大内定綱、仙台を訪ね伊達に臣従を申し出る
天正4年(1576年)北の巨人と畏れられた南部晴政が死に、その後継争いを南部信直が制した。そして信直と対立した九戸一族を援軍に現れた伊達政宗が討ち取り、南部と伊達の同盟が成立したことは、奥州南部の諸氏にさらなる衝撃を与えた。
「最上のみならず南部も伊達に与するとは。」
塩松城主、大内定綱は身の振りどころを悩んでいた。田村清顕から独立し、蘆名盛輝の庇護を受けていたものの、その盛輝と対立する二階堂盛隆に唆されてその陣営に引き込まれた二本松義継から盛んに二階堂・佐竹の洞に従うように誘われていたのである。
その大内や二本松に裏切られた田村清顕ではあったが、同盟関係にある相馬盛胤が伊達との争いが終結して余裕ができ、支えられることで一息をついていた。そして仙台城の(仮だが)落成を祝って仙台の伊達政宗を訪ねた際、苦し紛れの冗談半分で
「娘の愛が成長したら嫁にもらっていただきたい。」
と言ってみた所、政宗は上段から駆け下りてきて手を握り、
「是非お願いいたす。」
と土下座せんばかりの勢いで頼んできたため、本当に婚約が成立してしまったのであった。正式に輿入れするのは愛姫が成長した三年後ぐらいを目安に、との約定となった。
田村と伊達の関係が深まることは田村の防戦を支えていた相馬家にも歓迎された。これにより負担となる援軍を引き受けるだけであったのが伊達の援助も期待できるようになったからである。
ここにおいて、大内定綱はもし二階堂義隆に与すれば、伊達に対する錐のような先方の立場に置かれることになった。
『これはまずい……』
大内定綱はペラペラと佐竹の素晴らしさを語る二本松義続を前に考えていた。
『もしここでわしが二階堂に味方しても、伊達と蘆名に挟まれてすり潰されるだけであろう。しかし逆に伊達はわしと二本松に蘆名への道を塞がれている形となっている。わしが伊達をせき止めて、二階堂と佐竹率いる白河結城、岩城、石川の諸族が蘆名を攻め、盛輝を除ければそれはそれで面白いやもしれぬ。さて、どちらに味方するべきか。』
大内定綱は見極めるために、伊達政宗をよく見てやろう、と考えた。そして仙台城に挨拶に向かったのである。
仙台城にたどり着いた大内定綱が見たのは巨大な石垣が丘の上にそそり立つ巨城であった。その上には三層の櫓が四基も挙げられ、手前は断崖にせり出すように建てられた「掛屋御殿」がその舞台造りの特異な姿を見せていた。そして、本丸の中央には……五層の大天守が建っていたのである。
「これはこれは定綱殿。青葉城によくいらっしゃった。」
仙台城は青葉山に築かれたがゆえに青葉城、とよく呼ばれていた。その城主にして陸奥守、伊達政宗が大内定綱を迎えて挨拶した。
「石造りの城……そしてあの大きな櫓は。」
「天守、と言われる城の中心となる象徴ですよ。西国では太守の城によく築かれているとか。」
前の人生の青葉城では徳川幕府を憚り、5層の江戸城天守を縮めたような天守を計画のみ行い(建築のための詳細な模型まで作り上げた。)築かなかった伊達政宗であるが(実際天守を築かなかった伊達氏や築いたものの破棄した福岡黒田氏などがその後存続し、天守を誇っていた肥後加藤氏などが改易された事を見ても判断は正しかったと思われる。津軽氏も五層の天守を後に弘前城に建てたが、こちらは早々に落雷で焼けてしまったのは津軽氏にとってはむしろ幸運だったのかもしれない。)今回は特に憚る相手もなく、堂々と天守を上げたのであった。
天守の最上段から仙台の地を案内された大内定綱は思わず
「これからは伊達の家臣として妻と共に仙台に移り住み、子弟も出仕させたいと思います。」
と申し出た。それを聞いた伊達政宗は歓迎するかと思いきや、怪訝な顔をして言った。
「いやいや大内殿、それは無理であろう。」
『無理』と言われてムッとした大内定綱は、そんな事はありませぬ。この壮大な仙台の城を見てどうして伊達様に逆らう気がおきましょうか、と反論したが、
「その御心はありがたく頂戴しておきます。しかし大内殿は当家と二階堂の板挟みにあっているはず。ここで我に心地よいことを申しても国元に帰れば二階堂・二本松に従わざるを得なくなるやもしれませぬ。」
見透かされた、と大内定綱は思った。そしてそこまで見通す伊達政宗に畏怖の念を抱いた。
「さすがは伊達様にございます。そこまでお見通しとは、平伏せざるを得ません。」
「しかし大内殿、貴殿が我の大切な盟友になる、と我は確信しているのです。」
「そこまで高く買っていただいても出せるものはありませんぞ。」
「貴殿には十文字槍を振るう武勇も智謀もあるではありませんか。」
これはどうしようもない、小僧と侮っていたがなかなかどうして裏をかいてくる、と大内定綱は思った。
「なれば国元に戻らせていただきます。」
としばしその後も政宗と語り合い、仙台を辞して塩松の自領に帰ったのであった。戻った後に家臣が
「伊達はいかがでございましたか?」
と聞くと、
「大宝寺や九戸を型に嵌めたという話、真実やもしれん。迂闊な行動は取らず慎重に事を進めないとな。」
「では伊達に味方を?」
「いやここは我らは義理に挟まれ身動きとれぬ、としよう。」
「ですか?」
「そうすれば動くものもあるだろうて……」
大内定綱は遠くを見つめながら言った。




