最上義光、天正最上の乱を終焉させる
寒河江城を包囲していた最上義守方の主力、最上八盾の備と相対していた最上義光は、銃声とともに戦場の右奥に合図の赤い硝煙を認めた。
「今が頃合いぞ。押し出せ!押し出せ!」
最上義光が金砕棒を振り上げると同時に陣太鼓が打ち鳴らされ、法螺貝が響き渡る。同時に今までは最上八盾最強の延沢満延隊と競り合っていた筈の長柄隊が突如穂先を揃えて大きく振りかぶり、延沢隊に振り下ろされる。義光直属の長塚隊は伊達から伝授された三間槍、装備もバラバラで二間に満たないような槍が大部分の最上八盾勢の間合いの外側から打撃が加えられた。
「者ども、下がるな!下がるな!」
それまで最上義光と互角の打ち合いを演じていた延沢満延であったが、周囲が崩れ後退し始めたのに叱咤する。
「ここは大将の義光を討てば!」
と前に向き直るもそこには義光の姿はなく、義光の近習の精鋭が手槍を構えて待ち構えている。
「義光殿!卑怯ぞ!尋常に勝負せよ!」
「卑怯で結構。戦は大将のみで戦うものではないのだよ。ぐははは……はぅ!」
飛んできた矢が兜をかすめてのけぞる義光。
延沢満延はぐぬぬ、と唇を噛み締めたものの、猪突猛進だけが取り柄の猪武者ではない。己の不利を悟ると素早く配下に指示を出して取りまとめ、撤退を始めた。
義守勢の左翼、細川直元を討ち取った伊達政宗は敵勢の後方に回り込み、相手が方向転換する間もなく次々と討ち取っていく。
「殿!突破が成功しましたな!」
と片倉小十郎景綱。
「うむ!最上義光殿もまさに絶好の機会に本陣を前進させ、敵勢はもはや袋の鼠だ!」
「しかし殿」
と反対側に近侍していた後藤信康が訊いた。
「突破したのは片翼のみで良かったのでしょうか?これでは包囲殲滅の形にはならないと思いますが。」
「さすがは孫兵衛(後藤信康)その通りだ。」
と政宗は返す。
「しかし今回は殲滅はしないでよいのだ。」
「であるからこそ一方を開けているのですな。」
「その通りだ!」
逃げ道が用意してあるとはいえ、左翼に近い部隊は早々に最上義光・伊達政宗の双方に取り囲まれる形となり、屍累々となった。延沢満延とその隊のみが組織的に抵抗、後退を続けていたが、ついに包囲される形となった。
「延沢満延殿!」
最上義光勢から重臣、氏家守棟が語りかけた。
「此度の戦は時の運、敵味方に別れたとはいえ、同じ最上の一員ではないか。殿はそなたの力を必要としている!どうか降伏してくだされ!」
言葉に詰まる延沢満延に、最上義光が語りかけた。
「わしにはお前が必要だ!どうか此度の戦は水に流してこれからも最上のために働いてくれないか。」
「そこまで仰っていただけましたら殿に下るしかありますまい!」
延沢満延は『殿』と最上義光のことを呼んだ。
「ただし我らが最上八盾の盟主、天童頼貞殿のお命は助命いただけますよう。」
「天に誓って天童頼貞の命は取るまい!」
こうして延沢満延は最上義光に下り、以後は義光の忠実な家臣として文武に渡り活躍した。天童頼貞は逃げそこねて捕らえられており、危うく斬り捨てられる寸前で伝令が間に合い開放された。しかし天童城に戻ることは難しかったのか、僅かな供を率いて妻の父である、伊達家臣、国分盛重のところに落ち延びていったのであった。
寒河江城包囲網から義守方で組織的に撤退を成し遂げたのは白鳥長久の隊ぐらいであった。白鳥はさすが出羽の名将と言われただけのことはあり、味方が不利と見るや素早く陣を下げ、最上義守を護衛しながら戦場を離脱したのである。
他の最上義守方の諸将のその後も悲惨なものであった。
東根頼景はどうにか城に帰ったものの、軍装を解いた途端に家臣の里見源右衛門に斬られ、首を差し出された。里見源右衛門はそのまま東根城の領有を任され、東根景佐と名乗って支配した。
上山光兼も一門の里見民部に討たれ、里見民部が上山城主となった。
最上義守は
「こんなはずでは。」「こんなばかな。」
とブツブツつぶやきながら白鳥長久に守られつつ、どうにか菩提寺の龍門寺に立て籠もった。白鳥長久は
「大殿、義光も人の子、父である大殿の命までは取らないでしょう。拙者が和議をまとめてまいります。」
と言い、手勢を率いて寒河江城から陣を払って帰城した最上義光を山形城に訪ねた。
「おお、これはこれは白鳥殿。」
最上義光は軽装で白鳥長久を出迎える。これは和平の兆しあり、と判断した白鳥長久は警戒をとき、義光に招き入れられるままに山形城に入った。
「……というわけで大殿は決して義光様を害しようとしたのではなく、ただ諌めようとしたのです。それを最上八盾などが邪推してこの様な戦になったわけで、大殿は義光様との和睦と最上の平穏を望んでおられます。義光様もよもや御父上の命を取られるとは言われますまい。」
よく舌が回るな、と思いつつ義光は白鳥長久の口上を聞いていた。そして白鳥が一通り語り終えると、
「わしも父上の命を取るつもりは毛頭ない。そしてわしも父との和睦を望んでいる。」
「おお、それでは……」
と白鳥長久は身を起こした。最上義光が近づいてくるのを和議がなった握手でもするのであろう、と待っていたが
「しかし父以外の命は取らぬ、とは言ってないがな。」
と言った最上義光に一刀のもとに袈裟懸けに両断された。
「父上に伝令を送れ、此度の戦を唆した白鳥長久が自らの命を持ってお詫びいたします、と
自裁した。これを持って手打ちとしたい、と。」
最上義守もよもや白鳥長久が本当に自害したとは思っていなかったものの、もはや義光の条件に従う他なかった。義守はそのまま龍門寺に隠棲し、余生を送ったのである。白鳥の治める谷地城はその後素早く義光に軍勢を送られ、城主のいない谷地城は容易に落城し、白鳥氏は滅亡したのであった。
こうして最上義光は出羽に強大な権力を打ち立てたのである。