4 武甲山防衛戦
時間は少し遡る。
西園寺 兼仁さんが、スマホに連絡を貰う、1時間前の黄昏時。
丁度、K県とT都の間、奥多摩南山中。注連縄で、ぐるりと巻かれた大岩の前に、人影があった。
『人影』とは言うものの、鋭く赤い蛇目が、その中身が実体ではない事を物語っている。
御察しの通り、その人影こそ、小笠原で封じられていた、参頭目のオロチで
着物は、白衣に黒い袴を穿いており、長身痩せ型の男で。壱頭目のロシア帰りのオロチを、金髪から銀髪にした感じだ。
参頭目のオロチは、面白くなさそうに━━━━
「ふん、陸に上がったは良いが、邪魔な物が多過ぎて、これ程時間を取られるとは、思ってもみなかったわ」
忌々しい! と吐き捨てながら、大岩の注連縄を引き千切った。
千尋達の読み通り、家やビルに阻まれ、真っ直ぐ北関東へ向かへない事に、苛立っていたのだ。
「元の姿なら、全てを踏み潰し、平らにして遣るものを……」
今の自分━━━━人間と同じ貧弱な姿に、余計腹が立つ。
それはそうだ。本来なら、大山と同じ程の大きさなのだから……
「早く、元に戻らねば……その為にも、先ず━━━━━━」
参頭目のオロチは、何やら呪文を唱えると、大岩に亀裂が入り━━
「さあ、顕現せよ黒狼よ! 我を背に乗せ、北へと向かうがよい!」
そう叫ぶと同時に、大岩は粉々に砕け散り、内側から黒い大きな獣が顕現し、咆哮をあげるのだった。
◇◇◇◇
時間は現刻に戻り。S県武甲山の展望台にて━━━━
僕らは、龍脈移動を使い、瑞樹神社から展望台へ移動してきた。
「いやはや、これが龍脈移動ですか、初めて体験しましたが凄いですね。まさか、氣の河の中を通るなんて、思いませんでしたよ」
少し興奮気味の西園寺さんと、氣に当てられ酔ったのか、気持ち悪そうな尊さん。
二人は、全く対極な反応だった。
「基本龍脈が通って居れば、何処へでも行けますが。普通の人間では、長時間氣に浸かると、身体が融けて、龍脈の一部に成ってしまいますよ」
実際、龍になった僕も、龍脈の濃い部分に触れて、融解しそうに成りましたしね。
普通の人間なら、上層の薄い氣の中でも、長時間の使用は危険である。
それに、超高速で流れる氣の本流で、気を抜けば知らない外国まで、流される事もあるから、注意が必要だ。
「━━どうでも良いがよ……帰りは乗らねぇ」
うぷっ、と口を押さえながら、言う尊さん事ティティは、氣酔いでフラフラだ。
そんな僕らに、展望台で待って居た迷彩服の男が声を掛けてくる。
「遅いぞジン!」
ジン? 誰の事? と思っていると、西園寺さんが
「いやぁ、済まん済まん。連絡を貰った時は、まだ瑞樹神社に居たんだ」
そう自分の白髪混じりの頭に、手を当てながら謝る。
ジン……そうか、兼仁の『仁』を取って呼んでるのか。
「む、瑞樹神社か……ならば早かったと言うべきか。しかし仁よ、何で民間人が此処に居るんだ?」
そう僕を見ながら、迷彩服の男が言ってくる。
「彼……彼女のが良いのかな? 彼女は、瑞樹千尋君だ」
「ほう、君があの人間から龍神になったと言う、瑞樹君か。噂は聞いている。自分は藤堂 淳一郎」
よろしく、と握手を求められたので、こちらも、瑞樹千尋です。よろしくお願いしますと返した。
そこへ、西園寺さんが
「イチとは小中学校の同級生でねぇ。ボクは國學院へ進み、神社本庁へ入ったんで、進む道は違えてしまったが、時々会っては一緒に酒を呑む━━━━所謂、幼馴染の腐れ縁って奴かな」
此方は、淳一郎の『一』を取ってイチか、あだ名で呼び合う仲なんだな。羨ましい。
「その腐れ縁のお陰で、平穏に定年を迎えようとしていたのに、新しく『八荒防』なんて組織作ったから、お前も来いなんて言われ……こうして此処にいるって訳だ」
そう言って肩を竦める藤堂さんだが、南方の方角から、獣の咆哮が上がって軍人の顔に戻る。
展望台の南の手摺に移動して、暗視スコープを使い、咆哮をあげたモノの姿を確認している藤堂さん。
僕は、『龍眼』の能力を使って暗闇を見通と、そこには巨大な黒い狼が、木々を薙ぎ倒しながら、此方へ向かって来ていた。
「あれ、オロチじゃなく。狼じゃありませんか?」
「ほう、肉眼で見えるとは……さすが龍神だな。確かにアレは狼らしいが、放置は出来んだろう?」
藤堂さんは、僕にそう言ってから、西園寺さんの意見を求めるように視線を送る。
「ええ、このまま武甲山を北へ抜けられると、T市街地がありますからね。出来れば武甲山南側で、仕留めたいものです」
そう言って、何処かへ電話を始めた。
「なんだ……せっかくオロチが斬れると思ったのによ━━━━興醒めもいい処だぜ」
いつの間にか、氣酔いから復活した尊さんが、神剣草薙を抜いて呟くと、例の『櫛』を髪に刺す。
すると、背が縮み髪が伸びて、少女の姿になった。
神話のスサノオの変身を真似ているらしいが、仕組みはよく分からない。
尊さんは、先に行くぜ! と言い残し展望台から飛び下りて行った。
「ちょっと、尊君! 待ちなさい! まだ街道封鎖と情報統制が……」
慌てて、電話中のスマホを押さえて叫ぶ西園寺さんだが、既に尊さんの姿は無かった。
まったく、相手の情報も無いのに、向こう見ずと言うか……ねえ。
武甲山より南側の、住民の避難は終わっているらしいが、今のご時世映像撮られれば、直ぐに拡散されるんで、情報統制が難しいらしい。
それなのに、尊さんは……よく言えば自由な人だ。妹の緑先輩と良く似ている。
「規制線が張られ次第、僕も出ますね」
僕は、腰につけた水のペットボトルを確認する。
━━━━が
「少し待ってくれ瑞樹君、折角だしコイツを試してみたい」
藤堂さんが黒くて長いケースを広げると、中には大型ライフルが分解されて、入っていた。
「ライフル? 狙撃するんですか?」
通常兵器がどれ程有効であるのか分からないが、藤堂さんは部品を出して組み立てて行く。
「コイツはな━━━━八嶋技研が、対オロチ荒神用に開発した、新型ライフルだ」
「対オロチ荒神用?」
何か凄いのが出てきたな……
「そうだよ。人間は、ずっと神々に翻弄され続けてきた。しかし、現代でそれを覆す」
そう西園寺さんが、説明をしてくる。
「ちょっと、待ってください。荒神だからと言っても、殺せば神殺しですよ!」
僕は慌てて止めに入る。
日本の神は、西洋の神とは違い、明確な『悪』と言うのは無い。
西洋なら『悪魔』、そしてそれを束ねる『魔王』と言うのが居るが。
日本神話に置いて、『荒神』は必ずしも悪ではない。
そもそも『荒神』は、今風に言うと沸点が低いと言うだけで、普段は有益な神様なのだ。
キレると見境がないが、それだって理由もなくキレることは無い筈。
例えば、神佑地を穢されたとか、何らかの理由で寝てる処を叩き起こされたとか、大体人間側に非があることが多い。
なので、今回の大型黒狼だって、理由があるはずなんだ。
「千尋君、それは神学を学んだボクにも分かっています。でも、このまま武甲山を越えさせる訳には、行かないんですよ」
くっ。出来れば『神殺』なんてせずに、鎮めて欲しい……そう願う。
僕が西園寺さんと話してる間に、銃の組み立てが終わって居た。
「仁、弾を寄越せ」
そう言って、受け取った弾丸には、梵字が刻んであった。
「これは、試作段階のモノだから、3発しかありませんので、外さ無いように」
「ふん。誰に言っている」
そう言って弾を込めると、狙いをつける藤堂さん。
僕は、自分の中に居る淤加美神様へ念話で話し掛ける。
『淤加美様、どう思います?』
『はて、どうじゃろうのぅ。神器ならまだしも、人間の武器がどこまで通じるか……ちょいと見物じゃ』
『また、そんな悠長な……』
淤加美様との会話が終わると同時に、銃口が火を吹く。
銃声が武甲山の山中に木霊し、銃弾は風を切り裂き目標へ迫る。
的が大物だし、何処かには当たるだろうと、全員が楽観視していたら━━━━
何と! その巨体からは考えられないスピードで、横に跳んで避けた!
「「「なっ!!」」」
展望台に居る全員が驚愕の声を上げると、黒狼は狙撃された此方を睨みながら、口を開けると炎を吹き出しのだ。
まずい!! あれは通常ブレスであって、術では無いため、僕には反射できない!!
とっさの判断で、腰の水が入ったペットボトルを3本使い。水の膜を張る。
━━━━ 間一髪!
水は蒸発してしまったが、どうにか全員焼かれずに済んだ。
だが、残りのペットボトルは2本。3本でもギリギリ防げた位だったのに、2本ではもう防ぎきれない。
僕は、蒸気に成って霧散した水を、どうにか集めようとするが、空気中から集めるのは時間が掛かる。
こうしている間に、次のブレスが来たら、髪の毛がアフロヘアーに成るだけじゃ済まずに、龍の丸焼きが出来上がるだろう。
再生持ちだが、黒焦げは、ごめん被りたい。
だが、そんな心配は杞憂に終わる。黒狼は、足もとに居る誰かと戦い始めたのだ。
龍眼を暗視望遠に切り替えると、アレは━━━━
「T・T!」
すると、耳に着けた無線に
『ティティって呼ぶんじゃねー!!』
そう尊さんから怒号が飛ぶと、同時に黒狼の足下で土煙が上がった。
「どうにか、尊君が間に合った様ですね」
ふぅ、と胸を撫で下ろす西園寺さんだが、僕も同じ気持ちだ。
あのまま尊さんが、黒狼の気を反らさずに、2撃目のブレスが来たら。龍の僕は耐性があるから、焦げる程度でも、人間の西園寺さんと藤堂さんは、完全な消し炭に成っていた。
しかし、黒狼の周りの森は、僕らの代わりに燃え上がり、山火事に成っている。
慌てて西園寺が、消化ヘリを要請しているが、尊さんとの攻防で更に炎が巻き上がり、ヘリが到着する頃には、木々が炭に成ってそうな勢いだ。
僕は、今の内に少しでも、空気中の水を集めようとしていると
「瑞樹君、この水を使いたまえ」
そう言って、自分の飲み水のペットボトルを、僕に投げて寄越す藤堂さん。
支給品で申し訳ないがな、と呟きながら、試作ライフルから空の薬莢を出すと、2発目の弾を込める。
「もう一度、挑戦するんですか?」
「ああ……少し右に流れるのも分かったし。こいつのデータも取るように、八嶋技研の連中に言われてるんでな」
成る程、それで水を寄越したのか。反撃のブレス対策するために。
まったく、僕は壁じゃ無いっての。
だが悠長なことは、言っていられない。ティティの方が苦戦を強いられているのだ。
神話の櫛名田比売を基に、開発されたと言う『櫛名田の櫛』だが、身体能力は確かに上がっては居るものの……付与が水耐性なので、火は防げて居ない。
その為、ブレスの炎に阻まれ、今一歩踏み込みが出来ずに、斬り込みが浅くなってしまっている。
少し位の傷では、即再生してしまい、このままではジリ貧だ。
僕は、貰った分のペットボトルと合わせ、3本分の水を空中に浮かべると、用意出来たと合図を送った。
「オーケー。じゃあBid Start」
藤堂さんは、そう呟くと、第2発目を発砲するために、暗視スコープを覗き、狙いを定め━━━━
ふぅ━━━━と肺の空気を抜くながら、引き金を引く。
刹那、銃声が鳴り響き、対オロチ用に造られた弾丸は、回転しながら黒狼へ迫る。
黒狼は、ティティとの接近戦に気をとられたままだ!
当たった!
誰もがそう確信した瞬間━━━━
黒狼の背中に居る人影が、弾丸を術で消し飛ばした!
「ちっ! もう1人居たのか……」
悔しそうに吐き捨てる藤堂さんだが
黒狼が大きすぎて、背中が死角に成っているので、仕方がない。
龍眼を更に望遠モードにすると微かに黒狼の背中の人影が見える。
「オロチ……」
「ええ、多分そうでしょう。小笠原で封印を解いたまま行方不明の参頭目━━━━狙撃は可能ですか?」
そう、西園寺さんが藤堂さんに尋ねると、無言で首を横に振った。
無理もない。あれだけ激しく動く、黒狼の上の的を狙うのは、至難の技だろう。それも巨体の黒狼と違って、人化しているので、的が小さすぎる。
「ならば、やはり僕が出ます。せっかく水も用意しちゃいましたしね」
対ブレス用に出して置いた、水の塊を使って刀を創る。
「千尋君、斬り込むつもりですか?」
「ええ、黒狼だけならまだしも、オロチまで居るのでは、2対1で分が悪すぎます」
尊さんが差している櫛は、対オロチ用で水耐性はあっても、火耐性は無いのだ。
その点、ボクの方は水神の龍神なので、火に対しても多少は耐性がある筈。
試した事無いけどね。
アフロで済めば御の字だな。
僕は、龍脈を開くと、中へ飛び込む。
龍脈移動で真後ろに出れば、不意打ちができるからだ。
この辺かな……そう粒やいて出口を作り外へ出ると、目の前にモフモフの黒い毛が広がっている。
もしかして、黒狼の真下……腹の下に出たのか!?
僕は水の刀を槍に変えた。こういう時、成分が水だと便利だよね。弓でも斧でも鞭でも自由自在だし。
水の槍を構えると、そのままプスっと黒狼のお腹を突っついた。
突然の痛みに吃驚して、ひっくり返る。
「危ね!! 俺まで殺す気か!?」
痛みで沼田打つ、巨大な黒狼を避けて、後ろへ跳ぶティティ事尊さん。
「横槍ならぬ下槍入れて済みませんが、黒狼は引き受けます。尊さんは、振り落とされた参頭目のオロチをお願いしますね」
「ざけんなよ! 黒狼は俺の獲物だ!」
そうは言っても、腹を刺されて御立腹の黒狼は、僕を睨んで居て、尊さんには興味が無いようだった。
僕は、オロチをお願いします。と再度言い放ち、黒狼を連れて移動開始する。
そう、武甲山の西側にある。浦山ダムへ向かって。
すみません、次は3日後です。