伊達藤次郎政宗、上洛する
元亀元年(1570年)、伊達藤次郎政宗は兄で義父の伊達輝宗に上洛するように命ぜられた。
「この度、伊具郡の件がケリが付いたから余裕ができてな。後、中野宗時の所領や家財を没収したからな。」
といってぐふふ。とちょっと商人めいた笑い方を輝宗はした。
「そういえば中野宗時は相馬盛胤殿に丸森攻めを焚き付け、失敗したため恨みを買って相馬家中も追放されたとか。」
「蘆名盛氏殿の所へ行こうとしたらしいが蘆名殿も引き受けず、猪苗代湖のほとりで乞食同然で事切れていたのが見つかったそうだな。それは置いておいて、財力に余裕があったので、公方様(足利義昭)と朝廷に献金をしておいたのだ。それで従四位下左京太夫を父から引き継ぎ、更に奥州探題に補任されたのだ。」
政宗のあやしい前の人生の記憶では父輝宗は正式には奥州探題に任官されていなかったはずであった。しかしされたらされたでめでたい事である。
「その礼に上洛してほしいのだ。あと政宗、お主も美作守に任官されたぞ。」
これまた怪しい記憶では確かに政宗には美作守任官の話があった。しかし伊達家代々の左京の太夫より格下であったために受けるかどうか及び腰であった上に戦が続いたこともあって立ち消えとなっていたのである。今回は左京大夫は輝宗が任官しているわけであるから政宗としてもひとまず断る理由はなかった。
政宗は黄金や太刀、鷹など献上する宝物とともに京へ上洛した。まずは公方(征夷大将軍)足利義昭公に拝謁し、輝宗の奥州探題補任の礼を言上した。
「おう。これからも幕府のために励めよ。織田殿にも礼を言っておくように。織田殿が奥州の平穏は天下のためになる、と推したのだ。」
と壇上でそっけなく返礼すると、そそくさと引っ込んでしまった。口ぶりからは織田、すなわち織田信長殿とは関係は続いているものの不満があるような印象であった。
『……そういえばこの暫く後に公方様は信長殿に畿内を追放されたのであったな。逆にいうと我らの戦略が早まったおかげで父上が奥州探題に就けたというわけか。』政宗は心中考えながら、織田信長にも挨拶を、と思い、太刀や鷹を送ったのだが、信長殿は現在は岐阜におり不在、ということで織田家臣の羽柴秀吉殿に会うことになった。
「織田家臣、羽柴藤吉郎秀吉にございます。此度は丁寧な贈り物をかたじけない。主、織田信長に代わって礼をいたす。」
「伊達家一門、伊達藤次郎政宗でございます。お喜びいただけましたら何よりです。」
「おお、伊達殿は『藤次郎』でござるか。わしも『藤吉郎』で同じ『藤』でござるな!これもなにかの縁、どうかこれからもよろしく。信長様が伊達の取次をやってみろ、と申しましてな!」
と人懐っこい笑顔で豪快にカラカラと笑った。政宗が以前の人生で羽柴秀吉、すなわち豊臣秀吉とあったのは関白となった後の小田原が初めてである。『人たらし』と言われたその笑顔に引き込まれそうになりながら、『迂闊なことはできぬ。』と政宗は緊張した。
「そう緊張なされるな。京は初めてでありましょうか……あ、主上の甥殿でしたな。いかんいかん。わたくし尾張中村の下賤な出でしてな、どうかお気楽に。」
政宗が普光女王の子であることを知るものは極少ないはずである。織田の、というより羽柴秀吉、やはり恐ろしい男、と震撼した。
「しっかし相馬を退けたその鬼謀、うちの脳筋の子飼い共に是非軍略をご教示いただきたいですな!」
「いえいえ、過分な評価にございます。相馬義胤どのに危うく討たれるところでした。」
「ご謙遜を。」
といいつつ秀吉の目はどこか笑っていないのに気づいた。
「政宗様とは末永きおつきあいになる気がいたします。どうかこれからもよろしく。」
「こちらこそよろしくお願いします。この政宗、全身全霊を持って殿下とは良き関係を築きたいと思っております。」
殿下ではありませんし私ではなく織田家とお願いします……と言って秀吉は笑った。どうやら政宗が幼いが故の言い間違い、と思って流してくれたようである。
こうして伊達政宗は命が縮まる思いをしながら退出した。それから日を改めて宮中へ父の任官と自身の美作守任官の礼に参内した。主上(天皇)正親町天皇は政宗が参内すると人払いを命じた。
「政宗よ。」
「は!」
「よく来たな。朕はお主を大切な甥と考えていらっしゃる。」
「この度は美作守任官ありがとうございました。」
「うむ。これからも朕と朝廷のために励めよ。困ったことがあればこの伯父になんなりと申すが良い。」
「は!過分なお言葉を賜り恐悦至極にございます。なるべくお手を煩わせないよう励みます。」
「うむ。」
若干過分というか馴れ馴れしいような愛情すら主上から感じた政宗であった。妹の子ということで自らの親族と考えていただけているのであろう、と考えることにした。それから政宗は母、普光女王の屋敷に向かった。
「おお、梵天丸!今は改めて藤次郎でしたね!よく来ました!」
史実ではとっくに亡くなっているはずであるが、『我子の成長が楽しみ』とよく食べ、体を鍛え、昔政宗が見たような皇族の姫然、とした線の細い高貴な印象もどこへやら、なんていうかすっかり太ましく逞しくなった母である。
「晴宗様はいかがおすごしでしょうか。嗚呼、京など放り出して晴宗様の胸にまた抱かれたいです。」
「母上、父晴宗は輝宗様に家督を譲り、杉目城で隠居されています。」
「うんうん。隠居だからこの母が乗り込んでしっぽりしてもよかろう。」
「皇族の姫君が『しっぽり』は。」
「おほほほほ。聞かなかったことにしておくれ。しかし杉目には行きたいのう。」
「正室の久保姫様と仲良くされている日々ですが。」
「キーーーっ!やはり政宗、お前だけが頼りじゃ。奥州のみならず日の本を制して瀬田に旗を立て、母を迎えに来るのじゃ。」
「なんか瀬田に旗を立てるのはむしろ悪い伏線な気がしますが。」
「そう言わずに母を楽しませておくれ。」
「努力はします……」
「そうよ!政宗、お前は龍なのよ!龍は中華では皇帝の象徴。お前はこの国の皇帝になるのよ!」
と言って普光女王は政宗を危うく骨が折れるか、と思ったぐらい強く抱きしめ、
「……無茶言わないでください……」
とつぶやく政宗の言葉はまったく耳に入らなかったのである。