7-08 黄泉の女王 伊邪那美命(いざなみのみこと)
「逃げようとしても無駄ですよぉ、諦めて黄泉の住人になるとよいのです」
黄泉のゾンビどもに、全方位を塞がれた。
せめて水があれば……
すぐに念話で淤加美様に――――――
『淤加美様。ナイフ一本で倒せるとか言ってましたよね? 出番ですけど?』
『も……ろん……わ……ま……おけ……どうやら念話の調子が悪い様じゃ』
『ちょっと待て!! 最後聞こえてますよ!! わざとやってるでしょ!?』
『…………ピーガガッ』
何がピーだ、無線じゃ無いのに!
『大婆様、芸が細かいな……』
『どうして、アホな方ばっかりなんだよ!!』
『しかし、どうすんだ千尋。水が無いんだろ?』
『そうなんだけど……セイの水ブレスは?』
『10発程度撃てそうだが、この澱んだ場所では再充填できんぞ』
だろうね。ここの穢れた水を体内に入れれば、内側から汚染されて、即祟り神だ。
すなわち今体内にある水のみが、ブレスの残弾って事になる。
後方のゾンビだけでも吹っ飛ばせば、坂を登って帰る事が出来そうだが……腐ったゾンビを触るのかぁ。
なんか触るの嫌だな。
それに相手の身体能力が未知数だ。
西洋のゾンビだと、動きは遅かった筈だが……
もしこれが、大陸のゾンビ……僵尸と言うヤツならば、ゾンビよりは動きは早い。
そのかわり、時々死後硬直で固まるらしいけどね。
ちなみに、その僵尸が元にされ、日本のテレビで劇に成ったのがキョンシーである。
僵尸を日本語読みにすると、キョンシーとなるので、別にテレビオリジナルのタイトルという訳では無い。
キョンシーは日本の80年代に流行ったモノで、両足を揃えピョンピョン跳ねて動きは早くないように見えるが、あれは子供も怖がらず観やすいよう上手く作られている。
設定上は、死体なので硬直が解けず関節が曲がりきらないと言う事に成っていて、動きは早くない。
その代わり、怪力だけどね。
死後硬直だって法医学観点からすると、遅くても3~4日で完全に解けるのだが、そこまで設定を練り込んでないのが80年代を彷彿させて良い感じだ。
まぁ主に観るのが子供だし、そこまでツッコミを入れるのは、頭脳は大人な小学生ぐらいだろう。
東西どちらのゾンビにせよ、共通点は死んでいるので、物理ダメージを受けても死なないと言う事は確かだ。
倒すのだったら術以外にない。一番効果的なのは、仏道なら天照大御神と同一神とされている大日如来の真言などが有効だと思う。
そういう意味では、ここに太陽神であらせられる天照様が居られれば心強いのだが、おそらく瑞樹神社で時代劇の控え!控え!控えおろぅ~を観ているはずだ。
どうして肝心な時に居ないのか……
「あの……僕達は桃を頂きに来ただけで、黄泉に何かしようなんて……ヒェ!」
伊邪那美様が急に距離を詰めて、僕の顔の真ん前に顔を近付ける。
近い! 近い! しかも腐臭も凄い。
僕は思わず顔を背け目を逸らすと――――――
「ほら! やましい事があるから目を逸らした!! これは嘘をついている証拠だわね」
いやいやいやいや、その顔で迫られたら誰でも顔を背けますって
「本当に用件は桃だけですってば、あ~顔近いし!!」
「私の顔が怖いとか、超エムエム~」
「は?」
今なんて言った? エム……エ? なに? 英語か?
僕が困った顔で固まっていると、伊邪那美様は隣のゾンビに――――――
「あれ? エムエムで間違ってないよね?」
「は、はい。この間黄泉に来た新顔の爺さんは、そう話すのが流行りだと言って居りました。孫も使っていたとか……」
お孫さんいくつだよ!!
僕が困っていると、セイが念話で――――――
『エムエムって言うのはな、マジ、ムカツクの頭文字をとって、MMというらしいぞ』
『へぇ……なんで、そんなに詳しいんだよ』
『そんなの決まってるだろ。お前の母親の命が、学生時代に使っていたんだ』
『すっごい納得したわ』
『和枝に説教され、言葉遣いを直されたって、愚痴を聞かされたしな』
婆ちゃんか……僕が今時の言葉を使っても、怒った顔が滅茶苦茶怖いし仕方がない。
下手をしたら、お説教3時間コースだもの。
『婆ちゃん相手じゃ、仕方が無いわ』
『うむ。他にもチョベリバとかあったぞ』
もう全然分からん。チョコベリーバナナの略か?
言葉も年々新しい言葉が出て来るから、2~4年も経てばもう死語と言っても良いぐらい、伝わらない。
2~4年でさえ分からなく成るのだから、約25年近くも前の流行り言葉なんか通じる筈もないわさ。
そんなセイとの念話中に、伊邪那美様が――――――
「ちょっと新顔の爺さん連れて来て。使い方が間違ってるのか聞いてみるから」
いやいやいや、余計会話が混乱するだけだってば
「あの……伊邪那美様。普通の日本語で大丈夫ですから。このままの会話でお願いします」
「そうなの? 分かったわ。誰か!! お茶持って来て!!」
伊邪那美様の言葉を受けて、ゾンビ数名が黄泉の奥へ消えていく。
『おい千尋。黄泉の食べ物は……』
『分かってる。絶対食べちゃ駄目なんだろ?』
『うむ。食べると黄泉の住民に成り、二度と外には出れなくなるぞ』
神話でもそうだ。
伊邪那美様が黄泉の食べ物を口に入れてしまったせいで、黄泉から戻れなくなり。
迎えに来た伊邪那岐様と一緒に帰れなくて、出る為には時間が掛かるから覗かずに待つようにと、伊邪那岐様が待たされちゃうんだよね。
それで黄泉から出る方法を考えて居ると、ゾンビに成った姿を覗いて見てしまった夫の伊邪那岐様が、キモ!って言って逃げ出す。
逃げる最中は、前に話した通りである。
なので、黄泉の食べ物を口にしたら最後。二度と黄泉から出れなくなってしまう。
黄泉から出る気があるならば、黄泉の食べ物は絶対に食してはいけないのだ。
『神話で習ったから、食べないよ』
『そもそも、茶菓子が食えるもんなのか? 廃棄弁当より酷そうだが……』
セイの言いたい事も分かる。
目の前に運ばれて来たお茶菓子は、見た目がもう……ね。
セイの部屋に食べ残してあった、カビ発生源より酷いぞ。
御茶も真っ黒だし。なんか腐臭がするし
『あの祓い屋の緑嬢ちゃんが作るのよりヤバイな』
『先輩の作る料理は、見た目は悪くないからね……洗剤の泡が浮いてたりすると気が付くけど』
先輩の為にフォローをしておく。見た目もヤバイのが結構あったけど、流石に黄泉の腐った食べ物と一緒にするのは……ねぇ。
まあ致死性では変わらなそうだけど……
『御住職大丈夫かな?』
『今黄泉に来てないし、大丈夫だろ』
『御住職は仏道だから黄泉じゃないよ』
御茶と茶菓子が置かれると、伊邪那美様が適当な岩に、よっこらしょっと声を掛け乍ら腰かける。
無理もないか……伊邪那美様は日本創生からの御方だし、皇室でさえ出来たのは二千六百年も前なのだから、伊邪那美様の歳は三~五千年は経ってるだろう。
まぁ、下手に歳の事を聞いて怒らせるのも得策ではないし、沈黙は金なり。
余計な事は言わずに止そう。
「しかし、龍が黄泉に来るとは珍しい」
「そうなんですか?」
「うむ。龍の最後は天に帰るから、黄泉に堕ちる事はまずない。私も何匹か見送ったが……その全てが空に昇って行きおった。空の上にでも龍の国があるのかも知れぬな」
龍の国は初耳だ。
しかし思い返してみれば、セイも死に掛けた時に天に帰るとか言っていたし、本当に龍の国があるのかも知れない。
本当の処は、自分の寿命が来てみなければ分からないけどね。
「えっと、名は何て言ったか?」
「僕は千尋。瑞樹千尋です」
「では千尋よ。なぜにお主は、御茶に手をつけない? 口に合わなかった?」
「もう伊邪那美様ったら、知ってる癖に~」
ちっ! と舌打ちするのが聞こえた。
僕を黄泉に幽閉する気満々じゃないのさ。
「ならば此方の茶菓子を……」
「いえ、もう帰りますから、お構いなく」
そう言って席……と言っても岩だけど、その岩の席を立とうとすると――――――
来た時よりも多いゾンビに囲まれた。
「このまま帰すと思う? 民謡の通りゃんせよ」
「つまり、帰す気ないって事ですね……素直に帰してくれた方が、黄泉の為にも良いと思いますがね」
僕は使い切ったペットボトルを逆さまにして、1滴の水を手の平の上に乗せる。
いつも半滴であの威力を誇る対消滅だ。それが1滴あれば、こんな黄泉など無く成ってしまうかも知れない。
「そんな小さな水で脅してるつもり?」
「最後通達です。このまま帰すなら黄泉には手を出しませんが、帰さぬのなら……」
掌の上の水をマイナス側に振り切らせる。反水素……自然界には存在しない元素である。
宇宙まで出れば存在はしている聞くが、この地球ではまだまだ実験段階なのだ。
当然、地球の外の物資など、伊邪那美様が知る訳もなく。
まぁ日本神話の原初の神である造化三神なら地球の外の事も知ってるかもしれないけど
この星で御生れになった伊邪那美様では、知らないのも無理もない。
ならば知って貰うまでの事。
「答えを聞きましょう」
「答えは……」
伊邪那美様が右手を上げて、振り下ろすと、周りを囲っていたゾンビどもが一気に押し寄せて来る。
なるほど、これが答えね。
「では、遠慮なしに――――――対消滅!!」
反物質となった反水素を放ると、放物線を描いて飛んで行く
僕は、すぐに頭の上のセイを胸元へ入れて、地面に伏せると出来るだけ小さく丸くうずくまる。
反水素は着岩と同時に覆っていた膜が破れ、対消滅を起こして大爆発を起こす。
そのエネルギーは――――――
絶大!!
まさに神の素粒子に相応しい。
光と轟音と爆風の三重奏――――――その暴力的なエネルギーに逆らえるものは、術反射を持つ僕のみである。
これが術でなく、科学で創り出したモノなら、僕もタダでは済まないだろう。
まったく我ながら、ヤバイ術を創ったモノだ。
やがて爆風が納まると、僕は顔を上げて周囲を見渡すが、爆風は終わっても巻き上がった土煙は健在なようで視界が悪い。
「セイは無事?」
「なんとかな、千尋の胸の谷間にいて助かったぞ。谷間が無ければ俺もタダでは済まんからな」
「さいですか……」
エロ龍に、いまさら何を言っても仕方がないと思い、軽く流す。
「まぁしかし……これで黄泉もお終いか」
「何しみじみしてるの? お終いはマズイでしょ。死者の行き所が無くなって、彷徨い続けるし」
黄泉へ入れず、現世で動き回る死体……そんな事になったら目も当てられない。
「大丈夫だろ? 黄泉自体は崩れて無いみたいだし、管理者の伊邪那美命が消えただけで……」
セイがそこまで言い掛けると――――――
「誰が消滅したって?」
少しずつ晴れて行く、土煙の中で影がそう呟いて来る。
この声は……伊邪那美様!?
ゆっくりと此方へ歩みより、土煙が納まるとそこには――――――ゾンビ化した伊邪那美様が立っていた。
「だから言ったでしょうに。そんな小さな水で、どうするのかと……」
伊邪那美様がその言葉を吐いた後、周囲の土の中から、這い上がって来る手下のゾンビ達。
無傷か!?
いや、違う。確実に消し飛んでいたはず。
ならば……
「どうして……」
「千尋、何か忘れてない? 私らはすでに死んでいるのよ。どんなに細かくされても穢れた土があれば、何度でも黄泉返るわ」
「穢れた土!?」
そうか! ここは黄泉。ゾンビ達にとって有利なテリトリーであり、伊邪那美様の管理地……つまり神佑地なのだ。
僕達には不利な場所でも、彼方さんには恩恵をもたらすらしい。
くっ、不死者を甘く見ていた。物理ダメージは効かないにしても、術なら行けると思っていたのに――――――
まさか無傷で復活するなんて……
神話に習い、伊邪那岐様の様にさっさと逃げて置くんだった。
再びゾンビに囲まれる僕だが、最初と違う事が一つある。
それは――――――黄泉比良坂の上から聞こえて来た。
「うおおおおお、止まらねえええ!」
「私は御先祖様となら、何処までも落ちますわ」
「言ってる場合かあぁぁ!」
黄泉比良坂を滑走してくる、蛇2匹と鬼と狼。
そのまま僕を囲うゾンビどもを薙ぎ倒し、僕の真横で止まった。
「ストライク!」
「まだ取り残しがあるから、もう1球でスペアを取るしかないな」
「誰がボーリングの玉だゴラァ!!」
「御先祖様、ボーリングって何ですか?」
「あ? 後で説明してやる。なんか面白そうな事に、なってるじゃねーか」
周りのゾンビどもを見渡しながら、拳を手の平に打ち付けて、不敵な笑みを浮かべる壱郎君。
そんな壱郎君に、喧嘩腰でセイが――――――
「面白い訳ねーだろ、この蛇野郎! 今まで何してやがった」
「なんだ水蜥蜴野郎。お前らが遊んでる間に、こっちは桃を採ろうとしてて、もう少しで手が届くという処で爆風に吹っ飛ばされたんだよ。そのまま黄泉比良坂を尻で滑走という訳だ」
あちゃ~、対消滅の爆風に巻き込まれたのか……運が悪いなぁ。
「トロイ事やってるからだろ!」
「あんだとコラ! だいたい雌龍の胸の間に挟まって、偉そうにしてるんじゃねー」
「羨ましかろう。この胸は俺のだからやらんぞ」
「要らねーよ!!」
「御先祖様には、私の胸がありますものね」
「あ~も~抱き着くな!!」
埒が明かねえ……
「はいはい。みんなストーップ!! 壱郎君、桃の木を見付けたの?」
「あぁ、あったぜ。坂の丁度中間あたりにな」
やっぱり神話の通り、坂の途中か……僕達が黄泉比良坂を滑走してる時には、桃の木をゆっくり探してる間もなく、坂の底に付いたからね。
途中にあるなら伊邪那岐様の様に、逃げながら採りに行けるかも知れない。
とはいえ、この黄泉の軍勢を何とかしなければ、ここで逃げたとしても、ヒト飛び千里という黄泉醜女を放たれたら終わりである。
やっぱり、黄泉の軍勢が簡単に追えない程度に、何か策を弄するしかないな。
しかしこちらの戦力は、穢れに強いとはいえ、みんな物理攻撃を得意とする仲間ばかりである。
辛うじて、ハロちゃんが炎を吹けるが……相手の数が多すぎるので、全て焼きはらうには火力が不足しているのだ。
せめて術が効けば……
そんな此方の苦悩を嘲笑うかのように、伊邪那美様が――――――
「千尋。もう策は決まったかしら? 決まらぬとしても、待ってやれませぬが……なーに、最初は不都合がありますが、すぐに慣れますから」
「慣れたくねぇ……」
「ふふっ、そう言わずに。更に4人も黄泉の住人候補が増えて、私も嬉しい限り」
そう言って不気味な笑みを浮かべる伊邪那美様の前を、地面に落ちた自分の目を探すゾンビとかが目に入り、狂気の沙汰じゃねえし!
眼鏡どこ行った? と探してるんじゃないんだから!!
「おい雌龍、なんだこの腐れた婆さんは?」
「壱郎君!! 日本を生み出した神様に、それはちょっと言い過ぎですよ!! しかも眼飛ばさない様に!!」
一昔前のヤンキーか!?
「あん!? 日本の生みの親だぁ?」
「初めまして、伊邪那美命と申します…………この小僧!! 死んで黄泉の住人になるか!? ああっ!?」
え? なに? キレた? 途中から言葉遣いと同時に、顔色が変わったし!!
「はんっ! 威勢のいい婆さんだぜ! つまり、ここ黄泉のボスって事か!? 面白れえ……やってやんぞ!! ゴラァ!!」
何で血の気が多いの!!
揃いも揃って脳みそ筋肉かよ!!
もうヤダ……誰か作戦参謀を代わってくれ。
伊邪那美様に殴りかかる、オロチの壱郎君を見ながら、そう心の中で呟くのだった。