7-21 世界一の液体
「なんだ威勢が良かったのは、最初だけか……くっくっく……あーはっはっはっ! 手も足も出ないよな!?」
風穴の中でパーカー男の笑い声が木霊する。
攻める手立てが無いのも確かだけど、さすがに腹立たしい。
巨大黒ネズミの方は、羅盤の範囲である5メートルから出てこないので、属性キャンセルされダメージが通らない状況だ。
尊さんは長丁場になると踏んだのか、草薙剣の雷を抑えている。
無理もない。前回トンネルでの戦闘と違い、建御雷様が入った御魂開放状態なのだから、大技を放たなくも、どんどん氣が削られてるのだ。
そんな尊さんが、どうすんだよって視線を向けて来るので、足元の石を拾い上げると手に持った羅盤目掛けて――――――
思いっ切りぶん投げた。
所謂投石であるが、シンプルで面白味が無い、地味~な攻撃方法なんだけど……投げたのは、龍の力で投げているので、人間が投げたソレとは比較にならないほどの速度で飛んでいく。
もうそれは、立派な凶器であり、石火矢と変わらない
だが、如何せん。元々野球ボールすら投げたことが無い上に、運動が苦手なのだ。
そんな僕が投げた石は、真っ直ぐ飛ぶはずもなく。明後日の方向へ飛んで消え、破砕音だけが響いた。
どっかの壁に当たって砕け散ったみたい。
「てめぇ、危ねえだろ!!」
パーカー男の頬に赤い筋が出来ていて、もう少しで顔面にめり込んでいたようだ。
「残念、もう少しで方がついたのに」
「わざとか!」
いや、ノーコンだっただけだが、勘違いさせておこう。
一つ分かった事がある。投げた石が拒絶されずに通過したと言う事は、羅盤の持続時間はそれ程長くないって事らしい。
全属性拒絶を使ってから3分~5分と言った処だろうか?
まだ持ち主の意思でオンオフ出来るという事も否めないが、何の仕草も声も上げて無いので、勝手に時間が切れたと思って良いかもしれない。
効果時間が切れて、張り直す時がチャンスだ。
だが、投石で頬へ傷をつけられた事に腹を立てたパーカー男が――――――
「外から石を投げてオレが怖いのかよ! 正々堂々と掛かってこいや無能ども!」
あーあ。分かりやすい挑発だこと
だいたい、自分は羅盤の結界内に居ながら、巨大黒ネズミに護らせて置いて、正々堂々もあったもんじゃない。
当然、そんな挑発にのる訳もな……え?
「言わせておけば……日本一の祓い屋に向かって無能だと? 後悔させてやる!!」
安い挑発にのってるよ……しかも、関西1位の祓い屋が、いつの間にやら日本一に格上げしてるし。
自称日本一の祓い屋さんが、何やらゴニョゴニョ呪文を唱えているのを聞いて、念話で淤加美様が――――――
『いかん! あれは広域の土氣術じゃ』
『広域の土氣術ですか? 地震とか?』
『いや、地震ではないが……昔一度だけ、この身に受けたことがある。妾を空から引きずり降ろすのに使われた術じゃ』
そんな念話をしていると、術が完成した様で――――――
「地の御魂よ。深くその身を沈めよ! 超重力!!」
仙道さんがそう叫ぶと同時に――――――
「土氣を拒絶する!!」
とパーカー男も叫び、両者の攻守の術、まさに鉾と盾のぶつかり合う。
地面が超重力に引かれ陥没していくのだが、パーカー男の周り半径5メートルは何事もなく、そのままの形で残っていた。
つまる処。拒絶の勝ちである。
しかし、これほどの土氣大術でも拒絶の結界は抜けないのか……
そう思っていると、僕に念話が入った。
『千尋殿、少し横へずれてください』
『天若日子さん?』
『はい。千尋殿が射線軸に居ります故』
『射撃する気ですか? いくら神器天羽々矢でも、金氣を拒絶されたら……』
『拒絶される前に、羅盤を弾き飛ばします。人間の動体視力で矢を捉えた時には、声を上げてる間もなく撃ち抜けますから』
確かにH庫県淡路島からO阪上空の鵺を撃つのは、相当な発射速度であった。
まぁ、あの時はO阪上空の鵺が幻影だった為、矢は素通りだったけど……ここはその時みたいな外とは違い、狭い風穴内である。
速度だけでなく、天井や床から飛び出した岩を避けて隙間を通す技量も要求されるのだ。
しかも無風状態の洞窟でなく、ここは風穴である。場所によっては結構な風が吹き抜けていて、矢の飛行を邪魔してくるのだから、射撃要求レベルは半端じゃない。
だが、天若日子さんは弓矢の神業を持ち、神器まであるのだ。数百メートル先にある針の穴へ糸を通すように、神器の矢を岩々の隙間へ通してくれるだろう。
『分かりました。くれぐれも人間には当てないでくださいね』
『千尋殿よりは、上手く撃ちます故』
はいはい。ノーコンで済みませんね。
僕はセイとの合わせ技、ダークブレスを撃つときに開けたペットボトルの蓋を拾うふりをしながら、自然を装って射線軸から外れる。
刹那――――――
僕が蓋を拾うと同時に、さっきまで居た場所を天羽々矢が通り抜けていく。
これなら拒絶は間に合わない。
そう思ったが、黒ネズミが一斉に鳴き声を上げ、主に危険を告げたのだ!
動物の持つ勘であろうか? よく大地震や大噴火などの予兆で、動物が一斉に居なくなると言うが、たぶんそのような、一種の危険予知の様なモノを発動され――――――
「金氣を拒絶!!」
間一髪! パーカー男の目と鼻の先で拒絶され、神器の矢は羅盤結界の外へ弾き飛ばされたのだ。
「あのネズミ! 遥か手前で、射撃に気が付きやがったな!」
僕の頭の上に乗るセイが驚きの声を上げる。
「小動物ならではの、危険予知でしょ。大災害の前には、鳥やネズミが居なくなるって言うし」
だがこれで、遠距離からの射撃も不可能という事になった。
香住が、どうにか懐へ飛び込めないか狙っているようだが
相手はボクシングか、キックボクシングの使い手である。僕自身が格闘技の素人で、何が違うか分からないけど、かなりの使い手である事は確かだ。
無暗に懐へ飛び込めば、手痛いしっぺ返しを貰うのは、目に見えて分かる。
香住の肩に乗っている淵名の龍神さんへ、香住を止めるよう念話をして釘を刺して置いたが、あの香住が待ちきれず飛びかかるのも時間の問題だ。
かと言って、考えなしに攻撃したのでは、仙道さんの二の舞を踏む。
対消滅でも無理だろうなぁ。
それに、対消滅なんて使えば、真上の霊峰富士が地図から消えるはめに……それだけはマズイ。
意表をつくと言う点なら、水から水素に分解して圧縮着火という術もある。
水だと思って水氣を拒絶させ、実は爆発なので火氣という騙しの術。
問題は、水素爆発で羅盤以外も吹っ飛んじゃうって事。さすがにパーカー男の黄泉送りはマズイ。
他に何か良い手が無いかと考えていると――――――
『なあ千尋。今日学園で創ってた小瓶を使わないのか?』
『あれ? あれかぁ……正直いうと、使いたく無いんだよね』
『良いじゃねーか。爆発もしない、毒のように人体にも影響がない。ならば躊躇する理由はあるまい』
『そうなんだけどさ……僕らも被害を受けるからね』
『被害って……害は無いって言っただろ?』
『害というか……んーまぁいいや。後悔するなよ』
僕は水で厳重に包んだ中から小瓶を出すと、それをパーカー男に向けて放った。
「みんな! 外へ出て!!」
僕はその一言だけ言い放つと、踵を返して風穴へ入ってきた時の入口へ向かう。
途中でセイが青い顔になり、口と鼻を押さえるが、完全に息苦しそうだ。
「はんは、こおひおひ」
鼻を摘まんで、口で息をしながら言ってくるので、言葉が良く分からない。
そんな僕らの横を、セイと同じように鼻を覆いながら出口へ駆けていく香住や小鳥遊先輩達。
我ながらすごい効き目だ。
このままでは話せないと思ったのか、セイが念話に切り替え――――――
『何だこの臭い』
『これは世界一臭い液体、チオール』
『せ、世界一? 何でお前は平気なんだよ』
『水を鼻から肺まで入れてるから、臭いは感じ取れ無いのさ。水で呼吸できる水龍ならではの呼吸術。酸素ボンベならぬ水ボンベ』
『狡い奴め、前もって言ってくれれば俺だって……』
『ごめんごめん。しかしこれなら属性じゃないし、拒絶できないでしょ?』
そう、一度パーカー男と戦っているから、五行と陰陽に含まれない、臭いならイケると思い。作成していたのだ。
かなり臭うので住宅が密集する町では使えないが、ここは樹海の中にある風穴である。
そのため民家までは結構な距離があり、使用可能だったという事だ。
『こいつは凄いな……あのシュールなんちゃらとか言う、鰊の缶詰より凄いな……栄養あるけど……』
『あれより凄いからね。鰊の缶詰は開ければ部屋が臭うだけだが、チオールはもっと酷い。昔誤ってこぼした研究者が居て、締め切った研究所の排気口から外へ出た臭いは、半径200メートルにも及んで吐き気を起こさせたとして、テロと勘違いされ街がパニックに陥ったとのことだ』
『こんなもん創るなよ』
『いやぁ、属性結界を抜けるとなると、他に思い付かなくてね。さすがの羅盤も、臭いまでは拒絶できないでしょ』
そうセイに念話を送ったところで、丁度外へ出た。
外では噎せる様に咳をする仲間が、涙目になって睨んでくるので
後が怖いな……
水龍以外では、前もって話したとしても、水呼吸できないし。
まさか宇宙飛行士が着るような完全武装で、足元の悪い風穴を歩かせるわけに行かないからね。難しいモンだ。
そんな時、首筋に冷たいモノが……何だろうと手を当てて触ってみると、カチューシャに化けた巳緒が半分変化が解けて、だらりと力なく垂れ下がっていた。
うあああ、巳緒! と声を上げようとして、自分の気道に水が詰まってる事に気が付いて、慌てて吐き出した。
この状態だと水中に居るのと一緒で、声が出せないからね。
鼻と肺の水を全部出し終わると、巳緒を介抱しようと手を伸ばすが――――――
急に巻き付いた部分が僕の喉を絞め上げた。
「ぐ、ぐるぢぃで……」
「千尋嫌い。危うく黄泉へ行く処だった」
黄泉へ行きそうなのは僕なんですが……そう言えば黄泉……出入り禁止だったな。この場合何処へ行くんだろう……
慌てて降参だと意味を込めて、巳緒の身体を手で叩く。
すると、どうにか落ち着いた巳緒が絞めていた尻尾を緩めてくれたので、許してくれたと思いきや
どうやらそうでは無く、風穴から出て来る人影を睨んでいるようだった。
もはや呼吸することも、ままならない感じのパーカー男が、少しでも新鮮な空気を肺に取り入れようと口をパクパクしている。
途中何度もえずき乍ら必死に風穴から離れようと、生まれて1歳の赤子の様に四つん這いで、転がって来るが、そんな状態でも手にはしっかり羅盤を持っているので大したものだ。
そこへ香住が現れて、パーカー男の背中に馬乗りになると、そのまま顎をもって引き上げた。
馬乗り固め、駱駝固めとも言うプロレス技だ。容赦ねえ……
元々、チオールの臭いで呼吸困難であったパーカー男は、あっさりと気を失い、御縄に着いたのだ。
こうして今回の騒動は、香住にオイシイ処を持って行かれると言った感じで幕を閉じた。
「全部、嬢ちゃんに持ってかれたな」
「ずっと技を掛ける隙を狙ってたみたいだし」
何とも満足そうに、Vサインをしている香住を見ながら、僕とセイが呟いた。
パーカー男は、文字通り縄でぐるぐる巻きにされ、気絶から復活したが――――――
「こんな勝ち方認めねーぞ、ゴラァ!!」
気持ちは分かる。
小瓶投げつけられ呼吸困難になり、目が覚めたら終わってましたって、納得いかなくて喚き散らしているから。相当悔しかったのだろう。
世界一臭い液体の入った小瓶を投げたの僕だけどね。
嗅覚の鋭い生物には効果覿面だな。イヌ科である狼ハロちゃんとか、鼻がもげるかも?
逆に鰓呼吸をする水棲生物には効かないだろうけどね。
さて、パーカー男に龍脈を戻して貰おうと思うのだが――――――
負けを認めて居ないって事は、龍脈を戻すどころか、再度戦いを仕掛けてきそうだし。
となると、羅盤を渡すのは危険だ。
僕がやるしかないのかな?
そう思い、羅盤の行方を探そうと見回す――――――
「さすが瑞樹くん」
この声は聞き覚えがある。確か京の都で聞いた……
「神農原 真……」
僕が答えるよりも早く、西園寺さんがそう答える。
「久しいな、仁」
「あぁ、お前が病院を抜け出してから7年ぶりでしょうか?」
「もうそんなになるのか……早いものだ。なにせこの身体は、儀式事故の影響で歳を取らぬ故な」
「その為に、病院へ連れて行ったのに抜け出して……」
「病院とは名ばかりの研究施設だったからな。お偉いさんは不老にしか興味が無いらしく。体のいいモルモットとして、扱われただけだった」
「世間には、その復讐をしているのか?」
「まぁそれもあるが……もっと大事な事の為に動いている」
神農原真こと、晴明さんがそう言うと、羅盤が浮き上がり光り出したのだ。
せっかく終わったのに、何が始まるんだろう。