6-03 霧の古都
「成りません! お嬢の身に何かあっては、亡くなられた親方様に、合わせる顔がありません!!」
ボディビルダー顔負けのマッチョ男……いや、マッチョ漢と言った方が様になる茨木童子が、代わりに出場すると言った酒呑童子の末裔である、雌の鬼を説得すべく、大声をあげて出場を遮る。
「嫌だ!! 御先祖のオロチ様が出て居られるのに、私が出ないとか、あり得んだろ」
「危ないことは、お止め下さいませ! 彼方は獰猛な龍族なのですよ」
獰猛? 龍族が今迄やって来た行いを振り返ると、獰猛とはあまりにも掛け離れている光景が脳裏に浮かんだ。
まぁ……食いしん坊ではあるな。
そんな言い合いをして居る鬼族に、審判役の大年神様が――――――
「いい加減にせんか!! もう開始時間を過ぎて居るのじゃぞ!! 終了の時刻は動かさんから、御主等鬼族側の追う時間が減るばかりじゃ!! 分かって居るのか!?」
そう怒鳴りつける大年神様に、もう少しお待ちを……と言いつつ、説得に戻る茨木童子。
しかし、良い事を聞いた。このまま言い合いを続けて貰えば、6時間耐久鬼ごっこが、5時間……4時間と減っていくではないか。
僕は念話を鬼族に聞かれぬ様、龍族限定の周波数にして――――――
『このまま終わりまで、言い続けてて貰えないかなぁ』
『いやいや、千尋さん。大年神殿が付いてますし、そこまでは無いでしょう』
『どーでも良いけどさぁ。やるのかやらねーのか、早く決めてくれ』
『まったく御主らは……緊張感がないのぅ。すぐに始まるじゃろうて……』
赤城さんに始まり、セイと淤加美様が続いて念話を返して来る。そして――――――
『あ、危なかった……もう少しで上半身と下半身が、さよならする処だった』
何故か、念話に割り込んで来るオロチの壱郎君。
『あれ!? 壱郎君も念話に入れるの!? 龍族限定周波数なのに』
『オレも今夜は龍族だろ?』
『ネギ龍だけどな。念話の周波数は俺が教えた』
セイの仕業だったのか。仲間内の連絡は取れた方が良いし、ナイス判断と言っても良い。
市内ぐらいの広さなら、全域を念話でカバーできるので、鬼の位置を知らせて共有しやすいし、情報戦では一歩先を行ける……と思いきや、淤加美様から――――――
『まぁ、鬼達も独自の念話周波数を持っているがのぅ』
あらら……考えてみればそうか、彼方も人外なんだものね。
そんな事を念話していると、茨木童子が――――――
「お嬢が出るのに、我が出ない訳にいかぬ。仕方がない……四天王から誰か外れてくれ」
そう鬼族四天王の方へ向き直り、一人外れる様に言い渡した。
四天王は不満げに、そりゃあ無いっすよ~と泣き言を言っていたが、最後はジャンケンをし外れるメンバーを決め始める。
さすが現代の鬼。ジャンケン出来るんだ……
結局時間は、開始時間の20時から30分も食い込んで、金童子と言うマッチョ鬼が抜けることで決着がついた。
溜息をつきながら大年神様が――――――
「それでは始めるぞ。ルールは聞いて居るな? 鬼族が10数える間に龍族は逃げよ」
つまり10秒早く、こっちは動けるわけだ。
大年神様の始めよ! の合図で、みんな逃げていく龍族を他所に、僕だけがそこに残り続ける。
勿論その間、鬼族のカウントダウンは止まらない。
「早く逃げぬと数え終わるぞ」
「大年神様、攻撃に使わぬなら術は使用可能でしたね」
審判役の大年神様へ確認を入れると、うむ! と頷くので、僕は緋緋色金の余りで創って貰ったビー玉神器を取り出すと、お隣の県にある琵琶湖の水を拝借する。
僕が何をするのか分かった香住と小鳥遊先輩が、折りたたみ傘を出すのが見て取れた。
さすが、付き合いが長いだけあって、僕の行動が良く分かってらっしゃる。
僕はそのまま、琵琶湖を引き寄せると、市内全域に軽く雨を降らせた。
良い御湿り具合になった処で、鬼のカウントダウンが――――――
「3……2……1……ゼロ! こんな雨ごとき……意味なかったな雌の龍神よ」
数え終わった鬼の一人が、僕に手を伸ばすが、その手は僕の身体をすり抜けるのだった。
「視覚光が写る水分を乱反射させて像を暈しているのか!?」
茨木童子が絡繰りに気が付いて声を上げる。
しかし市内全域に雨が降った以上、今更気が付いたとしても、すでに遅いのだ。
僕はニヤリと笑みを浮かべながら――――――
「ここからが真骨頂。これだけ湿気が上がれば、発生させるのは楽々です」
「マズイ! この雌龍はまだ何かやる気だぞ! 早く幻で無い、本物を見付けよ!!」
そう茨木童子が声を上げるが、時すでに遅し。
「濃霧!!」
僕がそう叫ぶと、市内全域で地面から白い霧が沸き上がり、どんどん姿を隠していく。
「やられた! 視覚を完全に奪われたな」
そう苛立ち声をあげる、茨木童子達を背後にしながら、足音を立てぬ様に、ゆっくり平安神宮を出て行くのであった。
丁度その時、赤城の龍神さんから念話が入り――――――
『違っていたらすみません。この霧は千尋さんの術ですか?』
『えぇ、攻撃の術でなければ良いって聞きましたからね。御湿り程度ですが琵琶湖の水を少し頂きました。皆はまだ無事ですよね?』
僕が安否確認をすると――――――
『まったく、良く知恵が回る奴じゃ。妾は建物の屋上から市内を見渡しておるが、2階以下の高さは、霧で何も見えぬがのぅ』
淤加美様はどこぞの屋上か。
『オレも無事だぜ! 今の処な』
3龍……1匹蛇がいるけど、全員ともに無事だと念話が入る。それもそのはず、今回……人間に攻撃をすることは、即負けになるほど重いペナルティを受けるので、濃霧で龍か人か分からずに、人影を捕まえようとして危害を加えれば、そこで鬼族の負けになる。
だから鬼族は、飛び掛かって確保! などと言う思い切った行動に移れないのだ。
しかし、一つだけ気になる事が……それは、先ほどからセイからの念話が、一度も無いと言うのが気掛かりであった。
『ちょっと、セイ!? 大丈夫?』
何度か呼びかけると――――――
『おっちゃん! チャーハンセット…………しまった! 念話で言っちまった』
『おまっ!! 何がチャーハンセットだ!!』
『いや……何でもない。無事だぞ無事』
『どっかのラーメン屋で、チャーハンセット食ってる場合か!!』
『あはは、面白い店見つけてさ。俺の隣に座った客なんて、チャーハンにチャーハン付けてるんだぜ』
『マジで!? それダブルチャーハンじゃないの!?』
『うむ! いや~西日本は面白い店が多いな。味も美味いし』
と言う具合に、セイと念話していると――――――
『お前ら真面目にやらんか!』
貴船の淤加美様から、お叱りの念話を頂いた。
でも、濃霧が切れるまでは、鬼族も大胆な行動はとれないし。店に寄るなら今の内でもある。
市内では突然の濃霧に、市役所からの放送で、濃霧による事故を気を付ける様にと、呼びかけられていた。
水量も一時的に降らせただけなので、早ければ21時半……遅くても22時には霧も晴れるであろう。
しかしながら、完全に濃霧で油断していた僕に、チョーカーに化けた巳緒から――――――
『千尋! 後方100メートルぐらいを疾走する氣が、こっちに真っ直ぐ向かってるよ!』
巳緒の警告を聞いて、急いで幻影の分身を創ると、そこから跳んで距離をとる。
が――――――
鬼は囮の幻影の方へは行かず、僕の方へ真っ直ぐ向かってくるではないか!?
つい脊髄反射で氷結を使いそうに成るのだが、大年神様の攻撃術はダメと言ったのを思い出し、氷結を地面に向けて放つ。
地面の上の水分が凍り付き、鏡の様にキラキラ輝きを見せる上へ、鬼の足が乗る。
体重が氷に乗り切ると、氷上で摩擦が殆ど生じない為、派手にすっころぶ鬼。
これも攻撃の様に見えるかも知れないが、僕が氷結を使ったのは、あくまで地面に対してであり。鬼に向けて使ったのではないので、恐らくセーフであろう。
何か言われたら、そう弁解しようと思いながら、起き上がろうと藻掻く鬼をそのままにして、僕は南へ駆けていく。
しかし気に掛かるのは、どうやって幻影と本物を見抜いたのか? 偶然?
いや、鬼の行動に迷いが無く。霧を抜けた時には本物である僕の方へ、猫まっしぐらならぬ、鬼まっしぐらであった。
まさか……氣を読んでいる?
そんな嫌な憶測が、僕の脳裏に浮かんだ。
濃霧のせいで、見通しの悪い交差点には警察官さんが誘導をしている様だが、そちらには目もくれず僕へ真っ直ぐ向かって来るところを見ると、やはり氣を読んでいると思うしかなかった。
そうなると、濃霧は意味をなさない。
僕を追てくる鬼を見て、信号待ちをする時間も無いと判断し、龍の脚力で道そのモノを飛び越える。
幸い濃霧で、通行人に姿を撮られる事も無いだろうが、折角の濃霧の術だったのに、姿を撮られないだけの術に成ってしまった。
龍眼を使い、暗視望遠モードにして、遠距離から通行人の腕時計を読むと、時刻は21時半を回った処みたいで、あと4時間以上も逃げ回るのかと考えるだけで、気が重くなる。
僕は鴨川の水を使い、水氣を濃くした実態のある水人形を創り出す。
これなら幻影と違い、実態もあるし水氣も濃く残っているので、氣を読むなら引っ掛かる筈。
案の定、鬼は追う足を止めて、どれが本物か迷って居る様であった。
「堂々と追いかけっこ出来ずに、すみません」
「なーに、毎年追うだけでは、さすがに飽きて来た所よ。今回は色々と学ぶものもあって、実に面白い」
鬼はそう言って、近くの水人形に触れると、パシャリと水風船を割ったみたいな音を立てて、水人形は水へと戻った。
そこへ、赤城さんから念話が入る――――――
『千尋さん、すみません。捕まりました』
『え!? 大丈夫ですか!?』
そこまで言って、念話だけでなく。実際の声にも出していた事に、気が付いたのだ。
視線を鬼に戻すと、水人形には目もくれず、真っ直ぐ僕へと向かって来るのが見て取れる。
マズイ。先程迄、出来るだけ唇を動かさずに喋って居たのに、完全に動揺して声を上げてしまった事で、喋らない水人形と区別がついてしまった様だ。
「残念だったな龍の小娘。これだけ多彩な術を使う、水神の龍は初めてだったぞ」
そう言いながら僕へ手を伸ばす鬼。
相手に攻撃の術が使えないなら、自分に向けて使えば良い。
僕は自分の足元の地面に水素の気体を集めて、圧縮着火を行う。
「水素爆発!!」
自分自身へ直接の爆破は、術反射が効いてしまうので、足元を爆破した反動で、自分の身体を吹っ飛ばした。勿論、術の爆風ダメージは、術反射でノーダメージである。
爆発の反動だけで空を飛ぶ僕だが、さすがに吹っ飛ぶ方向は、計算してる暇が無かったので、完全に運任せであった。
この間に、念話をして安否確認をすると、どうやら淤加美様も油断していて捕まったようだ。
残りは、今回初参加の3名であるが、セイの奴……ラーメン食べ切ったのだろうか?
チャーハンのチャーハンセットは、今度セイにお店を聞いて食べてみよう。
そんな事を考えながら、自分の飛んで行く方向を見てみると、急な緊急事態に青ざめた。
このままだと、鬼ごっこの範囲から逸脱してしまうのだ。
マズイ! 此処まで頑張って反則負けとか、嫌な終わり方すぎる。
僕は大きく手足を開いて、空気の抵抗を大きくしてみるが、たいして速度は落ちなかった。
「嘘!? こんな終わり方、嫌だああああぁぁぁ!!」
そう叫んでみるものの、無情にも範囲を出てしまった――――――
と、思いきや。
真横から何者かに蹴りを叩き込まれ、鬼ごっこの範囲ギリギリの地面に頭から突っ込んだ。
「捜しましてよ! 瑞樹千尋!!」
僕は、どうにか頭を地面から引き抜くと、そこには鹿島神宮で鯰を起こした龍の娘が、街灯の上から見下ろすような形で立っていた。
「助かったよ。盗人ツインテール。八咫鏡を返しに来たの?」
口の中に入った土を吐きながら、街灯の上の龍娘へそう言ったら。
「誰が盗人ツインテールよ!! ここに来たのは、アンタと決着をつける為に決まってるじゃない!!」
こんな時に、間の悪いヤツめ。まぁ、お陰で範囲から出ずに、助かったけどさ。
「今日は忙しいから、キミと遊んでられないの。名無しの権兵衛ツインテールさん」
「誰が名無しの権兵衛よ! 私には、母様が名付けてくれた、水葉って名前がちゃんとあるのよ!」
「へえ、今初めて名前を聞いたし。でも神話では、闇御津羽神様には、娘は居ないよね?」
姉の淤加美様には、日河比売と言う娘さんが神話に表記されており、氷川神社で祀られている川の神様ではあるが、闇御津羽神様には娘の表記は無いのだ。
「そんなこと知らないわよ! 人間が書き忘れただけじゃないの? それに、私の母様が闇御津羽神だって話したっけ?」
「いや、話して貰ってないけど、何となく分かったよ。単純な消去法でね。 それにしても……人間に忘れられちゃうような子なんだ?」
「うるさいわね!! 書き損じた人間の落ち度で、何で私が責められるのよ!!」
兎に角、勝負よ勝負!! と叫ぶ水葉と名乗った龍の娘。
「だから、今はマズイんだってば」
「マズイなら、私が美味しく料理してあげるわ!!」
話を聞かねーヤツだな。
水葉はそのまま街灯の上からジャンプすると、僕へ向かって闇を展開した。
術は僕に効かないのに、この娘はいつに成ったら学習するんだろう。
まぁ、すれ違い様に尾撃を繰り出して、目を回している内に逃げるか……そう考えカウンターを放つ為に備える。
水葉は、そのまま闇に包まれ、僕へ向かって落下して来るのだが、もう少しで僕に触れる――――――そう思った時、横から筋肉質の手が伸びて来て、水葉を吹き飛ばした。
「ぎゃぶるるんっ!!」
凄い悲鳴を上げ、水切り石を川へ投げ込んだ時みたいに、地面を跳ねながら飛んで行ったのだが……大丈夫か?
「捕まえたと思ったのに、邪魔が入ったか!」
その声に僕は後方へ跳んで距離を取る。
「オッサンもタフだね」
「ふっ、自分に爆発の術を掛けて逃げるなんざ、お前さんも頭のネジが吹っ飛んでやがるな」
「そりゃどうも」
術反射持ちじゃなければ、危なくてやらないよ。
「でもよ。オレが今吹っ飛ばしたヤツ……人間か? 人間なら、俺達は失格に成っちまうんだが……」
「あぁ、今のアレ? 人間じゃないですよ。通りすがりのイモリです」
(※豆知識。井戸を護るのはイモリで、家を護るのがヤモリと言われている)
だいたい、アンタの腕力で殴られたら、人間なら粉々だぞ。
そもそも、水葉は闇を展開していたのに、何で鬼の手は無事なんだろう……普通なら融けて無くなってるはず。
「オッサンは、殴った右手、何ともないの?」
「あん? あの闇の塊の事か? なんか嫌な感じがしたんでな。氣を右手に纏って撫でたら飛んでったんだ。殴ってはいねーよ。 ん? 少し服が融けてるな……」
撫でたって……しかも、融ける闇に触れて、服だけって凄すぎるだろ!?
淤加美様の言う、普通の鬼ごっこと訳が違うといった意味が、ようやく分かった。
鬼族は、純粋に戦闘する為だけに、特化した一族なんだ。
そりゃあ、身体の丈夫な龍族が、相手に選ばれるわけだわ……
「今のが人間じゃ無いなら、反則負けは無いな……それじゃあ、続きと行こうかね」
鬼のオッサンは、僕に向き直りながらそう言った。
あぁ……あと4時間どころか、15分も生きて居られないぞ……
そんな事を思いながら、捕まらない事より、生き残れる様に考えを巡らせる。
果たして……僕は、生き残れるのかな?