5-10 憑依と神懸かり(かみがかり)
僕と漢字表記が、瑞樹 千尋で
ボクと片仮名表記が西園寺 兼人の一人称です。
「凄いわね……私、天井を歩くの初めてよ」
小鳥遊先輩が、天地が逆転して床になった天井の上で、軽くステップを踏む。
「そんなの僕も初めてですよ」
本来は天井から照明が照らしつけるのだが、その天井が床に成って居る為、下からライトアップされている。
なんか、スカートの中を照らされている様で…………いや、実際に照らされているのだが、誰かが見ている訳では無いのに、すごく恥ずかしい。
そんな恥ずかしさに頬を染めている僕とは対照的に、まったく恥ずかしげも無く、飛び跳ねている先輩を見ると、長年女性をやっている者の、余裕のある気持ちの構えみたいなモノを感じる。
先輩は、スカートの中身云々よりも、天井を歩くと言う、レアな場面を楽しんでいるといった感じだ。
本来2階部分にあたる逆さハルカスで、僕らが遊んでいる間に、西園寺さんは――――――
持ってきたアタッシュケースを開けて、何やら組み立てているのだが、どうやら銃の様なモノだった。
「西園寺さん、それって銃ですか?」
「ええ。これは開発が終わったばかりのプロトタイプの銃で、呪弾の他に麻痺弾と、霊に効く浄化弾の3種類が撃てます」
「じゃあ、八嶋技研の新型銃ですね」
「そうですよ。さらにこの新型は、1発づつ装填し直していた旧型と違い、3発まで装填可能です」
すごい。例え3発だけだとしても、3発は連射できる訳で……
1発づつ装填の今までより、遥かに使い勝手がよさそうである。
「西園寺さん。そっちのナイフみたいのは?」
「こちらは雷撃ナイフです。この握りの処がリチウム電池に成っていて、ボタンを押すと刀身に電撃が流れる仕組みになっています。まぁ……この仕事は異形が相手ですからね……通常武器は意味を成しませんので、少しでもダメージが与えられるように、工夫を凝らしている訳です」
「成る程、雷の木氣属性を刃に与えて、属性で斬ろうと言うのですね」
ついでに言えば刃自体も金属なので、金氣の属性を持っている。
「これだけの装備でも、一般人のボクには足りないぐらいですよ。因みにワイシャツの下にも、耐衝撃用の防護服を着て居ます」
見た目はスーツを着たナイスミドルなオジサンなのだが、そのスーツの下にも耐衝撃の服を着こんでいるとは……
言われなきゃ、分からなかったわさ。
でもそうか……硬い身体の龍と違って、一般人の西園寺さんは柔らかい身体だものな。
異形と戦うなら重装備になるのも分かる。
人間でも、一人例外が居るけど……
僕は西園寺さんから視線を外し、人間である小鳥遊先輩を見ていると――――――
「ん? 千尋ちゃん、私の顔を見て何か言いたそうね」
「先輩は人間なのに、生身で怖くないのかなって思って……」
「そんなの怖いに決まっているわ。でもね……怖いからこそ、十分修業を積んで、自分を高めて挑むのよ」
小鳥遊先輩は最早、心構えが違っていた。さすが幼少期の殆どを、修業に費やしてきただけはある。
その為、先輩と一緒に街へ出かけても、目的の買い物が終わってしまうと、その後に何をして良いか分からない、と言う事に陥る。
かく言う僕も女子に成り立てで、普段の女子がどんな事をしているかが、いまいち分からない。
正哉の妹で、僕の後輩にあたる紗香ちゃん曰く
人の趣味にもよりますが、部活の無い時は友人とカラオケとか、服やコスメを見て回るとかですかね……と言っていた。
あとは友人……たぶん小百合ちゃんだろう、ゆっくり出来るお店で、お喋りしてすごす事が多いそうだ。
まぁ、このすごし方は、あくまで紗香ちゃん個人の一例としてだけどね。女子の全員が全員そうだとは言えないだろう。
女性としては長いが、女子として遊ぶことの初心者である先輩と、女子に成り立てで全てにおいて女子初心者の僕。
先輩が良く遊びに来るのは、お互い初心者同士で、気を使わなくて済むって言う事も、あるのかもしれない。
先輩本人は、千尋ちゃんと居ると、妖から寄ってくるので探す手間が省けて楽。とか言ってたけどね。
床となった天井の上で燥ぐ先輩を見ながら、そんな事を考えて居ると――――――
ゴトッ! と音を立て、何か硬いモノが先輩の内股から落下したのだ。
「何事!?」
「ごめん、燥ぎ過ぎて、股に括りつけてあった、独鈷杵が落ちちゃったわ」
小鳥遊先輩は人目を気にせず、スカートを思いっきり捲って、独鈷杵のバンドを付け直している。
「ちょっと先輩! パンツ丸見えですよ!」
「大丈夫よ。千尋ちゃんは女の子に成ってるんだし、気にしてないわ」
こっちは元男の子なんだから、少しは気にしてよ!
「西園寺さんが男性なんだし、セイとか赤城さんとか、龍とはいえ雄も居るんですからね」
まぁ人間嫌いの赤城さんは、人間の女の子に興味ないだろうけどね。
先輩は僕の指摘を受けて、はいはい、気を付けますよ~と、そのような素振りなど噯にも出さずに、スカートを上げたまま付け直し終えていた。
恥じらいがねぇ……それをやるなら、スパッツでも穿いてください!
僕と先輩が、そんな遣り取りをしていたら、頭上のセイが粉モノばっかで喉が渇いたと、天井になった床へとくっ付いている、自動販売機に向かって行く。
それを見て思ったんだが、重力は明らかに僕らの足元へ向かって、下方向へと掛かっているのに、天井から生えた様にくっ付いた自販機や、お店の商品は落ちて来ないのだ。
何と言うか、背景とか壁などの一部にでも成っているかのようだ。
「千尋ぉ、自販機まで背が届かん。肩車してくれ」
「もう、周りに人居ないんだし、飛べばいいじゃないか……それに、出ないと思うよ」
「そうなのか? 電源は来ているっぽいが?」
「元龍神様。一般的な自動販売機は、中に留め金があって、それがジュースの落下を止めて居るんですよ。お金を入れて商品ボタンを押すと、その商品の留め金が外れて、重力に引かれて落ちてくるんです」
どうやら、用意が終わった西園寺さんが隣に来て、僕の代わりに詳しく説明してくれた。
「……構造は何となく分かったが、お金入れてボタン押せばいいんだろ?」
「西園寺さんが言ってくれた事、分かってねーし! セイ……商品は重力に引かれて落ちてくるんだぞ。今の重力方向では、自販機が逆さまになっているから。商品は取り出し口へは出てこないんだ」
「そうですね、千尋君の言う通り、中で留め金が外れるだけで、商品が落ちて出てこない事に成ります」
「なんだと!? 危うく罠に引っ掛かる所だった」
自販機のジュースと同じ理由で、エレベーターは使えない。
エレベーターはワイヤーで吊り下げられた籠の様なモノ。
だがその吊り下げられるはずの籠が、天地逆になっている建物のせいで、重力に引かれ最上階……この場合最下層と言った方が良いのか? そこまで落ちてしまって居るはず。
つまりは、展望台まで60階を階段で上る……いや下らなければ成らないのだ。
「階段で60階か……いいダイエットになりそうね」
「皆さんは10代で若いから良いですが、倍以上歳をとっているボクには、階段は堪えますよ」
「歳のせいにするなら、俺達龍なんか人間の比じゃねーぜ」
歩きもしないで頭に乗ってるだけの癖に、偉そうなことを言うセイと、それに頷く赤城さん。
「そう言う事は自分の脚で歩いてから言えよな……まったく」
西園寺さんに、ウチの馬鹿が済みませんと謝り、1階1階潰していく。
そのまま逆さハルカスの最上階まで、一気に下りれれば楽なのだが、行方不明の神木先輩と友人2名が何処に囚われているか分からないので、各階を虱潰しに捜すしか無いのだ。
「8階の子供服売り場にも、居ませんでしたね」
「千尋ちゃん。そろそろ休みましょうか? 西園寺さんの息が上がってますから」
「おっと、すみません。龍の身体が人間より体力自体上がっているので、気が付きませんでした。下りは楽そうに見えて、膝なんかの関節に負荷がかかりますものね」
「いやはや、運動不足が祟っていて、申し訳ない」
階段を下っているだけで、がんがん体力が削られていて、このままでは戦闘になった時に、まともに動けないなんて事もあり得てしまう。
特に膝へのダメージが蓄積するので、下りだし大丈夫と高を括っていると、平地のフロアへ出た時、思ったより足が重くて動きが鈍い、なんて事に陥ったりするので馬鹿にならない。
「案内図によると、12階から上にレストランフロアがあるみたいよ」
8階と9階の間。階段の踊り場にある、逆さまになった案内図を、首を曲げて見ている、小鳥遊先輩がそう言って来る。
いくら先輩でも、180度真下までは首が回らないみたいだが
それを言ったりすると、スカートでも平気で逆立ちをするかもしれないので、止めて置く。
いい加減付き合いが長いので、次にどんな行動をとるか、分かってしまうのが恐ろしい。
「12階か……ならば、そこの厨房を借りて、僕が何か飲み物を淹れましょう」
一応これでも、文化祭のカフェ店で、僕の淹れた飲み物が好評だったのだ。
「では、休憩もこのぐらいにして、レストランフロアを目指しますか」
西園寺さんが、よっこらしょっと声を掛けて立ち上がるので、やっぱオジサンなのだな……と再確認した。
9階のキッチンフロアに入った時――――――
「ふんっ! あの手紙の罠に気が付くとは、さすが瑞樹の龍神と言ったところか」
この声……聞き覚えがある。
確か華千院重道さんの隣によく居た腰巾着の――――――
「小太りなオッサン!!」
「誰が低身長の太ったオッサンじゃい!!」
「そこまで言ってないってば……」
小太りってだけ言ったのに……身長に関しては、僕も人間の男の子だった時に、160センチしかなかったし。他人の事をとやかく言えない。
今では龍の雌にされて、さらに背が縮んだしね。
さて姿は見えなずに、声だけは聞こえてくるのだが、明らかに華千院重道さんの腰巾着、御堂進さんの声であった。
「せっかく、正規のハルカス屋上に狙撃手を配備していたのに、見抜いて地下に来るなんてやるではないか! どうやってあの手紙から罠だと思った?」
「いや~、そもそも手紙を読んでないし」
「はあ? 読んでないってどういう事だ?」
「持ってきた式神ごと燃えちゃって……灰になったから読んでないの」
「燃え……灰?」
なんか絶句しているし。
「部分的に読める炭の手紙に、ハルカスって言葉があったんで、此処にやって来たんだけど……おかしな氣の空間が地下に有るって、巳緒に指摘を受けてね。それで今、此処に居るって訳」
「こ……こんな馬鹿げたことで……罠が水泡に帰すとは……」
今度の喋り方は、怒りに震えてる様な感じだ。
そこで、西園寺さんが前に出て――――――
「御堂進さんですね? ボクは日本国内の妖や超常現象による被害から国民を護る組織、八荒防の西園寺と申します。今から2つほどお聞きします。安倍晴明の名を受け継いで逃げている、晴明とは一緒では無いのですか?」
「はぁ!? アイツの居場所なんか、俺様だって知りてーわ!」
「ではもう一つお聞きします。北関東から修学旅行に来ている女学生3人を攫いましたね?」
「ああ、手紙に書いてあったと……そうか、読まなかったんだな。ちっ、めんどくせーな。また説明するのかよ……」
今度は面倒臭そうに言い放つ御堂進さん。
そしてそんな進さんに対して、敵意を剥き出しにして怒る赤城さんが――――――
「貴様が我の龍の巫女である志穂を!!」
「ほう、龍の巫女だったのか……だから他の二人に対して高位の神を降ろせたのだな」
「なっ!? 御堂さん、今なんて?」
「いいか、もう2度と言わないから良く聞け! 陰陽師と言っても全てがオールマイティに秀でている訳じゃねえ。みんなそれぞれ得意分野があって、式神を使うのが得意な奴もいれば、召喚術を得意とする奴もいるし、初代安倍晴明の様に、結界を扱うのが得意とするのもな」
「ちょっと待って、安倍晴明って平安京が出来た794年に結界を張ったり、西暦900年代から1000年にかけて、鬼の手を封じたり天狗を封じたり色々やってますよね。200歳超えてる計算になりますが?」
「そりゃあ、半分狐の……葛の葉キツネが母親だったと言う伝説があるからな。半分霊狐の血を引いてりゃ、人間より長生きするわな」
「葛の葉キツネ?」
「宇迦之御霊神の、第一神使だった狐ですよ、千尋さん」
「赤城の龍神様の言う通りで、ここO阪の安倍晴明神社では、狐にまつわるモノが色々と置かれております。安倍晴明神社で扱っている絵馬なんかにも、狐の絵が入ってるんですよ。さすが安倍晴明生誕の地です」
「ああっ! なるほど! O阪府にある、現在の安倍野区生まれの晴明なので、安倍晴明って名前なのですね」
そう言う事。と皆が頷く。
母親の狐は、現在の宇迦之御霊様の神使をしている。白い狐のハッコさんの前任者になる訳か。
確かにその霊狐の血を引いていれば、長命もそうだが、霊力も人間よりあっただろうし、色々な術ができて天皇家から重宝されただろう。
とんとん拍子に出世したのも分かる気がする。
「おい! 瑞樹千尋。もう話を先に進めても良いか?」
「はい、済みません。話しの腰を折っちゃって……どうぞ」
「……どこまで話したっけ?」
「えっと……陰陽師、各個人の得意分野……までかな」
「そうそう、それよ。俺様の得意分野は憑依」
憑依? またおかしな単語が出て来たな。
「のり移るとか……そう言うのでしょうか?」
「俺様がのり移る訳じゃねえ。のり移らせるのよ。神道で言えば降ろすってヤツよ」
「降ろす……昔、邪馬台国の卑弥呼が、その身に神を降ろして、国の指針を決めたと言うけど……そう言うヤツですか?」
「そうそう、降ろす者が神であった場合は、神懸かりって言うんだがな。それを、あのお嬢ちゃんにしてやったのよ」
「下郎が!! 神を身に降ろすなんてしたら、精神が崩壊するわ!!」
赤城の龍神さんが、此処まで怒ったのは、初めて見る。
というか、赤城さん。僕の頭の上で神氣を解放しないで、髪が巻き上げられちゃってるから。
「でもなんで、そんな酷い事をするんですか? 確かに華千院家とは、いざこざがあったけど、御堂家とは何も無かった筈です」
「それはな……華千院家の滅亡で、お前ら龍神は危険だと分かったからな。先手必勝と言うヤツさ」
なんじゃそりゃあぁ。僕らが出張る時は、大概自衛のために出張っているだけで、此方から手を出したことは無いはず。
いつも巻き込まれているのは、こっちなんですがね。
「まさか……他の二人にも憑依を?」
「そのまさかだ。まぁ、龍の巫女ほど大物は降ろせなかったがな。急いだ方が良いぞ、完全に融合が終わると、いくら龍神の浄化の術でも、引き離せなくなるからな」
はっはっはっと高笑いをしている声が、遠ざかって行くので、どうやら最上階……この場合、最下層か? そこで待つ様だ。
「西園寺さん。休憩なしで行けそうですか?」
僕がそう言って振り返ると、西園寺さんは何処かに電話中だった。
この逆さまのオカシナ空間で、電話使えるのかよ……
「本物のハルカス同様に、電気も水道も来ているみたいで、無線LANも使えるみたいよ」
僕の疑問に、小鳥遊先輩がスマホの画面をこちらに向けて、電波の状況を見せた。
これで、床に天井が来てなければ、ここが異空間だとは、誰も思わないだろう。
「みなさん、電話は終わりました。お待たせして済みません」
「西園寺さん。どこに電話を?」
「異形対策本部の方へ援軍を頼みました。もう我々だけでどうにか出来るレベルじゃありませんからね。まだ実験中の遅延結界を持って来て貰います」
「遅延結界? なんですかそれ?」
「文字通り、そこで起こる術の発動を遅らせる結界です。本来は建物全体に張れるはずなんですが……まだ実験中のモノなので、それほど大きく張れません。ですが、使えれば憑依を遅らせる事は出来るはずです」
「なるほど、それの結界があれば、我が龍の巫女である志穂の助かる確率は上がるな」
「そうですね。必ず助けましょう」
僕達は無言で頷き合い。逆さまになった最上階への階段を下りるのだった。