二階堂義続、宮森城で蘆名盛輝を拐かす
大内定綱は仙台から戻った後、蘆名盛輝と二階堂盛隆のどちらにも積極的に与しないことを表明して塩松に引きこもってしまった。二階堂盛隆に唆されて大内を伊達攻めの先鋒としようとしていた二本松義継であったが、大内がだんまりを決め込んだことでその矛先を見失う事態となった。
目標を代えて田村清顕の三春城を攻めるべく、二階堂から兵を借り、すっかり佐竹の組下となった岩城常隆と共同して攻め込むも、相馬と伊達の援軍の前に敗れ去り、蘆名家の家老を勤めながら影で二階堂盛隆を擁立するべく暗躍している金上盛備に惨めな敗戦を詰られる始末であった。
ここにおいて二本松義継は蘆名盛輝に偽装投降をし、盛輝を暗殺する、という妙案を思いついたのであった。早速二本松義継は蘆名盛輝に降伏の使者を送った。二本松領の過半を引き渡す代わりに蘆名の庇護を受け、伊達との和議の仲立ちとなっていただきたい、という破格の条件である。
和議の舞台は二本松に近い宮森城とされた。蘆名盛輝は二本松義継を城門まで出迎え、広間でお互いの諸条件を書面にしたためて交換した。盛輝は頭巾をかぶっていた。不審に思った二本松義継が訊ねると、盛輝は頭巾を外し、
「この様に蚊に喰われて顔中腫れ上がってしまいましてな。恥ずかしいやら痒いやらで頭巾をしております。ご容赦いただけましたら。」
というその顔は虫に食われて酷いことになっていたものの、たしかに蘆名盛輝本人と思われた。二本松義継は約定を結ぶと帰りの準備をし、城門に行くと再び蘆名盛輝が見送りに出てきた。
二本松義継は『盛輝が現れなければこの約定で身の安全を、とも思ったが……のこのこ出てくるとは天の采配!』
と突然蘆名盛輝に躍りかかると羽交い締めにし、捕らえて城から逃げ出してしまった。
城方は突然の当主の誘拐に攻めあぐね、遠巻きにして追跡してきて手を出してこなかった。いよいよ二本松領の向かいの阿武隈川にたどり着き、見知った浅瀬を渡りきれば味方の所領、となり二本松義継の心は逸った。
対岸には味方の兵も出てきている。
うまくすれば逃げ切れるかもしれない、もしくは盛輝は暗殺ではなく人質として交渉しようか、と期待しつつ中洲に達したその時。
「よお、義継殿。俺を拐うとは良い根性をしているな。」
と見ると川のほとりにはズラッと鉄砲隊が並んでおり、その中央には頭巾の武将がいた。
武将は頭巾を取ると
「それは影武者よ。政宗が『二本松義継が父上を害する企みあり、会談すれば拐おうとするのでご注意を。』と書いてよこしてな、黒脛巾組が育成してくれたその影武者をこの日のために送ってくれたのだ。俺の顔は漆で荒らしたのだ。おー痒い。」
慌てて義続が頭巾を剥がすと、たしかに盛輝のようだが、微妙に違う。別人である。
「おのれ盛輝!政宗!謀ったな!」
「謀ったのはそちらであろうよ。影武者といえ我を害そうとした二本松義継、許せぬ。死ね。」
と蘆名盛輝が命じ、鉄砲隊の一斉射撃で二本松義継とその主従は討ち取られたのであった。
二本松義継による蘆名盛輝誘拐未遂はすぐに伊達政宗にも伝えられ、『父を襲った不届き者を成敗する』と伊達政宗は動員できる全軍を率いて南下を開始した。片倉、後藤、鮭延など直卒のものだけではなく、小梁川、白石などの大身、留守、国分、伊達実元など一門、そして最上と南部からの援軍に相馬からの援軍も加わり、蘆名盛輝も出陣した。
主を失った二本松城はその大軍の前に恐怖したが、家臣はよく城を守り、体制を立て直し籠城した。伊達政宗は二本松城を力攻めせずに、包囲した。二本松義継の遺児は国王丸と言ったが、わずか二歳であった。しかし二本松の家中は国王丸を支えて、開城交渉にも首を縦に振らなかったのである。
そうして包囲を続けていた伊達連合軍に急使がもたらされた。
「なに?二本松の救援と称して佐竹義重自らが出陣したと?」
伊達政宗は黒脛巾組からの報告を受けていた。
「佐竹は岩城、白河結城、石川の諸勢を引き連れ、3万と号令する大軍でこちらに向かっております。」
「よし、二本松は小勢につき、押さえを残し、我らも佐竹を迎え撃とう」
政宗は諸将を集めて相談すると、陣立てを決め、南進した。そして阿武隈川の支流である瀬戸川の辺りにたどり着き、人取橋を挟んだ形で布陣したのである。政宗の本陣と直卒は人取橋の後方に置かれ、その右手に蘆名盛輝が率いる蘆名勢、橋を渡った正面に伊達の諸将の本隊と最上義光が布陣し、左翼には南部信直と相馬義胤、田村清顕が陣取った。
人取橋の近傍にたどり着いた佐竹義重は伊達の陣立てを見て取ると、
「ふむ。」
と言った。それを聞いた知将で知られる太田三楽斎資正は
「殿、いかがした?伊達の布陣に不審でも?」
と尋ねた。
「いや、我らは大軍と言っても率直に言って岩城や小峰はやる気がない。となれば我が佐竹本隊12000のみが頼りになろう。」
「援軍をお願いした上杉謙信殿が能登攻めに関わっていて来られませんでしたからな。」
「とはいえ、伊達も寄せ集め、中央の伊達の部隊を破れば、その他の諸侯は日和見するか下がるだろうて。」
「となれば力押しですか。」
「うむ。あの橋の向こうでふんぞり返っている伊達政宗に目にもの見せてやろうぞ。」
佐竹義重は気勢を上げた。そしていよいよ後に人取橋の戦いと言われる一戦が、その姿を変えて行われようとしていたのである。




