5-20 黒い少女
日付が変わって少し経った頃の真夜中。
そんな時刻に参拝者は居ないと思い、鹿島神宮の中へ直接龍脈を開ける。
龍脈から出ると、相変わらず龍脈酔いをする尊さんが、気持ち悪そうに地面へ手をついていた。
そんな尊さんに妹の小鳥遊 緑先輩が、ヤレヤレと言った顔で――――――
「兄はもう駄目ね…………うぅ、う……お兄様、貴方の死は無駄にしません」
急にハンカチを出し、目頭へ当てて、わざとらしく泣き真似をしだす先輩。
「それが実の兄に向かっていう言葉か? ぜってーお前より長生きしてやる」
「それでは死んだ兄の顔に、悪戯出来ないじゃありませんか……」
「ほらな、やっぱり先に死ねん! 少なくとも緑より長生きして、俺が戒名を刻んでやる」
そう言って微笑みを向け合う二人だが、その眼は笑って居なかった。
本当に仲が良いなぁ。
「千尋……お主の友人は面白いのう」
「ええ、そうなんですよ天照様。ご近所でも仲が良いと有名な……」
「「 違う! 」」
即、否定されてしまった。しかも、ほぼ同時に声がハモったのだから、やっぱり仲が良い。
そんなやり取りで時間が経つと、尊さんの龍脈酔いも治った為。参道を歩き社務所の方へ向かう。
薄っすらと雲が掛かった月のせいで、暗い参道が一層暗く感じられるけど、僕には龍眼があるので。昼間とさほど暗さは変わらない。
「先輩達は大丈……夫ですね」
心配して振り返ると、二人ともLEDライトを持参していた。用意の良い事で……
そのまま僕が先頭になり参道を歩いていると、遠くに微かな光が見えるので、宮司さんかと思い其方へ駆け寄った。
すると案の定、懐中電灯をもった宮司さんと、その隣に存在感のある巨漢で、鍛冶屋の神である天津麻羅様と鍛冶弟子となった根小屋 信一さんが暗闇の中に佇んでいた。
そんな宮司さん達に、僕が挨拶をしようとすると、尊さんが前に割り込んで宮司さんへ詰め寄り――――――
「宮司さん! 建のオッサンは?」
その尊さんの剣幕に、たぢろいだ宮司さんを助けようと天津麻羅様が割って入る。
「落ち着け宝剣の担い手よ。順を追って説明するのでな……それよりも新顔が居るな……ん?」
天津麻羅様が、僕の頭の上に鎮座する天照様に顔を近づけると、見る見るうちに顔が青く成っていくではないか。
「久しいのぅ、天津麻羅よ」
「あ……ああああ天照大御神! なぜに地上へ!?」
「少し失せモノがあってな……まぁ、作成者の天津麻羅にも説明して置いた方が良かろう」
そう言って、賊により盗まれた八咫鏡の分身の話を、天津麻羅様にも説明したのだ。
「なんと!? 八咫鏡が!?」
話を聞いた天津麻羅様が、今まで以上に、サーっと血の気が引いていき、顔面蒼白になって持っていた大槌を落とす。
その隣で宮司様が、あまりの事に眩暈を起こし、両膝と手を地面についていた。
二人のリアクションを見て、鏡ぐらいで大袈裟な……と、肩を竦める尊さん。
小鳥遊先輩と信一さんは、そこまで言わずとも、事の重大さに気が付いていないみたいだ。
傍から見ていると、両者で真逆のリアクションをしているのが、すごい印象的だった。
僕は元人間だけあって、先輩達と同じく、ことの重要性が分からない組の方かな?
だって、大元の八咫鏡が盗まれたって言うなら大変だけど、盗まれた方は分身だしねぇ。
本体の八咫鏡が伊勢神宮にあるなら別に良いんじゃないかな? と楽観視してしまう。
それに、天津麻羅様の真っ蒼に成った顔は、今回で2度目だし。
2度目にもなると、あまり緊迫した感じが伝わってこないものだ。
そう言えば、1度目は海神の槍が折れた時だったな……
あの時は材料探しに修復にと、かなり手間を掛けたが、今回は紛失と来たもんだ。
お陰で今回は、その八咫鏡を見つけ出すのが、任務に成ってしまったけど、それで無罪放免なら安いモノである。
もし、任務を与えられず、神佑地ごと消滅何て言われたら、死ねばもろ共で高天ヶ原に特大の反物質を投げ込んで、天津神を巻き沿いにするところだった。
神の素粒子と言われる反物質なら、相手が古神と言えども相討ちには出来そうだ。
天照様のお陰で高天ヶ原と、ことを構える事に成らずに済んだけどね。
そんな事を考えて居ると、天照様から念話で――――――
『お主の事じゃ、ただで倒れないじゃろうと思うてな。妾が神罰執行側を必死に止めたのじゃ』
僕のやる事なんて、お見通しだった。
『やだなぁ、冗談ですって』
はははは~と乾いた笑いを念話で返すと、不穏な事は考えられないなと自戒した。
しかし、天照様もあの対消滅の威力はヤバイと思ったのだろう。そうで無ければ、神罰執行側を必死に止めるなんて無かったと思う。
『高天ヶ原から見ていたが、あれは危険じゃからな……指の上に零れた一滴の雫であの威力、まさに神の御業と科学の融合』
また考えを読まれちゃったよ。
『本来は攻撃として使わず、もっと別の事に……そう! 本来は次世代のエネルギーなんですよ。人間にも、ヨーロッパの巨大実験施設で刹那な時間とはいえ、反物質の生成に成功させてますので、未来が楽しみです』
『千尋、御主はそういう処が、元人間なのじゃな。まぁ人間の未来が楽しみと言うのは、妾も同じ思いじゃ。その未来の為にも、足元と言える国内の地盤をしっかり固めんとな』
天照様も、日本の彼方此方で起きている異変に、感づいて居る様であった。
僕と天照様が念話でそんな事を話していると、ようやくショックから立ち直った天津麻羅様と宮司さんが、此処で起きている異変を話し出した。
「ここの処、儂と信一で海底洞窟内の緋緋色金を何度も往復して運び出していたのじゃ」
「ちょっ、全部徒歩で運んでるんですか!?」
「うむ。海底洞窟は満潮時には、洞窟の殆どが海水に浸かる為か、ぬかるんで居ってのぅ。ネコグルマ……と言っても分からんか……手押しの一輪車でも泥濘に嵌まって動けなくなるので、ずっと徒歩なんじゃ」
斜め後ろに居る、弟子の信一さんが微妙な顔をしていた。
軽トラックじゃ無い、大き目のトラックを借りて来たって言ってたけど、荷台を満載にするには、どのくらいかかる事やら……
人力で運び出す光景を、リアルに想像してしまった僕が、微妙に顔を引き攣らしていると、そんなのお構いなしに、天津麻羅様が話を続ける。
「異変を感じたのは今から数時間前……引き潮になって海底洞窟へ向かおうとしていた時に、もの凄い氣を感じてのぅ。その直後に轟音がして一気に神氣が可笑しくなったのじゃ」
天津麻羅様の話を聞いて、当たりの氣を探ってみると、確かに異様な氣が充満していた。
普通、ちゃんと祀られた神社では。鳥居を入り口として内側を神域に定め、厳格な氣が漂うモノなのだが、今現在の神域の氣は、妖たちが持つ氣に酷似していた。
そのせいか、虫たちの鳴き声も静かなモノである。
「ひょっとして、建御雷様が様子を見に?」
「うむ。ここは建の社じゃからな、我等に待つよう言ってから、原因を調べてくると出て行ってしまったわい」
天津麻羅様の言葉を聞いて、尊さんが待ってられないと――――――
「宮司さん。建のオッサンが出て行ってからどの位経った?」
「異変が起こったのが3時間ぐらい前で、それから少し話し合って見に行かれたので……今から1時間ぐらい前です」
1時間……宮司さんの話だと、いまだ帰って来ていないと言うので、何かあったと思って良いだろう。
「雨女! お前は氣が読めたな? どこから変な氣が出て居るか、教えてくれ」
尊さんはそう言って、櫛名田比売の櫛を髪に挿すと、女体化して草薙剣を携えそのまま僕の後ろについた。
「他の皆さんは此処で待機を……」
「抜け駆けはさせないわよ」
小鳥遊先輩もやる気満々だった。
つい数時間前まで、O阪で激戦してたじゃないですか! どこにそんな体力が余ってるんだろ……
とりあえず、口論している時間が勿体無いので、二人を連れてそのまま氣の痕跡を追う。
暗い参道を進んでいくと、奥宮の処で道が分かれているのだが、どうやら要石の方面から異様な氣が流れてくるようだった。
要石……あの大鯰を抑さえ付けた封印の石柱である。
それは地上から、地下に居る大鯰にまで到達するほど長く、それによって地震を起こす鯰を鎮めたと言うのだが……
いつもなら、石柱の頭が出て居る筈の場所に、大穴が開いていたのだ。
「これは……いったい何が……」
先頭で真っ先に見た僕が声をあげると、尊さんが――――――
「この下にオッサンが?」
そう言って穴に近付こうとする尊さんの服を捕まえて引っ張り、近づくのを止めさせた。
「危ないですよ! 崩れたら真っ逆さまです」
江戸時代、この紋所が目に入らぬか!! で有名な、水戸の徳川光圀公(水戸黄門)が7日7晩掘らせても、洞窟まで到達しなかった深さである。
テレビの水戸黄門はフィクションであるが、要石を掘り出そうとしたのは本当な事で、黄門仁徳録にそう記されているのだ。
僕らがそんな事をしている間にも、小鳥遊先輩がLEDライトで周りを調べている。
さすが祓い屋、いつでも冷静だ。
でも暴走した兄貴を止めるのは、妹の役目だよね?
先輩は此方に目もくれず、茂みの中をライトで照らし続けると――――――
「あったわ……要石よ」
小鳥遊先輩が、LEDライトを当てる方向を龍眼で暗視すると、少し離れた林の中に、白い石柱が横たわっているのが見えた。
だが、ひとりでに要石が抜ける筈もなく、人力で掘りだすのも無理だと言うのは、水戸黄門様が実証済みである。
大型の建設機械でもあれば、掘り出せそうではあるが……そんなの神社へ搬入する時点で、けたたましいキャタピラの音に気が付いた宮司さんに止められる。
やっぱり……人ならざる者の仕業……
そう考えていいだろう。
要石の石柱は、龍の僕と天津麻羅様で持ち上げれば、あった場所に戻せなくも無いが、問題は様子を見に来たと言う建御雷様である。
穴の底へ、龍眼を使って覗き込もうとすると、何やら氣が上がって来るのが見て取れたので、急いで立ち上がり距離を取った。
一応、ペットボトルに水を汲み直して持って来て置いて良かったわ。
僕は腰のペットボトルホルダーから、数本のペットボトルの蓋を開けると、穴から出て来るモノに備える。
そんな臨戦態勢の僕を見た小鳥遊先輩も、不動明王剣、俱利伽羅剣を出し、僕の隣で同じく構えて穴から出でるモノを待つ。
そうしていると、雲が掛かっていた月が、雲の切れ目に差し掛かり、当たりが月光にて明るくなる。
月明かりに照らされた穴の中から現れたのは――――――
何と! 1人の少女であった。
だが、ただの少女が宙を浮く筈もなく、頭には二本の角が見えていたのだ。
歳は13から15と言ったぐらいか? 人外であるので、見た目より歳が行ってる可能性はあるけどね。
髪は黒髪でツインテールにしている為か、なおさら幼く感じさせた。
服は巫女装束であるのに、上は白衣ではあるが、下が緋袴ではなく黒い袴であった。
白黒とか、縁起の悪いことで……
そんな死神みたいな少女が、何やら大きなモノを持っているのだが、それを此方に向かって無造作に投げたのだ。
少女の放ったモノを僕の龍眼が、暗闇でもはっきり捉えていた。
「建御雷様!?」
落下する場所に、ペットボトルの水でクッションを創る。
直ぐに駆け寄ると、建御雷様は重傷であった。
所々、身体の一部が欠け、抉られた様に成っていたのだ。
僕は水のクッションを回復の水に変え、建御雷様の治療を開始すると、術の熟練度が上がった為か? それとも建御雷様の再生が優れているせいか? どちらにせよ、欠損した身体までも治って行った。
「……千尋殿……儂としたことが、こんな醜態を……」
「今は回復に専念してください!」
僕の言葉に、済まぬと一言だけ返すと、建御雷様は目を瞑ったのだが、直ぐに目を見開いて――――――
「はっ!? その頭の上に鎮座する御方は!?」
「久しいな建御雷。妾も少し回復の助力をしてやろう」
天照様が僕の頭の上で手を置くと、神氣を流し込んで来る。
流し込んでいる部分が禿げないか心配になるが、口に出すと怒られそうだから止めて置いた。
だが天照様のブーストが掛かったお陰で、建御雷様の傷は、あっという間に完全回復したのだ。
欠損部位も戻ったよ……すげえ。
建御雷様が立ち上がると、少しだけふら付いたのだ。
傷は完治しても、流れた血は完全に戻らなかったらしく、貧血に陥っていたらしい。
「天照様、このような醜態を……申し訳ありません」
ふら付く身体を尊さんに支えられ、そう首を垂れる建御雷様。
「剣神の御主がここまでやられようとは、あの小娘は相当やりおるの」
天照様の言葉に振り向くと、退屈そうに欠伸をしていたツインテールの娘が――――――
「ねえ、退屈なんですけど。何でも良いから早く済ませて相手してよ」
娘はそう宣って宙に浮いていた。
あの角……真上に伸びる鬼族の角とは違い、鹿の角の様な形で、蟀谷から斜め後ろへ生えている。
間違いない、彼女も龍族だ。
「建御雷様代わりに、僕が相手をします」
そういって、建御雷様のクッションに成っていた水を、薙刀に変化させる。
「あら……ただの水で良いの?」
僕の水薙刀を見てそう一言いい放つと、黒い龍の少女は事もあろうに闇の水を纏い始めた。
「なっ!?」
「驚くことは無いじゃない? それとも闇を纏うのが、貴女の専売特許だと思って?」
馬鹿な!? 何でも融かす闇水を纏えば、術者も纏った途端に、その身まで融けて無くなってしまうはず。
僕は術反射を常時発動で持っているので、融けずに済んでいるのだ。
こればかりは、淤加美様でも、僕の身体無しで再現するのは無理だと言っていた。
それを目の前の龍の少女は、平然とやってのけたのだ。
「じゃあ瑞樹千尋は私が遊んであげるわ。他の人間は……そうねぇ」
龍の少女は、何やら氣の塊を穴の中へ投げ入れると――――――
「氣を分けてあげたのだから、目覚めなさい。大鯰よ」
そう言ってクスクスと笑っている。
この娘、今なんて言った? 大鯰だって言わなかったか?
聞き間違えであって欲しい……そんな、ささやかな願いは直ぐに打ち砕かれる事に成る。
穴の中から出て来たのは、紛れもなくあの大鯰であったが……
大きさが、かなり小さく成っている。
まぁ大鯨より大きい元の大きさでは、この小さな穴から出て来るのは、無理であっただろう。
それでも、軽自動車ぐらいの大きさは有にあった。
さらに、前回の様に要石で身動きできないのと違い、自由に空を飛んでいるのだから、ある意味厄介であろう。
力を削ってスピードを上げた感じか……
「これで、役者は揃ったわね」
そう言ってクスクス笑う少女の冷笑だけが、その場に木霊するのだった。