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伊達藤次郎政宗、庄内で大宝寺義氏と対峙する

 白鳥長久を成敗した後、最上義光は、援軍の将、伊達藤次郎政宗に礼を言った。


「この度は政宗殿の援軍のおかげで父を打ち破るのみならず、今後の懸案であった不穏因子をほぼ一掃することすらできた。これで最上宗家の力は最上川で絶大なものとなった。本当に礼をいたす。」

「いえいえ、叔父上の役に立てましたらこの政宗、幸甚です。」

「どう礼をしたら良いのかもわからないが、政宗殿はこれからは米沢に帰られるので?」

「いや、義光様のお許しがいただければ、もう一懸案片付けさせていただけたら、と。」


 そして政宗は腹案を義光に語り、義光は

「それは難しそうではあるが……当家としてはありがたいお話。」


 と政宗の提案を聞き入れたのであった。


 そしてしばしの休息と補給の後、伊達政宗は直属の軍団を再び率いてその新たなる目的地に向けて山形を出発した。


「米沢に戻るかと思われましたが?」


 と後藤信康が訊くと


「おお、信康には話してなかったな。すまんすまん。今度の目的地は……」

「目的地は?」

「庄内だ!」


 『庄内』それは尾浦城主、大宝寺義氏が名付けた名前である。大宝寺義氏は数年前、宿敵土佐林氏を打ち破り、若干二十歳で出羽のうち田川郡・櫛引郡・遊佐郡の3郡を手中に収めたのである。大宝寺氏は大泉荘の地頭出身であり、かつ田川郡・櫛引郡南部がこの大泉荘に含まれたため、領国を荘内と呼んでいた。そのため大宝寺義氏が手に入れた最上川下流から日本海に至るまでの地域を庄内、と呼ぶようになったのである。庄内では大宝寺義氏が治める尾浦と、日本海に面する港町で日本海航路の重要な拠点である、酒田が最も重要な拠点であった。大宝寺義氏は苛烈な軍政と軍役で諸豪族を縛り上げ、戦の連続に疲弊していたものの、酒田の東禅寺義長を始め諸将は大宝寺義氏の武勇を恐れ従っていたのである。


「大宝寺義氏は手強い、と聞きますぞ。いかがなさるおつもりで?」

「うむ。事前に羽黒山を通じて色々調略してあってな……」


 とその『下準備』を政宗は片倉重綱や後藤信康に聞かせた。


「……さすがは殿。よもや大宝寺義氏もそのようなことになっているとは思いますまい!」

「上手く嵌ってくれればよいのだがの。」


 伊達軍進軍、の報を聞いて大宝寺義氏は耳を疑った。


「なに?伊達だと。最上や由利の間違いではないのか?」


 使番に思わず確認する。


「間違いありません。旗印は紺地金日丸。伊達家嫡男、伊達藤次郎政宗の軍勢です。」

「最上の内紛に首を突っ込んできたとは聞いていたが……小癪な奴め。この大宝寺義氏の恐ろしさ、思い知らせてくれる。」


 すぐさま陣触れを出し、備を整えて出陣した。


「おお、さすがは大宝寺義氏、もう兵を繰り出してきましたぞ。」


 両者は尾浦城の近く、十五里ヶ原で対峙した。


「ふん、あれが伊達の小僧の陣か。」


 それほど齢の離れていない伊達政宗を小僧扱いするのは、大宝寺義氏の自信を表していた。


「敵は無勢、しかも長旅に疲れておる!ここは一気に打ち崩せ!」


 大宝寺義氏が軍配を降ると陣太鼓とともに押し出してきたひとしきり矢を降らせると長柄隊が前進してくる。


「さすがは大宝寺義氏、厳しく鍛えていると見え、備えに乱れがありませんな。」


と感心したのは後藤信康である。


「あの槍隊の数が多く、密度が高いのは上杉家の軍制ですなぁ。」

「武田騎馬隊が相手、というと上杉も騎馬隊のような印象がありますが、両方ともあまり馬はいないのですよなぁ。本当に。」


片倉重綱が続ける。武田・上杉双方の軍制は、近年交流を深めつつあった小田原北条氏からもたらされた情報であった。騎馬隊を集中させての『乗り崩し』といえば政宗も直接対峙し、その恐ろしさに心胆が震え上がった相馬家が記憶に新しいが、その大規模な歩兵運用をしそうな印象に反して、大規模な乗り崩しを得意とするのは、実は武田ではなく当の北条氏であった。


「とはいえ弓隊も精強で侮れないぞ。では皆のもの!参るぞ!」


政宗の号令とともに法螺貝が吹き鳴らされる。ぼーぼーぼーぼぅぼぼー、ぼぅぼぼー、と

不気味な南蛮の行進曲のような旋律が吹き鳴らされる。


「な、なんだあの巫山戯た法螺貝は!叩き潰してやる!」

 

 大宝寺勢は猛烈な勢いで前進してきた。しかし政宗の率いる三間槍の槍衾に行く手を阻まれる。


「数ではこちらが勝るが伊達も粘りおる!」


 無謀な判断をしないのはさすがまたたく間に庄内を制した猛将である。


「長柄隊はそのまま支えさせ、騎乗の者を左右から前進させよ。」


 大宝寺義氏が誇る精鋭たちが左右から繰り出されてきた。


「殿、ここはやはり『雷電』で一撃離脱ですか?」


 後藤信康が聞いてくる。


「いや、ここは迎撃だ。後藤信康、その黄母衣に恥じぬよう存分に暴れて参れ。」


 大宝寺配下の騎馬武者が前進すると後藤信康の率いる一隊が迎撃した。


「ふん!相手は徒士か!伊達は上士にも乗らせる馬がないらしい。」


 大宝寺の将が小馬鹿にすると後藤信康は百目玉抱え大筒をずらりと並べ出迎えた。

不格好であるが携行できる大口径の火縄銃である。


「いらっしゃい。そしてさようなら、だ。」


 信康が手を上げると同時に抱え大筒が火を吹いた。装填されていたのは葡萄弾、いわゆる散弾である。200年後のナポレオンの時代であってすら、葡萄弾の殺傷力は多くの将兵を討ち取ったのである。次々と放たれる、とは行かなかったのだが初回の斉射は大宝寺勢を混乱に陥れるには十分であった。


 大宝寺の騎馬勢はその後は大宝寺義氏の叱咤激励にも関わらず攻めあぐね、しまいには止めに入ったものを斬り捨てて義氏本人が前線に立とうとしたものの、どうにか押し止められて伊達勢と大宝寺勢のその日の戦は睨み合いに終止した。


 そして抑えを置いて一旦尾浦城に帰還した大宝寺義氏の目には信じられないものが映っていたのである。

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