伊達藤次郎政宗、不要な洞は解体する
天正二年(1575年)正月、年賀を迎えた米沢城に伊達家の家臣は集められていた。
しかし壇上の当主、伊達藤次郎政宗は目に見えて不機嫌であった。ピクピクと動く右の瞼の龍のような傷跡がまるで龍が機嫌悪く手を振り払っているようにすら見えた。
「御屋形様、先日は相馬も実質的に下して伊達家の勢いはますます天に登るよう、祝着至極にございます。」
と立ち上がって挨拶をしたのは一門で兄の国分盛重である。
「頭を垂れて蹲え、平伏せよ。」
突然、政宗から不機嫌に声が飛んだ。そのあまりに厳しい様子に皆の者は平伏した。
「もうしわけありません、蘆名の大殿や最上との同盟も問題なく、政宗様もお喜びと思っておりましたので……」
と挨拶に来ていた大崎家当主、大崎義隆が答える。
「誰が喋って良いと言った。貴様らのくだらぬ意志で物を申すな。私に聞かれたことのみを答えよ。」
一体何でこれほど政宗が機嫌が悪いのか、諸将に見当もつかなかった。
「先の相馬との戦で備が崩された。私が問いたいのは一つのみ、なぜ伊達の軍勢はそれほどまで弱いのか。」
「伊達家に仕えたからと言って終わりではない、より強くなり、伊達家の役に立つための始まり。」
「ここ数十年伊達家の重臣の顔ぶれは変わらない。白石、小梁川、そして一門衆、伊達の敵を葬り去ってきたのはこの者ばかり、しかし他の洞のものはどうだ?」
政宗は立て続けに続ける。それを聞いていた粟野宗国は小声で
「そんな事を俺たちに言われても……」
とつぶやいた。
「『そんな事を俺達に言われても』なんだ?言ってみろ?」
『御屋形は思考が読めるのか……まずい』と考えた粟野宗国に声が飛んだ。
「なにがまずい!言ってみろ!」
「お許しください御屋形様!」
「もはや伊達の洞は役立つもののみで良いと考えている。役立たぬ洞は解体する。」
「私はまだ少し役に立てます。もう少しだけご猶予をいただけましたら!」
粟野宗国は必死に平伏した。
「……しかし我も鬼というわけではない。」
と突然政宗は柔和な表情になった。
「先日の一件だけで切腹を命ずるわけではない。」
諸将から安堵のため息が流れた。
「しかし粟野の洞は解体し、その傘下のものは我が直属とする。鮭延秀綱に名取郡代の代行を命じる。」
「私は夢見心地でございます。政宗様直々に下知いただけることに。」
……この戦狂いめが、と諸将は思った。して粟野は?と疑問に思っていると。
「粟野にはこれまでの功績に免じて二千石を与える。ただし米沢城下に移住し、知行は蔵米制(領地を与えず、俸給の形で与える)とする。」
厳しい処分ではあるが(粟野氏のこれまでの実際の所領は8000石あまり)これまでの政宗のあまりにも厳しい態度に諸将は
「なんたる温情……」
「御屋形様も人の子でしたな……」
等とむしろ安堵と称賛の声が漏れる始末であった。
その一方で年賀に参加していた泉田重光は
「早く功績を挙げなければ次は私が干されるやも。」
と警戒をし、また年賀の挨拶に訪れていた大崎義隆は
「使えぬ洞は解体して自らの直属に……この大崎を狙っているのか。」
と密かに伊達から離れて独立することを算段し始めたのだった。
「御屋形様、あれでよかったので。」
と一同が帰った後、片倉景綱は伊達政宗を訪ねた。
「うむ。奥州の諸将は洞にとらわれて身の安全を確保し、身動きが取れぬ。まずは使えぬ洞を解体し、我が直卒の力を高めたい。将来的にはさらに伊達が大きくなれば大身の者も移封など考えていく必要がある。」
「おっしゃるとおりで。もう一つは大崎のことです。あれではむしろ背く気になったかと。」
ふふ。と政宗は笑い、答えた。
「大崎と葛西は潰す。彼奴らの領地は豊かで米沢の置賜郡の2倍以上になる。あのような奴らに惰眠を貪らせずに我が本拠とするのだ。」
「では。」
「まずは大崎からだ。」
伊達政宗の厳しい態度に恭順派と独立派に分裂した大崎家に伊達家からの使いが来たのはそれからまもなくであった。
「……当家惣領、大崎義隆に2万石の蔵米を賜り、米沢城下に大名にふさわしい屋敷を造営するから名生城を退去して大崎五郡を渡せだと!そんな話に応ずるわけなかろう!」
怒り狂った大崎義隆は書状を使者に投げつけた。
「大崎家の諸君、政宗様は戦争を、地獄の様な戦争を望んでいる
大崎家の諸君、君達は一体何を望んでいる?
更なる戦争を望むか?
情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な闘争を望むか?」
「そこまで愚弄するか!」
「戦場で決着をつければよかろう!」
独立派、恭順派の双方に関わらず大崎家の家中は使者に抗議の意を激しく示した。
「よろしい ならば戦争だ」
使者は答えた。
「其奴を捕まえよ!首だけ送りつければ十分だ!」
大崎義隆の号令に家臣が使者に飛びかかろうとしたが使者は飛びかかってきたものの刀をスルッと抜いて手にするとすぐに斬り捨てた。そして寄る手勢を次々に打ち取ると城外に悠々と出ていったのである。城門の前で使者は振り返ると音声を上げた。
「この鮭延秀綱、伊達政宗様にしっかりとお伝え致す。」
こうして大崎攻めが始まったのであった。




