梵天丸、京で子猫と戯れる
永禄元年(1558年)奥州の大名、伊達晴宗の治める米沢城に一族、重臣が集められた。
「一体何の用で……」
「先年幕府から奥州探題職に補任が内定したというからその話では?」
「いよいよ伊達家が正式に奥州探題に就くのか。我らもやる気が出ますな。」
などと皆が話していると伊達晴宗が部屋に入ってきた。諸将は平伏したが、大きな泣き声が聞こえ、ふと諸将が顔を上げると晴宗は赤子を抱いていた。
「殿!いったいその赤子は何者で?」
「このような場に赤子を連れてくるとは殿!いかなる事で?」
諸将はざわめいた。無理もない。軍議の場に赤子など前代未聞だ。
「静まれ!静まれ!父上がわざわざ連れてきたのだから話があるのであろう。まずはそれを聞こうではないか。」
と一喝して場を鎮めたのは伊達晴宗の次男で先年元服した嫡男、伊達輝宗である。長男の岩城親隆は伊達晴宗が正妻の久保姫を半ば岩城氏から強奪するような形で結婚したため久保姫の実家の岩城氏を継いだため、輝宗が嫡男となっていたのであった。
「おお、輝宗、助かる。」
と伊達晴宗が話をはじめた。
「実はだな、奥州探題補任の件でどうしても直接礼を言いに行きたくなって、昨年上洛したのは皆も知るとおりである。」
「元来殿が上洛する必要はなかったのに、突然殿自身が上洛される、と言い出して皆慌てましたな。」
「その際はすまなかった。が、留守を輝宗が立派に努めてくれてわしは伊達家の将来安泰、と安心できたぞ。」
「それとその赤子にどういう関係が?」
と疑問を切り出したのは三兄の六郎、のちの留守政景である。
「六郎はまだ10歳(数え年換算)なのに賢いのう。でだな、上様のところに挨拶に行った後、わしは主上のところにも挨拶に行ったのよ。そこでな、」
「そこで?」
「参内したわしを先帝の姫、普光女王様が見ておってな……その、なんだ……一目惚れされてしまった、と。」
「なんと。」
「一目惚れの辛さはな、わしも久保姫に一目惚れしたからこの身に沁みてよーーーく知っておってな。その夜『御慈悲を』と迫ってきた普光女王様をみると不憫で仕方なくてな。」
「その思いに応えられてしまった、と。」
「一晩だけなら久保姫も許してくれようと思ってな……あはは。まさかその一晩で子ができるとは思っていなかったのじゃ!」
「一晩、一晩、って一度ではなかったのですか?」
「いやあまりにも普光女王様がいじらしくてな。一晩中……」
「父上……」
息子たちの見る目がちょっと冷ややかである。
「それでな。先日また上洛したら普光女王様に『貴方の御子です。都においておいても僧にするしかありません。どうか国元で育ててください。』と渡されてな。」
「ではその子は皇族の血が入っていると……」
「無碍にするわけにもどうしても行かず、米沢に連れてきたのだ。皆のもの!すまぬがよろしく頼む!」
「母上(久保姫)がなんというか微妙なところですが。」
「妻はひたすら平伏したらとりあえず許してくれた……と思う。『皇室につながるともなればむしろ将来その存在が我家の武器にもなりましょう。』と……」
「すっかり母上は戦略家ですな。」
「まあ、ここは。」
と話を引き継いだのは伊達家で権勢を振るう重臣、中野宗時である。
「御台様がいう通り、皇室の血を引くお子であればこの伊達家の役にも立ってくれましょう。ここは米沢で育てる、ということで。」
と言いながらその目は笑っておらず、利用できるものはなんでも利用しよう、と狡猾に伺う目である。しかし一同その男児を伊達家に迎え入れる、ということには賛同したのであった。
このようにして伊達晴宗と普光女王の間に生まれたその男児は米沢の伊達家に迎え入れられた。輝宗・留守政景・石川昭光・国分盛重ら兄たちの下の弟として育てられることになったのだ。伊達晴宗は久保姫に対しても『責任を取る』事になり、後年杉目直宗が生まれたのはまた別の話である。
その少年は梵天丸、と名付けられた。梵天丸が四歳になった頃、伊達家臣が上洛した際に梵天丸も密かに同道したのであった。
「梵天丸や!こんなに大きくなって!母はお前に会えて嬉しいぞ!」
内裏の近くの屋敷で出迎えたのは梵天丸の実母、普光女王であった。
「ははうえさま、おひさしうございます。」
と丁寧に挨拶をした梵天丸。
「おお、梵天丸や、今日は遊び相手にこの南蛮人が連れてきた子猫をな。可愛いじゃろう。」
と普光女王の侍女が三毛猫を梵天丸に手渡そうとしたその刹那、猫は飛び上がって梵天丸の右目を引っ掻いた。右目の瞼からは血が出ている。梵天丸は手で右目を抑えているが、泣こうとはしなかった。
「梵天!梵天!大丈夫ですか!」
慌てる普光女王。しかし梵天丸は
「ぶしはないてはならぬのです。」
とじっとこらえていた。それを見て普光女王は
「おお、梵天丸よ、そなたはもう立派な武士なのですね……」
と感動した様子であった。そこに他の侍女が駆け込んできた。
「女王様!その猫ですが、子猫の母親が乳房が爛れて膿が出る病気に!」
「なんと。」
「猫が一緒にいた馬も皮膚から膿が出て熱が出ているそうでございます!程度は軽いとのことですか。なんでもイスパニア人がエゲレスから競馬のために買った馬だとか。子猫も大丈夫でしょうか?」
「……見た目はなんともありませんが……梵天丸に傷の手当を。」
梵天丸は治療を受け、片目に包帯を巻かれた。そして幾日かして熱が出て手や顔に黒いかさぶたなどができて手足がむくみ、鼠径部が腫れて梵天丸はしばし生死の境をさまよった。 しばらくすると症状は落ち着き、包帯も外されることになった。
「梵天丸や!目は、目は大丈夫ですか。」
「ははうえさま!だいじょうぶです!みえます!りょほうともははうえのうつくしいおすがたがみえます!」
梵天丸は元気に応えた。
「おお、良かった……本当に良かった……しかし顔のその傷が残りましね。そなたの美しい顔が。」
梵天丸の顔、右のまぶたから額にかけては子猫に引っかかれた傷がその後の病もあってか、すこしうねるような形になって残っていた。
「しかしその傷、まるで龍のよう。梵天丸、そう、お前は龍になるのです。」
「りゅうに。」
「バテレンに聞いた話では龍は西洋ではドラグーンといい、この世で最強の生物なのです。梵天丸、お前は最強のもののふとして龍になるのです!」
「ははうえ、ぼんてんまるはりゅうになります!」
こうして後に片目の上に竜が棲んでいる、と言われたことから独眼竜と言われた後の伊達政宗が誕生した。また馬や猫たちが罹っていた病気は実は西欧から持ち込まれた馬痘であった。そのため伊達政宗は長じても痘瘡、すなわち天然痘にかかることはなかったのであり、そのために右目を失明することもなかったのである。