伊達藤次郎政宗、陸奥守になる
天正0003(1575年)、京から最も遠い出羽米沢の伊達藤次郎政宗は坂東諸氏の洞の解体を宣言し、古き名族に戦争を挑んできた。この数ヶ月あまりの戦いで、伊達政宗は陸奥の名族、大崎、葛西の洞を廃止至らしめ、直轄領を急激に拡大した。人々は、政宗の行為に恐怖した。奥州諸族は伊達の次の動向に注視した。南陸奥の所属の闘争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた……
伊達政宗は大崎、葛西の旧領に入り、服従を誓った諸氏は伊達家の旗本とし、反抗する諸族を攻め滅ぼした。そして兄、国分盛重を大崎家の旧領、名生城に移し、自らは国分の旧城、千代城を大幅に拡張・改築した『仙台城』の築城を始めたのである。
「仙台ですか!」
工事の奉行に来ていた後藤信康が政宗に聞いた。
「うむ。恵まれたこの土地にふさわしい名称であろう。」
政宗は答えた。
「ここは旧国衙の多賀城にも近いですな……いよいよ政宗様は奥州の主となられるので?」
「ははは。それはまだまだだ!北方の南部もいるし南方では佐竹義重に組みした二階堂盛隆などが策動しておるしな。これからもまだまだ道程は長いからよろしく頼むぞ!」
「しかし総石垣とは……」
「西国ではこれがこれからの城の姿なのだ。織田信長様に穴太衆をお貸しいただき総石垣の城とする。」
「その信長様と会われる予定とか。」
「うむ。相馬との和議で主上にお世話になったお礼をするために上洛し、その際に信長殿とも会う予定だ。」
伊達政宗上洛、の報を聞き、伊達家と敵対している佐竹とそれに従う諸大名、そして上杉謙信は警戒を強めた。しかし政宗は会津の義父、蘆名盛輝とその義父である蘆名盛氏の所に行き、歓待を受けたかと思うと、そのまま下野を通り過ぎ、同盟国の北条の領土に入ってしまった。下野の大関高増と密かに誼を通じて話を付けていたのである。
佐竹義重が気づいたときには政宗はすでに織田の同盟国、徳川家康の領土に入っており、捕捉できなかった佐竹義重は地団駄を踏み、悔しがったという。
京に着いた政宗は主上(正親町天皇)に先の相馬との停戦の勅許の礼を申し上げ、砂金や財宝を朝廷に収めた。主上は大いに喜ばれ、政宗を直に呼び出した。
「ありがたきお言葉ではありますが、この政宗、官位が……」
使者は案ずるではない、と答えた。
「奥州安寧の功績をたたえ、先祖伝来の従五位下左京大夫に加え、従四位下右近衛権少将、陸奥守を与える。」
「なんと陸奥守も。」
「殿上人として堂々と参るが良い。」
「はっ!」
こうして陸奥守に補任された政宗は主上に拝謁した。
「皇孫政宗よ、これからも奥州のみならず東国の安寧のため努力をつづけるぞよ。」
「はっ!」
政宗は平伏していたが、公卿たちには衝撃が走った。主上が政宗を『皇孫』と扱い、東国の差配を任せる、とも取れたからだ。政宗は宮中から退出すると、織田信長の待つ岐阜城へ向かった。
岐阜城の城下に着くと、以前から取次をしてくれていた羽柴秀吉が政宗を出迎えてくれた。
「羽柴殿、お久しぶりでございます。これは陸奥の砂金にて……」
と手土産を渡す。
「政宗殿!いつもありがたく。信長様がお待ちです。」
岐阜城は山上の要害と山麓の居館の双方に天守があったが、政宗はその山麓の居館の天守に通された。眼光鋭い偉丈夫が広間の上段に座っている。
「伊達陸奥守政宗にございます。信長様、この度は穴太衆を貸していただきありがとうございました。おかげで仙台は良い城になります。」
「仙台、というのか。」
織田信長は子供っぽい表情でパッと顔を明るくすると、政宗に向き合った。
「この度は奥州探題に補任できず申し訳なかった。何分あの公方が逃げ出してしまってな。幕府はもはや死に体なのだ。」
「代わりに陸奥守を賜り恐悦至極にございます。また最上義光殿に出羽守、蘆名盛輝殿に会津守護を名乗るのをお許しいただいたのは信長様のお力かと。」
「わははは。そう言っていただけるとありがたい。陸奥の大半を制した皇孫殿に比べれば、この織田、武田勝頼めを長篠で打ち破ったとはいえまだまだ。どうか力を合わせて天下安寧のために進もうぞ。」
……嘘である。織田信長の領地はこの時点で尾張、美濃、伊勢、近江、若狭、越前、加賀の下半、大和、山城、摂津等々すでにおそらく四百万石は超えていよう、という勢いであった。対して政宗は最上・蘆名の同盟諸氏を足しても二百万石にも届かない。
しかし織田信長が好意的に接してくれたことは政宗にとって大きな安心材料であった。政宗は信長に砂金、太刀、鷹などの礼を送り、長篠の勝利に沸く岐阜の町で大いに歓待を受けたのであった。
帰路、駿府の徳川家康にも歓待された後、小田原の北条氏政を訪ねた。
「氏政殿、この度は上洛を助けていただき誠にありがとうございました。」
「おお、政宗殿、これからも上杉・佐竹に共に当たろうぞ。」
「氏政殿、ありがたきお言葉にございます!」
二人は大いに語り合い、政宗は上機嫌で小田原を出立するとまた上手く下野から会津を通り、築城中途の仙台の仮屋敷に戻ったのであった。
伊達政宗を送り出した北条氏政の所に嫡男、国王丸(北条氏直)が訪ねてきた。
「おお、国王丸、どうした。」
「伊達政宗殿と会われましたか。」
「おう、これで伊達と協力して佐竹と当たれるぞ。」
「伊達がこちらのためだけになればよいのですが……」
「うーむ。今は心配ないと思うがな!国王丸は心配性だな。」
しかし国王丸の伊達に対する懐疑的な目は変わることがなかったのであった。




