折れてしまったのである。
「しまった!」
とよろめく義重に義光が追い打ちをしようと踏み出したその時、真壁氏幹が遮った。
「殿!ここは私に任せて殿は敵本陣の伊達を突いてくだされ!」
真壁の言葉にハッとした義重は
「危うく最上義光との戦いに熱中して戦全体を見渡すのを忘れておったわ。全軍、可能な限り敵に捕らわれず捨て置きながら前進!人取橋を渡り、伊達陸奥守政宗を討つのじゃ!」
佐竹勢は死力を尽くして前進を図り、前進についていけなかった者たちは取り残されて討たれる事すらあった。そしていよいよ橋を視野に捉え、政宗の本陣に向かい鉄砲を一斉に放ったのである。
一斉射撃を受けたとはいえ、政宗の本陣までの距離は遠く、数発の弾丸が政宗をかすめたのみであった。佐竹義重は死力を尽くして橋の間にいる伊達勢を排除して前進するも、川向うの伊達政宗直属の晴嵐徒士隊から断続的にされる射撃になかなか歩を進められなかった。
そして夕刻が近づいてきた頃、使番が義重に伝えた。
「蘆名盛氏が率いる蘆名家主力が到着、右翼へ突入、右翼は後退中です!」
「蘆名盛輝の蘆名勢が左翼の小峰隊を打ち破りました。石川昭光は逃亡しそうな勢いです。」
「殿!このままでは囲まれます!」
「あと一歩、あと一歩なのだ。」
もう少し進めば橋の欄干に手がかかりそう、というところまで義重は進んでいた。川の此方側の正面に組織的に抵抗をする伊達軍はない。あと一歩すすみ、橋を渡れば政宗の本陣に突入して討ち果たし、この戦を終わらせることが出来るのだ。
「殿、後退を!このままでは後方を我らが通り抜けた伊達と最上に塞がれます!」
ここにいたり、佐竹義重は本日の戦を一段落させることにした。
素早く反転すると後方を遮断しかけていた伊達の備を吹き飛ばし、ちぎっては投げ、戦場から離脱して再布陣することに成功したのである。石川や岩城など諸侯もどうにか脱出し、連合軍は伊達とその援軍と睨み合う態勢に戻すことに成功した
「翌日は戦力を集中してより迅速に動けるようにするぞ!我が佐竹本隊が左翼に回り、盛輝勢を叩いて伊達政宗の所に迂回、突破する!今日はゆっくり休んで明日に備えておれ。」
と命じ、各将は一旦休み各々のところに戻っていったのだが……佐竹義重が期待したような『明日』は来なかったのである。
その夜、佐竹連合軍の陣地に伊達政宗が誇る忍軍、黒脛巾組が跋扈したのだ。
黒脛巾組の大町宮内、柳原戸兵衛と世瀬蔵人が各隊の間に触れ回った。
「相馬盛胤、田村勢と共に岩城領に侵入、岩城領を荒らし回っております。その勢い、平城を伺う勢い!」
「なんと、相馬らの手勢が少ないと思えば義胤の父、盛胤が搦手を!」
「常陸府中の大掾氏が謀反、水戸城の江戸も呼応したようです!」
「北条氏政が小田氏治を支援して常陸に侵入したと!」
「下野宇都宮氏が同盟している那須氏を攻撃!」
「里見義頼も常陸へ向かい兵を挙げたと。」
「石川昭光殿、今日の失態に兄の盛輝に通じ、寝返りを約した様子!」
「なぜじゃ……なぜ一斉に……大体宇都宮と那須は両方とも同盟国ではないか」
佐竹義重は訝しんだ。いくらなんでも間が良すぎる。それほど我らの主力がいないからと言って一斉に動けるのか、と。しかし岩城領からの急使は、相馬の侵入を裏付けていたし、石川にも逃れてきた兵が報告している様子が見えた。こちらの草も常陸の反乱はむしろ江戸が主体、と反乱自体はあるとの報告をしてきている。
連合軍の陣は飛び交う情報に混乱を始めた。黒脛巾組が流した情報は、例えば北条家が出陣、などは虚報であったが、それを実際に兵が動いている相馬の情報などとともに流すことで双方とも真実、と思わせたのである。陣は「国元に帰らないと……」と浮足立つ諸将と、それを押し留めようとする佐竹勢で混乱の極みにあった。
「ええい、小野崎義昌を呼べ!」
と義重は諸将を落ち着かせようと軍監の小野崎義昌を呼んだ。しかし呼びに行った者が告げたのは信じられない言葉であった。
「小野崎殿、自陣で首を落とされて死んでおります!」
これも当然ながら黒脛巾組の仕業であった。仕事を終えて無事連合軍の陣地から抜け出した世瀬蔵人は
「話に聞く九州の大友家みたいに酒のんで女を抱いてたるんでいれば全軍を崩壊させたものだが、さすが佐竹はそうはいかんかったな。」
「まぁ小野崎を仕留めただけでも上々であろう。連合軍の楔だっただけにな。」
と太宰金七が答えたのであった。
「各々方、政宗様の所に戻りますぞ!」
大町宮内が言い、黒脛巾組の面々は闇夜に溶けるように消えていったのである。
小野崎義昌を失った佐竹義重は唖然としていた。しかし首を二、三度振ると、きっとした表情に戻り、号令した。
「者共!常陸に戻るぞ!撤退じゃ!」
そしてその夜の間に連合軍は撤退し、翌朝には奥州諸侯軍の前に残っていたのは石川昭光の軍だけだったのである。
石川昭光は兄、蘆名盛輝と弟、伊達政宗に平伏して謝罪し、伊達の陣営に加わることを約して軍監として付けられたものとともに領国へ撤退していったのであった。
佐竹義重はこの戦のことを後で述懐し、
「あの橋、あの橋さえ渡れていれば勝利をつかめたものを!」
と悔しがったという。
日間歴史ランキング1-2位、本当にありがとうございます。奥州の戦乱も後半戦です。




