7-11 事後報告
北関東に帰ると、黄泉に行った全員で滝行をする。
所謂、禊と言うヤツだ。
まだ氷が張る季節ではないのだけど、10月半ばの早朝と言うだけあって、かなり冷たい水に身を引き締められる。
あと2週間ちょっとで11月になり、そうなれば立冬だものね。寒いわけだわ
11月は旧暦の神無月であり。一ヶ月丸々出雲へ行くのは免除されたとは言え、最低1日でも出雲へ挨拶に行かなきゃならない。
強制参加では無いとはいえ、国津神への就任後初の挨拶なのだから、後顧の憂いを無くす為にも、素直に出ておいた方が無難だ。
という訳で僕には限られた時間で、やる事は山積している。
禊で滝に打たれるのは、水神の龍なので冷たいモノに耐性があり、僕とセイは平気なのだが……他のメンバーである、オロチ2名と鬼1名と狼1名はかなり効いている様だ。まぁでも酒呑童子は……それほどでもないのかな?
筋肉は熱を発するから、身体が温かいのかも知れない。
その代わり、摂取したエネルギーを消費する代謝が凄いので、太らないんだよね。
羨ましい限りだ。代わりに燃費が悪そうだが……
そんな4名には寒い中で可哀想だが、神社へ黄泉の穢れを持ち込ます訳には行かないので、禊だけは絶対譲れない。
幸い、伊邪那岐様の様に禊で神様が生まれると言う事はなく、普通に滝行を済ませただけにとどまった。
淤加美様の話では、須佐之男様の処で邪気を払う聖なる桃を食べて来たせいもあってか、殆ど穢れが浄化されていたのだろうと言う事だ。
殆どと言うのは、服に着いた穢れは残っていると言う意味らしい。
汚れたら脱げば済む僕とは違い、鱗を変化させたようなオロチ達は、自分の身体の一部を脱ぐわけにいかず、こうして禊に入ってると言う事だ。狼ハロちゃんも地毛だしね。
酒呑童子に関しては、鬼なので鱗という訳では無い。だから僕と同じく服を脱げば良いんだが、御先祖様と一緒に入ると聞かないので、何故か嬉しそうに壱郎君と一緒に滝に打たれている。
そんな所へ、香住が全員分のタオルを持って来てくれて――――――
「朝っぱらから大変ね。はいタオル、千尋の方は急がないと遅刻するわよ」
「はぁ……忙しい事で」
なんかまともに寝てないし、最後に寝たのはいつだったか……
「禊も済んだし、早く中へ入ろうぜ。タオルだけじゃ寒くて」
「根性の無い蛇め。俺なんか全然平気だぜ」
「セイは水龍でしょ。こんな処で喧嘩売らないの。それから壱郎君、ゾンビに噛まれた所見せて」
「え!? い、良いよ別に放って置けば……傷口は再生で塞がるし」
「ムキになって否定する処が妖しいなぁ、そのうち毒が回って蛇ゾンビに変わるぞ」
「蛇ゾンビって……映画じゃあるまいし……でもほら、化膿すると大変だから」
普通の傷なら、壱郎君は再生を持ってるし、そこまで心配はしないのだが、相手が黄泉のゾンビだと話は別だ。
あれだけ腐った食べ物や、穢れた水だらけの、不衛生な場所に住んでいるゾンビに噛まれたのだ、毒耐性はあっても破傷風なんてモノに成ったらマズイし。
「本当に大丈夫だって」
「そんなの見てみないと分からないだろ?」
「コイツ、ゾンビに噛まれた場所が尻だから、恥ずかしがってるんだぜ」
「この水蜥蜴……余計な事を!」
「なんだ……そんなの気にする事ないのに、僕は元人間の男子なんだよ。そっちのが見慣れてるから平気だし」
女子より男子の裸のが慣れてるし、小さい時に裸で正哉とよく川で遊んだものね。小魚とかとったり……
「雌龍は平気でも。オレが恥ずかしいんだ!!」
「神話の化け蛇が、何を恥ずかしがってるんだか……時間も無いし、ほら半ずらしで良いから診せてみなよ」
「分かったから近寄るな! 離れて診ろよ」
壱郎君は観念したのか、半分だけズボンをずらして傷を見せて来る。
蛇皮を服に変化させてる癖に脱げるんだ……これが本当の脱皮か?
半ずらしで最低限だけ傷口を見せたので、浄化で殺菌をしようとしたけれど、既に再生で粗方治っていた。
化膿はして無いみたいだし大丈夫か……
「一応軟膏でも塗っとく?」
「人間の薬なんか効くかよ」
ごもっとも
尻まで見られて酷い目にあったぜ、と言いながら居間へ向かう壱郎君たちを他所に
僕は自室で制服に着替えて、朝食に向かうと――――――
「おう雨女、外の掃除は終わったぜ」
「尊さん。ありがとうございます」
「それよりよ。今日は緑の姿が見えねーな」
「小鳥遊先輩は御実家に戻られましたよ。四国土産があるとかで」
「なに!? 昨日寄った時に貰ってねーぞ」
「すぐに雅楽堂へ移動しましたしね」
「あぁ、あの何でも屋か……」
「何でも屋? 呪いの道具や材料を売ってるだけじゃないんですか?」
「なんだ知らねーのか? 道具や材料の他に、祓い師の派遣もやってるんだよ。そう言った超常現象の類に悩まされてる客の依頼も受けててな。手数料は取られるが、それでも有り余る程の報酬が受けれる」
それであの呪いの箱の解呪依頼を受けたのか……
ちょっと待てよ……たまたま2千万がポン吉くんの葉っぱだっただけで、もし本物だったら、タダで僕に解呪させて、店主のマヤさんボロ儲けじゃんか!
しかしまぁ、お金のやり取り額が高額過ぎて、感覚がおかしくなりそうだわ。
先輩がブランドの下着屋に入ってたのも納得だ。
あの先輩が着ている黒の服も、オーダー掛けて何着も同じの持ってるって言ってたし。
大型スーパーの安売りの服を買ってる僕とはエライ違いだ。
服を買っても、殆ど巫女装束で事足りるしね。あとは制服さえあれば困らないし。
尊さんと話しながら、居間へ向かうと――――――
「何だかまた増えたな。神様の類か?」
「えっと、赤城の龍神さんと神木先輩が来てるんですね。おはようございます」
「千尋さんおはよう。先日赤城に湧いたムカデを退治を手伝ってくれたので助かりました。お礼に、ハムを持って来ました」
「お歳暮みたいだな」
「うっさいわ! セイ龍に持って来たわけじゃない! 千尋さんに持って来たんだ」
「ありがとうございます。ハムは日持ちするし、この辺りは豚肉が盛んですからね。ありがたく頂戴します」
「喜んでもらえてよかった」
「じゃあ紹介も済んだし。朝ご飯に――――――」
「ちょっと! 瑞樹千尋!! 今わざと無視しだでしょ!?」
「なんだこの雌龍2号は? 馴れ馴れしい」
壱郎君が胡散臭そうな目でツインテールの少女を見ている。
僕もあまり見ないようにしていたのだが
呼んでも居ないのに、チャッカリ座り込んで席についているツインテールの龍が一名。
そう、高天ヶ原から八咫鏡を盗み出した水葉である。
本人は盗んだんじゃなく、借りただけだと言っていたが……黙って持ち出せば同じ事だ。
「はぁ……それで、闇御津羽様の娘がどうしたのよ?」
「面倒臭そうに言わないでよね。どうせ儀式するまでウチに居ても仕方がないんだし、ここへ来て待とうと思っただけよ」
「とか何とか言って、野菜だけの食事に飽きたのじゃろ?」
「淤加美叔母様!」
「恥ずかしがる事は無いぞ姪っ子よ。肉や魚の味を知らずに野菜を食べるのと、知ってしまって野菜しか食べれないは、大きな差があるからのぅ。我慢するのも辛いじゃろうて」
一度知ってしまった肉や魚の味が忘れられなくて、食べたいのだけど穢れが溜まり祟り神になるのも怖いと?
それで浄化の水が創れる僕の居る社へ来たわけか……納得。
「浄化の水で御茶を淹れるのは良いけど、水葉も水の龍なんだし、自分で創ればいいのに」
あれ? なんか皆の視線が僕に集まってる? なんで?
「千尋……お主は自分が希少種だと言う事を自覚した方が良いぞ」
「そうよ。淤加美叔母様の言う通り。私達には水を浄化できても、その水に力を与えることは出来ないわ」
「え? 浄化できるなら、それで問題ないんじゃ? そもそも水神自体が、穢れや呪い……更には、憑き物や厄まで綺麗な水で洗い流すという御神徳により、人間がお参りするんでしょ?」
淤加美様の場合はその他に、降雨神としての御神徳もあるので、雨が降らないで困る時はお願いすると雨を降らせてくれる。
「分かっておらぬな……良いか千尋、浄化して綺麗な水は創れるが、その水を飲んだ者の身体の中までは浄化はさせられないんじゃぞ。あくまで身体の外に憑いた悪い氣を洗い流すと言うのが、本来の水神がなせる技なのじゃ。そもそも体内まで治せたら、世の中医者要らずになってしまうじゃろうが」
ごもっともな意見です。
では何か? 僕の場合、外傷の治療だけでなく、飲ませて解毒とか体内を回復する水を無意識に使っているのだから、ゲームなんかで言う回復ポーションなんてモノも創れるって事か?
今度試してみるか……上手く行けば、雅楽堂さんに売れるかも知れないし、そうなれば売ったお金で神社の壊れた場所を修復なんて事も出来そうだ。
「とにかく、そんな奇跡みたいな事、神でも容易くは出来ないんだからね! しかも調合もなしに、タダの水から創りあげるなんて、まったく信じられないわ」
「この間も言ったが、御主は変若水を創れる手前まで行って居るのじゃ。あれは月読殿の専売特許じゃからのぅ。それを再現出来れば凄い事じゃぞ」
そんな水葉と淤加美様の言葉を、黙って聞いていた天照様が――――――
「まぁ変若水の再現は、専売特許を取られる訳じゃから、妾の弟である月読が黙って居らぬじゃろうがのぅ。アヤツは見た目冷静そうで、キレると怖いのじゃぞ。なにせ保食神を切り刻んだしのぅ」
古事記には無いエピソードで、日本書紀だけに書かれている保食神斬りか……
確かに激昂すると怖い方だわ。
敵に回さない様に気を付けよう……
改めて、皆で頂きますを言って朝食をとる。
今朝のメニューは秋刀魚が主菜として鎮座していた。
8月初めに僕が焼いた奴より、10月の秋刀魚の方が身がふっくらして美味しそうだ。
そんな秋刀魚に舌鼓を打ちながら、尊さんが――――――
「なぁ雨女。なんか、こう……民俗学の題材に成りそうなモノないか?」
「え? レポートはもう大学へ提出したんじゃ?」
「いやな、及第点はもらったんだが……何と言うか……教授が、今一つパンチが足りないって言うんだよ」
「パンチねぇ……」
僕と尊さんの会話に、セイが――――――
「だったら昔話の桃太郎の原型になった、鬼之城の話をしてやったらどうだ?」
「鬼之城!? なんだそれ、普通は島じゃないのか?」
「昨夜行って来たんだよな。千尋」
おまっ! セイ!! それ言ったらダメな奴!!
「ちょっと千尋……昨夜って? 勉強してたんじゃないの?」
「えっと……何といいましょうか、ねぇ香住さん……」
言い訳を考えるが何も浮かばないので、引き攣った笑いで誤魔化していると、残念な事に香住の顔が笑ってない。
これは非常にマズイ事態だ。
昨晩、勉強頑張ってテストを乗り切ろうって、香住と分かれたのに、結局これだし。
「それでよ雌龍は、抜き取られた人間の魂を戻す為に、黄泉まで行って来たんだよな」
「ちょっと! 壱郎君まで何言ってるのさ」
くっ……尻を見られた意趣返しか?
「しかも黄泉を浄化しかけて、出禁にまで成ってるし。前代未聞だろ?」
「なんだよ雨女、そんな面白そうな処へ行ってたのかよ。しかも、出禁って」
「も、もう良いでしょその話は、すでに終わった事だし。早く朝ご飯食べちゃおうよ」
すると天照様が、婆ちゃん秘蔵の時代劇の録画を一時停止し、僕の方へ視線を向けると――――――
「黄泉まで行ったなら、妾の母……伊邪那美命に逢わなんだか?」
「お逢いしましたよ……神話通り、死人のゾンビになって居られました」
「そうか……父である伊邪那岐命も、さぞ驚いたであろうな」
姿を見て逃げ出したのは薄情ではあるが、その事は娘である天照様には、言わぬが花というヤツだな。
「でもよ。分霊とはいえ伊邪那美命を連れ出せたのだから、良かったじゃねーか」
オイ! 壱郎君!!
結局、全部話しちゃったし。
口止めして置かなかった僕も悪いんだけどね。
「なぬ!? 母上が居られるのか?」
「居られると言うか……前から居たと言うか……それを話すには、7年前の出来事から話さねばならないんですよ」
「妾は構わんぞ」
「それだと学園に遅刻しちゃうし、僕が構うんです。それに伊邪那美様は、須佐之男様とのやり取りで消耗されており、今休んで居られます」
「と言う事は、千尋の中に居られるのじゃな?」
「まぁ、そういう事になりますね」
「むむむ。あの弟、須佐之男が話相手では、母上もお疲れであろう。妾もお話したい事は山ほどあるが……ここは母上の御身の為に、引き下がるしかあるまい」
凄く悔しそうに目を伏せる天照様。
こうなるのが分かっていたから、忙しい今は話したくなかったのに……セイと壱郎君め。
まぁバレたら仕方ないけどね。
本当は、もっと落ち着いてから話そうかなって思ってたのにさ。
過ぎた事は仕方がない。
今は早く学園へ行って教科書を丸暗記せねば……
そんな時に香住が――――――
「ちょっと千尋。今の話だと、睡眠も碌にとってないでしょ? そんなのでテスト大丈夫なの?」
当然心配されるわな。しかし……
「大丈夫……だと思う。龍に成ってから記憶力が上がってるし。何より、秘密兵器のコレがある!!」
僕は鉛筆が5本入った袋を取り出す。
その袋には合格祈願と文字が書かれていた。
僕の鉛筆を見た天神様が――――――
「それは? まさか太宰府天満宮の合格鉛筆!?」
「そうです。実は去年の学園入試の少し前に、正哉の両親が九州へ旅行に行って、お土産に買って来てくれたんですよ」
「それ、私も去年貰ったわよ。結局は神頼みじゃない!」
「甘いな香住。僕はこの半年、御神徳を自分自身で実感したんだぞ。しかも今回は、天神様が目と鼻の先に居られるのだよ。御神徳があって然るべきでしょ」
僕は鉛筆を捧げ持って、天神様を拝むとセイが――――――
「なぁ千尋。神が神を拝んで、御神徳があるのか?」
セイの問いに天神様が
「まぁ普通は神同士、対等な立場ですから、御神徳はありませんね。しかも日本を産んだ上位神の伊邪那美命を内包してるとなると、まず私の神徳は効きませんよ」
マジカ……
「まぁ人間じゃなきゃ、御神徳は無いって事だな」
秘密兵器は、使う前に失敗に終わった。
「ええいっ! こうなったら、早く行って一夜漬けならぬ、朝漬けしなくちゃ!!」
毎度の事ながら行儀が悪いが、猫まんまにして御飯を掻き込むと――――――
歯磨きに洗面所へ向かう。
背後からセイが、早えよ! と文句を言ってる声がするが、そんな事気にして居られない。
何しろ本日のテストは、古典と英語と現代国語と世界史なのだ。
よくもまぁ、文系ばかりを初日に集めたモノだ。
古典は何とかなるかも?
神話を勉強する際に、日本の歴史や由来なんかを調べてるので、そこまで悪くないはず。
現国も漢字が30点を占めるので、そこは取りこぼさぬ様にしないと……
問題は英語と世界史……珍紛漢紛だ。
溜息を付きながら玄関で靴を履いていると――――――
「千尋様。今朝は御馳走様でした」
赤城の龍の巫女である、神木先輩と赤城の龍神さんが肩に乗って現れたのだ。
「いえいえ、こちらこそハム頂いちゃって済みません。それから学園では、千尋様も龍神様もやめてくださいね」
「しかし……龍の巫女としては、龍神様を呼び捨てには……しかも、伊邪那美様まで内包されていては、尚更です」
相変わらず固い人だ。
「今日は赤城の龍神さんも一緒に?」
「はい。神社まで戻ってる時間がありませんので、ご一緒させて頂こうかと」
「我は千尋さんの方へ乗りたいのだが」
「いけませぬ! うちの龍神様は、私がお世話いたします!」
そう言って、僕の方へ来ようとしていた赤城さんが神木先輩に捕まる。
この二人はこの二人で、良いコンビじゃないのさ。
さて、もう一人の龍遣いの香住は――――――
「ほら、急がないと教科書見てる時間が無いよ!」
「早! もう境内にいるし」
僕もいつもの様にセイを頭にのせると、神木先輩と一緒に、香住の後を追うのだが――――――
黄泉で見た、穢れた水が湧いて出る亀裂……あの意味を軽く考えて居た僕は
日本の霊峰富士の地下深く……
そこで蠢くモノの存在に、この時はまだ気が付いて無かったのである。
少し補足になりますが、本編に直接関係ないので、神話に興味のない方は読み飛ばしください。
作中に出て来た、日本書紀でのエピソードで、保食神を斬ったのは月読尊ですが
それと似たような事を、古事記でも書かれており。
古事記では、大気都比売神を斬ったのが、須佐之男命となっていて、こちらは古事記での、お話しになります。
どちらにも共通しているのは、斬った後に稲や大豆など……他にも色んな農作物の種になったということです。