5-16 膨張冷却
僕はカチューシャに化けている巳緒へ念話を入れる。
『巳緒、少し手伝って欲しいんだけど』
『良いよ、ウチにも串カツとか言うのくれる?』
この食いしん坊さんめ。
『あげるよ。セイにだけ買ってあげるなんて、贔屓な事しないから』
『うん。何したらいい?』
『僕は今、天若日子様と対峙しているので、迂闊に動けないんだわ。そこで巳緒は天若日子様と御堂さんに気が付かれぬ様、僕の背中越しに伝い下りて、腰に付けたペットボトルの蓋を開けて欲しいのよ』
『開けるだけで良いの?』
『うん。蓋だけ開けてくれれば、近距離の水氣なんて操れるからね。お願いできる?』
『任せといて』
巳緒はそう答えると、僕の首に巻き付いたカチューシャから、細い紐の様なモノを伸ばして腰に向かって下りていく。
下りて行ってるのが、蛇の頭の部分なのか? それとも尻尾の部分なのか? ちょっと判別がつかないけど、僕の真正面にいる天若日子様から死角になっているのは確かだ。
問題は、一段下で西園寺さん達と対峙している御堂さんだ。
見上げられても、背中にくっ付く巳緒が見付かるかどうかは、五分五分である。
というのも、僕の束ねた長い髪に紛れながら、腰まで下りて行ってるからだ。
ぱっと見でなら、髪と見誤ると……良いんだけどなぁ。
そんな巳緒の行動を、御堂さんから隠す為に斜に構え、僕はわざと雑談を始める――――――
「御堂さん。少しお話ししましょう」
「ああん? 今戦闘中だぞ! 舐めてるのか!?」
「いえ……御堂さんは、どうしてこんな事を始めたのかなって、不思議に思いまして」
「不思議も何も、俺様の工場を探ってたのはお前らだろ?」
「工場?」
「しらばっくれるんじゃねーよ! 華千院が中央に抑えられ、次は俺様の資産を抑えるつもりだったんだろ!?」
「ちょっ、ちょっと待ってください。意味不明です。確かに華千院家とは、京の四方結界を暴走させられた事で、揉めましたが……御堂さん処とは関わり合いが無いはずです」
「嘘を吐くな! 俺様の工場が、呪弾と銃の量産に入ろうとした処へ。俺様や工場関係者の周りに、式神を使って探りを入れやがって! だから俺様は、やられる前にやってやると、先制で仕掛けた訳だ」
御堂さんの、その言葉を聞いた僕らは、全員溜息をつく。
「……語るに落ちるとは、よく言ったモノね」
小鳥遊先輩が肩を竦ませる。
なにせ、呪弾と銃の贋作を造り出していた犯人が、自ら名乗りを上げたのだ。
「やれやれ……思わぬ自白のお陰で、贋作の工場を探す手間が省けました」
西園寺さんが、相変わらず開いているのか分からない糸目のまま、頭を掻いてそう言った。
「な、なんだお前ら……まさか本当に、工場の事を探って居たのは……お前らの仕業じゃないのか?」
「だからそう言ってるでしょ。訳が分からないって」
「………………聞かなかった事には?」
「「「「 無理 」」」」
全員でそう返すと、御堂さんが――――――
「……こうなったら、全員生きて帰さん! だいたいお前らが、陰陽師1位の華千院を潰すから、御堂家が表に出てしまったんだ!」
また訳の分からない事を……僕らへ責任転嫁ですか?
「華千院家が居なくなって、順位が繰り上がれば、御堂家が1位になって良いじゃないですか」
「瑞樹千尋……分かってねえな。いいか? 華千院家は陰陽師としての実力はそこそこだが、そのカリスマ性で人数を集め、財力でのし上がってたんだ。対する御堂家は、財力は無いが実力のある少数精鋭の陰陽師という構図だったんだ。表向き最強とされている華千院家の裏で好き勝手やってたのによ。それをお前らが潰したせいで、陰に居て暗躍していた御堂家に、日の光が当たっちまった」
「それ、ただの逆恨みじゃ?」
だいたい。僕らから手を出したことは無いっつーの!
華千院家は勝手に京の結界暴走させるし。淵名の龍神さんだって呪弾を受けて死にかけ、弾丸に刻まれた呪いの欠片のせいで、再生力も低下して危なかったんだから。御堂家も、勝手に修学旅行中の先輩たちを誘拐し、憑依とか言うので命を危険にさらすし……それらを助けているだけで、こっちに落ち度はないってば。
「逆恨みだと!? お前ら関東もんが、関西まで出張って来ること自体、越権行為だろ!」
「だったら、瑞樹の者に手を出さないでよ! こっちも、他の神様の神佑地へ、好きで出張ってる訳じゃ無いんだから」
厳密に言うと、神木先輩は赤城の者なんですがね。
それはまあ……瑞樹としては、お隣さんの好ですし。赤城の龍神さんにも、お世話になってますから、持ちつ持たれつです。
「せっかく晴明と戦うために、晴明の使役する対式神用の呪弾を用意していたのに……」
「晴明さんの式神……あぁ、京のアジトへ踏み込んだ時に戦いましたが、あれは強いですよ。なにせ神話に出てくる、火之加具土命でしたからね」
あの時の火之加具土命は、本調子じゃ無いみたいだったが……それであの強さだもの。体調が万全ならば、呪弾があっても倒せるかどうか……
「その戦いも見せて貰った。だからこそ、大物の式神を維持できぬ様、華千院家が京の結界を暴走させて、晴明神社から送られる霊脈を絶ったのに、お前らが邪魔をしたんだ」
なるほど結界の暴走は、それが狙いだったのか。
さらに、八嶋技研から呪弾と銃の設計図を盗み出し、弱らせた式神用に銃の贋作を造り、晴明さんと戦おうとしていた……と。
色々考えるねぇ。
私怨で争うのは勝手だが、国津神に迷惑かけないで欲しい。
「御堂さん、呪弾と銃の工場を探して無いとは言いません。しかし、まだ西園寺さんに依頼したばかりですよ」
「ええ、千尋君の言う通りです。まだ八嶋技研の中を捜索し、盗まれた形跡があるってだけで、その先はまだこれからって段階でして……」
「また嘘を……」
「嘘じゃありませんよ。そもそも、ボクらは陰陽師では無いのです。修業もしていないのに、式神を飛ばすなんて高等技術が出来る訳ないですよ。おそらく、千尋君の処も同じでしょう?」
「え? 僕の処は水神の龍なので水氣専門ですから、式神なんて創った事ないし」
本を読んで知識は入れていまけど、基本的には水の操り方ばかり。
そもそも術の構成自体が、人間とは違いますから、森羅万象を直接操れる国津神に、呪文だの何だのは必要ないです。
僕が揺炎だの、水素爆発など対消滅だの発言しているのは、カッコいいからであって、別に無言でも術を構成し発動できるのだ。
そんな術の発動名は必要ないと、淤加美様も言われたが、あった方がカッコイイからね。
ただ其れだけで、発動名を唱えているに過ぎない。
「式神が瑞樹の者の仕業じゃないとしたら……いったい誰が俺様の工場を……」
どうせ、晴明さんの所の式神だろう。瑞樹神社も今朝方に、晴明さん処の雷獣が盗み聞きしに来てたし、それを逃したから荒神狼のハロちゃんが名誉挽回と張り切ってしまい、御堂さん処の文を持った式神を黒焦げにしちゃったと……
世間は狭いなぁ。
「あ~御堂さん済みません。聞いちゃったからには、工場は潰させて貰います。なにしろ、元々八嶋技研の設計図ですからね。そこで複製されている銃も、本来は門外不出の代物ですから」
さらに追い打ちをかける西園寺さん。
仕方ないよね。御堂さんが盗んでコピーした設計図なんだもの。
「巫戯けるなよ……工場も天若日子も取られたら、御堂家は……俺様はどうやって、火之加具土命なんて化け物を使役した晴明を倒せると言うんだ」
火之加具土命の強さに絶望する気持ちは分からんでも無いが、盗んだもので勝負されてもねぇ。
そんな時、巳緒から念話で――――――
『千尋、言われた通りにペットボトルを開けれたけど……水……飲まれてる』
『はぁ?』
意味が分からず呆けていると、念話に割り込んで来る声が――――――
『ぷはぁ~。酒やお茶も良いが、やはりこの島国は水が美味い! いやはや、水ブレスばっか吐いてたから喉が渇いて』
『アホ―!! その水は、これから術を使うのに必要な……巳緒、僕は後ろ振り向けないから教えてくれる? アホ龍は何本飲んだ?』
『2本……3本目に手を伸ばそうとしてる』
『セイ! それ以上は飲むな! 術が使えないでしょうが!!』
『蓋開けてるから飲んで良いモノかと……』
ちげーし!!
くうっ、思わぬ処にアホな伏兵が……これ以上、水を減らされたら、何もできなくなってしまう。
僕は、急ぎ最終確認を行う。
「御堂さん、これが最後です。大人しく投降してくれませんかね」
「ふんっ! 用意した前線力を失うぐらいなら、今の膠着状態の方がましだ! 有利でも無いが不利でも無いからな」
「分かりました……ではもう一つ、僕に雑談をする機会を与えてください」
「あん?」
「気体って言うのは液体と違って、高圧縮を掛けると熱を持つんです。それを圧気と言うんですが……その逆を知っていますか?」
「知らねーよ!」
「では実践して見せましょう」
セイに2本ほど飲まれたからな……果たして水量が足りるかどうか……微妙な処である。
僕はペットボトルの中身を、霧状にして御堂さんの周りに噴霧すると、霧がまいたように御堂さんに纏わりつく。
「瑞樹千尋……貴様……いったい何を」
さらに霧の中から水素を取り出すと、無色透明になる為、一瞬で霧が晴れる。
だがそれは前振りであって、水素と言う気体を創ったに過ぎない。
そこから強制的に、気体を一気に引き延ばす。
「行きますよ……膨張冷却!」
一気に引き延ばされた気体は、急激に冷やされていく。
もし此処に温度計があれば、恐ろしい速度で温度が下がっていくのが、目に見えてわかるだろう。
そんな神がかった所業も、モノが水素であるならば、何とでも操れるのが水神の良い処だ。
「氷結!!」
僕の言葉で、気体化していた水素が、液体へと変わる。
それは、気体であった水素が、液体へと変わる温度にまで落ちた事を示していた。
液体水素……それはマイナス253度であり、その中心に居た御堂さんと比良夫貝は――――――
「うぁ……完全に瞬間冷凍、気圧も強制に広げて低気圧状態だから、フリーズドライになってるわね」
「一瞬で此処まで凍らせるとは……」
「千尋ぉ、どうせなら真夏にやってくれよ」
「あのなぁ……みんな簡単そうに言ってるけど、今回が初めて使った術だし、失敗も有り得たんだからね。どっかのアホ龍が水を2本飲んじゃったから、失敗してもやり直しは効かないだろうし、こっちも必死だったわさ」
「……御堂が……」
「天若日子様。貴方を縛っていた御堂さんは、倒れました。これで自由に分離できます」
「我……は……助か……る?」
「その為には、急がなければ成りません」
僕がそう言うと、凍り付いた比良夫貝が縮んで小さく成ると、逆さハルカスが急に揺れ始めた。
「おおおお……急に揺れ始めたぞ!」
「逆さハルカスを創って維持して居た、比良夫貝が倒されたんで、ビルが崩壊を始めたんだ」
「皆さん! 急いで階段を……」
「そんなんじゃ間に合わねえ!! 全員俺の背中に乗れ!! 普段なら千尋以外は乗せねえ処だが、今回は特別だ!!」
そう言って、人化を解き龍化するセイ。
僕が御堂さんを脇に抱えて、セイの背中に飛び乗ると、他の人達も僕の後を追従する。
だけど、西園寺さんが呼んだ部隊の人達が、やはり龍の背中に乗るのを躊躇するので、セイが――――――
「おい人間! 置いてっちまうぞ!」
その声に、恐る恐る尻尾寄りに、掴まって乗るのだった。
全員乗ったのを確認すると、セイは展望フロアの吹き抜けから外へ出て、そのまま1階を目指して飛んで行く。
その間にも、虚構のビルが少しづつ分解していくので、その落下物を避けながら上っていくと――――――
「一階部分のシャッターが下りてる!」
「ふん! さっき水を補給したからな、あの位なら俺の水ブレスで……」
セイが、水ブレスを吹くために空中停止し、狙いを定めると、勢い良く水を吹きだすのだが――――――
「……細せぇ」
セイのブレスは、指三本程の太しかなく、シャッターに覗き穴程度の穴しか開かなかったのだ。
あれでは、心太でもない限り、無理やり向こう側へ抜けるのは無理だ。
「千尋……おもちゃの水鉄砲とか言うな!」
「そこまでは言ってないよ!」
「人工物の中だと、どうしても威力が落ちるんだ」
「だったら、ここは私に任せて」
小鳥遊先輩が、名乗りを上げると、天狗の団扇を出して風を練りだす。
練られた風は幾重にも重なり、風のボールになって先輩の手のひらの上で踊る。
それを、セイの開けた小さい穴へ放ると――――――
爆発音にも似た音が内部から聞こえ、シャッターが弾け飛んだ!
「おお! 嬢ちゃんすげぇな」
「使いこなしてるし」
「龍のお二人とも、感心している場合ではありません。早くしないと空間と一緒に閉じ込められてしまいますよ」
そうだった。
セイが先輩の開けた入口へ、慌てて飛び込むと、全員が龍の背中から降りる。
下りるのを確認すると同時に、龍化を解き人化するセイ。
「崩れる前に急げ!」
誰が叫んだか分からないけど、その声に背を押されながら虚構の空間を抜けると
それとほぼ同時に、空間が閉じてしまう。
まさに間一髪である。
「皆さん大丈夫ですか?」
甘楽さんと藤岡さんの、二人の女生徒を運んだ隊員が、心配して声を掛けてくれる。
「全員無事ですよ……どうにかね」
そう答えたのは、糸目で表情の分かりずらい西園寺さんだが、今回ばかりは疲れの色が隠しきれていなかった。
「セイ……神様って大変」
「あぁ、千尋が継いでくれて、俺は良かったよ」
コンニャロメ。
僕らが地下にある、スタッフオンリーの扉の前に伸びていると、小鳥遊先輩が天狗の団扇を持って飛べないかとか、試しているのが見える。
「先輩元気だなぁ」
「本当に人間か?」
「失礼ね! こう見えても、か弱い女子高生なのよ」
か弱い……か……たくましいな、大和撫子は……
僕らが疲れて、小鳥遊先輩の姿を見ていると、西園寺さんが――――――
「千尋君! 天若日子様が苦しんでますよ」
ヤバイ! すっかり忘れていた。
早く瑞樹神社へ連れて行って分離させないと!
休むのはその後だと、疲れた体に鞭打って、僕は天若日子様を背負うのだった。