6-04 京の都を奔走する
「邪魔が入ったが、鬼ごっこを続けて良いんだよな?」
目線を僕へ向けたまま外さずに、そう言ってくるマッチョな鬼。
自己紹介の時はズボンだけだったが、今は上に緑色のタンクトップを着ている。まぁいくら雄でも、上半身裸で街を歩いていては警察に連れていかれるので、仕方なしと言った処みたいだ。
「僕としては、見逃してほしい処ですよ」
鬼から発せられる威圧感に、じりじりと後退する。
そこへ――――――
「このクソ鬼!! レディをぶん殴るなんて、どんな神経してるのよ!!」
「ふんっ! 殴ってはいない。軽く撫でただけだ。しかし、さすが神族イモリ……頑丈だな」
「誰がイモリよ!!」
怒声を上げる水葉に、僕と鬼が指をさして教えてやる。
「神話に出てくる闇御津羽神様は、井戸と灌漑の神様なんだからさ。その娘と言うキミは、井戸を護るイモリで良くね?」
「良くないっ!! 瑞樹千尋だって似たようなもんでしょ」
「まぁね。でも僕は色々言われてるから……雌龍とか雨女とか蜥蜴とかね。でも、蜥蜴は違うと思うんだ。水棲じゃないし」
「どーでも良いわ……とにかく私には、水葉って名前があるのよ! そこの鬼! よーく覚えなさいよね!!」
「興味がない。オレの興味は、北関東から来た水神の龍だけだ」
「ムキ―! ならば、無視できない様にしてあげるわ!!」
水葉は闇を球体にして纏うと、そのまま突っ込んで来ると思いきや、闇の球体だけを飛ばしてきたのだ!
闇の球体は鬼を目掛けて飛んで行くのだが――――――
「「 遅せぇ!! 」」
飛んでくる球体の速度を見て、鬼と同時に声を上げる僕。
少し早めに歩けば、球体を追い越してしまいそうなぐらい、ゆっくりッと飛んで行くのだから、当たる訳が無い。
しかし、その球体の凶悪さは他にあった。
速度はゆっくりでも、闇の球体が通った後の地面は軽く抉れており、駐車中の車なんかは球状に穴が開いていた。
「誰が弁償するんだアレ……」
「毎年の事だが、鬼ごっこ中に壊れたモノは、後に御利益として、元の物以上の品物が当たったり、何らかの方法で持ち主にプラスで還元される」
つまり中古車でも、新車になって戻って来るって事か……だから戻し様が無い、生きてる人間を傷つけるのは御法度なのね。
「と言うか、あの闇の球体。止まらないし!!」
通り道にあるモノを飲み込みながら、止まる気配のない球体を見て青ざめる。
「止まる訳ないでしょ。これは瑞樹千尋を倒すべく編み出した、新しい術なんだから」
闇の術で僕は倒せないって言ってるのに、このアンポンタン娘め!
しかしこのままだと、球体の通り道は、全部融かして飲み込んでいくので、何とかしないと……
そう思って腰のペットボトルに手を伸ばすと、僕と対峙していた鬼が――――――
「おおおおおおっ!!」
雄叫びを上げながら、身体全体に目視できるほどの、金色に光る氣を纏って球体の前へ回り込むと、闇の球体を両腕で包むように摑まえ、そのまま押しつぶしていく。
「すげぇ……」
「ちょっと何よ、あの鬼!」
僕と水葉が唖然として見ている中、鬼が力を籠める度に、闇の球体は楕円に成っていき、最後は完全につぶれて霧散したのだ。
「ふぉぉ……」
鬼は深く息をつき、張っていた氣を解くと、一回りも小さく成り、武道で言う残心を行っている。
あの闇の球体をハグして潰すなんて……間違っても抱き着かれたくないな。
そんな事を思いつつ、鬼の身体を見ると、着ていたタンクトップは融けてしまい、所々血が流れているではないか。やはり闇が相手では、完全にダメージカットが出来なかったようだ。
僕は水のペットボトルを取り出すと、鬼に近付いて行き回復の水を掛ける。
「お主……いったい?」
「攻撃系の術は禁じられてるけど、回復は禁じられてないからね。それに……負傷者に追われて勝っても嬉しく無いし」
ちょっとだけ、早まったかな? と思いつつも回復を掛けると、元々の再生力の強さも相俟って、忽ちの内に傷は塞がったのだ。
「ふっ、龍にして置くのは勿体ないな。治療はありがたいが、勝負には手を抜かぬぞ」
「お手柔らかに……」
そう言って笑い合う僕達の後ろで、水葉が――――――
「何よ! 何よ!! 私を無視して二人で……良いわ、そんなに死にたいなら、特大な闇の球体をプレゼントしてあげるから!!」
本当に困ったチャンだな……
駄々を捏ねる水葉に、僕と鬼が肩を竦めていると、新手の鬼が2体現れたのだ。
「おう! 熊の。まだ決着がつかんのか?」
「あぁ、まことに手強くてのぅ」
「ほう……あの開始直後に霧を張った雌の龍か……儂も手合わせ願いたいものだ」
「この娘はオレが担当だ。御主らにはやらん」
僕を追っていた鬼が、そう言って一歩前に出ると――――――
「そうそう、あそこの黒い巫女装束の娘なら好きにしてよいぞ。邪魔ばかりされるんで、いい加減苛ついて居った処だ」
僕と対峙していた、熊のと言われた鬼は、顎で水葉を指してそう言った。
「あれは人間ではないのか?」
「いや、龍の娘ではあるようだが、今回の鬼ごっことは関係無い者だ」
「人でなく、今回無関係な龍……なるほど、ボコっても問題ない訳だな?」
後から来た鬼は、拳をボキボキ鳴らしながら水葉へ向き直る。
「な、なによ! 私が本気出したら、あんた達なんて……ひっ!」
2体の鬼は、力を込めてポージングすると、着ていたタンクトップが弾け飛び、その筋肉の双璧を思いっきり晒してきたのだ。
平安神宮にて、自己紹介の時に見ている僕も、その鍛えられた筋肉に圧倒されているのだ。それを初めて見る水葉なんて、小さく悲鳴を上げて固まっている。
「それでは黒衣の娘は任せたぞ。これで心置きなく追えると言うもの……」
「あの2名の鬼は、もしかして……」
「おう! 若い龍神と古龍の婆さんを捕まえた二人だ」
その話を聞いて、僕の中に居る分霊の淤加美様が――――――
『婆さんじゃと!? 妾はまだまだ、ぴちぴちぢゃ!』
『まぁまぁ。ぴちぴちって……服のサイズがあって無いみたいだから、他に言い方が良いですよ』
『なぬ? 古いかや?』
『些か……』
その後も、いと若し! など言い方を考えてる淤加美様を他所に、鬼に向かって――――――
「一人捕まえたら終わりじゃ無いんですね」
「左様。なので最後の一人になると、龍族1に対して鬼族5で追う事に成る」
鬼族1名でも手を焼いてるのに、5名とか……無理だわ。
でも、ここに鬼が3名着ているって事は、セイと壱郎君は無事だと言う事か……
しかし、何で僕に3名来るんだか、意味不明である。
「さて、時間が勿体無いので、そろそろ行くぞ!」
鬼は低く腰を落としたと思いきや、視界からその姿を消した。
すぐさま、龍眼の動体視力を上げると、鬼は斜め後方の死角から襲い掛かろうとしているのが、龍眼の周辺視野にその姿を捕らえた。
考えるより先に、即地面を蹴り距離を開けるのだが、鬼も僕の後を追い地面を蹴って距離を詰めてくる。
一回で跳べる距離は向こうの方が上の様で、此方は数回余計に足をつく。
その分が仇となり、距離を詰められ触られると思う瞬間に幻影を囮にし、大きく距離を取る。
あれだけ近距離で幻影出したなら、氣を読む時間は無いみたいだ。
だが一歩間違えば、2分の1の確率で此方が触れられてしまうし、何より水を消費してばかりで、距離は大して開かないので、ジリ貧である。
出来るだけペットボトルの水は温存する為に、掛川へと入り上流へ逃げる僕。
水の上を走る修業は、淤加美様から一番最初にならったので、水に足を取られずにそのまま走り抜けられるのだが。追ってくる鬼は、足を掬う水などモノともせずに、水飛沫を上げながら迫って来る。
鬼気迫るとは、よく言ったモノだ。
僕は試しとばかり掛川へ向かって、氷結を掛けてみると、凍った川の上で、鬼は派手にすっころび、川石に当たって止まった。
そのまま鬼を確認せずに、出来るだけ距離を開けるのだが、即立ち上がって追い掛けてくる。
まったくタフな奴。
掛川を、このまま上流へ上っていけば、西側の結界の要である、松尾大社が見えて来るはず。そこから西へは範囲外になる為、川から上がり北か東へ逃げなければならない。
北の山の中を逃げるか……東の街の中か……
答えは決まっているな。人間に被害が出ぬ様、山の中を逃げるでいこう。土氣の山中を逃げるのは辛いが仕方がない。
やがて、松尾大社を横目に通り過ぎ、川から上がると、北の山の中を目指す。
本来なら北側の斜面は、結界の外なのだが、人間の工事などで結界が歪み、ギリギリ範囲になっているのだ。
その山の斜面を、出来るだけ木を縫うようにして斜面を走り抜けるのだが、鬼は構わずに木をへし折りながら真っ直ぐ進んで来る。
「自然破壊だ!!」
振り返らずにそう叫ぶと――――――
「どうせ、古神の神々が元に戻す」
にゃろぅ、出来るだけ壊さないようにしている僕の気も知らずに……
その時運悪く、鬼によって折られた木が、僕の行く手を遮る様に倒れたのだ。
「しまった!」
「残念だったな」
鬼は手を伸ばして来るが、僕はすかさず倒れた木の下側へ入り込み、斜面を滑り下りる。
雌になったお陰で、身体が小柄になって居り、本当に助かったと初めて感じたわ。
胸の方はサラシで押さえているから、今の処は引っ掛かる様なものが無い。
サラシが無ければ、胸が邪魔で走れないしね。
そんなコンパクトな状態でも、山中を走れば彼方此方枝などに引っかけるものだから、巫女装束はボロボロである。
着替えは香住が持っててくれてるので、構わずに逃げ回っているが……流石に酷いなりであった。
鬼が追い掛けながら木を倒しまくり、このまま山中を逃げて居た方が、被害が大きいと思った僕は、街へ向けて斜面を下っていく。
すると、京の北側の何処かに出たのだが、土地勘がない為か、場所が良く分からない。
走り抜けながら、電柱に張られた住所のラベルを龍眼で読むと、北区と表記されている。
となると、遠くに見えるは……金閣寺かな? 有名な建物なので、たぶんそうだと思う。鬼に追われているので、じっくり見て居る時間は無いけどね。
2017年にはライトアップされていたと言うが、それも少し見たかった。
金閣寺のお陰で、大体の場所が把握できた僕は、東へ向かって駆ける。
そうすれば、貴船から来る水が混じった鴨川に出るので、操水もし易い。
鴨川までもう少しという処で、大盤振る舞いにペットボトルの水を全部使って鬼を翻弄した。
川まで出てしまえば水は使い放題だし、操水でペットボトルに補充も出来る。
そう思いながら、川までもう少しと言う時。交差点で子供が横断歩道を渡ろうとしているのが目にとまった。
歩行者用の信号の色は――――――赤。
そして運悪く、大型トラックが突っ込んで来るではないか!
たぶん運転手は青信号だから大丈夫だと高を括り、地図を確認しているのか? スマホを弄っている。
直ぐに腰のペットボトルへ手を伸ばすが、先ほど全部使ってしまった事に気が付き舌打ちをして、すぐに子供へ向かって駆けだした。
間に合うか?
やけに時間の流れが遅く感じる時の中を駆け。僕は手を伸ばし、子供を抱えると、跳躍する為に足へ力を籠める。
が――――――
散々、山の中を走り回ったせいで、草履の鼻緒が切れた。
こんな時に……祟られてるぞ!
足に力が入らず、跳ぶタイミングを完全に逃した。
せめて子供だけでも――――――僕は子供に覆いかぶさるようして、トラックから身を伏せる。
すると、大きな影が間に割って入り、片腕を突き出して大型トラックを止めようと試みた。
ドン! と言う音と共に、トラックにめり込む腕。
その暴力的な重量を、地面に足を食い込ませて、止めようとしている。
「おおおおおおおお!!」
闇の球体を潰した時みたいに、雄叫びと共に吹き上がる鬼の氣と、さらに膨れ上がる筋肉。
地面に食い込ませた両足は、アスファルトを削りながら、此方に押されてくる。
間に合うのか? そう思った時――――――
大型トラックは、僕らから30センチの処で止まった。
「じゅ、寿命が10年は縮まった……」
「若き雌の龍よ。無事か?」
鬼の問いに、精魂尽きて声を上げる事も出来ずに、片手を上げて無事だと答える。
少し深呼吸をして落ち着いてから、腕の中の子供を見ると、そこには狸が一匹居るだけで、子供の姿は見当たらなかった。
「子供かと思ったら、狸だったのか? こりゃあ、お互い化かされたな」
そう言って大笑いをする鬼のオッサン。
僕もつられて笑ったが、すぐにトラックの運転手が気になり、トラックの運転席を開けて怪我の具合を確認する。
運ちゃんは、シートベルトをしていたお陰で、目立った怪我はなく。突然の出来事に気を失っているだけの様だ。
まあ、筋肉達磨の大漢に、素手でトラックを止められたんだから、無理もない。
それにしても……本当に片手で止めるとは、淤加美様の言っている事は、大袈裟じゃ無かったと言わざるを得ない。
『ふふん。妾の言った通りであろう?』
『ええ、さすがにビビリました』
僕の中の淤加美様へ、そう言ってから、僕は地面にへたり込んだ。
「なんじゃ。続きをやらんのか?」
「草履がこんなですからね。それに、水も使い果たしたので、鴨川まで逃げれる自信はありませんよ」
そう言ってから、降参ですと両手を上げる。
悪足搔きをしても、川の水を呼んでる間に一撃貰って、撃沈だろうしね。
「残念だな。邪魔が入らねば、もっと楽しめたのに……次は制限なしで手合わせしたいものだ」
冗談よし子さんです。しばらく鬼が夢に出そうだから、勘弁してください。
鬼の言う通り。相手を攻撃できないと言う制限が無ければ、実際どうなっていたか分からないけど……暫らくは再戦したくないです。
「しかし、トラックを止めて頂き、助かりました。ありがとうございます」
「いやなに……先ほど治癒の術を使うのに、水を1本分使わせてしまったからな。その借りを返したまでよ」
そう言って、僕を追っていた鬼は笑った。
遠くにパトカーのサイレンが聞こえてくるので、鬼は僕に手を差し伸べ――――――
「改めて、熊童子だ。なかなか楽しい夜だったぞ」
僕はその手を取りながら――――――
「瑞樹千尋です。今夜は完敗ですよ」
僕は鬼の手を借りて立ち上がると、そのまま逃げる様に、平安神宮へ向かうのだった。
平安神宮に着くと――――――
腰をやられて、淵名の龍神さんに揉んでもらっている貴船の淤加美様と、ボロ雑巾の様になって伸びている、赤城の龍神さんが目に入った。
まぁ、僕の姿も似たようなモンだけどね。
「千尋! どうだったの?」
「終了時間前に、千尋ちゃんが帰って来たのですから、駄目だったのでしょう?」
香住と小鳥遊先輩から矢継ぎに質問される。
「いやはや、完敗ですよ。最後は水切れでね」
あははと笑う僕に、情けないわねぇと香住から容赦ない御言葉を頂き、濡れタオルを渡される。
「顔が泥だらけよ! ちゃんと拭いたら、着替えを渡してあげから」
こういう処がマメと言うか、世話焼きと言うか……小さい頃からそうだったんだけどね。
「まだ捕まってないのは、セイと壱郎君ですか?」
濡れタオルで顔を拭きながら、近くに居た小鳥遊先輩に聞いてみた。
「それがね。オロチの壱郎君は、千尋ちゃんが帰るより、数分の差で運び込まれて……」
先輩は持っていたライトを使い、遠くを照らすと、そこには白目を向いた、オロチの壱郎君に膝枕をする、酒呑童子の末裔の娘が照らし出されていた。
鬼族風の飴と鞭か? 壱郎君の意識があれば、膝枕もまんざら悪くはなさそうだが……
あのオロチの壱郎君を気絶させるんだから、酒呑童子の末裔も伊達じゃ無いってことの様だ。
しかし壱郎君も、のびているって事は――――――
「げげっ……もうセイだけしか居ないって事じゃないですか!?」
降参したのは、早まったかな……
その後も、帰って来た2人の鬼が合流して捜索に当たり。
酒呑童子の娘以外の、4体の鬼でセイを見付けるべく、京の町へ繰り出していった。
2体の鬼が帰って来たと言う事は、水葉は…………まぁ、黄泉行には成っていないと思うが、泣いて帰っただろうな……なにせ大型トラックを止める様な鬼達だもの。
そして、刻々と時間は過ぎて行き。セイを見つけられないまま、ついに夜中の2時をまわり、審判役の大年神様が終了を宣言して、今年の鬼ごっこは終わりを告げた。
「しかし、セイさんはどこに行ったのかしら」
「鬼族の氣を読む力にも引っ掛からないなんて……」
終了しても出てこないセイを、全員で見付けようとするが、全然見つからなかった。
僕は念話で呼びかけながら、落ち切らなかった土を流すべく、白虎の手水舎へ向かうと――――――
居た……小さく成ったセイの奴が、水の中で寝ていたのだ。
どうやら四神である白虎の氣が充満していて、それがセイの氣をカモフラージュしていたみたいだ。
セイを水の中から掬い出し、手のひらに載せて皆を呼ぶと――――――
淤加美様が、一発ポカリと喝を入れた。
「ぬおおおぉぉ! 大婆様何をするんですか!?」
「ほれ、シャキッとせんか! 若龍のお陰で龍族の勝ちじゃ」
セイは何事か分からぬまま、周りを見渡して居たが、大年神様の宣言により、来年も豊作と決定された。
「俺はいったい……確か……ラーメンとチャーハンセットを食べて……その後ギョウザと麦の御酒があるって聞いて呑んでたら、どうでも良くなって……」
セイの言葉を聞いて、一生懸命捜していた鬼達が、もの凄く疲れた顔をしている。
分かる! 分かるぞ! 鬼達の気持ち。
セイは、いつもこんななんだ。
しかし、今回は勉強になったわ。
本当に、度を超えた筋肉の恐ろしさを、身に染みて実感した鬼ごっこであった。