5-23 解凍
鹿島神宮から帰って来たあと、北関東の山の中にある瑞樹神社でも、すでに日が昇り。
今から寝たら、確実に寝過ごす……いや、香住の目覚ましアタックがあるので、寝過ごしはあり得ないと思うが、僕の寿命が確実に縮む。
仕方が無いので、一睡もせずに学園へ行く事に成るのだが、通学するには少しだけ時間が早い。
この微妙に空いた時間も、有効に使わないと勿体無いので、先日フリーズドライ状態の御堂さんを復活させるべく、倉庫からお祭り用の大鍋を持ってくる。
「なんだ千尋、大鍋なんか出してきて、芋煮でもするのか?」
鍋に回復の水を張っていると、セイがやって来て、そう聞いてくる。
「違うよ。芋は銀紙に包んで、向こうの焚火」
僕が指をさす方向には、落ち葉を集めて火を着けている荒神狼のハロちゃんと子狐ちゃんズが、焚火を中心に集まっていた。
火を怖がらないのは、さすがと言うべきか……我らは普通の動物とは違う! と言った気概を見せている。
「おお! 鹿島神宮で貰って来たサツマイモだな? じゃあ、この鍋は?」
「こっちは御堂さんを回復水で解凍するの」
「あぁ……あの陰陽師の人間か……あのまま固めて置けば平和なのに」
「そうも行かないでしょ。一応、西園寺さんにも頼んだけど、天若日子様の憑依してた人間の身元がね……やっぱり憑依の術を行った、御堂さん本人に聞いた方が早そうだし……よっと!」
僕は回復水を鍋一杯に溜めると、焚火を見ていたハロちゃんを呼んで、鍋に火を吹いて貰い水を温めて行く。
その間、指を湯に入れて湯加減を調整していると、セイが――――――
「少し熱めの方が良いんでね?」
セイの意見を聞いて、少し熱めの江戸っ子風呂にすると、御堂さんを叩き込む。
「そして予め煮えたモノがこちらに……」
「料理番組か!! まさか本当に無いよな?」
「御堂さんが独りしか居ないのに、ある訳ないでしょが」
「うむ、少し驚いた。ついでに、良い出汁が出そうな比良夫貝も、一緒に入れとくか……」
セイはそう言って、懐から出した比良夫貝を鍋に放り込んだ。
「ちょっとそれ! 崩れた逆さハルカスと一緒に、虚構空間へ置いて来たんじゃなかったの?」
「脱出が間に合わなかったら、貝を起こして崩壊を止めさせようと思ってな。結果は祓い屋の嬢ちゃんのお陰で、脱出が間に合ったから不要に成ってしまった」
成る程、それで比良夫貝を持って来たのか。
しばらく、御堂さん達をお湯に浸ける……だいたい10分ぐらい経った頃。
「ぶあああ熱っちぁああ!」
悲鳴にも似た声をあげて、鍋から跳び上がりながら、御堂さんが復活した。
「おおっ、見事に解凍したぞ」
「良かった。戻らなかったら、どうしようかと……」
僕達が少し離れた焚火の前で、銀紙に包まれている芋を引っ繰り返していると、御堂さんは鍋を蹴飛ばして、裏の小川へ向かって行く。
「熱々の風呂なら氷用意しておいてやれよ。テレビの番組だと用意してあったぞ」
「押すな押すなってヤツ? アレ面白いよね」
「うむ、水着に着替えるのが良い。時間が来ると着替えてる途中で、見えそうになるの」
「そっちかよ! エロ龍め」
「しかしあの人間、かなり慌てて走って行ったな……冷水なら、手水舎のが近いのに……」
僕達が冷めた目で御堂さんを見ながら、芋を突いていると、いきなり視界が180度反転した。
何が起こったのか? 角が地面に刺さったまま周りを見渡すと、僕の直ぐ隣でセイが僕と同じ様に逆さまになっていた。
運が悪いことに、セイは角ではなく顔面を地面に打ち付けて、シャチホコの様になっている。
「だ……誰だか知らんが……酷でぇ事しやがる」
「逆さまにして喜ぶヤツと言ったら、比良夫貝しかないでしょ。あのO阪のハルカスですら、逆さまにしたんだから」
そう言って御堂さんが蹴飛ばした鍋を見ると、鍋の横で赤く茹で染まった比良夫貝が、カタカタ殻を鳴らして笑って居る様だった。
尊さんやハロちゃん達が無事なので、比良夫貝は自分を凍らせた者を、ピンポイントで狙うようだ。
「貝類の癖に生意気な!」
「セイが余計なモノを、鍋に放り込むから……」
「バター醤油を掛けて食ってやる!!」
セイは立ち上がって、足を踏み鳴らしながら比良夫貝へ向かっていくと、再度逆さまにされて地面に濃厚なキスをした。
「なぁセイ……地面は美味しいか?」
「砂利砂利する…………あったま来た! 止めるなよ千尋」
別に止めないけどさ、僕を引っ張り起こしてくれないかな? 角が刺さってて抜けないし。
どうにか角を抜く方法が無いかと考えて居ると――――――
「おはよ。何遊んでるのよ?」
そう言って現れたのは、幼馴染の香住だった。
「いや、芋をね……落ち葉に火をつけて焼いてたんだけど……」
「ふ~ん。逆さまになって焼くんだ?」
「ヨガスタイルだからね。焼けた芋食べてってよ」
「それは良いけど……セイさん……大きな貝に食べられてるよ」
香住に言われて視線を向けると、比良夫貝に上半身が呑み込まれたセイが、苦しそうにもがいていた。
神話で、背丈が2メートルを超えた、大男の神で有名な猿田毘古神を、海底に引きずり込んだ化け物貝である。人化しているセイでは、ひとたまりも無い。
「バター醬油で食べるって言ってたから、セイも本望でしょ」
「いやいやいや、食べてるんじゃなくて、食べられてるんだって……」
そう言いながら、僕を引き起こしてくれた。
やっと視界が元に戻ると、香住の肩に乗っている淵名の龍神さんが、人化しているのに気が付く。
「淵名さん! 人化できるまで回復したんですね!」
「お陰様で……本当に千尋殿には、色々と世話に成った」
「僕は呪弾の破片を取り除き、傷を塞いだだけですよ。その後の看病は、香住が付っきりでしたから」
「香住殿には、本当に助けられた」
「いえ、そんな……もとはと言えば、私が撃たれるのを、庇ってくださったんですもの。看病させて頂くのは当然です」
香住と淵名さんが、何とな~く良い雰囲気に成っていると。比良夫貝に食われていたセイが、巨大な龍に姿を戻して、比良夫貝の殻を抉じ開けていた。
「どうだ!! これだけ巨大化したら、食えねーだろう!?」
セイの言葉に怯むことなく、比良夫貝も巨大化して対峙する。
「ちょっと! 怪獣映画みたいになってるんですけど」
香住が唖然としている前で、巨大龍と巨大貝の戦いが繰り広げられ様としていた。
比良夫貝が水鉄砲を撃ち出すと、セイも水ブレスを吹いて応戦する。
「やめーい! 神社の外へ、丸見えでしょうが!」
僕が怒鳴り声をあげると、セイが困った顔をしながら人化して、人間と同じ大きさまで縮まった。
「だって、こいつが先に……」
「セイが鍋に放り込んで起こしたんだから、責任もって飼いなさい」
「待て待て、あの陰陽師の式神だろ? 主に責任取らせろよ」
「そう言えば、御堂さん。どこまで冷水を求めて行ったんだろ?」
一向に帰ってこない御堂さんを心配して、社の裏手に視線を向けると、ハロちゃんが――――――
『あの人間なら、鳥居をくぐって出て行く処だ』
そう言って、焼けたベニアズマを銀紙の上で転がしながら、器用に皮をむいて食べているハロちゃん。
あの肉球で芋の皮を剥くとは、器用な事この上ない。
誰も追おうとしないので、このままでは御堂さんに逃げられる! そう思っていたら、鳥居をくぐって下りて行った筈の御堂さんが、すぐにまた戻って来た。
僕らの姿を見て踵を返し、再び鳥居をくぐって下りて行くのだが、また戻ってきてしまう。
そんな不思議な光景を見ながら、子狐ちゃん達が悪い顔をしながら、くすくす笑っていた。
あぁ、そう言う事か……初めて宇迦之御霊様の処へ行った時、伏見の千本鳥居で僕もやられたっけか……
所謂、狐に化かされたってヤツだ。
あれは見破れないと、堂々巡りを永遠とさせられると言った、実に嫌らしい術である。
そんな事にも気が付かず、御堂さんは何度も鳥居をくぐるのだが、その都度境内に戻って来ると言った一人コントを繰り広げていた。
「諦めの悪いヤツだな……熱つつ」
セイは焼けた芋の銀紙を剥きながら、大きな口に頬張りながら、ギャラリーをしていた。
その内、見ているのに飽きた香住が、焼けたサツマ芋を持って、玄関へ入って行く。
御堂さんは諦めずに何度も繰り返し、何十回という石段の上り下りで既に息を切らせ、最後は歩いているのと変わらない速度であった。
途中で数えるのが嫌に成り、正確な回数は分かっていないが、そこへ至る前に、陰陽師なんだからループに気が付くと思っていたんだけど……
なぜ陰陽術でループを破らないのかが不思議だった。
「あれ、本当に陰陽師か?」
「そのはず……セイもO阪の逆さハルカスで見たでしょうに」
「あの帝釈天の雷撃だろ? それより鹿島神宮で受けた雷撃の方が痺れた」
アフロになったヤツな。
まだ雷を完全に制御できず、大体この辺に落とすよってぐらいしか、操る事が出来ないのだ。
理論だけの状態で、実戦では初めて使った落雷だからね。要練習である。
視線を芋から御堂さんに移すと、疲れ切った主を心配そうに見て、どうして良いか分からずに居る比良夫貝が、何だか不憫であった。
そんな時、玄関の引戸が乱暴に開けられて、香住が物凄い勢いで向かって来た。
「芋が足らなかったの?」
「ち、違うわよ! いいい居間に、新しい神様が……」
「あぁ! 香住は昨日、大人しく帰ったから知らないのか。彼方は天照大御神様。天津神の最高神です」
「ちょっ!! 和枝お婆さんと時代劇観てたわよ!?」
「婆ちゃん早起きだから、毎朝早朝にやってる時代劇の再放送観てるんだよ。鹿島神宮から帰ったら丁度観ててね。天照様も一緒に観始めたってわけ」
他の神様の様に、ゲームに嵌まるかと思いきや。時代劇とは渋い。
一部分だけ切り離して、地上へ降り立ったと言うので、見た目は少女なんだよね。
でも、そうしないと太陽が昇りっぱなしに成って、夜が来なくなると言うのだから、さすが最高神だけはあって半端ない。
しかしながら、あの姿で時代劇を観るのは渋すぎる。まぁ……小さい時から婆ちゃんと一緒に、時代劇を観ていた僕が言うのもなんだけどね。
殺陣のシーンとか格好良すぎて、正哉と巫戯けながら傘を打ちつけ合い、ボロボロにしてしまい。婆ちゃんに怒られて以来、刀は封印されたのだ。
僕がまだ、男の子をやってた時の、貴重な思い出であった。
とりあえず、事態が飲み込めていない香住に、昨夜のことを話して聞かせる――――――
「…………そう言う事で、僕が八咫鏡を取り戻すと、無罪放免ってわけ」
「なるほどねぇ。じゃあ出雲行きは免除されたんだ?」
「うん。その心配が無くなって良かったよ。赤城の龍神さんも淵名の龍神さんも出雲行きだからさ、身代わりを頼もうにも、セイか壱郎君しか居ないんだよね」
「何か問題なの?」
「旧暦の神在月の間、1ヶ月も留守にするからさ。身代わりを頼む二人に小テスト対策で、東照宮を建てたのは誰? と聞いてみたんだ」
「あ~読めた!! 大工さんって答えたんでしょ」
「いや……人間って答えたんだ……しかも、二人同時に」
僕と香住の会話に、セイが割り込んできて――――――
「だって人間だろ? 妖が建てた訳じゃあるまい」
龍にとって誰が建てようが、そんな事は興味ないと言った感じであり。どんなに偉い人でも、等しく人間なのである。
だがそれは龍の価値観であり、人間の小テストでは不正解を頂いてしまう。
出雲行きが免除なら、自分でテストに挑めるし、それならどうにでもなる。
そんな話をしていると、御堂さんが力尽きたのか、鳥居の下でうつ伏せに倒れていた。
「あの人間、頑張ったではないか」
「こちらにしてみたら、鳥居の下に放置できないからね。余計な手間が増えただけだわ」
セイに比良夫貝の相手をして貰い、その間に倒れた御堂さんを空いている部屋へ運ぶ。
布団を敷いて御堂さんを寝かせた後、居間へ行くと集まった神々に――――――
「僕が学園へ行ってる間、目を覚ました御堂さんに、気を付けてくださいね。憑依とか面倒な術を使いますから」
「それなら大丈夫じゃ。人間の身体に神を降ろす……所謂、神懸かりと言う儀式は出来ても、神の身体に何かを降ろす事は出来ぬのじゃからな」
「うむ、淤加美殿の言う通り。寧ろ心配なのは、千尋の祖母殿や参拝者じゃろう」
そう言って、婆ちゃんが昔録画した、時代劇セレクションを観ながら、煎餅をポリポリ食べる天照様。
時代劇が、かなり気に入ったみたい。
参拝者は、狼のハロちゃんが目を光らせているし大丈夫だろう。
婆ちゃんは……後れを取ることは無いな。常に数歩先を読んで動く人だし。
社務所で殆ど一緒に居てくれる、神使の桔梗さんも見てるからね。大丈夫でしょう。
朝餉を済ませ玄関を出る時に、子狐ちゃんズを呼んで、御堂さんが逃げ出そうとしたら、さっきのループするヤツお願い。と頼んできたので
僕が帰って来るまでは、瑞樹神社から出れないだろうと思う。頼み賃が高くついたが、背に腹は代えられないと言うヤツだ。
まだ、名無しの人間さんが誰なのかを、御堂さんから聞いて居ないし、逃がしてしまう訳には行かないのだ。よって子狐ちゃんズには、大いに頑張って貰わねばならない。
境内に出ると、比良夫貝が小さく成ってるので、どうした事かとセイに聞いたら。主である御堂さんが倒れたので、霊力が足らずに大きさを維持できなくなったらしい。
干乾びるのも可哀想なので、龍神湖から流れてくる小川に放り込み、僕と香住は学園に向かう。
勿論、香住の肩には淵名の龍神さん。僕の頭には、セイと赤城の龍神さんが乗っかり、首にはカチューシャに化けた巳緒が、しっかりと巻き付いていた。
毎度お馴染みに成りつつある、いつものメンバーだ。
そんな僕らが神社の石段を下りきって、バス停前まで来ると、此処で逢うのは、まずあり得ないと言った人物が、バス停脇で立っていたのだ。
「有村君じゃないのさ。どうしたの急に……と言うか、ここまで来たのなら、瑞樹神社へ寄ってくれれば良かったのに」
「いや、僕は関わらなかったとは言っても、陰陽師達が襲撃した神社だし。罰が当たると怖いじゃん?」
「大丈夫、当たるならとっくに当たってるよ」
僕が茶化す様にそう言うと、ひぃ! と悲鳴を上げる有村君。
「ほら千尋。有村君が怖がってるじゃない」
「ごめんごめん。有村君は陰陽師の家に生まれたってだけで、襲撃にはかかわってないし。寧ろ襲撃を前もって教えてくれたんだもの、罰なんて当てられないよ」
それに東の陰陽師達が、ダンボール3箱もの揚芋菓子を、淤加美様へ供えて許しを貰ってるからね。
これ以上の御咎めは無いと思う。
御供えの件を有村君に説明すると、胸を撫で下ろし良かったと呟く。
そんな有村君に――――――
「もしかして、襲撃の事を謝りに来たの?」
「いや、それだけじゃ無いんだ。文化祭の時にボクの使役していた犬神が居たでしょ?」
そう言えばいたな……巨大化するチワワが……
「あの犬神ちゃんがどうかしたの?」
「成仏出来ていないらしく、ずっと夢に出るんだ。それで瑞樹君にお願いなんだけど……一緒に父方の実家である四国へ行って欲しいんだ」
陰陽師の家に生まれた母親が、四国の犬神を使役する家へ嫁いだんだと言うが……まさか僕が一緒に行く事に成るとは、思いもしなかったのである。
「今夜と明日の夜は用事があるんで駄目だけど、それ以外なら……」
僕は有村君にそう答えると、じゃあ明後日……日曜の昼間にお願い! と、お願いされてしまった。
元はと言えば、僕が犬神を浄化したんだしね。その霊が夢に出るって事は、中途半端に浄化したって事に成る。
それは僕の落ち度であり、放置するわけにはいかず、結局一緒に行って再度浄化する事に成るのだが……
何時に成ったら、まともな休みが取れるのやら……
そんな事を思いながら、学園への通学路を溜息をつき、小走りで向かって行くのだった。