伊達藤次郎政宗、未知なる尾浦に鮭を求めて
土日は11時に各1話ずつの投稿になります。よろしくおねがいします。
伊達政宗率いる軍勢との対陣に決着がつかなかった大宝寺義氏は一旦居城、尾浦城に戻ることにした。手勢を率いて戻った義氏は尾浦城の門が固く閉じられているのをみて、伝令を送った。
「開門!開門!殿のお戻りであるぞ。」
しかし尾浦城の門は開かれる様子がない。
「なにをしているのだ!とっとと開けさせろ!伊達の軍勢とでも勘違いしておるのか!」
短気が表に出て怒り狂う大宝寺義氏。しかし何度やり取りをしても門が開かれる事はなく、しまいには激怒して自らが尾浦城の大手門の前に立って怒鳴りつけた。
「この門を開けないのはどこのどいつだ!後で厳しく処罰してやるから覚えておけ!わしは紛う方なき尾浦城の主、大宝寺義氏である!さっさと開門せよ。」
「大宝寺義氏様なればこそ、開門するわけには行きませんなぁ。」
と聞き覚えのある声がする。城門の上の楼閣にいるその男は、酒田城主、前森蔵人であった。
「前森!そんなところでなにをしている!さっさと開けぬか!」
「義氏様のこれまでの軍役の厳しさ、庄内のものは疲れておりまする……」
「その御蔭で庄内は一つとなり、強大になったのであろう!」
「強大になって利を得たのは義氏様ばかり、我が酒田の利権も根こそぎさらっていこうとされる……」
「それはお前らがボーッとしていて不甲斐ないからだろ!こちらに渡すもの渡せば文句は言わん。」
「その渡すもの、が多すぎるのでございます。」
「そこまで言って前森蔵人、覚悟はあるのだろうな!後でぶった斬ってやる!」
「もう我慢がならん!斬られるのはお前だ義氏!」
と門が開かれた。義氏は『お、なんだかんだ言って門は開くではないか。後で少し絞ってから許すか。あいつ結構有能だし。』などと思ったが、眼前に現れたのは完全武装の城兵だった。前森蔵人は
「貴様は『御屋形様』と呼ばれるのが夢であったな!その望みが叶うことはないが今この場では呼んでやろう!死ね『悪屋形!』」
そして城内からは大宝寺義氏に向かって兵が殺到してきた。義氏の近習は
「逃げるな!戦え!殿を守れ!」
と兵を叱咤するが、義氏の周囲の兵は城から城兵が出てくると同時に蜘蛛の子を散らすかのように逃げ去った。とはいえ、武勇で知られる大宝寺義氏である。殺到してくる城兵を斬り飛ばし、押しのけ、降り注ぐ矢を刀で振り払うと騎馬に乗ってその場を脱出することに成功したのである。
しかしその剛勇も尾浦城のある高舘山の城と反対の尾根にたどり着くことが限界であった。十重二十重に囲まれたが、腰が引けて攻め込んで来ない兵を前に。
「ふん。腹を切る余裕だけは与えてくれるか。」
と言い放ち、切腹してその生涯を終えたのであった。
大宝寺義氏死す、の報は素早く両軍に伝えられた。大宝寺義氏の弟、義興は越後の本庄繁長の庇護を求めて密かに落ち延びた。残る大宝寺軍は粛々と伊達勢を引き連れて撤退し、伊達政宗は完全武装のままで尾浦城に入城した。
尾浦城では大宝寺義氏の小姓が捕らえられて一つの部屋に集められていた。その中で一人、目付きの鋭い、少年をそろそろ抜け出しそうな年頃の漢がいた。伊達政宗は『彼がそうであろう。』と考え、完全武装の漆黒の鎧を着けたまま、コー、ホー、コー、ホーと呼吸音をさせながらその少年に近づいた。
「義氏殿の敵!」
突如として少年は隠し持っていた刀で政宗に切りつけた。しかし政宗はその太刀を抜かず、真紅の鞘ごと振って少年の刀を撃ち落とした。
「殿に何をする!」
片倉重綱が素早く少年を押さえつける。斬ろうとする者を政宗は制して言った。
「良いのだ。主君が討たれたのだからこれぐらいの気迫はあっても。それに私は無傷だ。」
それから少年に近づくと手を差し伸べていった。
「私と来給え、我が息子よ。そして銀河帝国を我がものとするのだ。」
少年は言っていることが理解できず、唖然としていった。取り押さえている片倉も笑い出しそうな複雑な表情をしている。
「私は貴方の息子ではありませんし、銀河帝国とは一体何のことで。」
「嗚呼、舌足らずで申し訳ない。まず我が大宝寺義氏を討った理由を理解してほしいのだ。
伊達政宗は激怒した。かの邪智暴虐な大宝寺義氏を除かねば庄内の民の安寧はない。」
「確かに御屋形様は悪逆と言えたかもしれませんが……」
「やはり家内では御屋形様と呼ばせていたか。何たる不遜悪逆。」
と片倉景綱。
「息子、と呼んだのは我がそなたを息子のように将来を期待している、ということなのだ。そして銀河帝国、とは天下を可能な限り盛大な美称で呼んでみたというわけだ。我と一緒に来て奥州安寧のために働いてくれないか、鮭延秀綱。」
「わたくしの名を知っておいでで。」
「我はそなたを庄内まで迎えに来たのだ。」
こうして庄内は制圧され、前森蔵人は東禅寺城に入って東禅寺義長、と名乗り、最上義光の配下となったのである。
伊達政宗は山形に戻ると庄内征伐の報告をした。
「しょ、庄内が我が物に、だと……なんと言って礼をすればよいのだ。」
「礼ならば」
と政宗は続けた。
「この鮭延秀綱を我が配下として米沢に連れて行くことを認めていただけましたら。」
「それだけで済むまい。というより、鮭延の件だけならこの間の鮭の礼としても十分すぎるぐらいだ。鮭だけに。」
「ならばもう一つ聞いていただけましたら。」
「そう来たか。やはりお主は侮れぬのう。しかし世話になっておいてなんだが、最上は伊達に服属はせんぞ。」
「それは心から承っております。ただ、伊達が必要な時にお力をおかしいただくことを約定していただけましたら。」
「おお、それならばこれだけ世話になったからな、で、軍はどれほど出せばよいのだ?」
「1万石に付き100騎ほど(筆者注:この時代・地域では貫高制と思われますがイメージが湧きにくいので今後も石高表記にします。)」
「なんと。それは控えめだな。(通常の軍制では1万石に対して250人ほど)ならばこの義光、政宗殿に対しては誓おうではないか。」
「それは当家でなく、私に、ということですか。」
「そこを看破するとはさすがだな!」
と言って最上義光は笑った。
「しかしそなたに油断があれば寝首をかくこともあるぞ!」
「そうでなければ出羽の虎には似つかわしくありませんな!」
と二人は地獄のような腹黒さで笑いあった。
「ところでこれで我が最上は50万石近くを差配することになったわけだが。」
「義光様、庄内では北舘利長という青年を探して仕官させるがよろしいでしょう。」
「その者は?」
「きっと庄内の水利を改善し、広大な田畑に生まれ変わらせるはずです。」
「おお、きっと見つけ出そう。」
「もし殿にあわなければ我の所によこしてください。うちの領地を灌漑して豊かにしてもらおうかと。」
「これは良い置き土産であった!また会おう政宗殿!」
こうして伊達政宗は新しく家臣に鮭延秀綱を迎い入れ、米沢に凱旋したのであった。