3-04 大日如来の真言
妖を背中に付けたまま、北校舎の廊下を疾走する少女のチカちゃん。
そのチカちゃんを、追い掛ける僕と小鳥遊緑先輩だが……おかしな事に、距離は全然縮まろうとしなかった。
一体……どうなっているんだ? 僕は龍神の力で身体能力が上がっているので、人間より早く走れる筈なのに……
まあ、尻尾が邪魔で、走るのに腰が振られちゃってるけど、それを差し引いても、相手は小学生なんだ。大人の足で追い付けない筈はない。
それなのにどうした事か、一向に距離が縮まらないのだ。
小鳥遊先輩も息を乱さずに、人の身でついて来ているのだが……おそらく先輩は、何か術でも使っているのであろう。
くっ、追いつけない。それどころか、少しずつ距離が開いていってる気がする。
僕がどうしたら良いか考えていると、小鳥遊先輩が帝釈天の印を結び始めた。
「因陀羅……」
「わあああ、先輩! 駄目ですってば!! 後ろから見えてるのは妖の背中だけど、その前には少女が居るんですよ! 帝釈天の雷撃が巻き込んじゃいますって!」
先輩の術の詠唱を慌てて止めるが
「でも、このままじゃ逃げられてしまうわ」
「確かに、小学生の脚力じゃないですよね」
「おそらく、祓われたくない妖が、憑いている少女に力を貸して居るのよ」
なるほど……チカちゃんにしてみたら、死にたくないから逃げたい。憑いている妖も祓われたくないから逃げたい。
同じ『逃げる』という意思が共通し、妖が力を貸してるのか……厄介な。
僕は、ヤカンのお湯を使って、水の長槍を創り妖を貫く方法も考えたが、目測を誤ればチカちゃんも貫いてしまう恐れがある
どうする……方法を考えていると、前を行く落ち武者の集合体みたいな妖が、自分の身体に刺さった刃こぼれした刀を引き抜くと、こちらに向かって投げてきたのだ。
僕と先輩は、それらを廊下の左右に跳んでを避ける。
「危なっ! それって投げるものかよ!」
「人の居ない北校舎で良かったわね。南校舎なら他の生徒に当たっていたわ」
先輩の言う通り、少子化で殆どが倉庫と化している、北校舎で本当に良かった。だからこそ、今は来客でごった返して居る、南校舎へ行く事だけは阻止しないと……
僕らへ当たらずに床に落ちた刀は、白い煙を出して消えてしまったが、消えたとたんに妖から刀が生えてきた。
「自動再装填機能って事か……」
「永遠に弾は尽きなそうよね」
「先輩、大日如来の真言って出来ます? 大日如来の力なら、妖だけを倒せるんですが……」
「出来るけど、走ってては無理よ。落ち着ける場所でないと、印を結べないわ」
さすがの先輩も、大日如来の真言は精神統一してじゃないと無理らしい。
くっ、せめて此処が学園内でなく、学園外なら雲を創って浄化雨が出来るのに……
僕が走りながら、他に策が無いか考えていると、隣を走る小鳥遊先輩が――――――
「千尋ちゃん、前に体育館でやったアレ……やってみる?」
「体育館って……スプリンクラーを使った、浄化雨作戦ですか? 駄目ですよ。校舎でそれをやれば、全クラスの出し物が、スプリンクラーの水でダメに成ってしまいます」
使うとしても最後の切り札であって、少女の命が本当に危ない時以外は、出来れば使いたくない。
「じゃあ、どうすんのよ!! 千尋ちゃんは、さっきから否定してるだけじゃないの!」
「済みません。今考えて……あっ! 階段の方へ曲がりましたよ」
「問題は、上へ行ったか……下へ行ったか……ね」
今、北校舎の廊下を西へ進んでいるのだが、西の角にある階段をどちらへ行ったかで、追い詰めることができる。
上なら北校舎の屋上で、行き止まり。
下なら東に廊下を折り返され、暫く追いかけっこになる。
「どっちかしら……」
先輩の問いに、僕は妖氣を探って居場所を特定する
「……屋上」
「ならば行き止まりね、やっと追い詰めたわ」
小鳥遊先輩はスカートを捲って鞭を取り出すと、ピシッと床を打ち付ける。
「先輩……太もも以外で、もう少し良い所に鞭を付けられないんですか? 鞭を取り出すときに、パンツが見えますよ」
「普段は腰に下げて置くんだけどね。学園内だと教諭にバレて没収されちゃうから、スカートの下しか装着する所がないのよ」
そりゃあ、鞭なんて学園に持ち込めば、没収されるのは当たり前です。
「もっと僧侶らしく、独鈷杵とかにしたらどうです? あれなら鞭より嵩張らないでしょ?」
「独鈷杵ならあるわよ、鞭とは逆の太ももに、括り付けてあるわ」
「あるんだ……」
「でもね……法具だと、なんかしっくり来ないのよね。鞭の方が、伝わる感触が良いと言うか……ゾクゾクしちゃうじゃない?」
いや、そんな事で同意を求められても、困るんですが……
やっぱり先輩は、生粋のサディストだわ。
僕らは妖の氣を読みながら、階段を上り雑談を続ける。
「先輩、尊さん帰ったでしょ?」
「ええ、昨日帰って来たわ。帰って来て早々に、父が倒れちゃって……」
「え!? なぜ御住職が?」
「だって、長男が帰ってきたら、長女になってたのよ。見てすぐに卒倒したわ」
あ~、櫛名田比売の櫛を差したまま帰ったのか……
それは御住職も吃驚だわ
あの櫛は、人の身で神器を使うために、疑似神格を宿すアイテムだからね。
神器の修行中、ずっと着けていたので、外すのを忘れて帰ってしまったと……きっとそんな所であろう。
御住職も可哀想に……尊さんは、櫛を外せば男の子に戻れるので、お気を確かに持たれてください。と合掌
屋上に近付き、僕達は雑談を止める。
階段を折り返すと、屋上の扉が少しだけ開いていた。
「やっぱり屋上か……」
「わざわざ扉を半開きにして置くなんて……誘って居る様ね」
罠が無いか確認しながら扉に近付き、開いている隙間から屋上の様子を窺うが、扉の死角に居るのか妖の姿は確認できない。
「僕が先に飛び込みます。先輩は後方から支援……て、先輩!?」
僕が言い終わる前に、先に飛び込む小鳥遊先輩。
本当にもう……香住といい……小鳥遊先輩といい……向こう見ずなんだから!
僕も慌てて、先輩の後に続いて屋上に飛び出すと、目の前に迫る妖の錆刀が!!
「千尋ちゃん避けて!」
先輩は真横に跳んで刃を避けるが
「んな急に、無茶な……」
僕が屋上に出た時には、避けるほどの時間が無いぐらい、投げられた刃が迫っていた。
直ぐにヤカンを盾にして、刃を受けると、カン! と音を立てて刃が弾け飛ぶ
「千尋ちゃん、どうやったの?」
「ヤカンの中のお湯を操って、硬くしました。簡易盾ですよ」
おそらく、神器以外は貫けぬほど、ヤカンが硬くなっているはず。見た目は残念だけどね
「ちょっと、凄く便利じゃないの! その調子で、大日如来の真言が唱え終わるまで、防いでくれる?」
「へ? 無理ですって。彼方さん手が7本もあるんですよ、7本いっぺんに投げられたら……ほら! 言わんこっちゃない」
妖が自分に刺さった槍や刀を引き抜くと、直ぐに投擲ポーズへ入った。
さすがに、7本の武器を全部ヤカンで受けるのは無理だ!
僕はヤカンの中身を液体に戻すと、薄くて広い水の傘を創り出す。
薄くても硬化しちゃえば、神器以外は通さないからね。盾として使うなら、出来るだけ広い方が使い勝手はいい。
「千尋ちゃん、いつものように闇を纏うのかと思ったけど、違うのね」
「漆黒は、範囲内に入った、周りの味方まで融かしますから……使い方を誤誤ると、酷い事になりますので……」
下手をしたら、妖に憑かれているチカちゃんまで、巻き込む可能性があるのだ。
僕は水の傘を硬化させて、妖の投擲を弾き飛ばすと、そのまま妖に向かって突進した。
「千尋ちゃん、やるじゃないの! 水色のビニール傘だと思ったら、結構強いのね」
先輩が、僕の後ろに着いて来ながら、独鈷杵に法具を変え、早九字をきり出した。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈……」
僕は、早九字タイミングを見計らい、水の傘を窄めて邪魔にならぬように横に飛ぶ――――――
「……在・前!!」
小鳥遊先輩は、早九字が完成すると、破!! と掛け声共に、独鈷杵を投げ、妖の半分を吹っ飛ばした。
あの氣の量で半分とか、妖が硬すぎる。
『淤加美様、本当に雑魚なんですか?』
僕は内側の淤加美様へ念話してみると淤加美様は
『雑魚じゃ、ただし……取り付いた娘の恐怖の感情を糧にして、力を増して居るようじゃ』
マジか……
僕は、淤加美様に言われてチカちゃんに目を向けると――――――
「いやああああ!! 来ないでええ!! 怖いよママぁぁー」
そう叫びをあげる度に、妖の傷が戻っていき、一回り大きくなる。
本当に恐怖を糧にして、力が増すタイプとは……厄介な……
自動再装填により、妖の身体から投げられた、刀や槍が生えて戻る
このままでは、妖の力が増すばかりで、ジリ貧だ。仕方がない、水の傘を雲に変換して浄化雨を使うしかないか……そう思っていると、小鳥遊先輩が――――――
「唵!! 阿毘羅吽欠娑婆呵!!」
大日如来の真言を完成させていた。
小鳥遊先輩の手で結んだ印から、光が溢れ出す。
その光を浴びた途端! チカちゃんに取り憑いた妖が、おおおおおお……と、怨念のこもった断末魔の咆哮をあげながら消えていく
すげえ、一発成仏か……さすが大日如来の真言
『高淤加美の光術でも一発じゃぞ』
僕の思考を読んだのか、淤加美様がそう言って念話をしてくる
『そんな、無理やり張り合わなくも……本当に、負けず嫌いなんですから……』
ふん! と面白くなさそうな淤加美様だが、どちらが倒しても、チカちゃんが無事なら、別に良いのにねえ……
そう思って消えていく妖を見ていると――――――
なんと! 妖は、最後の力を振り絞って、チカちゃんを持ち上げると、完全に消え切る前に、北校舎の屋上から投げ落としたのだ!
そんな!! 僕は直ぐに駆け出すと、チカちゃんに向かって手を伸ばす。
駄目だ! 屋上で摑まえるのは、間に合わない!
僕も空中へ飛び出して、チカちゃんの手首を摑まえると、水の傘をめいいっぱい広げるが、二人分の体重を支える程、大きく出来なかった。
二人そろって屋上から落下するが
最悪、僕がクッションになれば、チカちゃんは無事だろう
僕の方は……まあ、死ななければ再生があるし
地面が近付いてくるが、出来れば打ち身で済みますように……そう願って、チカちゃんを包み込むように抱きかかえ、目を閉じると――――――――――――
なぜか衝撃ではなく、大きなゼリーに飛び込んだような、ふんわりとした感じなモノに包まれた。
地面がプニプニしている。
なんだこれ?
よく目を凝らすと、巨大な水のハンモックが、北校舎と南校舎の間に渡されていて、どうやらその上に落ちたようだった。
水で、こんな事が出来るのは、同じ水神しかいない。
『無事ですか? 千尋さん!』
南側の校舎の屋上から、顔を出す赤城の龍神さんが、念話を飛ばして来る。
『赤城さん! 助かりました。お陰でチカちゃんも無事です』
『いえ、千尋さんが無事なら、人間はどうでも良いんですよ。お礼なら今度デートにでも』
赤城さんは、相変わらずの人間嫌いだな……しかも、デートって……同人誌作ったり、だいぶセイに染められてるし……
でも、本当に助かった。妖がまさか死の間際に、憑いた宿主のチカちゃんを投げ落とすなんて、思わなかったからね。
『お礼のデートは……食事なら考えておきます』
正哉とよく行った、美味しいラーメン屋でも教えてあげよう。
僕がそう考えて居ると、思考読んだ淤加美様が、念話で溜息をついてくる。
むう、ラーメン美味しいのに……
そんな、淤加美様とのやり取りも知らず、嬉しそうにする赤城の龍神さんは
『本当ですか!? 日時はいつにします?』
『待てええええい!! 千尋は俺の婚約者なんだぞ! 俺の嫁にちょっかい出すな!』
と、僕と赤城さんの念話に、割り込んでくるセイ
『嫁ってまだ祝言をあげてないだろうが、千尋さんは、お手付き無しみたいだし、我にも婚姻のチャンスが……』
『チャンスなんてあるかよ! ささっと自分の神佑地へ帰れ!』
『もう、二人とも喧嘩しないの! それよりセイは、氷を買いに出てないの?』
『今買って帰って来た所だ。領収書とやらも、正哉が貰ってくれたぞ』
ナイスだ正哉。それに龍脈が使えると、目的地までがゼロ距離に出来るから、凄い楽だし早いので、氷も溶けずに持ち帰れる。
『みんなお疲れ! 僕はチカちゃんを保健室に寝かせたら、直ぐに戻るからって香住に言って置いて』
『お前な……あの香住嬢ちゃん。負のオーラが出ていて怖いんだが……』
『あ~、やっぱり? 僕、早引きしようかな……』
香住の方が、妖にやられるより、酷い事に成りそうなんだが……
取り合えず、北校舎の屋上から、顔を出す先輩に無事だと手を振ると、チカちゃんを抱えたまま保健室に向かう
保健室の養護教員に、貧血だと誤魔化して伝え、ベットに寝せて貰った。
まさか、妖に憑かれて、屋上から投げ落とされました。なんて言えないので、貧血で倒れた時にどこか打って無いかと心配そうに尋ねると
外傷は無いって言ってたので、大丈夫みたいだ。
中身も淤加美様に診て貰ったが、妖は完全に消えて居るとの事なので、屋上から落ちた時のショックで気を失っているだけの様だった。
ならば、直ぐに目を覚ますでしょう。
僕は養護教員に、チカちゃんを任せ出て行こうとすると、保健室の入り口からマイちゃんが現れて、チカちゃんに駆け寄った。
心配そうに顔を覗き込むマイちゃんに、疲れて寝て居るだけだから直ぐに目を覚ますよと言って慰めると――――――
「ちかっちの妖が消えてる……尻尾のおねーさん! ありがとう!」
「本当は祓い屋のお姉さんが、倒してくれたんだよ。僕は見ていただけさ」
どうも、お礼を言われるのは照れ臭いので、全部小鳥遊先輩の仕業にしてしまおうとする。
現に妖を倒したのは、小鳥遊先輩の大日如来の真言だしね。
嘘は言っていない。しかし、マイちゃんは――――――
「祓い屋のおねーさんも、尻尾のおねーさんが助けてくれたって言ってたよ」
あらら、先輩に先越されちゃったか……
僕が困ったように、鼻の頭を掻いていると
「ありがとう。二人のおねーさん」
改めて言い直されちゃった。バレバレかな?
僕はマイちゃんの事も、養護教員にお願いすると
「チカちゃんの目が覚めたら、何か美味しい飲み物淹れてあげるから、飲みにおいで」
そう言って、保健室を後にした。
さて、香住にどうやって言い訳するか……
考えながら廊下を進んで居たら、家庭科室に到着し、少しだけ戸を開けて中を覗き込むと、急に戸が全開させられた。
「げっ!! 香住!? これはその……」
「千尋……大変な事に成ったわ……」
「へ? 大変って……水神の力でドリップしてたのが、バレちゃったとか?」
「違うわよ。演劇部の主役が暴れて、謹慎になったって……今から代役用に衣装を作り直さないと行けなくなったの」
「はい? 暴れたって……」
僕は淤加美様への念話で、聞いてみることに――――――
『淤加美様、もしかして?』
『先ほどの娘と同じく、妖の残りかも知れんのう』
やっぱりそうか……
こんな所にまで、浄化し損ねた妖の弊害が……本当にこんなので、前回の売り上げを上回れるのか……
波乱の学園祭は、まだ続きそうであった。




