7-06 根の国へ
もうすぐ日付が変わろうとしている深夜の山の中を、千尋達は歩いていた。
「なぁ雌龍、良いのか? 鬼達を放って置いて」
「ん~鬼達泣いて謝ってたからね、鬼の目にも涙って諺もあるし」
「それ……鬼側が情けを掛けて貰うんじゃなく、鬼側が情けを掛けるって諺じゃね?」
「うむ。使い方が間違ってるぞ千尋……だから文系は点数悪いんだな」
「うるさいよ。それに、僕らが管理する神佑地でも無いのに、勝手に裁く訳にいかないでしょ? 後はO山県に神佑地を持つ神様に任せるさ」
只でさえ、日本の彼方此方の神佑地へ出張っては、他所様の管理地を引っ掻き回してるのに、裁きまで行っては、お前新顔の癖に生意気だ! なんて言われては洒落に成らないからね。
幸い京は、龍神の御先祖である、淤加美神様の本拠地貴船とか、他にも仲の良い宇迦之御霊様とか大山咋神様とかだから、許して貰えるけど。
他の神佑地の神様も同じく、友好的だとは言いきれないから、北関東の僕らがあまり出しゃばるのも良くない。
まぁ鬼達には、今度人間に手を出したら、許さないとも釘を刺して置いたし。
弟鬼の氷漬けを見て、元々青い青鬼の顔がさらに青くなってたから、大丈夫だと思う。
先程から山中を歩きっぱなしで、何処へ行くのもハッキリわからず、業を煮やしたセイが、僕の頭上から――――――
「ところでさ、俺達何処へ向かってるの? 龍脈抜けたら北関東かと思ったのに、どっかの山の中だし」
「山なら、ウチだって大して変わらないでしょ。ここは熊野古道だよ」
「なにぃ!! 紀伊山地じゃねーか!! 帰らねーのかよ?」
「あのなぁセイ。忽那さんのフィアンセである彩さんが、魂剥き出しのままに成ってるのに、帰れないでしょうが」
僕らの後ろから忽那さんが、魂が抜かれて死んだように眠る彩さんを背負って着いてくる
その隣で、彩さんの魂が黄泉へ行かぬ様に、鬼族である酒呑童子の末裔が、魂を管理しているのだが……
足元を照らす灯にもなっていて、その淡い光を見ていると、切ない気分になって来る。
「黄泉へ行くなら、何で熊野古道なんだよ」
「コノヤロウ……さっき鬼の洞窟で説明しただろ! どうせ歩きながら時間あるし、もう一度説明するから、今度はちゃんと聞く様に」
「お、おう」
「では順を追って説明する。まず黄泉と黄泉にまつわる神話から……」
黄泉
神道に置いて、死後の世界を意味する場所。
仏道の死後の世界だと、宗派によっていろいろ解釈が違うので割愛だ。
神道に置いての黄泉は、神話にもあるように、神すら堕ちる場所であり。誰もが避けようのない人生の終着点である。
その黄泉に堕ちた神というのは、火傷で死んだ伊邪那美様のことであり、日本列島を夫神の伊邪那岐様とともに、天沼矛を使って生み出した国生みの神なのだ。ちょうど淤加美様の祖母に当たるお方だ。
ちなみに淤加美様の親に当たるのは、伊邪那美様に火傷を負わせて死なせてしまった火之加具土様である。
火之加具土命を生み出した時の火傷で死んでしまった伊邪那美様は、黄泉に堕ち。今は黄泉の女王として黄泉を統べている。
予期せぬ事故で、黄泉へ行ってしまった伊邪那美様を、愛して忘れる事ができない伊邪那岐様は、黄泉まで迎えに行くのだが……
姿が変わり果て、ゾンビになった伊邪那美様を前に、化物だ! と大声を挙げて逃げ出す伊邪那岐様。
伊邪那美様は、そりゃあ当然キレるわ。
キレて追い掛ける伊邪那美様は、黄泉の軍勢を指揮して夫伊邪那岐様を追わせるのだが、追いつくことができない。
そこで伊邪那美様は怒りマックス……ガチギレですよ。
伊邪那美様が、ガチギレする気持ちも分からんでもない。逢いに来てくれたと思った夫が、や~い化け物め! キモ! キモ! なんて言いながら逃げれば、首も絞めたくなるわな。
ガチギレした伊邪那美様は、黄泉で一番の瞬足を誇る、黄泉醜女に追わせる事にするんです。なんと! ひと飛び千里と言うんだから、伊邪那岐様にとって洒落にならない。
そこで、葡萄を投げ、筍を投げて、それらに貪りつく黄泉醜女。少しは時間を稼ぐが、出口までが最後の上り坂になっていて、それが黄泉比良坂なのだが……上り坂では走る速度が落ちて捕まってしまう。どうしよう……と言う所に、件の桃の木があったのだ。
その桃のおかげで助かったと言う訳だが……
「つまり坂に生えた桃を捥いで収穫して来れば良い訳だな?」
「そういう事。今回は伊邪那岐様の様に、黄泉の奥まで行く必要はない。入口からだと黄泉比良坂は下りになるが、下って行く道中で桃の木を発見すれば、桃の実を捥いで戻れば良い」
「簡単そうだな」
「所がどっこい。そう上手く行くとは限らないのよ。もし見張りに見付かった場合、即黄泉の軍勢が押し寄せる。またひと飛び千里なんて言われる黄泉醜女などは、瞬きする間に追い付かれ奥へ引きずり込まれるから注意が必要だ」
「そのひと飛び千里って言うのが洒落にならんな……注意してても、その速さじゃなぁ」
「うん。他にも問題がある。黄泉へどうやって行くかだ……考えた方法は、4つほどあるんだけど……」
「4つもあれば十分だろ」
「1つは、仮死状態で仮の死人に成って入る。黄泉へ入るのに一番簡単ではあるが、出るのが大変だ」
「だろうな……仮とはいえ、死者に成った時点で黄泉の住民だからな。千引の岩を超えて戻れないだろうし、却下だ」
「2つ目、7年前に僕の両親がやった方法で抉じ開ける。これは何処からでも黄泉へアクセスできる代わりに、開きっぱなしの状態に成る為。黄泉から祟り神やゾンビなどが這い出て来る可能性がある」
「あれはなぁ、条件も色々あってな……産まれる千五百人の赤子と、死者千人の数を逆転させたりとか、色々な条件を揃えなきゃならん。その儀式を記した書物も千尋の祖母、和枝が何処かにやっちまったからな。再現が不可能なので、やっぱり却下」
「3つ目、出雲の正規ルートを使う。だが出雲に入った時点で、出雲の神佑地を管理する大国主命様に見付かる為。事のあらましを説明をしなければ成らない」
「それも問題じゃね? 鬼にやられたとは言え、それが人間の女の運命だから受け入れろって言われた場合……いや、絶対言われるだろ。その女だけを特別扱いするのか!? そこで死ぬ運命だったんだってな」
「だろうね……そうなれば、黄泉への岩は開けて貰えないだろうし。3案目も却下」
「んで4つ目は? 出雲が正規ルートって言ったんだから、裏ルートがあるんだろ?」
「うん。裏ルート……根の国から入る」
「根の国ってあれだろ? 大国主命がまだ大穴牟遅神と名乗って居た頃。兄たちに殺され掛け……いや、何度かヤられたんだっけか? このままだと本当に消滅してしまうと言う事で、母の勧めで木の国から根の国へ逃げたんだったよな」
「うん。その木の国と記されているのが、現代の紀之国と言われているんだ。記紀神話(古事記と日本書紀を併せた相称)には、大屋毘古神様の手引きで、木の国の木の根っこの隙間を抜けて根の国に入ったとされている。名前の由来も根っこの先に在った国だから根の国かな」
「なるほど神話になぞらえて、大穴牟遅神が根の国へ抜けた穴を探そうって訳か」
「そういう事。だからこうして熊野古道を根の国への穴を見付ける為に、歩いてるのよ」
「でもなぁ、熊野古道の全長が何里あるか知ってるのか?」
「知ってるよ。熊野古道の全長が約千キロメートル。1里の長さが現代では約4キロメートルとされているけれど、昔の1里は3百歩分とされていて、だいたい400メートルだから…………2千五百里かな?」
「…………冗談だろ? 根の国への穴を探しながらだと、一週間は欲しいぞ」
セイの言う事も分かる。平地なら兎も角、舗装のされてない山道で、穴を探しながら歩けば一週間でも足りないだろう。だが――――――
「木の根を潜るんだし、山の中であるのは間違いないのだから海岸線ルートは削っていい。あと手引きした大屋毘古神様が祀られた伊太祁曾神社が西側にあることから熊野古道の東半分も無しにできる」
「なるほど、それで高野山から南へ出ている、熊野参詣道の小辺路に絞ったわけか」
「うん。もう一つ付け加えれば、黄泉へ通じる根の国の入り口が町中にある訳ないので、町があるところは省いていい」
だいぶ絞ったとは言え、木ばかりの山中で、目当ての一本を探そうって言うんだから。まさに、干し草の中に針を探すって感じだ。
「とは言ってもなぁ、こう……木ばかりじゃ、一本一本見て回るのも骨が折れるぞ」
「もう、セイはさっきから泣き言ばかり……ちゃんと対策は考えてあるから大丈夫だよ。第一、闇雲に探し回っても仕方がないからね。酒呑童子の手にある、彩さんの魂が道しるべになるのだよ」
「なるほどな。鬼之城の青鬼も言っていたが、人間の魂は黄泉へ引かれていると話していたな。魂が向かおうとしている方角に、根の国への穴があるって事だよな雌龍」
「そういう事! ほら、セイより壱郎君のが、のみ込みが早いじゃないか」
「う、うるさいな。この蛇野郎がのみ込みが早いのは食い物だけだろ」
その呑み込みじゃねえっての。しかも、食べ物の事に関しては、食いしん坊のセイに言われたくないよ、きっと。
しばらく、山道を進んでいくと、酒呑童子の末裔が――――――
「あっ、魂がこっちへ行きたがってますよ。御先祖様」
今迄の様に、整備されていた熊野古道と違い。まったく手入れのされてない、道なき林の中を進んでいく。
「忽那さん。足場が悪いし、彩さんを僕が背負おうか?」
「いえ、このぐらい……彼女を護るのは、ボクの役目ですから」
彼女を想う気持ちは分からんでもないが、転んで傷つけたら本末転倒でしょうに……
仕方ない、できるだけ歩きやすい様に、草木を広めに倒して道を作ってあげる。
まったく強情なんだから。
そこから日付が変わったであろうか? そのぐらい歩いていたと思う。
やがて、大きく育った大樹の前で、酒呑童子の末裔が足を止めると――――――
「ここが目的地付近です」
「カーナビかよ!?」
「かーなび? 何ですかそれ?」
「カーナビ知らない? 大型複合店舗の車用品売り場に、見本が展示されてるの」
「「「 しらな~い 」」」
はいはい、すみませんでしたね。
正哉がああいうの好きで、よく展示物を弄っていて僕も知ったんだけど、人外さん達には興味はないらしい。
壱郎君が仕事用に持ってるスマホにも、似た様な案内アプリがあるはずなんだけど……知らないか。
「念のため、ここに龍脈の出口ポイントを設定しておくね」
「久しぶりに見たな。最近は直接移動してるから、必要ないのかと思ったぞ」
「周りに目印に成る様なモノが何も無いからね。念の為」
さて、記紀神話では木の根っこの間から、根の国へ行った事になってるけど……
大樹の周りをぐるぐる歩いて探すと、丁度裏側に根っこが持ち上がった場所を発見する。
「此れかな?」
「他にそれらしきモノが無いし、たぶん此れだな」
大きな木の根元で、根っこが持ち上がり潜れる様に成ってるのだが、向こう側が真っ暗であった。
龍眼を持っても見通せない闇とか、たぶん此処が入口だろう。
となると問題が一つ――――――忽那さん達をどうするか……だ。
「忽那さんは彩さんの身体とここで待っててください」
「こんな山の中に人間を放置して行くのか?」
「だって、ここから先は根の国だよ。完全な黄泉では無いにせよ、小者の悪霊やら小鬼やらが湧くと、危ないじゃないか」
「俺らで護りながら、黄泉比良坂まで連れてくんだと思ったけど……違うのか?」
「それも考えたんだけど、彩さんの魂が黄泉から戻れなく成ったら、桃を持って来た所で意味が無くなるでしょ」
それこそ本末転倒だ。
「だがよぉ。こんな山奥で、熊とか野犬に襲われたりしないか?」
勿論それも考えた、だが根の国で妖や異形に狙われるよりはマシだろう。遭遇率も熊の方が少ないだろうしね。
その時、僕の中の淤加美様が念話で――――――
『ならば、妾にいい方法があるぞ。根の国の須佐之男命の処に預けたらどうじゃ?』
須佐之男命様かぁ。確かに根の国に住んでいながら、武道派の須佐之男様なら異形から護ってくれるだろうけど……
『僕に面識がありませんよ』
『須佐之男命の姉上である、天照大御神殿が瑞樹神社に遊びに来ているではないか。天照殿の名前を出せば、須佐之男命も嫌とは言うまい』
それはそうだろうけど……神話では暴れん坊だし、嫌な予感しかしないんだよねえ。
淤加美様との念話の最中に、壱郎君が割り込んできて――――――
『おい雌龍。須佐之男命の処に行くなら、オレは館の外で待つぜ』
『ウチも同じく』
『あ~二人とも八岐大蛇だものね。須佐之男命様に倒されてるし、苦手なのは仕方がない』
壱郎君と巳緒は中に入らず外に居ると言い出した。
須佐之男命様は対蛇用の神剣、天羽々斬を持っているのだしオロチの天敵だからね。仕方がないだろう。
『私も御先祖様と一緒に残るから』
『酒呑童子さんも!?』
『私だって、御先祖……八岐大蛇の血を引いてるんですよ。だから見送ります』
げげ……となると、僕とセイとハロちゃんだけか……
『千尋殿、我もできれば残りたいのだが』
マジカ!
そんなにヤバイの? 須佐之男命様。
須佐之男命様が乱暴なのは、神話を読んでるから知ってるけどさ……何か行きたくなくなって来たな。
まぁ木の前で項垂れていても仕方がないので、とりあえず根の国へ移動する事になった。
できれば話の分かる神様であって欲しい。
そう思いながら、木の根の間を潜るのであった。