6-15 鵺(ぬえ)
ヤマミサキを相手に狸達が倒れていく中
香住と小鳥遊先輩は、ほぼ無傷で最後の一体にトドメを刺す。
そんな二人の傷といったら、木の枝に軽く引っ掛けた程度であり、ヤマミサキからのダメージが一切ないのは、さすがと言うべきか。
ドレインタッチで身体を触られなければ良いわけだし。朝のカワミサキ戦でコツを掴んだらしく、上手く避けてはカウンターを叩き込んでいたのだ。
それに比べ狸達の方は、半数以上が竹槍に竹で造った弓矢であり、霊的なヤマミサキ相手では、攻撃がすり抜けてしまっていたので、苦戦を強いられていたみたい。
残り半分の狸は、何処から集めたのか? 名刀と呼ばれる逸品の刀で、ヤマミサキを倒していったのである。
霊体を斬れるのだから、あの名刀は霊力でも籠っているのかな?
狸達の使う数々の名刀も、おそらく名刀獅子王を取りに来たポン吉君みたいに、日本中から集めたのだろう。
今回は緊急だから目を瞑るが、後でちゃんと返しておきなよ。
ヤマミサキとの戦闘も終わり、とりあえず負傷した狸達の傷を癒そうと、長老狸の処へ行くのだが――――――
「どなたか存じ上げませぬが、御助力を頂き、誠に忝い」
そう言って深くお辞儀をする老狸。
どうやら、山口霊神社へ着いた時に囲まれた、若い狸達と違って、鬼だっ! とか決めつけられず、話の分かる御方で良かった。
ポン吉君が前に出て――――――
「御爺さ……いや、長老! 遅くなりました。名刀獅子王は手に入りませんでしたが、その代わり北関東から強い助っ人に来ていただきました」
どうやら、御爺さんから長老と言い直す処を見ると、他の狸達の手前、公私混同はせずに長老と呼んでいるのだろう。
そんなポン吉君の紹介で、こちらも名を名乗る。
すると、長老狸さんが――――――わなわなと震えているではないか。
ヤバっ! なにか変なこと言ったかな?
僕が心当たりを探って居ると、長老狸さんが――――――
「そ、そちらの御方は……もしや天照様では!?」
「ほう、気が付いたか? さすが犬神刑部の末裔よのぅ」
「勿体のうございます。貴女様が地上に降りられると言う事は、何やら一大事が?」
「いやまあ……その……なんだ。観光? いや、視察かな?」
分身とはいえ八咫鏡の紛失は、かなりの大事だから、ソレを地上へ探しに来た。なんて言えないよねぇ。
「視察にございますか? いやはや、お越し下さるのが分かって居れば、御もてなしの準備をさせて居たんですが……生憎、今は鵺が出まして……十分な御もてなしが出来るかどうか……」
「構わぬぞ、妾はこの龍神千尋の処に、世話になって居る故な」
「龍神様ですと!? それで水刃を……なるほど、素晴らしい眷族をお持ちですな」
「あ、いや~千尋は眷族ではない。誘って居るのだが、なかなか首を縦に振らんのじゃ」
「何と勿体無い……」
長老狸さん、勿体無いと言われても困るんですけど
まだ人間の生活全部を捨てる訳にいかないしね。学園もちゃんと卒業したいし。
……卒業……できるかなぁ。国津神に就任して数ヶ月でこの騒ぎだもの。ちょっと自信が無い。
僕は会話を天照様に御任せして、狸達の治療を始める。
すると、僕の中の同居神である淤加美様から念話で――――――
『ほう、また熟練度が上がったのぅ』
『そうなんですか? 自分では分からないんですけど……レベルが上がってるのかな?』
『使えば使うほど上がるからのぅ。初期の回復が再生力を引き上げるだけだったのに、最近では傷を治すまでに至り、さらに今夜は傷だけでなくヒビの入った骨折まで治しておるぞ。そのうち死者蘇生までいったりしてな? 御主がどう育つか楽しみじゃ』
育つねぇ、自分では育ってる気が無いんですが……胸以外は。香住がキレるから口にしないけどね。
他にも死者蘇生とかできるように成ると、今は黄泉の国の女王に成っている、伊邪那美様に怒られそうだよな。
黄泉の住民になる死者を減らすなっ!! とかね。
僕の治療の術で、目を覚ました狸達が――――――
「ありがとうございます。実は……ウチの家内も治して頂けないでしょうか?」
「ウチも倅がやられてて……」
「オラんところは、おっかぁが……」
押し寄せる狸達で収拾がつかなくなってきた。
「わ、分かったから、順番に……ね」
狸達に背中を押されながら、山の中へ入って行くと、そこにはポッカリと開いた洞窟が目見入る。
先頭で案内していた狸が――――――
「ここがアッシらの隠れ家でさぁ」
「隠れ家って……何もないじゃない」
小鳥遊先輩が不思議そうな周りを見渡しているので、僕が――――――
「先輩、何言ってるんです? 目の前に洞窟があるじゃないですか」
「え? 私にはそんなもの見えないけど?」
先輩に見えてない?
霊とか妖とか見える人なのに、洞窟が見えないなんて……
すると先導していた狸が――――――
「無理もありませんて、ここには初代犬神刑部様の結界が張ってあり。人間という種族に対しての、目隠し結界があるんですから」
「人間への種族結界!?」
なるほど、だから僕には見えて、先輩には見えなかったの事に合点がいった。
ささ、こちらです。と洞窟に入って行く狸を見て、香住が――――――
「わっ!! 先導していた狸さんが山肌の中に消えた!!」
「高月さん、消えたんじゃなくて、ここに穴があるのよ。ほら手がすり抜ける」
「本当だ。ここだけ山肌の映像が写って居る様に、幻影があるのね」
二人して不思議そうに洞窟の入り口の幻影へ手を入れたり引っ込めたりしている。
僕には幻影が見えていないが、なんだか二人とも楽しそうだ。
そんな僕らが来るのを洞窟の中で待っている、先導の狸さんが――――――
「昔はこんなモノ無くても人間と上手くやってたんすけど……初代犬神刑部様が、人間のお家騒動に巻き込まれて以来、我々子孫は人間という生き物が怖いと思うようになっちまいましてね。初代犬神刑部様が眷族八百八匹の狸と一緒に封印される前に、残った幼い狸達が暮らしていける様にと、隠れ家を結界で覆ったんでさ」
「それって享保の大飢饉の話よね?」
「えぇ……周りに何と言われようと、犬神刑部様は最後まで人間を信じて、松山城を護ったんですよ」
結局最後は謀反側に加担したと、八百八匹の眷族諸共、久万山に封印されてしまったのか……切ないねぇ。
「しかし人間限定の種族結界と言う事は、襲ってくる鵺には効かないんじゃ?」
「龍神様の仰る通りでして。人間には見えない結界でも鵺には効果が無く、何匹もの狸が襲われてしまったのです。ささ、この奥に怪我人が居りやす」
先導の狸が案内してくれる洞窟は、入り口は少々狭かったが、中は広々としており。背の高い大人でも悠々と歩くことができる程であった。
洞窟は、いくつも枝道があり偶然迷い込んだとしても、先導無しでは奥までたどり着くのは困難だろう。
「迷いそうですね」
「ええ、ちょっとした自然の要塞でさぁ。間違えた道に入ると地底湖へ落ちたり、落盤しやすい道だったりします。あっと、落盤で思い出しましたが、水氣を壁に当てないでくだせぇ」
「どうしてですか?」
「場所によっては石灰質の多い地形でして、水を当てると溶けるんでさぁ」
なるほど、カルスト地形ってヤツか。
水に融解しやすい石灰岩を多く含む地質なため、長年の雨水により鍾乳洞ができやすいと言う。
この洞窟も、そうやって出来たのかも知れない。
もっとも、本格的なカルストと呼ばれる場所は、もっと南のE媛県とK知県の県境辺りと聞くけどね。
案内役に連れられて進んでいくと、突然巨大な空間に到着した。
そこはLEDのランタンで照らされており、さっきまでの暗い穴道がまるで嘘の様だ。
「急に文明の利器に変わったわね」
ヘッドライトを消しながらそう言う香住。
「アッシらも生活があるんで、人間に化けて仕事してますからね。このLEDランタンは稼いだ金で買ったんでさ」
なるほど、悪さをせずにちゃんと買ったのね。
どうやら食料もちゃんと買っている様子なので、ここの狸は人間と共存出来ていると言っていいだろう。
怪我人の部屋へ案内されると、水が壁に飛び散らぬ様に気を付けながら、狸達を治療する。
「おっかぁ!!」
「ポン吉!! お前が無事で良かったよ。それだけが心配で……」
怪我で意識の無かったポン吉君の母狸を治してあげると、親子で抱き合って喜んだ。
他の狸も家族で再開を果たし、滅茶苦茶感謝され崇められたが、何ともくすぐったくて、こういうのは苦手だ。
その後、傷が治った狸達が一番広い部屋に集まり。長老に、鵺との戦闘許可を求める集会を開いた。
広間では、鵺に仕返しをすると血気盛んな狸達が騒ぎ始めたが、長老の静止の声で一斉に狸達が静まり返る。さすが狸を束ねる長老だ。
「皆の衆。今回の鵺の件は、こちらの神々の皆様に御願する事に成った!」
ええっ!? そんなのいつ決まった?
天照様が承諾したのかな?
まぁ、さき程のヤマミサキとの戦いを見ている限りでは、足手まといに成りそうだし、完全に任せて貰った方が此方もやり易いかもね。
「長老、神様達が凄いのは分かりますが……やっぱり悔しいです」
「そうだ! オラ達狸だって日本各地から集めた名刀がある!」
あらら、やっぱり収拾がつかないみたいだ。
ポン吉が地底湖で水を汲んで来てくれたので、御茶を淹れようとするのだが――――――
「あぁ、龍神様っ! 一度火をおこして湯を沸かさないと……外で沸かしてきますから」
「煮沸消毒? どちらにせよ沸かさないと御茶は入れられないし、新しい術を試しますよ」
「新しい術ですか?」
「うん。ポン吉君は電子レンジって知ってます?」
「えっと……箱の中にお弁当を入れると、温まる奴ですよね? 人間がやってるのを見ました」
「そうです。では、電子レンジの原理って分かりますか?」
「……それはちょっと分かりません」
「説明しましょう。水の分子にマイクロ波を当てて振動させ熱を持たせているんです」
「えっと……難し過ぎて、分かったような……分からないような……」
「早い話、どんなモノでも動けば熱を発するって事です。肉眼には見えない程小さい水の分子を動かして熱を出しているんですよ。電子レンジではマイクロ波で動かしているんですが、僕は水神ですからね。マイクロ波を使わずに水の分子を振動させてみます」
初の試みなので、上手く行ったら御の字である。
僕はゆっくりと、水分子に水神の力で振動を掛けた。本来なら2.4ギガヘルツという周波数で振動させるのだが、それはマイクロ波を使った場合。
こちらは、水分子を操れば良いだけなので、分子振動をさせ熱を発生させると、すぐに沸騰し湯気を上げ始めた。
これは敵にも使えそうだが、血液が沸騰するのを考えると、使うのを躊躇ってしまいそうだ。
「千尋、凄いじゃないのよ。千尋が居れば火は要らないわね」
香住が横から覗き込みながら、そう言ってくる。
「電子レンジからイメージした新しい術なんだけど、まだ名前が無くてね。ウオーターバイブレーションって言うのも長いし……しかも、それじゃあ水振動か? 水分子だから……」
「そんなのレンチンで良いじゃない」
「いきなり短いなオイ!!」
「高月さんの味方はしたくないけど、術者同士の戦いでは、呪文の短い方が勝つわよ」
「それはそうでしょうけど……レンチンとか弁当温めるんじゃないんだから……」
なにより呼び名にカッコ良さとか、ロマンが無い。
そもそも神の御業であって、呪文とかの詠唱は無いのだから、呼び名ぐらいカッコ良いのが欲しいのだ。
「千尋はもう……ウダウダと……面倒くさいからレンチンで決定ね! 異論は認めません!!」
強引に決められたよ。香住によって水分子振動に命名されてしまった。
この術、お蔵入りだな……
御茶を出して、殺気立った狸を落ち着かせていると、外を見回ていた天若日子さんから念話が入る――――――
『千尋殿、鵺です!!』
来たか!!
天若日子さんの念話とほぼ同時に、狸の洞窟にもキヒョーキヒョーというか、ヒョーヒョーと言うような、鳥の鳴き声に似た何かが聞こえて来たのだ。
近い例えで言うなら、鉄同士を擦り合わせる、電車のブレーキ音とか、古い自転車のブレーキ音の様な音と言ったらいいかな? そんな鳴き声である。
その鳴き声を聞いて狸達が――――――
「鵺だ!!」
「あの鳴き声は鵺に違いねえ!」
御茶を飲んで、せっかく静まった狸達が騒ぎ出し、武器を持って外へ向かって行く。
「千尋、私達も出るわよ!」
「祓い屋として、数々の妖を葬ったけど、鵺とは初めて戦うわ!」
こっちの二人もヤル気だし。
予備知識もなく突っ込むのは危険だって何度言えば……
僕もすぐに後を追うと、外ではすでに狸達と鵺との戦闘が始まっていた。
思ったより大きいその身体は、狸の様な毛並みの胴体で、頭は猿、手足が虎で、尻尾が蛇という。さながら日本版キマイラと言った処である。
文献では怪鳥と記されているが……鳥? じゃなくね?
鳥には見えないとしても、その爪は鋭く、一撃で数匹の狸に致命傷を負わせた。
せっかく治療したのに……
「ほら、千尋。さっきの新しい術を試す時よ」
「え~あれは恥ずかしいので、お蔵入りに……いえ、やらせて頂きます」
香住に睨まれて仕方なく。水分子振動を使おうとして、鵺の体内の水分を探ると――――――
なんだアレ……体内のどこを探しても血液が無い。
いや、水分自体が皆無なのだ。
「そんな馬鹿な!? 水分の無い生物なんて存在しないはず」
少なくとも僕はそんな生物を知らない。
「どうしたのよ千尋! 早くレンチン使ってみてよ」
「無理だ。鵺には振動させる水分が一切ない」
「水分が一切ないですって? それどうやって生きてるのよ」
「いや、死んでいたとしても、肉の中に水分があるはずなんです。そうじゃなければ、お弁当のお肉は温まりませんから」
「つまり生きてもいないし、死んでもいない?」
「そう言う事です」
なんだろ……こんなの初めてだ。
あのクローンでつくられたオロチでさえ、水分は勿論、血液もあったのだ。
クローン……遺伝子物理学……
まさか、沼田教授が一枚噛んでるんじゃ?
僕が考えている間に、小鳥遊先輩が――――――
「だったら丸ごと焼いてしまえば良いわ!! 水分が無いなら、よく焼けそうよね。千尋ちゃん、狸さん達に下がるように言って!! 灰になれば生きていようが死んでいようが、同じ事よ!!」
先輩は三鈷杵の俱利伽羅剣を取り出すと、そこから炎が噴き出して、鵺を火で包み込む。
さらに天狗の団扇を使い、炎の竜巻をつくり出すと、風に巻き上げられた炎の柱が天高く吹き上がる。
先輩の得意技、火災旋風である。
1000度を超える炎の風に、鵺の身体は、たちまち灰になるだろう。
これで方が付けば……そう思って火柱を眺めて居ると、周囲の狸達が燃えていた。
「ぎゃあああ!!」
「アチチチチ!!」
「やば、火災旋風の輻射熱で、狸達がカチカチ山だ」
鍛冶屋の神、天津麻羅様に創って頂いた神器の玉で川の水を呼びよせると、狸達の火を消した。
僕自身の力だけでは、川の近くまで行かないと、水は呼べないからね。余程水神に縁のある貴船の川みたい処でないと、神器の玉無しで水を遠方から呼ぶのは無理なのだ。
なので、この玉は水神の力をブーストする増幅器の様なモノ。
燃えた狸達の火傷を治していると、先輩の出した炎の柱が小さく成って来る。
どうやら鵺が焼き上がったようだ。
だが――――――燃えた鵺の灰を見て
その場の全員が絶句した。
鵺の灰が一カ所に集まり、元の姿に戻っていくのだ。
「こいつはマズイな……」
いつも巫戯けた事しか言わないセイの一言が、今日ばかりは重く感じられるのだった。
まったく、天照様の嫌な予感は、当たるから怖いわ。