7-07 須佐之男命(スサノオのみこと)
根っこの間を抜けると、真っ暗だった視界が戻る。
そこは昼間とも夜とも言えないような、微妙な時間帯な空間であった。
強いて言うなら、夕方とかの逢魔が時に入り掛けた時刻を彷彿させるような明るさであり。丑三つ時以外で妖が好みそうな時間帯である。
実際の時間は、流れているのか分からないけどね。
景色の方は、永遠と地平線が続いており、遠方に岩山が見えるのだが、その麓に大きな御殿が佇んでいた。
他に建物らしいモノが、見当たら無いので、恐らくあれが須佐之男命様の御住まいだと思う。
と言う事は、須佐之男命様の住まいの近くにある。あの岩山に黄泉への入り口があるのかな?
もの凄い不安そうな顔の忽那さんと共に須佐之男命様の御殿へと近づいて行くと、遠くから見ていた時よりも巨大な門が待ち構えていた。
その威圧感からか、こっちの方が黄泉への入り口だったりしても不思議はない。
建物自体は神社に似た造りで、柱などは朱色なのだが、その大きさが巨大きすぎる。
門なんて高さが4~5メートルはあるんじゃないかな? こんな大きな門を必要とする神様はさぞ大きいことだろう。
神話で須佐之男命様の大きい表現は無かった筈だけど……実際に見たのは、斬られたオロチの壱郎君と巳緒だけなので、真相は分からない。
「須佐之男命様って、こんなに大きかったのかな?」
門を見上げながらそう言うと壱郎君が――――――
「ふんっ。女に化けて酒を呑ませるなんざ、小男のする所業だぜ」
隣で巳緒が同意とばかりに頷いている。
「そうか……二人とも酒飲んでベロンベロンに酔っぱらった状態で斬られたから、本当の姿は分からないのね」
「いいか雌龍。呑んだんじゃねえ、呑まされたんだ。身体が戻って居れば再戦してやったのによ……忌々しいぜ」
そんな事を聞いては、ますますオロチの心臓を渡す訳にいかないわな。
どのみち須佐之男命様には、蛇を斬る剣の天羽々斬がある以上、分が悪いだろうけどね。
「雌の色香に負けて、騙されて酒を呑んだだけじゃねーか」
「ほら、セイはそうやって喧嘩売らないの。じゃあ本当に行かないのね?」
「この辺り一帯が戦場に成っても良いなら行ってやるぜ」
「ヤメテ! 僕らまで巻き込まれる未来が浮かんだから……」
まぁ、話が厄介な方に行かぬ様。連れて行か無い方が無難だわな。
酒呑童子から彩さんの魂を受け取ると、セイに持たせて門を叩こうとするが――――――
僕の拳が門に触れる前にスーッと音もなく開いたので、どうやら入って来いとの事らしい。
「すげえな。自動ドアか」
「いやいやいや、ここまで電気来てないでしょ。推測だけど、僕らが根の国に入った時点で見てたんじゃないかな?」
じゃあ行ってくるねと壱郎君たちを残し、僕と忽那さんは中へ入る。
「中は広いね……こりゃあ掃除が大変だ」
「ボクには何もかもが、御伽噺の中に居る様ですよ」
忽那さんの口は開きっぱなしで、驚きの色を隠せない様だ。
さもありなん。普通は根の国なんて、死んだ人しか来ないモノね。
そう言う僕も初めてだけどさ。
敷き詰められた玉砂利を踏み鳴らしながら、須佐之男命様を探す僕達。
やがて、はっ! はっ! と気合の入った声が聞こえて来るので、そちらへ向かうと――――――
居たよ……上半身裸で素振りをしている、腹筋の割れた神様が……
こんな辺鄙な処に住んでいる神様と言えば、須佐之男命様意外に無いだろう。
そんな須佐之男命様は、僕らの姿を見ると素振りをやめて――――――
「根の国に龍神の娘とは珍しい……姉上の遣いか?」
「いえ、そういう訳では無いのですが……こちらの人間の魂を数刻の間で良いので護って頂きたく、参上いたしました」
「……なぜだ?」
「え?」
「人間など掃いて捨てるほど居るだろう……ここで2人程度いなくなった所で、さほど問題は無いと思うが?」
「……それは……恩返しなんです」
「恩返し? その人間にか?」
「いえ、僕がこうして居られる事の恩返しなんです」
「どうも要領が得られぬな」
「僕は……7年前に、両親を失いました。目の前で祟り神に喰われる両親を目のあたりにして、僕の心は死んでしまったと言っても過言ではないでしょう。そんな時、いろんな人に支えられ、僕は生きる希望が持てたんです」
「その恩返しだと?」
「はい。今度は僕が……この手の届く者を助けようと……きっと、僕が助けられたように、誰かを助ける事ができたら……」
そう、全国の人を助けるとか、そこまで自分の力を過信はしないが
せめて――――――助けを求める人や、自分の周りの家族ぐらいは、助けたいと思っている。
「そうか……お前も母親が居ないのか……」
僕はゆっくり頷くと――――――
「母は生前から人助けを惜しまぬ性格でした。だから僕も、こちらの2人と関わってしまった以上は、助けてあげたいと思ったんです」
そこまで言うと、セイが念話で――――――
『お前の母の命は、もっと破天荒な性格じゃなかったっけ? 黄泉に穴を開けるぐらいだしな』
『いいだろ別に、少しぐらいは話を盛っても、だいたい僕の母親を破天荒だなんて言うなよ』
『あのな千尋。命の事は、お前が生まれる前から知ってるんだぞ。なにせ龍神として洞窟に棲んでいた俺に、毎日御供えをしてくれてたからな。いわば付き合いは俺のが長いぐらいだ』
『僕だって、7年前の事故があるまでは、知ってるつもりだよ』
『本当にそうか? それでよく聖女みたいな事が言えたな? まぁ善人ではあったが、性格は竹を割ったような性格だったぞ。ガサツでいい加減でな……箸を忘れた時なんか、洞窟の外で枝を拾って来たり、飲み物なんかも適当に滝壺で水汲んで来るしな。それなら自分で飲めるわ! 神に供えるんだぞ? 普通は御神酒だろ!?』
『僕の母親を言いたい放題だなコノヤロウ。否定できないけど……遠足のお弁当に、寝坊したゴメンと書かれた紙と、五百円だけ入ってた事もあったな……あの時は、香住にお弁当分けて貰ったっけか…………だいたい山への遠足で、コンビニとかスーパーなんか、ある訳ねえっちゅーに! せめてバナナぐらい、お弁当に入れて置いてよ! と思ったね』
『弁当箱にバナナ入れたら、オヤツ代が3百円を超えるだろ!?』
『残念でした~ バナナはオヤツに入りません』
『いや、入るだろ!?』
セイと馬鹿な念話をしながら、昔母親が生きていた頃を思い出す。
あの遠足の一件以来、香住が僕の食生活を見かねて、料理の本とか買い出したんだよな。
まだ香住も小さかったんで、コンロの火や包丁を使わせて貰えなかったとか言ってたっけ。
その後、香住が始めて作ったのは、甘い卵焼きだったが……あの甘い卵焼きは今でもお弁当に入っている。
『な? 千尋も命の事を思い出せば、いい加減で破天荒だったろ? 善人ではあったがな』
『むむむ……確かに言い返せない』
『ふっ、命との付き合いの長さで、俺に勝とうなんざ到底無理な話だ。しかし……何人もの巫女に世話に成ったが、あれほど楽しい人間の友人と巡り合うのは、もう二度とないだろう……』
『セイ…………』
あまり人に懐かないと言われる龍に、そこまで言わせるなんて、なんだか自分の母親の事ながら誇らしくもあり、少し妬ける。
そんな僕とセイの念話の内容を知らない須佐之男様が――――――
「オレはな、生まれたときには既に母者は黄泉に行っていた。なので父から生まれたのだが……顔も知らない母者に、どうしても一度逢いたくてな……こうして黄泉の入り口に住居を構えているんだ」
「あれ? 父親の伊邪那岐様から生まれたんじゃなかったですっけ? なら伊邪那岐様が父であり母なんじゃ?」
「いや、確かに生まれたのは父者である伊邪那岐からだが、あくまで伊邪那岐は父者であり、母者は伊邪那美であるぞ」
直接生んでなくても、伊邪那美様が母親なんだ……日本神話って複雑だな。
血の繋がりだけが家族という訳では無いという事か……
「えっと、伊邪那美様にお逢いしたいんですか? 例え伊邪那岐様が逃げ出すほど、蛆だらけでゾンビ化してても?」
「なんだそのゾンビってのは?」
「ゾンビって言うのは、早い話動く死体です。死体である以上は腐ってますがね」
だからこそ、伊邪那岐様は逃げたんだろうけど……
「うぅ……その腐ったと言うのが、どの程度に寄るかだな……」
須佐之男命様が、及び腰になってるな? 無理もないか……父親の伊邪那岐様が逃げ出すぐらい、見た目もヤバイって事だろうからね。
「もし何なら、逢えるように手はずを整えますが?」
「い、いや。まだ心の準備が……もう少し待ってくれ」
やっぱり、そうですよねぇ
姿を見る事も無く、会話だけで済ませて居れば、その方が良いって。
須佐之男命様とそんな会話をしていると、僕の中から淤加美様が現れて――――――
「久しいのぅ。叔父上」
「ほう。淤加美神か? またやけに小さく成って居るな」
「元の姿だと、千尋に負担が掛かるのでな、力を抑えて居る」
「負担だと? と言う事はその娘の中に居るのか?」
「うむ。千尋の中に顕現してのぅ、まぁ分霊じゃがの。本体は貴船に居るわい」
「なるほど……龍神とはいえ、まだ若いのに神氣が大きいのはそのせいか」
「千尋の中には、もう1柱居るがな……元祟り神だったらしいが、今では千尋に浄化されて大人しいものよ」
「ほう……」
須佐之男様は僕の瞳を覗き込んでくる。
「な、なんでしょうか?」
「ふむ。己自身も含めて、3柱分の神氣を内包して居るのか? 面白いな。よし! 人間達の面倒は見てやろう。ただし……帰りにもう一度、ここに寄れ! よいな!」
「は、はぁ……それで良いなら……」
なんか拍子抜けだ。もっととんでもない事を要求されるかと思ったのに、御殿に寄るだけで良いなんて……どういう風の吹き回しだろう?
どのみち、桃を採って帰れば、忽那さんたちを迎えに来なければならないのだし、須佐之男様に言われなくても、寄り込もうとはしていたのだ。
後から要求されなきゃ良いけど……
「では忽那さん達をお願いします」
「おう、任せて置け。御主も母者には気を付けるんだぞ。黄泉の女王となった母者はおっかねえからな。岩を挟んで話してるだけで、おっかないのは良く分かる。前なんて泣きながら逢いたいって言ったら、ええい、女々しいわ!! と怒鳴られてしまったしな」
確かそれで、高天ヶ原へ行って暴れたんだよな……高天ヶ原の出禁をもらって地上へ戻り、オロチを倒して、食われる筈だった櫛名田比売を嫁さんに貰い、娘が生まれる。
その後、隠居生活がここ根の国って訳。神話によればだけどね。
それでまた伊邪那美様に怒られてるとか……須佐之男様、結構マゾっ気があったり?
「強者の須佐之男命様に、おっかないとか言われると、恐ろしく不安になるんですけど」
「なーに千尋。ゲームのなんとかハザードとか言うのと同じじゃ。元神のゾンビが追ってくると思えばいい。妾なんて、はーどもーど? とか言う難しいのを、ナイフだけでクリアしたぞ」
「淤加美様はゲームのやり過ぎですよ! だいたい元神のゾンビとか、怖すぎなんですが」
これから黄泉へ行くのに、怖がらせないでください。
本当に伊邪那美様のゾンビが出たら、ナイフで戦って貰いますからね。
まぁ、どうせ淤加美様は、僕の中から出て来ないのは分かってるけどさ……
須佐之男命様は椅子に座ると――――――
「さて、人間の小僧よ。将棋をさせるか?」
「将棋ですか? ルールは知ってますけど……」
「なら相手をせい。大国主命に娘を娶とられて以来、ずっと独りで退屈して居ったのだ。それとも剣の相手をしてくれるか?」
「剣豪の須佐之男命様と剣の勝負なんて出来ませんて、将棋でお願いします」
「うむ。では将棋盤を持って来よう……」
そう言って奥へ引っ込む須佐之男命様を見送り、忽那さんが――――――
「龍神様。早めに帰って来てくださいね」
「う、うん。できるだけ早く帰るから」
そう言って、須佐之男命様の御殿から外に出ると、そこには気絶した小鬼の山が出来ていた。
「おう! 雌龍待ちかねたぞ」
「暇なので、小鬼を倒しておりました」
「こいつら不味いの……だから食べれない」
『我が火で炙ったのだが、それでも不味いらしいので、千尋殿も食べない方が良いかと』
「言われても、僕は食べないよ! だいたい、こんなの食べてお腹壊しても知らないからね」
「お腹と言えば、この小鬼……腹が出っ張ってるし、餓鬼かなんかか?」
「餓鬼だと? 通りで、骨ばかりで食う処なんて無いはずだな」
みんな、食べれるか? 食べれないか? で判断するのは止めてよね。
変なの食べてお腹下しても、水持って無いから浄化できないし。
どっかで汲んで来るんだったな……もう今更だけどね。
岩で塞がれた黄泉への入り口に集合した僕らは、酒呑童子の怪力で岩を動かそうと画策する。
「では開けますよ。御先祖様、用意はいいですか?」
「おう! やってくれ」
壱郎君の合図で岩が開けられていくと、そこには黄泉へ通じるであろう坂が永遠と続いている。
「これが……黄泉比良坂」
「だな……生暖かい風に腐臭のする空気……あまり長時間居ると穢れが溜まるな」
あの伊邪那岐様も、黄泉から帰って来て穢れを洗い流してるし。長居をすれば僕らも同じだろう。
ただ唯一違うとしたら、僕らは黄泉の奥には行かず、坂の途中で桃を見付ければ即帰るのだから、上手くすれば穢れに、身体の芯まで汚染されることは無いはずだ。
足元を見ると、なんかテカテカしていて滑っている。
なんだか用水路の底に付いた、藻の上を歩いて居る様によく滑りそうだ。
「よくテレビでさ、お笑い芸人がヌルヌルの上を滑るヤツあるじゃん? アレに似ているな」
「セイ……言霊って知ってるか?」
「言葉に力が宿るってヤツだろ? 言った事が本当になるって」
「知ってるなら、滑るとか言うなよ!! 本当に起こるだろ!! 僕がわざわざ言葉にしない様に心の声で言ってたのに、お前と言うヤツは……」
そこまで言った処で、案の定足を踏み外す僕。
「おおおおおぉぉぉ」
「だから口に出すなって言ったのにぃぃぃ」
背後で雌龍ぅぅぅと壱郎君の声が聞こえたが、すぐに遠く成り聞こえなくなった。
そのまま黄泉比良坂を尻を付いたまま滑走する僕と頭の上のセイ。
あっという間に、坂の下まで着いてしまった。
僕は尻を擦りながら――――――
「パンツ切れて無きゃ良いけど」
「自分の身体より、パンツの心配とか……案外余裕があるのな」
「自慢じゃないけど、身体の方は頑丈なだけが取り柄だからね」
尻尾があるせいで、緋袴がスカートタイプに成ってる為。余計にパンツが心配になるのだ。
幸いパンツは破けていない様なので、打ち付けた尻を擦りながら、周りを見渡すと――――――
前方から凄い腐臭がする。
その方向に目を凝らすと――――――
「出たよ……伊邪那美ゾンビ……」
僕とセイがその姿に驚愕していると、さらに距離を詰められて。
「黄泉へ、ようこそ。可愛い龍神さん」
水も無いし、万事休すか!?
見逃してくれ……ないよね……
黄泉の軍勢に囲まれるし。
どうにかして逃げ出す方法を考えねば、黄泉の住人にされてしまう。
僕は何か無いかと、周りを見渡してみるのであった。