7-18 月夜の晩に舞い踊れ
瑞樹神社の裏側
本来なら禊をする滝壺の前で、儀式の準備が粛々と進められている。
山に囲まれたこの場所では、日が落ちるのも早く、すでに夜の帳が降り星が夜空に瞬いている。明るい都会では中々見れない情景だ。
やがて、儀式用に積まれた薪へ火が着けられ、暗かった辺りも赤々と光を照らされる。
「この場所も随分と狭くなったな」
「隣に御酒の醸造小屋があるし、家庭菜園の畑もあるからね。普段は禊ぐらいにしか滝を使わないから気にしてなかったけど、セイの言う通り、踊るにはちょっと狭いかも」
普通に行き来する分には問題は無いが、踊るとなると勝手が違ってくる。少しでも気を抜くと滝壺の中へ落ちてしまいそうだ。
「神酒はあるな? それから……大き目な盥と八咫鏡」
淤加美様が空中を飛びながらチェックを入れる。
「盥は荒神狼ハロちゃんの水浴び用の盥だけど……外気温も落ちて、肌寒くなったんで使ってないんですよ。これじゃ駄目ですか?」
「……もうちょっと、こう……適したものが無いのかや?」
「あとはお風呂場の洗面器かな?」
「盥で良い。八咫鏡は?」
淤加美様が見わたすと、懐から鏡を出す水葉が――――――
「ちゃんと、ここにあります叔母様」
「うむ。では儀式の詳細を説明する。まず宇受賣殿に踊って貰い、この場所に氣溜まりを創って貰う」
「はーい、淤加美先生! 質問です。氣溜まりって何ですか?」
「そうか千尋達、若い龍は知らぬのか……氣溜まりは、その呼び名の通り氣が溜まった力場であり。宇受賣殿の踊りによって引き寄せられた、地霊や木霊など自然の霊達の集まりじゃ。それらも八百万の神々じゃから失礼の無いようにの」
「少し前に、鹿島神宮で鯰と戦って、穴とか色々直すのを手伝ってくれた精霊みたいなのでしょうか?」
「うむ。元々すべての物に神が宿るとしたのが日本の古神道じゃからのう。ちなみに古神道では、磐の霊をイワツチ、木の霊をククノチ、水の霊をミツチなど、語尾にチをつける様な呼び方をしたのが日本の精霊じゃ。そして全ての物と言うからには、対象は自然物だけではない。五行で言う金氣に該当する金属にも当然霊は宿り、刀をタチと呼ぶのも、そこから由来しておるのじゃ」
「という事は、今回の宇受賣様の踊りで、その精霊達を呼びよせ、この場に特殊な神域を創ろうと言うんですね?」
淤加美様の脱線した話を戻し、要約した。
「うむ。千尋への説明は、のみ込みが早くて楽じゃな。神域の外と完全に隔離された空間になるので、邪魔になるモノっが一切入り込まず。純粋な占い結果が出るのじゃ」
そこまでして精度を上げようという訳か。普通神社の敷地内……鳥居の内側であれば神域になるので、邪なモノは鳥居の中へ入れないのに、その神社の神域の中に更に神域を創るなんて……徹底している。
「ん? 淤加美様。隔離された空間って言いましたよね?」
「言うたぞ。勿論、隔離されているのじゃから、しばらく誰も出入りができぬ。くれぐれも忘れ物は無いようにの。トイレは行っておくのじゃぞ」
淤加美様、それで念入りにチェックしていたのか。
僕と淤加美様の話を聞いていた水葉が手を上げて、トイレに向かって行った。
そんな水葉と入れ違いで、西園寺さんが現れる――――――
「すみません遅くなりました。千尋君、儀式は?」
「これからですよ。今淤加美様に儀式の流れを聞いていたんです」
「良かった間に合って……いやぁ、神々の儀式に立ち会える機会なんて、普通はありませんからね。もの凄く楽しみだったんですよ」
「西園寺さんも? 僕も楽しみなんですよ。あの天照様を岩戸から引っ張り出した踊りが、どんなものかなぁと思って」
少し経つと、水葉が戻ってくる後ろに、沢山の神様や香住が続く。
「結局みんな参加なんだ……」
「私だって見たいもの。ねえ和枝御婆さん」
「うむ。一生に一度、見れるか分からんしのぅ」
婆ちゃんまで一緒になって頷いている。
香住は、レジャーシートを敷きながら、持って来た料理を並べて、神様達にお酌をしているが、まるでお花見の宴会場だ。10月下旬に入るので、時期的に落ち葉ばかりで花は無いけど……
舞いを使った占いの儀式というより、舞を見るのに集まった野次馬と言った方がしっくりくる。
そんな時に淤加美様が――――――
「時間が勿体無いし、始めるかのぅ」
「淤加美様、ちょっと待ってください。龍笛とか太鼓とか要らないんですか?」
「千尋は吹けるのかや?」
「……ずっと舞い専門でしたから、吹けません」
「じゃろうの、そこで……神楽の録音を機械で再生する」
そう言って淤加美様は、タブレット端末を掲げて見せる。
「なんか一気に御利益が無くなった気がします」
「今回必要なのは舞じゃからな。そこは……ほれ、臨機応変ってヤツじゃ」
とってつけた様な言い訳だが、奏者が居ないのも事実。
仕方がないのかな? と思っていると、再生の仕方が分からずに、子狐ちゃんズに聞いている。
ゲームは出来る癖に、その他には疎いんだな。
やがて端末から流れて来る――――――
踊れるクラブ? で流れるようなテクノ音楽。
「え? バブル期に流行ったディスコ……ですかね?」
「西園寺さん。僕に聞かれても、バブル期はまだ生まれて無いですって」
僕と西園寺さんは目が点になり、二人同時に呟く言葉は――――――
「「 思ってたのと違う 」」
そんな僕らとは違い、盛り上がる神様達と宇受賣様。
榊の葉を器用に振り回しながら、踊りを舞っている。
時々、盥に汲まれた神酒に榊の葉をつけては振り回し、神酒の雫を振りまいて踊る宇受賣様。
雫が地面に落ちる度に、黄金色に輝きを上げて、どんどん神氣が上がって行く。
奇跡に立ち会ってはいるんだ……しかし……なんで、テクノ系!?
良いのかこれで?
僕の心配も他所に、古代と現代との間にある五千年以上の時間差が、古代の踊りと現代の音楽でゼロになり重なる。
しかし……よくもまぁいきなりで、現代のノリに合わせられるものだ。さすが芸能の神の神格は伊達じゃない。
舞いが激しくなるにつれ、周りの神様も歓声も大きくなり、周りの神氣も一層に濃くなって行く。
滝壺の水霊や地面の磐霊が喜んでいるのが分かる。
そして一曲、完全に踊りきると、場の光が昼間と間違える程の明るさを放ったのだ。
「見事!!」
「さすが宇受賣殿!!」
拍手喝さいが起こり、宇受賣様が薄っすらと桜色に火照った身体で、お辞儀をする。
どうやら踊りの儀式は上手く行ったようだ。
宇受賣様は、そのまま労いのお酌を受けながら、レジャーシートに腰かけると、次は我々の番とばかりに、淤加美様が出て来る。
「次は月の明かりを八咫鏡に集め、滝壺の水面に反射させよ。今宵は満月ではないが、これだけの神域を区切ったのじゃ。上手く行くじゃろうて」
淤加美様に言われた通りに、水葉が月の光を八咫鏡で水面へ反射させる。
「淤加美叔母様、何も映りませんよ?」
「まだまだこれからじゃ、次は千尋。盥に残った神酒を滝壺に注ぐのじゃ」
「全部入れちゃって良いんですか?」
「うむ。あまり水面に波を立てぬ様にの、波紋を立てすぎると、波が収まるまで待たねばならぬ」
なるほど、ならばゆっくり、波を立てぬ様……少量ずつ注ぐと――――――
水面に反射してできた月の中に、風穴の入り口が映り込んだのだ。
それを隣でタブレット端末に録画している子狐ちゃん達。
さすが霊狐、抜かりはないな。
「しかし……画像が入口に近すぎて場所が分からないですね。もっと引いた画像が出ないんでしょうか?」
「出る筈じゃぞ、もっと八咫鏡を滝から放して、月を遠くから反射させて見よ」
淤加美様に言われるまま、八咫鏡を持った手を空へ伸ばし、背伸びをしながら数歩下がる水葉。
「お!? 縮尺が変わった。もうちょい引けない?」
「無理言わないで瑞樹千尋! もう……限界よぉ……」
見るとプルプル震えて爪先立ちの水葉が、少し涙目で限界を訴えている。
あれ以上、伸びるのは無理だな
そんな時、西園寺さんが僕の脇に立ち――――――
「これは樹海の中みたいですね」
「だから今まで見付からなかったんでしょうか?」
富士の樹海は方向磁石が狂い、方角が分からなくなる為。入ったらまず出れないと言われる。
更に木々が日光や月明かりを遮る為、太陽の位置や星読みによる方角も役に立たず、唯一戻る手段は樹海の入り口の木にロープを括りつけて樹海へ入り、帰りはそれを手繰り寄せながら戻る以外にないのだ。
今は性能の良いGPSがあるからね。それで位置を確認しながら行けば大丈夫である。
性能の良いGPSが無い時代に、迷って出れなくなった人の地縛霊が出ると言われているが、そんなのに出逢うのは御免被りたい。
西園寺さんが、風景に心当たりがあるという事なので、僕らは其処へ行ってみる事にした。
駄目なら子狐ちゃん達が録画した画像があるしね。
問題は――――――
「誰が一緒に行く……と聞く前に、昨日の二人は行く気満々ですね」
「当たり前だろ! あのパーカー野郎に殴られた、お返しはしないとな」
「私も行くわよ! 母を病気にした、あの人間には借りがありますもの」
パーカー男に因縁のある尊さんと水葉は行くと、あとは――――――
私も私もと笑顔で自己主張してくる香住。
「香住も行くのね。あとは……」
天若日子さんも行きたそうだなぁ。黄泉行の時は留守番して貰ったし、今回も留守番って言ったら落ち込みそうだ。連れて行こう
「儂も行くぞ! 相棒の尊と一緒に、打ち倒してやろうではないか」
建御雷様も名乗りを上げる。
「建のオッサン……」
二人が息の合う良い相棒なのは分かってますが
いくら伝説の羅盤があるとしても、ただの人間相手に、大仰過ぎませんかね。
僕は一応確認として――――――
「昨日も夕ご飯時に話しましたが、相手は羅盤を使い、五行を操って来ます。その時に属性を潰されるのですが……おそらく潰せる属性は1つ~2つだと思います」
「ほう、その根拠は?」
「五行の全属性が潰せるなら、最初から全の氣を拒絶するはずです。それを毎回こちらの属性に合わせて拒絶を行っていました。2つと言ったのは、セイとの合わせ技、闇水のブレスを使った時に闇と水の2属性を拒絶したので、最高2属性の拒絶が使用できるものだと思われます……あくまで僕の推測にすぎませんが」
「なるほど、なら3属性以上で攻めれば、羅盤の理を抜けるという事じゃな?」
「もう一度言いますが、あくまで推測にすぎません。それに……あの時の羅盤は、紛い物だと言っていました。今回の羅盤がもっと精度のあるものだとすれば……」
「3属性も潰せる可能性もある……ということか?」
「えぇ。もっと凄い事まで起こせるかも……」
そこへ天照様が――――――
「ならば千尋よ。天之尾羽張を持って行くが良い」
「しかし、金氣を潰されたら斬れませんよ。あの草薙剣ですら玩具同然の切れ味になってましたから」
そもそも服すら斬れなかったし。あれじゃあ大根も斬れないぞ。
「その様子じゃ、知らぬ様じゃな……天之尾羽張のもう一つの真名を」
「もう一つの真名? 神生みの剣じゃないんですか?」
「その名は光側の呼び名。もう一つの名は、加具土命を葬った神殺しの剣としての闇の剣じゃ」
「神殺しの剣……」
「高淤加美神と闇淤加美神の光と闇を内包する御主なら、両属性が穢れにのまれずに使える筈じゃ」
「もし……のまれたら?」
「その時は、祟り神に堕ちるじゃろうて」
「洒落に成りませんよ」
「妾の母、伊邪那美も内包して居るのじゃろう? 伊邪那美命も、太陽の昇る光の国を生み出しながら黄泉の闇へ落ちた光と闇を持つ神じゃ。御主の力に成ってくれよう」
「理屈はそうですが……」
祟り神になるのは怖いな。
「まぁ刀身に氣を通して、危ないと思ったら止めるが良い」
朗報を待っておるぞと言い残し、いつの間にか解けた神域を出て、神社の表の方へ歩いて行ってしまった。
天照様は、一緒に来てくれないのね。
そこへタブレット端末を持って西園寺さんが――――――
「地図アプリを開いてあります。おそらく……この辺りかと。まだ藤堂が自衛隊を辞める前に、富士の演習を見に来いと言われまして、その時に樹海を散策してて発見したんですよ」
「演習見ないで何やってるんですか!」
「いやぁ。こう見えてボクは臆病なんですよ。演習は砲撃の音とか凄くて……逃げ出してしまいました」
絶対嘘だ。京で晴明さんのアジトへ突入する時に、藤堂さんの隣で指揮してたり、逆さハルカスなんか自分で小隊率いて最下層まで行った人が、今更何を言うか
食えない人だが、今は追及しても仕方がないので――――――
「じゃあ、その場所へ行ってみましょう。忘れ物は無いですか?」
全員が準備万端という事なので龍脈を開く。
曲げられた龍脈で、何処まで近寄れるか……
そんな心配も他所に、風穴の目と鼻の先へと出ることができたが――――――
「千尋! 危ない!!」
香住の声に振り返ると、パーカー男とは違う人間が、木の上から刀を構えて降って来た。
まさか……パーカー男に仲間がいたのか? くっ、待ち伏せとは……
尊さんが龍脈酔いで動けない隙を狙われて、僕は斬りかかられたのだ。