伊達藤次郎政宗、相馬義胤に頭を下げる
相馬勢の軍勢は相変わらず得意の鋒矢であった。矢のように並び、精鋭騎馬隊が先駆けし、相手の長柄隊の陣列をかき乱して、そこに後続の相馬家の長柄隊が入り込んで打ち破るのだ。特にその精鋭騎馬隊の強力さには特筆するべきものがあり、さらに以前伊達政宗の鉄砲隊に苦渋を飲まされた経験があってからは鉄砲対策も入念に行われていた。
「相馬家騎馬隊、来ます!先頭は相馬義胤!」
「うむ。しかしあれは義胤ではあるまい。おそらく弟の隆胤であろう。」
と本陣で伝令を受けた伊達政宗は言った。
「なぜ隆胤だと?」
近習していた鮭延秀綱は正宗に聞いた。
「鮭延殿は相馬を相手にしたのは初めてだったな。そう、義胤の率いる部隊なら、こう、ぱぁーっと綺麗に並んで、すぅっ、と来て、なんていうかもっと美しいのだよ。」
「隆胤は血気にはやりすぎているようですな。」
「その通りだ。手はず通り長槍で受け止めるぞ!」
政宗の伝令と陣太鼓に、伊達の諸将の備は隊列を整えて前進し、相馬の騎馬隊を受け止める。
「うむ。我の予想通り、ここは騎馬隊を受け止めることができたな。左右の後藤、片倉の鉄砲隊に脇から進軍して相馬を……」
『取り囲め』と言いかけた政宗の口と手が止まった。政宗は目を疑った。右翼・中央の白石宗実隊と小梁川盛宗隊はまったく問題なく体型を乱さず、相馬家の攻撃をいなしている。しかし、左翼の粟野宗国の備が押されて崩れかけているではないか。
「左翼弾幕薄いよ!なにやってんの!」
政宗の叱咤も効果なく、粟野宗国隊は崩れて相馬の騎馬隊に割り込まれつつ合った。急ぎ救援の部隊を後藤信康に準備させていたが、粟野隊は壊乱して兵が本陣の方角に逃げ出してくる始末である。そこに政宗は命じた。
「撃て。」
「それでは逃げてくるお味方にあたってしまいますが。」
鮭延秀綱が疑義をむけたが、政宗は繰り返した。
「伊達の兵法に退却はない。臆病風に吹かれて逃げてくる奴らは我が兵ではない。よって構わぬ。撃て」
政宗の号令一下、逃げ出していた粟野の兵のものと、勢いに乗りそれを追撃し、あわよくば政宗の本陣に迫ろう、としていた相馬隆胤の軍勢は一斉射撃に晒され、隆胤は全身を撃たれて討ち死にした。
「粟野隊に伝令!武具が足りなくなったら隣のものや、討ち死にした者、敵の落とした武具でもいいから拾って前進しろ!退却は許さぬ!」
備の主、粟野宗国は呆然としてろくに指揮も採れなくなっていたが、伝令に遣わされた鮭延秀綱が素早く兵をまとめると数を減らしたとはいえ陣形を立て直し、相馬に対して立ちはだかった。
「隆胤殿討ち死に!」
相馬の本陣に悲報が入った。
「だから逸るなといったものを……」
隆胤の父、相馬盛胤が悲痛な顔で悲しんだ。
「しかし突き崩したと思った敵左翼、素早く立て直されてしまいましたな。」
弟の死にも素早く情勢を分析するはさすが名将相馬義胤である。
「幸い敵鉄砲隊が無理押ししてくることもなさそうですな。ここは一旦引きましょう。」
こうして相馬は若干陣を下げ、伊達、相馬両家は睨み合う形となったのであった。
その日の戦はそれまでとなり、両軍はにらみ合いを続けるも本格的な決戦には至らず、僅かな小競り合いのみで3日が経過した。
その朝、相馬盛胤の耳にまたもや信じられない報が飛び込んできた。
「駒ヶ嶺城が落ちました。」
「馬鹿な。亘理元宗、留守政景の軍勢は蓑頸で引き止めているはず。」
「金森城主、中島宗求が金森城に旗・幟を並べ、篝火を焚き、城兵に気勢を上げさせているように見せかけながら、密かに抜け出し、駒ヶ嶺城を攻めたようです。」
「そんな事を言っても駒ヶ嶺が簡単に落ちるものか。」
「それが『殿からの使番』と名乗る男に開門させられ、伊達の侵入を許したとか。」
伊達政宗の忍軍、黒脛巾組の太宰金七は先年から相馬領に忍んでいた。そして相馬氏や駒ヶ嶺城の使番の装束、声色、符丁などを完全に習得していたのである。使番に化けた太宰が門を開けさせ、素早く入り込んだ中島宗求の手勢が駒ヶ嶺城を奪取したのだ。
「またか!」
相馬盛胤は天を仰いだ。想像したとおり、次の伝令は後方を遮断された蓑頸城の降伏と亘理・留守の率いる主力8000が駒ヶ嶺城に入った、との報告であった。
「かくなる上は眼前の伊達の小童と一戦して打ち破り、我が相馬の面目を施してから中途の伊達勢を蹴散らしつつ帰るしかなさそうですな。木幡!水谷!行くぞ!」
と号令して馬を引き、騎馬隊を率いて出陣しようとする相馬義胤。
その前に銅鑼・鐘を鳴らしながら公卿と思われる行列が現れ、両軍の間に割り込んだ。
「両軍、待たれい!待たれい!これは勅使である。」
両軍は立ち止まった。伊達家からは大将である伊達政宗と側近の片倉景綱、そして護衛の鮭延秀綱が、相馬家からは相馬盛胤、義胤親子と水谷胤重が進み出た。
両軍の首脳を前に勅使、と名乗った人物は籠から降りてきた。
「主上(正親町天皇)からの勅使、先の関白近衛前久でおじゃる。」
「近衛様、お久しぶりにございます。」
「おお、梵天丸か。久しゅうな。」
「近衛様は主上の勘気を受けて今は丹波の赤井の所にいらっしゃるとばかり。」
「うむ。逆に京にいない立場が便利でな、主上に頼まれたでおじゃる。」
「お二人は知り合いで?」
やり取りにあっけにとられた相馬盛胤は近衛前久に聞いた。
「いかにも。しかし勅許は伊達有利一辺倒ではないゆえ、まずは聞いてみるでおじゃる。」
伊達政宗が皇孫という噂はほんとうであったか。ならばどんな不利な条件を突きつけてくるやもしれん、と疑問に思いつつも、もし無理なことを言ってきたらせめてこの場で皆殺しにして華々しく散ろうか、と物騒な考えを抱きつつ相馬盛胤は許諾した。
その勅許は相馬盛胤が予想しないものであった。
一、伊達家と相馬家は今後争わず、今後の和平を誓うこと。
二、伊達家は伊具郡を領有する。宇多軍の駒ヶ嶺城は伊達領とし、立田川を両家の境とする。
三、相馬は伊達を助け、伊達は相馬を助け双方が困った時は出兵して相手を助ける。
四、相馬家の相馬郡と宇多郡南の所領を伊達政宗とその後継は保証する。
五、相馬家が独立した大名として今後も存続することを朝廷と伊達家は保証する。相馬家が伊達の従属大名として扱われることは今後決してない。
「一と二は今回の戦の趨勢の通りでありましょうが、この『相馬家の独立を今後も保証する』とは。まことでありましょうか。」
「帝の思し召しのとおりでおじゃる。」
と近衛前久は答えた。すると伊達政宗は立ち上がって深々と頭を下げた。
「相馬殿、どうかこの和議を受けてはくださらんでしょうか。この伊達政宗、心からの頼みです。」
相馬盛胤は脇に目をやった。この状況で和議を結べば兵を損なわず帰還することが出来る。このまま引き上げても金森や駒ヶ岳から攻撃され、政宗のそっくりそのまま温存された主力が追撃してくるであろう。所領を削られるのは忌々しいが、悪くはない、しかしここで引き下がるのは、と相馬盛胤は悩んだ。そこに嫡男、相馬義胤の突然の笑い声が響いた。
「ふはははははははははははは。政宗が、あの政宗めが我々に頭を下げましたぞ!ついに伊達政宗が我々相馬に頭を下げて願い事をしているのですぞ!」
傘にきた義胤がさらに政宗を侮辱するかと思いきや、続く言葉は違ったものであった。
「陸奥に重きをなす伊達政宗殿がこれほどまでして頼んでくれているのです。しかも宇多は削られますが我らにとっては決して悪くはない内容。政宗殿、よろしければこちらからもお願いいたします。」
と身を正して深々と頭を下げた。
「おお、義胤殿……さすがは名将と詠われるだけのことは。」
と感嘆する近衛前久。
こうして伊達・相馬両家は和議を結び、兵を引き上げた。そして相互の援軍を約し、これまでの遺恨はおいて実質的に同盟国となったのである。