8-03 塞翁が馬(さいおうがうま)
奉納の儀だが、はっきり言ってする事がない
龍神だからと祭壇に上がる訳にもいかないしね。農家のおじさん達が見てるし
そうなると、人間として参加するわけだが……今年は神使の桔梗さんが奉納側の主役なので、僕は後ろで見ているだけなのだ。
毎年の豊作を祝う大事な儀とはいえ、する事が無いなら出なくていい? と婆ちゃんに尋ねたら
「出なくても良いが、助勤代は出さんぞ」と言われてしまった。
半日以上も田畑を練り歩いたのに、バイト代が全部キャンセルになるのは勿体無い。仕方なく最後まで出ている事になった訳だ。
バイト代削られると貧乏学生には辛いのです。
奉納の儀と言っても、祝詞を読んで刈り取ってきた稲穂を祭壇に置くだけなんだけどね。
あとは神楽舞が翌日に披露されて終わりである。
「蛇のヤツ遅いな……」
「頼んだ人数が多いからね。あとポン吉君も迎えに行って貰ってるし」
セイがぼやくのも無理がない。新嘗祭がお昼前に始まり、終われば既に夕方なのだ。
それまで食わずに田畑を歩き回ったのだから、お腹が空くのも分かる。
と言っても、セイは頭に乗ってただけだが
中で待ってようか? そう言い掛けた時、石段の下からバイクの排気音が聞こえて来た。
また境内まで乗り入れる気か?
そう思って鳥居へ向かって行くと、バイクが境内に飛び出してきた。
「毎回思うんだが、どうやって大排気量の外国製バイクで、石段を上がって来るんだよ!」
「オレと相棒のバイクに行けない場所は無いぜ」
ヘルメットを脱ぎながら壱郎君が答えると、バイクの後ろで涙目になってしがみ付くポン吉君の姿が見てとれた。
可哀想に、涙と鼻水で顔がぐしょぐしょだ。
ポン吉君のヘルメットを脱がしながら、ハンカチで涙と鼻水を拭ってやると、あることに気が付いた。
「寿司桶が無い?」
「あぁ、タヌキが邪魔でバイクに積めなかったんでよ。後から酒呑童子が持って来る手筈だ」
壱郎君がそう答えたら
「お待ちど~」
鬼娘の酒呑童子の子孫が両手に寿司桶を沢山重ねて持って来た。
「おいおい。中身の寿司が崩れて無いだろうな?」
「突っ込む処がソコ!? そんなに重ねて大丈夫? とか、そう言う方に突っ込むんじゃないの?」
「甘いな千尋、中身が無事なら俺は構わん」
この食いしん坊の龍め
「半分は農家のおじさん達に、あと半分は居間へ持ってってよ、花子ちゃんも其処に居るから」
壱郎君たちも食べてってよと言ってから、農家の人達の分を別室へ持って行く。
前にも言ったが、昔は村の公会堂の代わりに集会所になってたから、仕切りを外すとみんな入る事が出来る。
「お寿司が着ましたよ」
農家の人から歓声があがる中、不公平が出ないように、お皿へ均等に取り分けると、婆ちゃんと主役の桔梗さんに任せて居間へ行く。
こっちはこっちで、大変な事に成っていた。
富士の一件で、西の祓い屋さんにゴチになったお土産の信玄餅があったのだが、名無し君が食べてる最中に噎せてしまったらしく、きな粉が舞ってテーブルの上が粉まみれに……
「寿司は無事だぞ」
さすがセイ。寿司桶を退避させているとは、食い物が絡むとすごい反射神経だ。
「相変わらず騒がしい社だな、来る度に人数が増えてるし」
前回壱郎君が来てから、水葉と名無し君が増えたからね。あとポン吉君の妹さんとか、増えるのは人外ばかりだけど、確かに大入りである。
「テーブルは濡れた布巾と、畳は掃除機か……持ってくるね」
掃除機を取りに行くと、丁度動画配信が終わったのか、天宇受賣様が部屋から出て来たので
「宇受賣様、御寿司が着て……ま……え?」
やけに肩を落として居間へ向かって行くので、後から出て来た子狐ちゃんズに
「ねえねえ、宇受賣様どうしたの?」
「あ、龍の姉ちゃん。実は天宇受賣様が踊りの生配信中に、ポロリしちゃって……」
「ええ!? あの胸が世界配信!? それは泣きたくなるわな」
「違うよ。ポロリで泣きそうなのじゃなく、アカウント停止されてね」
そっちか!
「あの布を当てただけの服じゃ、逆にポロリしない方が不思議だわ」
神話でも天宇受賣様は、殆ど全裸みたいな格好だったと言うし。あの服で激しく動けば、そりゃあねえ
「そういう事だから、龍の姉ちゃんも触れずにそっとして置いてあげて」
「了解。二人とも御寿司が着てるからね」
「いなり寿司もある!?」
「さぁどうだろう……急がないと無くなるかもよ」
ええ!? 急げ! と子狐ちゃんズが走っていく。ちゃんと手を洗いなよと駆ける二人の背中へ声を掛けた時
「そうだ、僕は掃除機持ってかないと」
本来の目的を思い出して、吸引力の変わらない掃除機を持って居間へ向かう。
みんな早く夕餉にしたいのか? 協力して片付けるから、早いのなんの
あっという間に片付いて、寿司をテーブルへ置くと香住が
「お吸い物作ったけど、味をみてよ」
「千尋は掃除機片付けるので忙しそうだから俺がみてやろう」
とか何とか言いながら、セイは飲みたいだけだろ
仕方ない奴と呟きながら、掃除機を所定の場所に置いていると、背後から
「あの……すみません」
新嘗祭に参加した、農家の人かと思って振り返ると
奥の部屋で寝たきりだった男性が、壁に寄りかかって立っていた。
「め、目が覚めたんですか!?」
「一体ここは……どこなんでしょうか? 体もあちこち痛くて」
「たぶん筋肉が硬直してるんだと思います」
ずっとと寝たきりと言う訳でなく、天若日子さんが神憑りで身体を動かしていたので、完全な筋肉硬直まで行かなかったようだ。
それでも節々が痛むのか、かなり痛そうである。
「えっと……こんな時は……そ、そうだ! 西園寺さん!」
急な出来事に動揺しながら、西園寺さんを呼びに行くと
「え!? 目が覚めたって?」
「どど、どどどどどうしましょう」
「どどどって、蛇野郎のバイクみたいだな」
「かぁー分かってねえな! いいか水蜥蜴、オレのバイクはドルゥド……」
「どーでもいいわ、あっ! 俺の狙ってた大トロがねえぞ」
駄目だコイツら……
げんなりしたお陰で少し落ち着いたが
「えっと話を戻します。目が覚めたのは、たった今らしいんですよ」
西園寺さんを連れて戻ると、男性は先ほどの場所に座り込んでいた。
「ははっ、力が上手く入らないや」
「ど、どうしましょう」
「うん? 少し診てみますね」
西園寺さんは男性の横に行くと、腕を曲げたり伸ばしたり、痛みますか? とか聞いている
10分ぐらい触診していると
「筋肉が硬直しているだけのようですね。あと思考というか記憶に混乱がみられます」
「記憶に混乱? 記憶喪失みたいなのでしょうか?」
「専門医でないので何とも言えませんが、恐らく一過性のモノだと思いますよ。人の身に神を降ろして居たんです、脳に負荷がかかって当然でしょう」
「僕も2柱入ってますけど……淤加美様と伊邪那美様」
「千尋君は国津神ですから、受け止める器も大きいでしょ? 普通の人間では受け止めきれませんよ。風船に台風の風を全部入れようとする様なものです」
「入りきらずに破裂しますね」
「ええ。奇跡的に破裂しなくも、風船のゴムが伸び切って戻らない感じになります。中には気球サイズの大きさの風船を持っている人や、もっと大きいサイズを持ってたりする人も稀にいます」
「邪馬台国に居た卑弥呼のようにですね」
「はい。彼女に限らず、巫女というのはそういう方が選ばれたそうですよ。巫女の巫の字は、カンナギと言って神和ぎ……つまり間に入って和を繋ぐ役割があったそうです」
「へぇ話すの大変なんですね。居間で寿司食べてる姿から考えられないや」
「普通は見えませんしね。これだけ沢山の神々が顕現されてるのを見たら、関係者が腰抜かしますよ」
日本最高神の天照様は時代劇にハマってるし、人間臭さが凄いんですけど
建御雷様が止めていないと、町に出て人助けをしそうだ。
手に負えない妖や異形を倒すなら良いんだけど、人間にまで手を出すと、色々問題が出て来るので、それだけは御止めしないと……
しかし目が覚めて良かったと思ったら、次は記憶喪失かぁ。正に人間万事塞翁が馬とは、よく言ったモノだ。本当に何が起こるか分からないな。
「とりあえず、廊下だと寒そうなので、部屋へ連れて行きますね」
「それならボクが運んでおきましょう。千尋君には別にやって貰いたい事がありますから」
「別の事ですか? えっと、御粥でも作るとか?」
「その前に、変若水をお願いします」
「変若水!? でも僕が創るのは、変若水擬きですよ?」
「擬きと言っても、回復はほぼ同格でしょ?」
「淤加美様はそう言ってましたが……若返りとか不老不死とかの効能は無いですよ」
「欲しいのは回復だけですから、他の付加価値は別にいいですよ。変若水があれば、筋肉硬直は治ると思うんです。上手くすれば記憶もね」
なるほど男性に使うのか、傷には効果あったけど、硬直に効くのかなぁ
「じゃあ創って持っていきます」
僕は辛そうな男性を西園寺さんに任せ、台所へ向かう
考えてみれば水道水から変若水を創るのは初めてかも
理論上、どんな水だろうと最終的に行き着くのは変若水なのだから、極端な話だが汚水からでも変若水へと行けるのだ。
その辺は黄泉で穢れた汚水を浄化して、変若水を創り出しているのだし実証済み。
まぁ口に入れるものだから、生死に関わる緊急事態でもない限りは、汚水からは創らないけどね。
だって嫌でしょ。浄化すれば成分は同じ変若水でも、逆の意味でのプラセボ効果によって、効かなくなりそうだし。
なので今回は水道水を使います。買う飲料水でも出来るのだが、やっぱり生まれ育った瑞樹の水が調整しやすい。
コップに汲んだ水へ浄化の術を掛けていくと、黄金色に輝いてから透き通る。
明かりにかざすと、輝きが失われて無いので、これで変若水擬きの完成だ。
台所を出る前に、土鍋へ水を張り米を煮ておく。
男性へ食べさせる御粥の準備だ。ずっと西園寺さんが持って来てくれた点滴だったから、胃も固形物は受け付けないだろうからね。
弱火にしてから台所を出て、変若水を持って男性の部屋へ入る。
「飲めそうですか?」
「……薬湯? でしょうか?」
「そんな様なものです」
人の使う薬湯より効くだろうけど、何せ和製エリクサー擬きだしね。
男性は恐る恐るコップに口をつけると、一口の水を含んで飲み下した。
なんか男性というのも、いい加減に変えたくなったので
「西園寺さん、彼の名字は何でしょうか?」
「あまり個人情報は知りたくないような感じでしたが、宜しいので?」
「あの時は、目が覚めないまま家族へ引き渡して、お別れだと思ったんです。それなら深く関わらない方が良いと思ったのですが、しかし目が覚めた以上は、呼ぶのに困るじゃないですか」
「なるほど、確かに呼び名がないと困りますね。彼は葉山 稔、前にも資料を読み上げましたが元自衛官です」
「葉山……稔……それが私の……いや、自分の名前ですか?」
一言一言を噛み締めるように呟く葉山さん。
「あらら、どうやら記憶は戻らなかったみたいですね」
「記憶? 自分は記憶喪失なんですか?」
「一過性のモノかと思ったのですが、千尋君の変若水で記憶が戻らないところを見ると、ちょっと難しいかもしれません。身体の痛みはどうです?」
「そちらは……大丈夫みたいです」
葉山さんは身体を確かめるように、腕を曲げたり伸ばしたりして答える。
身体の痛みが消えてるという事は、少なからずも変若水の効果があったという事になるが、それで記憶に効かないとなると、あとは自力で思い出す他はない。
「御粥が食べられるか分かりませんが、今煮込んでいるので持ってきます」
そういって再度台所へ向かうと
「ちょっと薄味じゃないか?」
「アホー! 何でセイが食ってるんだよ!?」
「そこに粥があるから」
「そこに山があるから登る、みたいな返しは要らないから!! あーあ、半分食っちゃって……寿司はどうしたんだよ」
「勿論食った。寿司桶はもう空だぞ」
コノヤロウ……僕は一つも食ってないのに、酷い奴らめ。
食ったのを口から出そうか? とか言うので、日本書紀に出てくる保食神かよ! とツッコミを入れ、残った御粥を茶碗に移し葉山さんの処へ持って行く。
「一杯分しか無いけど、玉子粥です。胃が受付無いようでしたら、無理に食べなくて良いですから」
「いえ、せっかく作って貰ったし頂きます」
ゆっくりとレンゲで掬って口へ運ぶのを見て、食べられそうなら追加を作ろうと席を立つと、玄関から
「ごめんください」
と声がする。
今までの経験上、だいたい夜に訪れるのは、碌な者じゃないんだよな。
無視する訳にもいかないので、玄関へ行くと
「貴方は、自称ナンバー1の祓い屋……大浴場さん?」
「違う! 銭湯じゃない。仙道だ! あと、自称って言うな」
「で、何の用ですか? お昼に食べる……」
「そうそう、お昼の楽しみ……て、弁当じゃない!! 仙道だ!! 一文字もあってないじゃ無いか」
さすが関西人、ノリツッコミで合わせるとか、やるねぇ。
「あら、都を移動した」
「遷都じゃない、分かりづらいわ! ふっ、やっぱりここに居たか小鳥遊緑」
「なんだ、先輩に用があったのか」
「ちょっと千尋ちゃん、変なの押し付けて行かないでよ」
「へ、変なの……」
「ほら、ショック受けてますよ。さっきの言葉だと、先輩捜してたみたいですが?」
「私には用が無いわ」
だからと言って、僕に押し付けて行かれても、困るんですがね
まぁでも、一つ分かった事がある。日が落ちてから来る客は、碌な者じゃない。