7-25 闇御津羽神(くらみつはのかみ)
淤加美神と御津羽神は同じく龍神であり双子の姉妹です。
神話では龍神に性別は無いのですが、ここでは姉妹にしてあります。
御津羽様が穢れにあてられ、臥せっている神社へ案内して貰う。
その神社は鳥居をくぐった途端に、禍々しい異界へと姿を変えた
参道は穢れが渦を巻き瘴気に包まれているせいか、まるで祀る神を失った廃神社のようであった。
「ううぅ……凄い臭い」
この肉や魚が腐ったような臭いは、つい幾日か前に嗅いだことがある。そう、黄泉の国の臭いだ。
「……千尋。宮司に逃げるように言うのじゃ! そこの細目の人間も、鳥居の外へ逃げよ! 瘴気が濃すぎて、境内に長居をすれば命の保証はないぞ」
西園寺さんは淤加美様から忠告を受け、鳥居の外にいますと言い残し速やかに撤退をした。
神社本庁に勤めていただけあって、霊感が強いのか? 素直に撤退するところを見ると、相当ヤバイらしい。
僕の方は、臭いにやられたせいか? 何も感じなくなっていた。
敢えて例えるなら、強い光を見たために目がくらんで、一時的に見えなくなるとか、科学の実験に使う刺激臭の薬品を直に嗅いで、鼻がバカになるような状態と同じで
龍に成って敏感だからこそ瘴気にあてられ、一時的に感覚が麻痺してる、そんな感じだ。
黄泉へ行った時に、感覚がおかしく成らなかったのは、瘴気の濃度がここまで酷くなかったからだと思う。
黄泉以上の瘴気が出て穢れているのは、御津羽様の浄化キャパシティーを超えてしまい。
黒い水を濾した、濃い部分が残ったからだと考えられる。
これ程の瘴気が、御津羽様から出ているとしたら……いつ祟り神に成ってもおかしくない。いや、もしかしたら、もう既に……
なるほど、娘の水葉を遠ざける訳だ。
瘴気の出所が本殿からだと分かっているので、目的の御津羽様がそこに居られるのは、一目瞭然である。
瘴気の濃い本殿へ突入する前に、淤加美様から言われた宮司さんの無事を確かめるのが先だ。
僕は、敷地内にある宮司さんの住まいへ行くと、入り口の引き戸に手をかけるが、戸に鍵が掛かっておらず、すんなりと開いてしまった。
緊急事態だから無断で入らせて貰うが、中はもぬけの殻であり。崩れた布団が敷きっ放しなっている事から推察すると
おそらく、宮司さんが寝ていたら瘴気の酷さに体調を崩して、自力で脱出した……と言った処か?
僕は念話で、境内の真ん中にいる淤加美様へ連絡しようとして、何やら呻き声がする事に気が付いた。
よーく耳を澄ますと――――――
「……う……うぅ……」
人の声だ!
声のする方へ歩いて行くと、灯籠の死角に人の足が見えた。
「宮司さん!」
すぐに抱き起し声を掛けると
「りゅ……龍神様……」
「喋らないで、これで口と鼻を覆ってください」
僕は香住が持たせてくれているハンカチを宮司さんの口へあてる。
よくアニメとかでやる様に、自分の服を破いて口へあてても良かったのだが、先程の雷雨で濡れているため、これを口にあてたら空気が通らなく窒息してしまう。
水龍なら水で息できるが、人間はそうはいかないからね。
宮司さんを抱きかかえると、鳥居の外へと避難する。
僕と宮司さんを見て、鳥居の外に居た西園寺さんが
「瘴気に当てられたのですか!?」
「ええ。そうみたいです」
僕は返答しながら、ペットボトルの蓋を開け、浄化の水を創り宮司さんへぶっかけた。
普通なら、これで大概の穢れは治せるはずだが、一向に目を覚ま覚まさない処をみると、かなり深くまで汚染されている事になる。
「千尋君の浄化が効かないなんて……」
「原因は胎内ですね。長く瘴気を吸い過ぎたのでしょう」
僕は追加でペットボトルをあけると、追い浄化に入る。
一番汚染が酷い宮司さんの胸部へ水をかけると、そのまま手を添えて――――――
「疑似変若水」
和製エリクサーである変若水を創り出す。
「おおおっ!! これが万葉集に出てくる変若水ですか!? 初めて目にしました」
「僕が創るのは、本物に近い偽物ですけどね。本物なら不老不死効果に反魂の効果まで付いてきますよ。偽物と言っても回復はほぼ同等品だと、天照様からお墨付きを貰ってますから大丈夫です」
「さすが淤加美神様が、一目置かれる訳ですね」
「いえ、淤加美様には敵いませんよ。僕の場合は自分で水を生成できませんからね。広域の浄化はそれだけの水が必要になります。例えば京の都へ雨を降らせるのに、琵琶湖の水を借りたりとか、降らせるのと同量の水が必要になるのですよ。しかし今回の様に個人へ使う場合は少量の水で済むので、個人の浄化に関しては淤加美様に負けませんよ」
戦闘の度に何度も使うので、だいぶ浄化雨の熟練度が上がって、本格的に神の御業と言えるほどになっている。
それでも、携帯型ゲームをしながら浄化の雨を呼ぶ淤加美様を見て、僕はまだまだ淤加美様の足元にも及ばないと思い知った。
浄化が終わると、やがて宮司さんが目を覚ました。
「こ……ここは?」
「気が付かれましたか? ここは神社の外です。まだ鳥居の向こうへは入らないでくださいね。敷地内が穢れで満ちてますから」
「穢れ……そうだ! 穢れにやられて」
「ええ、気を失ってらっしゃいました。浄化したので大丈夫だと思いますが、ご心配なら帰り掛けに体内チェックを行って行きますよ」
「いえ、心配とかそう言うのではないのです。その角と尻尾から、どこぞ名のある龍神様かと思われますが、どうか……どうか闇御津羽様をお助けください」
そう言って頭を下げる宮司さん。
自分がお仕えする御津羽様が心配なのだろう。
「分かっています。その為に北関東からやって来たのですから」
西園寺さんに宮司さんをお願いすると、僕は再度鳥居をくぐり、水葉のいる境内へと戻った。
「遅かったじゃない!」
「ごめんよ。思ったより宮司さんが穢れに汚染されてて、少々手間取った」
「なによ! 人間なんか放って置けば良いのよ」
「そんな事いうもんじゃないぞ。お仕えしてくれる人間が居るから、神々は綺麗な神社に住めるんだから、お供え物もして貰えるし、至れり尽くせりだろ」
「千尋は自分で供えてるじゃない」
「僕は元々人間で、お供えされる方じゃなく、する方だったからね。ずっと日課になってたから……最近はサボってるけど」
だって自分を自分で祀るとか滑稽だろ?
そんな時、瘴気が一段と濃くなった。
「お二人さん、お喋りは終わりだぜ。どうやら向こうから出てきてくれるらしい」
「御津羽母様……」
本殿の扉がゆっくりと開くと、黒い瘴気が煙のように噴き上がる。
そして瘴気の中から姿を現したのは、髪がボサボサで老婆のような姿に成った、闇御津羽神であったのだ。
窪んだ目が赤く輝き、こちらを見据えると――――――
一気に駆け寄って来た!
速い!!
瞬きをする間もなく距離を詰められる。
僕はすかさず地面に手を置くと、地中の地下水を圧縮し熱を与えた。急激に熱せられた地下水は地表めがけて噴き出すと言った仕組みだ。
「間欠泉!!」
噴き上がる熱水に巻き込まれ飛ばされる御津羽様。
あちらも水神であるが故、ダメージはほぼ無いだろう。熱水で火傷をしても再生があるしね。
『千尋も水葉もよく聞くのじゃ、御津羽を気絶させよ。さすれば浄化の治療ができる』
淤加美様の念話が聞こえてくるが、毎回の事ながら簡単に言ってくれるよ。
彼方さんは黒い水を操り、水のナイフを何十本と創り出して、こちらへ狙いを定めている。
不利すぎだ。
操れる水が無さすぎる。厳密に言えば、手水舎にある黒い水を浄化すれば操れるのだが
あの猛り狂った御津羽様が、浄化終了まで待ってくれるとは思えない。
となると、手持ちで使える水はペットボトル3本
それで御津羽様を戦闘不能へ追い込まねばならないとか、淤加美様も無茶を仰せになる。
飛んで来る水の刃――――――これは術で創っているらしいから、術反射でやり過ごす。
出来るだけ手持ちの水は温存せねば
反射された水刃を避ける御津羽様に、追い打ちを掛ける。
そう、馬鹿正直に水の撃ち合いをする必要はない。拳を叩き込み、気を失わせれば勝ちなのだ。
御津羽様は、僕が直接前に出るとは思わなかったらしく、不意をついた形となり、クリティカルで鳩尾に拳がめり込んだ――――――
――――――と思ったら
僕の拳には手応えがなく、空を切るだけだった。
しまった!! 幻影か!?
いつも自分が使っている術であるが、別に僕の専売特許の術ではなく、水神であるならば当然できて当たり前なのだ。
大振りをして隙だらけの僕に、御津羽様の拳がめり込んで、僕が殴り飛ばされる。
「痛っつ~」
水神同士の戦いは、何とも遣り辛い。
巳緒も幻影を見せられて、土氣の術を出すタイミングが掴めていないのだろう。
相手の氣を読もうにも、境内の瘴気が濃すぎて出来ないので、ある意味2度目の鵺より質が悪い。
地面に叩きつけられる前に受け身を取り、すぐに御津羽様へ視線を向けると
口を大きく開け、すでに狙いを定めている。
水のブレス!?
ブレスは術では無い為、反射できない。
すぐに巳緒が地面を隆起させ、水ブレスを防ぐ盾を創る――――――が
なんと、ブレスは土の壁を撃ち抜いて来たのだ。
だが僕は既にそこには居ない。
巳緒が隆起させた土壁で視界が遮られた時に、視覚光を曲げ消えて見せ、その場から移動していたのだ。
貰った!!
ブレス直後の硬直で動けない処を狙い。背後から後頭部一撃する――――――
はずが、水葉が間に入り邪魔をした。
「母様に手を上げさせない」
「アホか!! 御津羽様を元に戻す為に、気を失わせて浄化するしかないって話を聞いてなかったのかよ!!」
「聞いていたけど……でも、やっぱり手を上げることは出来ないわ」
母親を想う気持ちは分かるが、今の御津羽様は穢れで我を忘れている。
暴れる御津羽様に、どうやって浄化を掛けろって言うんだよ。
水葉の気持ちも知らず、御津羽様がブレスの硬直から抜けだし、水葉ごと僕へ向けてブレスを撃ち放って来た。
くっ!!
避けている間が無いので、水葉に蹴りを入れてブレスの射線軸から外れる様に吹っ飛ばす。
僕の方も蹴った反動で、水葉と逆へ飛ぶ
「ほら見ろ! 水葉ごと撃とうとして、娘だと認識していない」
「それでも私は……」
メンドクサイ奴だな。
こうなったら二人とも、気絶させるしかない。
3本のペットボトルを開けエーテル麻酔を創り出すと、御津羽親子へ向けて解き放った。
そんなエーテルの中を、御津羽様は全速力で向かってくるが――――――
僕に手を伸ばした処で、ガクンと膝を折り、そのまま地面に崩れたのだ。
「き、効いてよかった」
あと1秒遅かったら、僕の首は絞めあげられていただろう。
「母様!!」
すぐに倒れた御津羽様へ駆け寄る水葉。
そう言えば、水葉は術反射の八咫鏡をもっていたんだっけか
術で創り出したエーテル麻酔なので、鏡が反射したのだろう。
「あまり揺らして起こさないように、寝ているだけなんだから」
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
「……大丈夫じゃないかな?」
「あんたねえ!」
そう言われても、神様相手に使うのは初めてだし。
たぶん穢れで暴走状態に成ってなければ、冷静に無効化しただろう。御津羽様は上位の水神だしね。
まさか効くとは思わなかった。
「二人とも良くやったのぅ。これで浄化が出来る」
水葉は邪魔してた、だけだけどね。
「淤加美様。この瘴気が濃い場所で浄化するんですか?」
「いや、貴船神社か瑞樹神社かのどちらかで浄化するのが良かろう。今なら瑞樹神社かのぅ、大勢の神が居るので、不測の事態に対処できるじゃろうて」
「そうと決まれば、早いところ行きましょう。眠りの術も人間と違い、いつまで効いてるか分かりませんしね」
と、その前に。
鳥居に外に居る、宮司さんと西園寺さんに経緯を話して――――――
「千尋君。終わりましたか?」
「ええ、なんとか。それで宮司さんなんですが、穢れの元になっていた御津羽様は連れ出すので、神社も元に戻るはずです」
「では、もう中へ入っても?」
「それが今直ぐという訳には……今夜一晩、何処かに泊まれませんか? 駄目なら瑞樹神社へ……」
「一晩ぐらいなら、実家が近くにありますので、そちらに泊めて頂きます」
「良かった。そうして貰えると助かります」
寝ている御津羽様を運ばなきゃならないからね。一緒に移動して、宮司さんまで穢れに汚染されても、木乃伊取りの木乃伊が増えるだけだから、他で泊まれるなら、それに越した事は無い。
宮司さんと別れた後、僕は御津羽様を背負うと、北関東へと龍脈移動した。
丁度神社の裏手に出て、滝壺の脇に寝かせるのだが
「淤加美様、どうやって浄化します?」
「通常なら水の中へ御津羽を沈めて、穢れが浮いて来たら水と一緒に浄化するのじゃが……水に入れた時に起きて暴れると手に負えぬのでな、千尋は滝壺を先に浄化し、変若水 擬きを創るのじゃ」
淤加美様に言われた通り、滝壺に手を突っ込むと、浄化を全開にし輝く水を創り出す。
「こんな感じでしょうか?」
「うむ。良いじゃろう。そこの御津羽の娘、御津羽をゆっくりと沈めるのじゃ」
「淤加美叔母様、沈めて大丈夫なんでしょうか?」
「お主の母は水龍であろう。水の中でも息ができるから大丈夫じゃ」
淤加美様に言われ、ゆっくりと母親を沈めていく水葉。
頭まで完全に水に浸かると、黒い滲みの様なモノが水面に浮かんでくる。
まるで、風呂場など排水溝のパイプ詰まりを、薬剤で融かした後の様だ。例えが綺麗では無いが、穢れの事なので仕方がない。
黒い滲みは直ぐに変若水によって浄化される。さすが擬きと言えども神話の和製エリクサーだ。
凄い効果。
黒い水が全部吐き出されたのか? 段々と浄化の水が勝っていき、水面は綺麗な月が写り込むほど清む事により、浄化が終了したことを告げたのだ。
「終わりましたね」
「うむ、ご苦労であったな。御津羽はこのまま目が覚めるまで、沈めて置けば良かろう」
「え? 布団に運んだ方が良いんじゃ?」
「水龍なら水の中の方が回復が早い。気が付いたら寝床を用意してやればよいのじゃ」
それは分かりますが……風邪ひかないかな?
水龍が水中で風邪をひくわけ無いのに、馬鹿な事を考える僕。
風邪をひく訳無いか……頭を振ってから、うちへ戻ろうと踵を返すと、水葉が突然に声を上げる。
「淤加美叔母様、千尋……どうしよう……弟が出来た」
「「 はい? 」」
水葉の腕の中に、10歳ぐらいの男の子が抱きかかえられていたのだ。
その頭には龍の角があり、紛れもなく水龍であることを物語っていた。
まさか……穢れを落としたら、神様が生まれたって言う神話のアレか?
僕と水葉は龍の幼子を見て、呆然と立ち尽くすしか無かった。