5-07 嵐の前の平和な日常
早朝水風呂……10月に入って、早朝の水風呂は寒いかと思いきや
水龍になってから、水の冷たさには耐性が出来ているせいか、全然平気なのである。
まだ滝壺が凍ってないので、禊は其方でするのが通例であるが
今回、お風呂の残り湯が勿体無いので、エコとして再利用。
本当は真冬に滝が凍って、止むを得ない場合でないと、風呂での禊はダメなんだけどね。
その冷え湯……もう水だけど、それに浸かって居たら心地よくて……
このまま冷えたお風呂の水に、頭まで浸かっていると、2度寝してしまいそうだ。
セイ達水龍がお湯は好まず、冷水に棲むと言うのも分かる気がする。
だが、そんなお風呂の水がだんだん温かく……いや待て……何これ!? 熱い!!
僕は熱いお湯に堪らなくなり、お風呂の中から飛び出すと――――――
「もう……お風呂で寝ないでって言ってるでしょ」
「香住!? 寝てないってば!! 朝の禊をしてただけだよ!! だいたい何でお湯に……」
「お風呂を追い炊きしといた」
「すんなよ!! 僕を茹でる気!?」
茹で龍とか勘弁して欲しい。
「だいたい、禊って水に浸かって身体を清めるだけでしょ? 何で潜ってるのよ」
「……いや何となく、滝行だと頭から流水を被るから、風呂場でも頭まで浸かった方が良いかと思って」
「はぁ……汚れた残り湯で、身体なんて清まるわけ無いでしょうに」
「香住、自慢じゃ無いが僕は龍水神なんだよ。水の浄化なんて朝飯前……」
「自分の身を清める為の禊なのに、風呂の水を清めてどうするのよ!? 本末転倒でしょうが!!」
ごもっともです。
「朝飯前と言えば、居間はカオスだから、入らない方が良いかも」
「もう見たわよ……西園寺さんと大山咋神様が酔い潰れてて、他の神様達がゲームに夢中になってた」
やっぱりな……お酒が呑める人間は西園寺さんと婆ちゃんだけで、他は未成年だし。
神様にも呑める方はいるけど、ゲームに夢中で呑まないからなぁ。みんな呑めば強そうだけどね。
沐浴から脱衣場へあがると香住から、相変わらず、けしからん胸ね! と放られたバスタオルを受け取り、身体を拭きながら――――――
「居間は散らかってて居づらいだろうから、僕の部屋にでも行ってる? 急いで境内を掃いて来ちゃうけど」
「境内なら、小鳥遊先輩のお兄さんが掃除してたわよ。泊めて貰ってるお礼とか、そんな様な事を言ってたわ」
さすが実家が御寺だけあって、朝は早いんだな……
昨日の激戦で大活躍だったし、その疲れから昼まで寝てるかと思ったけどね。
まぁ、大学にも顔を出したいとか言ってたので、早く起きたのかも。
境内の掃除は尊さんに任せて……カオス状態である居間の片付けをしちゃうか!
僕と香住が居間へ入ると、酔い潰れた方々が気持ち悪そうにしていた。
「あいたた……すみません千尋君……水を一杯」
痛む頭に手を当てて、気持ち悪そうにしている西園寺さんは、完全に二日酔いだ。
そんな西園寺さんに水を持って来てあげようとしていると、テーブルの向かい側でお茶を啜っている婆ちゃんが――――――
「千尋や。神様が神酒を2樽ほど空けられたのでな、追加で頼んで置いたぞ」
「婆ちゃんおはよう……て、婆ちゃん!? 昨日同じに呑んでて、平気なの!?」
「この程度……死んだ爺さんに比べたら、まだまだ呑めるうちに入らんわ」
どれだけ豪酒ですか!
「婆ちゃん。もう良い歳なんだから、呑み過ぎには気を付けてよ」
「悪い歳じゃなく、良い歳ならよいではないか」
そう言う良い歳じゃねえし!
とりあえず、テーブルの上が片付かない事には、朝食が運べないので、片付けを優先しながら冷や水を持って来てあげる。
「はああ~さすが水神様のお水。美味しいですね、もう一杯下さい」
西園寺さん……それタダの水道水ですよ。氷入りのね。
台所で忙しそうに料理を作る神使の桔梗さんの隣に、香住がヘルプで加わる。
僕の出る幕は無いか……
ひたすら出来た料理を運び、空いた酒類の片付けをしていると
ようやく子狐ちゃんズや、セイとか赤城さんが起きてくる。
また録画した深夜アニメを徹夜で見て居たな?
尊さんの掃除も終わり、全員が居間に集合すると。いただきますを言った処で、淤加美様が――――――
「そうじゃ、千尋。明日の金曜の夜、開けて置くように」
「明日の夜? 何かありましたっけ?」
「鬼ごっこをするぞ!」
「鬼ごっこ? それって……鬼の追い駆け役と、追われる役にわかれて、遊ぶヤツですよね?」
「ただの遊びではないぞ。龍族と鬼族の鬼ごっこじゃ」
淤加美様の言葉を聞いて、嫌そうに赤城さんが――――――
「またアレをやるんですか?」
「うむ。毎年、稲の収穫が終わった頃にやって居る、大事な行事じゃ」
「鬼ごっこが? 大事な行事?」
どうもピンと来ない。
「そうか、我と淵名は何度も参加していますが、千尋さんとセイ龍は、初めてですよね」
「初めてのお主等に、妾が説明してやろう。毎年10月のはじめ……出雲行きの前ぐらいに、翌年の収穫を左右させる大事な行事なのじゃ」
益々分からん。
「僭越ながら、赤城の龍神である我が捕捉しますね。鬼族から5名。龍族から5名の選ばれし者が、毎年追い駆けっこをし、鬼族が勝つと翌年は不作に……龍族が勝つと翌年は豊作になると言われています」
「うむ。龍族が全員捕まると負け。1龍でも逃げ切れば、龍族の勝ちじゃ。場所は平安京であった京の都。時間は裏鬼門から鬼門である、20時から2時までの6時間を逃げ切れば勝ちという訳じゃな」
京から出ると反則負けで、龍脈移動や空を飛ぶ行為は禁止されてるらしい。
「つまり、6時間走って逃げろと?」
「隠れても良いのじゃが、人間に被害が出るからのぅ。鬼族の奴らは氣を読むのが上手いから、なかなか隠れて遣り過ごすのは、無理があるのじゃよ。ちなみに、空を飛ぶのは妾がやって居ったのじゃが、見付かってしもうてのぅ。それ以来禁止にされてしまったわい」
そりゃあ空を飛べないと、捕まえようがありませんものね。
しかし、6時間か……運動が得意じゃない僕としては、辛いものがある。
「古龍神様。今年地元の龍は、集まらなかったのですか?」
「そういえば、そうだよね。赤城さんの言う通り、北関東の僕らが出張らなくも、地元の龍が居るんじゃないのですか?」
「実はのぅ……去年の鬼ごっこで、地元の龍族に負傷者が出てのぅ。今年は休ませてくれ、と言われてしまったのじゃ」
鬼ごっこで負傷者? それも頑丈な龍族が? どうなってるのよ?
どんな鬼ごっこなのか想像もつかないが、危ない行事だと言うのは分かった。
「しかし、大婆様。5名って言ったけど、淵名は怪我してるし出れないんじゃ? それだと人数が足りませんが」
セイの言う通り、淵名さんは傷が塞がったばかりで、まだ人型に変身も出来ないのだ。
淵名さんが龍の姿だと、移動するのに低空とはいえ、宙を飛んでしまうので、すでに反則行為に該当してしまう。
「千尋の中の妾だと飛んでしまうので、貴船に居る本体の妾と、千尋。旦那の若龍と赤城の龍神……もう1龍か……」
「ならオレが龍族として出てやろうか?」
そう言って現れたのは、婆ちゃんが追加で頼んだ酒樽を担いだ、オロチの壱郎君であった。
「お前は龍じゃなく、蛇だろうが!」
「地方によっては、龍も蛇も一緒くたにされているんだし、大丈夫だろ?」
確かに、沼や池の護り神として、蛇も祀られることがあるが……
やっぱりセイは嫌がるよなぁ。
「だいたい角が無きゃ、龍じゃないって鬼族にバレるだろ!」
「角なんか、頭にタケノコでも載せときゃ良い」
「良いわけあるか! おい、千尋も何か言ってやれよ」
「まぁタケノコは無いわな……時季外れだし。せめて牛蒡とか、さつま芋ならねぇ」
「突っ込むところは、其処かよ!! 牛蒡もさつま芋も無いわ!!」
しかし、この瑞樹の地から出ようとしない壱郎君が、京へ行っても良いなんて……
「壱郎君、何か企んでない?」
「企んでとは人聞きが悪い。まあ代わりと言っちゃなんだが……土曜の夜に少し手伝って欲しいことがあるんだ」
「明後日? 別に良いけど、何かあるの?」
「実はよ……土木作業員してた時の若い奴が、ここの頂上である龍神湖からの帰りに事故ってよ。バイクでゆっくり流してただけなので、事故自体は大した事ないんだけど……聞く話だと、どうも幽霊? の仕業らしいんだ」
「ゆ、幽霊!? ダメダメ。絶対駄目!!」
「千尋は、本当に怖がりじゃのう……幽霊如きに国津神が臆してどうするのじゃ!」
「だってあいつ等理不尽なんですよ! 向こうの攻撃は当たるのに、こっちの攻撃はすり抜けるんだもの……」
「いやいや、すり抜けんじゃろ? 抜けてしまうのは、人間の霊力や神力の無い者がなる事であって、お主は龍神なのじゃぞ。幽霊の小者など、消えよ!! と念じるだけで消滅するわい」
「それがな……どうも小者でも、ないらしいんだ。首の無いライダーとか言ってたな」
ますますヤバそうな物の怪じゃんか!
「一応聞くけど、どんな攻撃してくるの?」
「さあ?」
「さあ? て……事故した知り合いに聞いて無いの?」
「聞いたよ。ピチピチのライダースーツの胸と尻に目が釘付けで、気を取られてて事故ったらしいので……強いて言えば、お色気攻撃?」
何だそれ……ただの余所見運転じゃないのさ!
「悲しい雄の性だな…」
そう言いながら頷くセイと赤城さん。このエロ龍どもめ。
「聞いていると、速く掠める様に走り去る、首の無いライダーってだけでしょ。だったら壱郎君だけでも、倒せそうじゃないの?」
「それがな……夜にバイクを運転してないと、首無しライダーは現れないんだそうだ。オレがバイクを運転していると両手が塞がるだろ? だから雌龍が後ろに乗ってだな、その首無しライダーを成仏させて欲しいんだ」
なんでも、幽霊のうわさが広まり、地元の商店街にも、観光客減少の影響が出始めてるらしいので、何とかして欲しいとの事。
瑞樹の神佑地を護るのが、国津神として本来の役目だし、幽霊は怖いけど仕方がない。
「分かりました。金曜の夜が鬼ごっこで、土曜の夜が首無しライダーですね。開けて置きます」
「それでは、土曜日の夜はボクも協力しましょう」
「西園寺さんが?」
「ええ地元警察に、一晩だけ道路封鎖をお願いしてみます。一般車両にも被害が出ると、マズイですからね」
それは、心強いかも。
一般車両が来なければ、人間への被害を気にせず、首無しライダーへ専念できるしね。
結局ゆっくりできるのは、今日だけか……
「そう言えば忘れて居ましたが、明日は神木先輩が、修学旅行から帰って来るんですよね? 赤城さんは土産話を聞いたり忙しいのでは?」
「べ、別に志穂の事など……そもそも人間は嫌いですから」
素直じゃ無いなぁ。
神木志穂先輩は、その人間嫌いの赤城の龍神さんが、唯一人間に心を許している人だしね。
龍の巫女だから仕方なく……とか言い訳しているけど、本当は好きなんだよねきっと……少女漫画で学んだので良く分かるわ。
そんな神木先輩達、3年生の修学旅行四日目の今日は、N良県をのお寺を見学して、明日の半日はO阪府で自由行動。午後に新幹線で首都を経由して北関東へ夕方着と言う日程らしい。
N良県かぁ……かつて、大和朝廷があった地とされており。
日本書紀では日本武尊……古事記では倭建命と記された、第13代目の天皇になるはずだった神の血を引く天皇の産まれた地である。
成るはずだったと言うのは、倭建命が優秀過ぎた為、その力を恐れた父……12代天皇の景行天皇に遠ざけられてしまい。
それでも手柄をたて、次期天皇へなるのを父に認めてもらう為頑張るのだが……その夢叶わず。
倭建命の代わりに、成務天皇が、第13代目の天皇へと即位されたのである。
14代目は、ちゃんと倭建命の息子である、仲哀天皇が即位されたのだけどね。
倭建命は、現在の九州の地にいた反大和勢力討伐や、現在の関東への反大和勢力討伐を行い。見事に成し遂げたのだが……
自分の力を過信しすぎた倭建命は、草薙剣を熱田神宮に置いて、神器無で大和まで帰ってやると意気込んだのだ。
それ以来、高天ヶ原にあった草薙剣は、天照大御神の元へ返される事もなく、地上にて祀られる事に成るが、後に壇ノ浦の戦いで海中へ喪失する事となる。
剣の所在はそんな処で、話を倭建命に戻すけど
武器を待たずして、大和へ向かう倭建命は、伊吹山を越える時に、素手で神獣を倒して神の怒りを買った為。
山の神が降らせた大きな雹が頭に当たり、瀕死状態に陥り。なんとか山を下るが、生まれ故郷の大和へ戻りきる前に、命を落としてしまうと言う神話がある。
まぁ、神話で大和朝廷があったとされる現在のN良県は、仏教が盛んであり。もっぱら修学旅行の見学と言うと、御寺がメインになりがちだけどね。
あとは鹿!!
しかし、せっかくN良県へ行ったのだったら、神話の国造りで有名な大物主神様を祀った、日本最古の神社……大神神社へ御参りしないのは、勿体無い限りである。
古都へ修学旅行に行った神木先輩には、後で土産話を聞いてみようと思う。どうせ赤城の龍神さんを、迎えに来るだろうしね。
そんな事を考えて居ると、相変わらず目があいているのか分からない糸目の西園寺さんが――――――
「あ~二日酔いで弱った胃に、味噌汁が美味い……そうそう、千尋君。呪弾の事だけど……やっぱり銃が1丁と、弾丸数発が無くなっているそうです。たぶんそれを分解し、複製したんだと思いますよ」
おーい、銃の管理体制どうなってるよ。
「危ないですね。神族だけでなく、人間相手にだって殺傷能力があるんでしょ?」
「いやはや、申し訳ない。例の沼田教授が起こした騒動の一件以来、予算が大幅に削られまして……言い訳にしかなりませんが、予算の都合上、警備の方も穴だらけなんですよ」
マジカ……危ないなぁ。
弾丸が特殊形状なので、1発しか装填できず、その都度弾丸の入れ替えをすると言う、手間のかかる品物ではあるが、連発が出来ないだけで、殺傷能力は程は、淵名の龍神さんが身をもって証明した通りだ。
「流出経路は分かりましたが、何処で複製されたかは、分からないんですか?」
「そちらはもう少し時間をください。ただ……華千院家……いや、もう元華千院家と言った方が良いかな? その関係者が係わっている可能性があります」
そこまで西園寺さんが言った後、外からハロちゃんの吠える声がする。
急いで玄関を出ると――――――
『逃がしたか! すばしっこい奴め!』
「どうしたのハロちゃん!?」
『千尋殿たちの会話を聞いていた者が居たのだ! 朝飯に夢中で、気付くのが遅れたわい!』
ハロちゃんが悔しそうに空を見上げるので、その方向を見てみると……雷の様に輝く獣が空を駆けて行くのが見て取れた。
龍眼を望遠モードにすると……あれは……雷獣!?
根小屋 信一さんの所に行った時に、空に浮いていた獣だ。
あの時、小鳥遊先輩がムキになって撃ち落とそうとしていたが、攻城兵器のバリスタで、あの素早い獣に当たる訳ないわな。
しかし、雷獣か……晴明さんも、呪弾の撃てる銃の出処を探っているって事かな?
鬼ごっこといい、首無しライダーといい、なんだかまた、忙しい週末に成りそうだ。
僕は雷獣の飛んで行った西の空を見上げながら、これから起こるであろう多忙な日々に、溜息をつくのだった。
倭建命の部分は、長くなるので、だいぶ端折りました。
ちゃんとした倭建命の物語が読みたい方は、古事記か日本書紀をお調べください。