6-12 赤城の大ムカデ
月の、一部も欠ける部分の無い、満月の夜。
僕と香住は雅楽堂から、少し離れた場所に龍脈で移動した。
なぜ直接雅楽堂の前に出ないかと言うと。満月の明かりがあるとはいえ、草木が茂っている山の中では、その光も遮られ、小鳥遊先輩との同士討ちも、あり得るからだ。
龍族には、暗闇を見通す龍眼があるが、人間の小鳥遊先輩には無いので、念のためである。
だったら、ライトで灯をつければ良いと思うだろうが、待ち伏せして居る時に灯を付けたら、僕らが此処に居ますって相手に知らせるようなモノだ。
なので、着いて来た香住には申し訳ないが、灯など無しでゆっくりと雅楽堂へと向かう。
闇の中で足元が見えている僕が先頭になり、香住が僕の尻尾を掴んでの夜間行動であるが、余り持ち上げられるとスカートタイプの緋袴が捲れ上がり、パンツが丸見えなので、もう少し下げて貰いたい。
足元が見えなくて不安なのは分かるけど、香住の肩には僕と同じ龍眼持ちである、淵名の龍神さんが居るんですから、パンツ丸見えは……ちょっと恥ずかしい。
やがて雅楽堂が見えてくる距離に成ると、突然念話が入ったので足を止めた。
『ち…………さ…………千ひ……ん』
この声は、先ほど別れたばかりの赤城の龍神さん!?
相手が赤城さんであるなら、念話が途切れ途切れになるのも仕方がない。
隣の神佑地である赤城山からだと、どうしても念話の直通は出来ないのだ。
距離も遠いしね。
僕が念話に気を取られていると、突然――――――
「雅楽堂を狙う賊め! 覚悟!!」
そう言って満月を背に、燃え盛る不動明王剣を振りかぶる小鳥遊先輩の姿が――――――
「げぇ!」
「え!? 千尋ちゃん!?」
先輩は、不動明王剣から吹き上がる炎の明かりで、僕らの姿が視認できたらしく
すぐに剣を引くも、時すでに遅し。跳んで来る慣性の法則はキャンセルできずに突っ込んで来る。
まぁ……そんな慣性を空中でキャンセルして戻れるのは、ゲームの中の配管工兄弟ぐらいだし、現実には何か反動になるモノが無ければ、慣性をキャンセルできる訳もなく……
そのまま先輩に体当たりされ、斜面を転がる僕。
「ちょっと先輩!! 千尋に何するんですか!!」
「まさか、賊が千尋ちゃんとは思わなくて……」
賊じゃねーし。
香住と小鳥遊先輩が何やら言い合いしているが、こっちを助けてもらいたい。
「酷いなぁ、賊じゃありませんってば……あーあ、引っ付き草が一杯……これ、なかなか取れないんですよ」
そう言って巫女装束についた、引っ付き草…………地方によっては、たかり草とか、ひっつき虫とも言うモノを、指で摘まんでは取り除いていく。
「ごめんなさい。まさか千尋ちゃん達がやって来るとは、聞いて無かったから」
「祓い屋の嬢ちゃんに電話をしたら、声で犯人に気付かれると思って、あえてしなかったのが裏目に出たな」
頭の上のセイが、暢気にそう言ってくる。
上手い事、1人だけ引っ付き草にやられて無いなんて、運の良いヤツ。
そこで、いまだに赤城さんから途切れ途切れの念話が来ているのに気が付き――――――
「すみませんが、香住でも小鳥遊先輩でも、赤城の龍の巫女である神木先輩の電話番号を入力してあるスマホを持っていたら、貸して貰えますか? 先ほどから赤城さんの念話が来ているけど、途切れ途切れで……」
「もう、いい加減スマホ買い替えなさいよね」
そう言って、香住がスマホを貸してくれたので、すぐに神木先輩へ電話を掛けると――――――
『はい、こちら神木です。香住さん?』
「あ、いえ。電話を借りてまして。千尋です」
『千尋様!? 今こちらが大変な……あぁ!! 龍神様っ!! こっちの窓からも、ムカデが……』
ムカデ? 今ムカデって……足がいっぱいあって、ワシャワシャ動く百足の事だよね。
「ちょっと!? 神木先輩、大丈夫ですか!?」
『すみません。今龍神様に代わります』
電話の向こうで、ガラスが割れる音がしていてたのだが、やがて赤城さんの声が――――――
『志穂よ。このまま話せばよいのか?』
はい。もう繋がってますから! と電話の向こうで神木先輩の声がしている。
「あの……赤城さん? 繋がってますよ」
『おぉ、千尋さんの声!? これがでんわと言うヤツか!?』
「聞こえているので、そのまま話してください」
『あい分かった。実は我が赤城神社に帰ってすぐに、誰かがムカデの封印を解いたようでして』
「ムカデの封印って……この地方に伝わる、昔話のヤツですよね」
『えぇ。我とはまた違う赤城の神が、中禅寺湖の水が欲しくてムカデの封印を解き、そのムカデを引き連れて中禅寺湖へ攻め入ったという話です』
「では、そのムカデの封印を解かれたと?」
『はい、不覚でした。しかし、千尋さんに伝えようと思っていたのは、その封印を解いた者が、中でも巨大なムカデを数匹引き連れて、瑞樹の地へと向かったと言う事です。おそらく昼に訪れていた雅楽堂とかいう処へ向かったのかも知れません』
「僕にそれを伝える為にわざわざ? そっちも手一杯でしょうに……」
『なーに。志穂の居ない間、千尋さんには世話になってましたからね。このぐらいは……ええい!! そっちの扉も閉めんか!!』
通話口を手で押さえて居ないので、向こうの声がまる聞こえだ。
実質、赤城の龍神さんだけで戦うようなものだし、神木一家を護って戦うのだから大変だろう。
それに赤城さんは、今まで同じ釜の飯を食ってた仲間だし。見捨てる訳には行かない。
赤城さんの話だと、封印が解かれたのは地方の昔話に出て来る、ムカデって言ったな……だったら――――――
僕は瑞樹神社へ向けて念話を入れる。相手はあの弓の名手、天若日子様だ。
『天若日子様。聞こえますか?』
『千尋殿!? 感度良好ですよ。あと様は要りません。命の恩人ですからね』
さすが同じ瑞樹の神佑地内なら、念話も良く聞こえる。
『えっと……じゃあ、天若日子さん。一つ頼みがあるのです。赤城山でムカデの妖が大暴れしているので、それを射って貰いたいのですが……矢が届きますか? お話だと大ムカデは、矢に射られて退散した事に成ってるので、射撃に弱いはずです』
『赤城山ですね? 了解しました。数分頂ければ高い場所に陣取り、射抜いて見せましょう。しばしお待ちを……』
届くのか!?
赤城山まで直線距離で15キロ以上はあるぞ。
だが、僕の心配も杞憂に終わる。
赤城へ向けて、光の筋が何度も放たれているので、どうやら届いているようである。
まさに神業。
電話の向こうで、神木先輩と赤城さんが――――――
『龍神様! ムカデ数匹が突然粉々に成りましたよ』
『これは、神器! 天羽々矢!? 千尋さん……かたじけない』
「いえ。情報のお礼に、このぐらいはさせて下さい」
『このお礼は、いずれ……』
そう言って赤城さんからの電話が切れた。
スマホを香住に返すと、香住が――――――
「赤城の龍神様は大丈夫? 神木先輩は?」
「赤城山で大ムカデの大群だってさ。天若日子さんが、赤城山に向けて援護射撃してくれてるから、大丈夫だとは思うけど……矢が足りるのかな?」
僕が矢の心配していると、セイが――――――
「天若日子の持つ矢筒も神器の一種で、天羽々矢が常に継ぎ足されるからな。神力が切れぬ限りは矢も切れないって寸法よ」
成る程、弓だけでなく矢筒も矢も神器のセットという訳か。
矢の射程距離といい、とんでもない品物である。射手の腕も良いんだろうけどね。
さて、今しがた念話の知らせがあったって事は、ここへ来るまでまだ時間があるので、僕は持って来た袋を小鳥遊先輩に渡す。
「え? 千尋ちゃん。これなに?」
「どうせ雅楽堂で10時のオヤツを貰ってから、何も食べて無いんでしょ? まだ時間ありそうだし食べちゃってください。簡単なモノで申し訳ないですけどね」
小鳥遊先輩が、袋の中の銀紙を塊を取り出すと――――――
「おにぎり?」
「正解です。今日のお昼はカレーだったんですよ、香住特製のね」
「それで中身がカレーなのね。良くはみ出さずに握れたモノだわ」
「カレーと言う液体が相手なら、水神のなせる業で何とでもなります」
「そうね。カレーは飲み物って言うもの」
先輩。それ、どこの食いしん坊レポーター?
「もう一個の方は、カレーをご飯にまぶしてから、炒めて汁気を飛ばし、ドライカレーにして握りました。中央に入ってるのは福神漬けです」
「あぁ、千尋のつくった脇役だな」
まだ言うかコノヤロウ。
セイの頭を指で突いてツッコミを入れる。
小鳥遊先輩が御握りを食べている間に、引っ付き草を取り除き、ペットボトル2本を開けて罠を張った。
相手がムカデでは、効くかどうか分からないけどね。
そんな時、カサカサと落ち葉を踏み鳴らす音が、こちらへ近づいて来る。
「来たか!?」
僕の言葉に、臨戦態勢をとる香住と小鳥遊先輩だが――――――
「ゴホッ!」
「先輩!? 何吹いてるんですか!!」
「福神漬けが……ゴホッ! 喉に詰まっ……て」
「慌てて食べるからです! はい、御茶のペットボトルです。市販品ですが……」
投げてくれたら受け取るわ、とジェスチャーをし、手を出す先輩にペットボトルを放ると――――――
「千尋! 前!!」
香住の声で、先輩から視線を戻すと、巨大なムカデが3匹ほど、鎌首をもたげてこちらを睨んでいた。
大きさはマクロバスより少し大きめで、口からは涎がたれており、空腹だから食わせろ! みたいな感じで間合いを計っている。
間違っても食われたくないものだ。
そんな一触即発な状態で睨み合っていると、どこからか声が聞こえてくる。
「やはり護衛を雇ったか……店主は呪いの箱で、もう死に体だろう……大人しく道を開けるなら見逃してやるが?」
「アナタがが誰だか知らないけどね。呪いの箱は、千尋ちゃんが解呪させて貰ったわ」
「馬鹿な!? 人間でアレを解呪するには、余程の徳を積んだ坊主、10人は必要だぞ」
「はぁ!? ここに居る千尋は、触っただけで粉々にしたわよ!」
「なんだと!? そんなに簡単に行くはずが……ん? 頭の角……まさか龍神?」
「はい、その龍神です。成り立てですけど」
なんか、先輩と香住に言いたい事いわれちゃって、さらに散々持ち上げられたせいで、僕の前口上が無くなってしまった。
「では、あの店の店主は……」
「ピンピンしてるわよ。ここから首都までマラソンできるぐらいにね」
先輩。練習も無しに、120キロ以上を走るのは、さすがに無理だと思いますよ。
「くっ、ならば力づくで……え?」
相手のその言葉が出た途端に、地面が円錐状の錐の様に持ち上がり、ムカデを1匹串刺しにする。
この中で、土氣を使えるのは唯一人。
『たまにはウチも暴れたい』
カチューシャに成っている巳緒がそう念話してくる。
『ずっと支援で居るから、巳緒が暴れたい気持ちは分かるけど、相手にも何かさせてあげようよ』
彼方さん、吃驚して固まってるし。
相手は何が起こったのか良く分からず、暫らく呆けて居ると、事の重大さに気が付いたのか――――――
「う、動き回れ! 止まってると今のを貰うぞ!!」
その言葉で、大ムカデ達がカサカサと音を立て動き始めるので、僕があらかじめ張って置いた罠……水素脆化を発動する。
これで腹の下の柔らかい処だけでなく、背中の硬い表面も柔らかくなるはずだ。鎧などの金属ほど脆化できないだろうけどね。
僕は直ぐに3本目と4本目のペットボトルを開けて、水の薙刀を創り出す。
その薙刀を斜に構えて、カウンターを狙おうとするのだが、なかなか間合いに入ってこない。
カウンターを読んでるのか? だったら、長さを変えるのみ。
東北でもやったが、水で出来た武器は変化自在であり、長さも形も思いのままなのだ。
長さがこれ以上伸びないと言う、固定観念は危険極まりない。
僕は薙刀を振り上げて降ろすまでの間に、薙刀の長さを一気に伸ばす。
一閃!!
大ムカデは間合いの外に居たはずなのに……と言った驚きの顔のまま、真っ二つになった。
こちらが片付いたので、香住達の方へ行こうと振り返ると――――――
大ムカデが竜巻で切り刻まれていた。
どうやら、小鳥遊先輩の持つ天狗の団扇を上手く使い、竜巻と鎌鼬のダブル攻撃を行っているようだ。
竜巻により動きを止められながら、鎌鼬で切り刻まれていると、鎌首が下がって来る。
そこを狙いすませたように、香住が――――――
「オーラナックル!! はああっ!!」
四国のカワミサキ戦で見せた、氣を纏わせた拳で大ムカデの頭を打ち抜く。
だが相手は、化け物じみた生命力を持つ、大ムカデである。
一説には、頭が無くても動き回ると言うぐらい強い生命力なので、香住が打ち抜いた程度では倒せずに暴れ回る。
香住がバックステップで、大ムカデから離れると――――――
巨大な火柱がムカデを覆いつくした。
小鳥遊先輩の持つ、不動明王の俱利伽羅剣(火)と天狗の団扇(風)の合わせ技。
「火災旋風!!」
火柱は高くまで上がり、空を焦がす。
というか、先輩やり過ぎだ。
秋の山の中は、枯葉が一杯なのに、このままでは山火事になるぞ。
僕はすぐに神器の珠を取り出し、龍神湖の水を呼んで雨を降らせる。
「もう……千尋ったら服が濡れちゃうじゃない!!」
「いやいやいや、香住さん。山火事になるより良いでしょ」
「もうちょっと余韻に浸りたかったわね」
「先輩はやり過ぎです。もう相手は消し炭なんですから、良いじゃないですか」
二人の戦乙女を諫めるのが、ものすごーく大変である。
僕の降らせた雨の中、ムカデの残骸の脇で、腰を抜かしている初老の男が目に入った。
この男が、雅楽堂の御店主が言っていた、呪いの箱を売りに来た、初老の男に違いない。
「先輩、どうします?」
「そうね……とりあえずマヤ姉に、男の顔を確認して貰いましょうか? 間違えたら洒落にならないし」
「大ムカデまで使って攻めて来て置いて、人違いはないですよね?」
「高月さん。殴りたい気持ちは分かるけど、手順ってものがるのよ」
ブーイングして居る香住に手で制して、男の足を持って引き摺って行く先輩。
担いでやらないんかい!
そんな小鳥遊先輩の後を追って、僕らは雅楽堂へ向かうのだった。