5-15 天若日子(あめのわかひこ)と比良夫貝(ひらふがい)
天若日子が、神器である天之真鹿児弓に天之波波矢をつがえて、神木先輩を連れ出そうとしている赤城の龍神さんへ狙いを定め、弓を引き絞る。
呪弾も通常弾も効かない僕を狙うと思い、身構えて居た為。踏み出すのが一歩遅れた。
しかし相手が神器である以上、武器破壊を行うには僕では無理だろう。
同じ神器を使った超高出力な技……そう、尊さんの雷神剣草薙のような技でなければ、神器の破壊はまず有り得ない。
よって僕に出来る事はただ一つ、少しでも矢の軌道をそらし、致命傷をかすり傷に変える事である。
少しでも弓に触れる事が出来れば、矢の軌道は必ず曲がる――――――はずだった。
無常にも僕の水の薙刀は、矢を放った後の弓を叩くだけであり、番えられていた矢は既に放たれた後だったのだ。
間に合わなかった! そう思った時――――――
突然! 突風が吹き荒れる。
そう……小鳥遊先輩が、天狗の団扇を使って竜巻を創り出したのだ。
これなら矢の軌道がズレる! 最悪当たっても、竜巻の風に阻まれ、矢の威力が弱まって、深手には成らないだろう。
だが、そんな僕の考えは甘いと思い知らされる。
放たれた矢も普通の矢ではない。弓だけでなく矢自体も天之波波矢という神器なのだ。
吹き荒れる風の中を、モノをともせずに天之波波矢は突き進む。
もう駄目か……そう思った時。
矢は赤城さんの頭をかすめる様に突き進み、この上下逆さまの亜空間の彼方へ消えて行ったのだ。
『赤城の奴、よかったな雌龍に成ってて。身長が頭一つ縮んでいるから助かったようなものだ』
『セイ、怖いこと言うなよ。流石に頭部損傷だと、僕にも治せるかどうか分からないよ』
僕とセイが念話で話してると、赤城さんが――――――
『千尋さんも怖い事をさらっと……しかし、あの突風には助かりました。あれで矢の軌道が僅かながらズレてくれたので、助かったのです。そこに居る人間のお嬢さんに、お礼を言って置いてください』
『ほほう、人間嫌いのお前が礼ねぇ。ふ~ん』
『こらこら、せっかく良い話なんだから、茶化さないの』
少しづつだが、人間との蟠りが解けて、龍族以外とも上手くやって行けそうなんだから、本当に良かった。
だが喜んでいるのも束の間、天若日子が二の矢を撃つ為に、矢筒から新しい矢を取り出す。
いったい何本あるんだよ!
『赤城さん! 次の矢が放たれる前に逃げてください!』
『おい千尋、遅延結界はどうするんだよ』
『そんなもん取りに行ってる間に、赤城さんが矢で貫かれてしまうよ。直ぐに人化を解いて龍化し、外へ出るなり龍脈移動すれば、瑞樹神社で淤加美様が用意万全で待っていますから、早く行ってください!』
『分かりました。千尋さん、ご武運を……あとセイ龍もな』
『ついでみたいに言うな! 万事上手く行ったら、今度酒でも付き合えよ』
『ふっ、上手く行かせて見せるさ!』
赤城さんは人化を解くと龍に成り、神木先輩を口に咥えて飛び去って行った。
どうか間に合ってくれ……そう赤城さんを見送っていると、小鳥遊先輩の悲鳴が上がる――――――
「千尋ちゃん後ろ!!」
僕の背後で弓を引き絞る音が聞こえ、今にも矢が放たれようとしていた。
「う……動くな……もし避け……れば、後ろに……居る人間の……小娘を狙……うぞ」
なぜか苦しそうに話す天若日子。まるでフルマラソンでも、して来たかのように、息も荒い……
「あんた一応神族でしょ? なんで人間に加担してるの?」
「我……は……高天ヶ原へ……矢を射った罪で……追放されて……いる」
確かに日本の神様なら、名前の後ろに、神、命、尊などの尊称が付くのだが、それらが見当たらない。
古神であるならば、必ず在る筈の尊称。例えばウチの淤加美様なら淤加美神とか、海神である豊玉姫様も豊玉毘売命(古事記名)といった具合に、神、命、尊、が必ず付くのだが――――――
天若日子には、それが無い。
一説には、天に弓を射った罰で、名に付けられなかったと言うが、はっきりとした事は分かっていない。
天若日子も、わざと高天ヶ原を狙ったわけでは無いのだけどね。
木の枝にとまった雉を撃ったら、弓矢の威力が思った以上の威力を発揮してしまい。雉を貫通した後も矢は止まらずに、高天ヶ原まで届いてしまったと言う神話がある。
さすが神器と言いたいところだが、創った神は加減しろよな……ある意味危なくて使えない。
故意ではなく、事故だったとはいえ、赦さないのが高天ヶ原に住まう天津神。
雉も天の遣いだったのに射殺し、更に高天ヶ原へ矢を撃ち込んだ罪で、撃ち込んだ矢を投げ返され、天若日子に当たって死んでしまうのだ。
矢を受け止めて投げ返すって……一子相伝の暗殺拳を使う天津神でも居るのか?
そんな神話を持つ天若日子も、反逆の汚名を着せられ神崩れになったから、人間に加担したと言うならば分からんでも無いが、苦しそうにしているのは何故なのかが分からない。
「天若日子様……貴方が故意に高天ヶ原を狙ったのでは無いのは知っています。しかし今回のこれは、明らかに国と民を護ると言う国津神の理に反しています。こんな事が高天ヶ原の天津神に知れたら、もはや名前すら抹消され兼ねませんよ!」
背中を狙われていた僕が振り向きながら、そう天若日子へ告げるのだが、そこへ御堂さんから――――――
「無駄だ無駄! 天若日子はこの現世に顕現させる時、人間に憑依させて降ろしたのだ。苦しそうなのは、人間の身体が神の御霊に耐えられなくなっている証拠」
「なんてことを!」
このままでは御霊を降ろされた人間の身体も、中に居る天若日子様の御霊も、ただでは済まない。
最悪、両方が消滅してしまうだろう。
「苦しみから救われたければ、北関東から来る龍神どもを黄泉送りにせよと言ったのだ。天若日子はお前らを倒すまで、苦しみから逃れられないのさ!」
「なんて酷い……」
「聞いているだけで胸糞が悪くなるな」
小鳥遊先輩とセイが、大きな貝の影に隠れた御堂を睨む。
天若日子様より、御堂さんを先に倒したくても、その貝の硬い殻のせいで、西園寺さん達の呪弾を全部弾いて、盾役として御堂さんを護っている。
このままでは埒が明かない。せめて弓を引いて狙うのを止めさせる為に、僕は説得に掛かる。
「天若日子様。とりあえず、僕の話を聞いてください。あの御堂さんが、約束を守ると思いますか?」
「うるせーぞ!! 雌の龍神!! 天若日子を誑かすんじゃねえ!!」
御堂さんも、神器の弓矢を持つ天若日子様に寝返られては、お終いだと分かっているのだろう。
僕の説得に茶々を入れてくる。
それもそうだ。もし寝返られ神器で撃たれれば、いくら硬い貝とはいえ、貫通されてしまうだろうからね。御堂さんも必死になるわな。
「天若日子様。今すぐになら、瑞樹神社で何とかなるかもしれません」
「巫戯けるな! 天若日子! 今裏切ったら天津神だけでなく、俺達人間にも愛想を尽かされるんだぞ! それは、あんたの居場所が無くなるって事だ! それでも良いのか!?」
「大丈夫。僕ら国津神が見捨てません。一緒に北関東へ行きましょう」
「……う……うぅ……」
まだ少し迷いがある様だ。
僕は天若日子様と対峙しているので、容易に動けない。ならば念話で――――――
『セイ聞こえる?』
『おう、感度良好だ。まあ千尋の斜め後ろに居るから当然だが』
『そこから、あの硬い貝を水ブレスで撃てる?』
『遮蔽物が無いから当てるのは可能だけど、人工の建物内だと威力は落ちるからな……倒すのは無理だぞ。あの貝も比良夫貝だしな』
『比良夫貝って神話で猿田毘古神(古事記)を海の中へ引き摺り込んだって言うあの貝!?』
『あぁ、その比良夫貝だ。あの貝は他にも、何でも引っ繰り返して、海に沈めちまうのが有名でな。船なんか何隻も引っ繰り返して、沈めたって伝説があるんだよ』
『引っ繰り返す……ねぇ……もしかして、ハルカスを引っ繰り返して、この空間を創ったのも、あの比良夫貝の仕業なんじゃ?』
『そうかもな……何でも引っ繰り返すからな、あの貝は……』
おいおい、昔の軽い船と300メートル級のコンクリート製のビルとでは、質量が違うだろう。
ビルを簡単に引っ繰り返すなよ。
しかし、ただの妖の貝だと思ったのに、神話級の貝だとは……だとすれば、セイの水ブレスでも、撃ち抜くのは無理か……
通りで、西園寺さん達の呪弾を受けても、傷一つ付かない訳だ。
あれを貫くには、やはり神器クラスで無いと無理みたい。
僕は僕に出来る事、天若日子様を説得する以外に方法は無いのである。
「先ほどまで捕らえられていた女性、彼女に降ろされた神様を、大勢の古神様達が分離に掛かっています。今ならまだ、ウチの神社にその古神様達が居られますので、天若日子様もそこで……」
「無理無理! 天に弓を引いた者が、その身に受けるのは救いではなく罰しかないんだ! 古神達が助けてくれるわけ無いだろ! 天若日子、あんたを救えるのはこの俺様、御堂進しか居ないんだよ!」
もう……御堂さん、本当に邪魔してくるな。
でも、天若日子様が懸念しているのも、その部分だろう。
僕らのような、若い成り立ての国津神は、神話に出てくる弓を引いた時の事を、書物や口伝でしか知らないのに対して
淤加美様達のような古神様達には、その時代に存在し、実際に見て来た生き証人なのだから、本当に助けてくれるのかと、疑心暗鬼になるのも分からなくもない。
でも今ウチに居るのは、国津神ばかりだからねえ。
実際に撃ち込まれた、高天ヶ原に住む天津神なら恨みもあろうが、地上に社を構えて、その神佑地に住む国津神には、関係の無い話である。
その事を、御堂さんに邪魔をされながら、どう説明したら良いか考えて居ると、カチューシャに化けた巳緒が氣を集め始める。
『ちょっと、巳緒……巳緒さん? 何をやってるんですか?』
『土氣を集めてる』
『土氣って、ここ地面が無いよ』
上下逆さまの空間だから、足元にある天井床の下はヘリポートであり、それを踏み外せば、奈落へ真っ逆さまなのだ。
だが、巳緒に考えがあるらしく、土氣の集束を続ける。
『千尋、この透明な壁とか床は、土氣で動かせそう』
マジカ!? 巳緒の言う、透明な壁というのは、ガラスの事だろう。
展望フロアなので、景色を観る為に周りを囲んでいるのはガラスだが、床は……どうするんだろ?
何が起きるのか考えて居ると、巳緒から念話の続きで――――――
『ごめん。人工物なので、時間が掛かった。でも床に気を通せたのから、此れから実行する』
『ちょっと巳緒! どんな事するのか説明してから……』
僕が言い終わる前に、比良夫貝が宙に浮いた。
いや、浮いたと言うのは正確ではない。宙を舞ったと言った方が良いかも。
今まで比良夫貝があった場所を見ると、地面がトランポリンの様に、激しく上下していたのだ。
その床に弾かれて、宙を舞う比良夫貝。
盾に成っていた、大きな比良夫貝が居なくなったことで、陰に隠れていた御堂さんが丸見えになる。
「今だ! テーザー!!」
西園寺さんの声で、部隊の人達が電気銃を抜いて引金を引いた。
しかし、御堂さんは懐から札を出し――――――
「ナウマク サンマンダ ボダナン…………」
最初の部分は紛れもなく、小鳥遊先輩の使う不動明王の真言そのものだったが、その後の呪文は良く分からなかった。
「あれは不動明王の火炎術!?」
そう声をあげる小鳥遊先輩も、自分の真言に似ていると思ったのだろう。
だが、御堂さんは札を胸の前に掲げながら最後に――――――
「急急如律令!!」
そう唱えると、札から炎が飛び出して、電気銃から発射された電気のコードを焼き尽くした。
威力は小鳥遊先輩の真言に劣りはするものの、紛ごう事なく不動明王の火炎術であったのだ。
「あれが古神道と密教の両方を会得した、陰陽師の真言!?」
「両方を使えて、星読みの占いまでこなす……RPGに出てくる賢者みたいだとは、千尋も上手く言ったモノだな」
僕とセイが感嘆の声をあげると、小鳥遊先輩は面白くなさそうに――――――
「なによあれ……あんなマッチの火みたいな、不動明王の真言があってたまるモノですか!!」
えらく御立腹であった。
「先輩、マッチの火は言い過ぎなんじゃ? せめて、ガスバーナーぐらいは……」
僕がそこまで言い掛けると、先輩は――――――
「本物の不動明王火炎術を見せてあげるわ!! 南莫 三満多 嚩日囉赧憾」
印を結んだ小鳥遊先輩の手の先から、炎の塊が飛び出し、御堂さんを襲う。
「なぁ千尋。あの炎の威力だと、御堂とか言う人間は、黒焦げで炭しか残らないんじゃね?」
「そんなこと言っても、炎はもう解き放たれた後だよ!」
僕らが、どうしようかと手を拱いて居ると、宙に舞っていた比良夫貝が落ちて来て、炎の塊を遮ったのだ。
何て運の良いヤツ。
しかし、あの炎で蒸し焼きに成らないとは、凄い貝である。
結局のところ、せっかくの巳緒がつくったチャンスも、電気ショックを与える、テーザー銃を失っただけに成ってしまった。
僕が直接動ければいいのだが、天若日子様の矢は、いまだに僕へと狙いを定めたままであり、迂闊に動けないのである。
こうなったら、アレをやるしかない。
僕は巳緒に作戦を伝える為に、念話の回線を開くのだった。