伊達藤次郎政宗、会津に蘆名家を訪ねる
伊達政宗は京での所用を終えると、米沢へ帰還することにした。その道中、同盟国である会津黒川城の主、蘆名盛興を訪ねた。
「おお、貴殿があの『丸森の龍』政宗殿か。よく来てくれた。」
と壇上から挨拶をしたのは蘆名家当主、蘆名盛興である。知勇兼備の勇将と讃えられ、その父で名将で知られる蘆名盛氏も将来を期待している若き大名。その整った顔が着物の上からも鍛えられているのがわかる体の上に乗っており、いかにも新世代の名将、と言わんばかりの風情となるはずだったが……何分顔色が悪かった。まるで橙のようである。よく見ると頬も少しコケている。
「盛興様、政宗です。以後よろしくお願いします。ところでお体は大丈夫ですか。」
「大丈夫だ、こんなの酒を飲んでいれば治る!」
やはり大丈夫でなさそうである。
「よろしければこの後の宴で私に用意させていただけましたら。」
と政宗は持ちかけた。
その夜の宴には盛興とその夫人で政宗の姉(本来なら叔母)の彦姫、そして盛興の父蘆名盛氏(隠居して止々斎を名乗っている)が出席した。
「盛興様にはこれを飲んでいただきたく。」
と政宗は杯を差し出した。
「それはなんだ?」
盛氏が聞く。
「酒に御座います。」
「酒だと!お主盛興が酒毒に苦しんでいるのをしって!」
と太刀に手をかけようとする。それを政宗は手で制して
「どうかお見守りいただけましたら。」
と伝える。さすがは天下に名の轟く名将である。盛氏は着座すると
「よもや毒ということはあるまい。いう通り見守らせていただく。しかし納得行かなければ」
「それで結構でございます。盛興殿、これを。」
と差し出された酒を盛興は飲む。
「……ん?これは少しだけしか入っていないのか。しかし我らが常に飲んでいる酒とは随分違うな。透き通っておる。」
「都で手に入れた僧房酒にございます。粕酒を濾してから熱を加え、透き通る味わいの酒。」
「これは上手いな!もっと飲みたいところだが。」
「いえ、今度はこちらをお飲みください。」
と今度はグラスを差し出し、赤い酒を注ぐ。
「こ、これは?」
「南蛮の玻璃に赤葡萄酒でございます。ヴィーノ(スペイン語のワイン)、とバテレンは呼んでおります。」
「ふーむ……お、これは旨いな!なんとも言えぬ渋い感じがまた興がある。」
「……うーむ。これが南蛮人が飲む酒か。」
盛氏もワインを注がれてこちらは珍奇なものを、という表情である。
「さらに。」
「まだあるのか。」
と言って今度は木製のコップに持ってきた小樽からラム酒を注ぐ(注:ラム酒は15世紀に成立説を採用しました。)
「こりゃ今度は僅かな量でキツイわ!」
「南蛮の船乗りたちが飲むラム酒でございます。最後に」
「うむ。」
と盛興はワクワクし始めたようである。
「こちらは遠くエゲレスの『アクア・ヴィテ』、すわなち命の水と呼ばれる酒です。」
「なんと命の水……政宗殿、これを盛興に飲ませたかったのか?」
「いえ、ちょっと違うのですが……どうかお試しあれ。」
と言われて飲んだ盛氏は思わず吹き出す。
「お、お、これはなんだ、煙臭いし凄まじいな。」
「父上!わしはこれは素晴らしく美味いと思うわ!」
と盛興が言うのを見て盛氏は振り返った。
「して政宗殿、これらの酒でなにがいいたかったので?」
「盛興様は酒毒に侵されております。しかし世の中にはこのように素晴らしい酒がまだまだあるのです。私は京や堺でそれを知ることができました。」
「うむ。」
「ですから酒好きな盛興様にはここで断酒して酒毒を直していただきたいのです。そして健康な体になったら共に手を携え、奥州に平和をもたらし、共に上洛して世界の酒を楽しもうではありませんか!」
蘆名盛興は伊達政宗の所に駆け寄ると両手をしか、と握りしめた。そして何度も
「ありがとう、ありがとう。これからは酒はきっぱり断って世界の酒を手に入れるまで精進するよ!」
と涙を流しながら礼を言った。
蘆名盛興夫妻は何度も礼を言うと宴の場から下がった。政宗も退こうとすると、蘆名盛氏から別室に来るように声がかかった。政宗が盛氏の部屋に入ると、盛氏は人払いをした。
「政宗殿、此度は盛興の体を気遣っていただき誠にありがとう。心から礼を申す。」
「いえ、我はただ蘆名と伊達の友誼を思って。」
「本当にありがとう。その歳でそこまでの智謀。まさに伊達の龍と言われるだけのことはある。しかしな。」
と言って盛氏は続けた。
「……貴殿が来てくれたのは遅かったのじゃ……まだ年端も行かぬ貴殿にそれ以上言っても詮無きことなのだが……後五年早ければ……」
「いかがなさいましたか?」
「盛興の酒毒は進んでおってな。着物をまくれば腹は膨らみ(腹水が溜まった状態)、その表には蛇のごとく血管が網のようにうねっているのだ(肝硬変が進み腹側血行路ができた状態)今から断酒してももう酒毒は手遅れなのじゃ……こんなことは言いたくないのだが、あまり長くは生きられまい。」
と言って会津一代の英雄、蘆名盛氏はさめざめと泣き始めた。政宗は土下座して
「我の力が足りず本当に申し訳ない!!」
と幾度も頭を床に打ち付けて謝った。
「いや、政宗殿、お主の心遣い、この蘆名盛氏、心から感謝しておる。これからも蘆名は伊達とともにあろうぞ。」
「この上ないお言葉、感謝いたします。」
「うむ。どうかこちらからも今後とも宜しくな。」
翌日、伊達政宗は米沢に向かって出立した。それを見送った蘆名盛氏は
「伊達政宗……なかなかの男よ。蘆名に万が一のことがあればかの者に頼るがよかろう。」
と配下を集めて語ったのであった。