5-05 大鯰戦
海底洞窟内は、つい半日前まで海水で満たされていたと言うのが、嘘の様に海水が無くなり。
完全に潮が引いたので、泳いで来た時とは同じ場所とは思えない風景に、驚かされている。
というのも、どこから出てきたのか……海の小動物……蟹とか貝とかが、潮が引いた洞窟の地面に取り残されていて
わずかに残っている、窪みに溜まった水溜りにも、水波紋が出る処を見ると、小魚でも居るようである。
そんな洞窟内で、小鳥遊先輩が街へ出て買って来たLEDライトを点灯し、暗闇を照らし始めた。
上に羽織るモノまで買って来ているのは、祓い屋をしてきた経験の差と言う奴かな? そのぐらい洞窟内は結構肌寒かったのだ。
確かに僕ら水龍も、春先に瀬戸内海へ宝剣探しに潜ったが、かなり冷たい筈の海の底も平気だった為、寒さには相当強いと思っていたけど、今回の洞窟内は水自体の冷たさよりも、心なしか温度が下がっている気がする。
「千尋ちゃん達は、さすが水龍よね。これだけ寒いのに、巫女装束だけだなんて……」
小鳥遊先輩はそう言いながら、テープとバンドで腕に固定したLEDライトの緩みを確認している。
両手をいつでも使える様に空手にして置くのも、祓い屋の経験からであろう。
「先輩は、防寒着まで買ってあるって処、さすが用意周到ですね。僕ら水龍族は、寒さに強く成っているみたいで、結構深い処まで水に潜れますから、水圧にも強いですよ。まぁ水神が水圧に負けたり、凍ってたりしたら洒落に成りませんが」
「なるほどねぇ、深く潜る為の強い身体と、寒さ耐性か……単に水氣属性ってだけでも無いのね」
他にも、空を飛ぶときの寒さにも強いみたい。雲の中とか、その上は寒いからね。酸素も薄いし。
そんな場所に適応しているので、寒さに強いのは、当然とも言えよう。
同じ水龍のセイと赤城さんは小さく成って、僕の頭の上で暢気に食休みをしている処を見ると、やはり寒さには強い様だ。
お馴染みに成りつつある、僕の頭の上で2龍が寛いでるのは、腹がいっぱいで苦しいからだろう。だから食い過ぎるなって言ったのに……
一方、建御雷様と天津麻羅様は、器用に窪みを避けながら進んで居るので、暗闇も寒さも平気な様だ。
建御雷様は、いつの間にかジャージを脱いで鎧姿になっていた。
関市にある信一さんの店で脱いだままだったのに……どうやら鎧自体に呼び寄せ機能があるみたい。
しかし、古神の二柱が問題なく歩みを進める中、尊さんの方は――――――
「うわぁ!! あ~もぅクソが! こんなとこに、水溜まりがあるから、嵌まっちまったじゃねーか!! 足冷めてぇ……」
櫛名田比売の櫛で、半神化の女体化状態なのに、足元は見えて居ないみたい。
しかし対オロチ用の櫛なので、水氣耐性はあるらしく、寒さに関しては文句は出ない模様。冷水に浸かった足は仕方がないが……
「あら、お兄様……お姉様の方が良いかしら? 大丈夫ですか?」
「兄で良いわ!! 兄で!! そこに気を使うなら、俺にもライトくれよ。それに、独りで着込みやがってズルいぞ!」
「寒いのですか?」
「今水に浸かった足がな! 上は平気だが……」
「では我慢してください。私も足元は足袋に草履ですから」
制服が汚れると、学園へ行くのに困ると思ったのか、先輩も巫女装束を着ていたので、足元は足袋と草履であった。
普段、黒一色の服装を好む小鳥遊先輩が、赤白の巫女装束姿で居るのは超レア状態である。
おそらく、鹿島神宮で巫女装束を借りたのだろう。
「尊さん。水溜りは仕方ないですよ。塩分濃度にもよりますが、海水は水温が零下に落ち込んでも、簡単に凍りませんからね。液状だから零度ぐらいだろと思っていると、酷い目に遭います」
そう、海水はマイナス20度でも凍らない場合があるので、そんな所に人間が踏み入れれば、凍り付いてひとたまりも無いのだ。
「御高説どうも。分かったから、ライトくれよ」
「予備ので良ければありますが、テープは嵩張るので置いて来ました」
「おい! ライト持ってたら剣が振れねーだろ」
「無いのだから仕方ありません。それに、兄さんは前回来た時どうされたのです?」
「あん時は……建のオッサンが草薙剣に入ってくれて、その刀身の稲光で照ら……そうだよ! 建のオッサンが、剣に入ってくれれば良いんじゃねーか!」
「尊よ……前回の戦いを学んでないな? 洞窟入り口から儂を剣に入れてたせいで氣を消耗し、2発撃てるはずの奥義を1発しか撃てなかったのじゃぞ」
なるほど神器解放状態では、どんどん氣が減りますからね。
僕の場合は、龍神になってから神氣が人間より遥かに多い為。解放状態で持ち歩いても問題無かったが、尊さんは櫛で半神化しているとはいえ、そこまでの氣は、持ち合わせて居ないようである。
「ちぇ、おい雨女。あの龍……なんとか移動って言う術で、ボス前まで行けねーのか?」
「無茶言わないでくださいよ。緋緋色金の岩盤を、術系統で抜けれるわけ無いでしょ。それに尊さんは、龍脈の氣に酔うし。外に出てグロッキーでは、大鯰の土氣術の餌食ですよ」
僕の指摘に、自分が龍脈酔いする事を思い出したのか、大人しく小鳥遊先輩の予備のライトを借りて、足元を照らし始めた。
そこから結構歩き、何度もの枝分かれの道を進み、長い洞窟を抜けると、大鯰の居た広い大きな空間に出る。
「どうやら奴さん。俺達が来るのに気が付いていたみたいだな」
尊さんの言葉通り、最初から眼を見開いて、やっと来たかというような表情を見せる大鯰。
しかもその周りには、大鯰を護る様に沢山の半魚人たちが、出て来ていたのだ。
「自分が要石で動けない分は、部下の半魚人にやらせようってか? 洒落臭い真似をするのぅ」
「だがな天津麻羅よ。動けなくても、大鯰単体だけで相当強いぞ」
「雨女、作戦は?」
「また僕に振るんかい! はぁ……良いですか? どんなことを言っても、神器である草薙剣での雷撃が一番ダメージを与えます。よって、如何に効率よく、雷神剣草薙を当てられるかが、勝負の決め手でしょう」
「つまり、草薙剣を持った尊殿と中に入った建御雷二人組の露払いをすれば良いのじゃな?」
「そういう事に成ります。天津麻羅様は緋緋色金の岩盤を砕くのを優先してください。半魚人達は、小鳥遊先輩と僕達龍族で蹴散らします」
「了解した」
「それから、尊さんは身をもって知ったと思いますが、頭上の落石に注意です」
「常に動いて居れば、良いって訳ね。分かったわ」
そう言って先輩は、鞭に帝釈天の雷撃を付与する。
「じゃあ始めましょうか!」
僕は2リットルの水ペットを開けると、その水を霧状にして霧散させる。
そうすることで、見えて居る実像をぼやかし、さらに霧の上に幻を浮かび上がらせたのだ。
案の定、その幻に向かって、大鯰は土氣の術である石礫を飛ばしたり、岩を落としたりしている。
上手く騙されている様だ。
大鯰が、幻の絡繰りに気が付くのも時間の問題だろうが、その前に邪魔な半魚人を出来るだけ潰して置かねばならない。
僕は後列から前に出ながら――――――
「セイ達は頭から降りないの?」
「千尋の頭の上の方が、術反射あるし安全だろ」
言い切りやがったな、コンニャロメ。
「千尋さん。どうせ水ブレスが主な戦い方なら、何処に居ても同じですからね」
赤城さんはそう言いながら、僕の頭の上から水ブレスを吹いて横に薙ぐ。
半魚人達は、水を圧縮されたブレスをモロに受け、真っ二つに成って行った。
「赤城、三枚におろした方が良くね?」
「食べる気かよ!?」
「二人して漫才やってる場合か! 言って置くけど、術で無い場合は反射が発動しないんだからね」
僕がそう言った処で、半魚人達が一斉に水ブレスを吹いて、攻撃してくる。
ちなみにブレスは術では無く、物理攻撃である為、術反射は発動しない。
さすがに龍のブレス程の威力はなさそうだが、数が数だけに楽観視して居られないと思って
僕は透かさず、もう一本のペットボトルを開け、大きい水の斬馬刀を創り、半魚人のブレスを薙ぎ払った。
「千尋、今日は豪快だな」
「細い刃で当てられる技量が無いだけ! 斬馬刀なら大きいから、適当に振っても当たるでしょ」
「普通は武器の自重に耐えられませんがね」
赤城さんの言う通り、普通の鋼で出来ていたなら、重すぎて振り回せたものじゃ無いだろうが、これは2リットルの水である。
2キロ程度の重さなら、振り回すのも御茶の子さいさいなのだ。
まぁ龍なので、筋力も人間よりはあるから、鉄や鋼でも問題は無いと思うけどね。
半魚人を駆逐していく中。大鯰が幻に騙されなくなって来たのか、実態への命中率が上がって来る。
それを自慢の大槌で砕いてくれる天津麻羅様。まだ緋緋色金の岩盤では無いが、お陰で半魚人に専念できる。
「大鯰め。眼で俺達を追わずに、氣を追い始めたか……」
「そろそろ幻の術も、潮時かもね」
僕はあたりに漂う霧を、出来るだけ回収しようと引き寄せると、霧が晴れて大鯰と眼が合った。
ヤベェ……
そう思うも束の間。カチューシャの巳緒から警告が――――――
『千尋! 上と下同時!』
ハンバーガーにされるのは御免被りたいが、その心配は要らない。何故なら術である以上は、反射が発動するからだ。
前回は手の内を見せぬ様、岩を避けていたが、今回は本番であるが為に、その必要はない。
僕の足元に持ち上がりかけていた岩は、直ぐに引っ込んだと思うと、術者である大鯰の真下から鋭い岩が突き上がった。
何が起こったのか分からないと言った表情を見せる大鯰の頭上に、今度は僕の頭に落ちる筈だった大岩が大鯰の頭に落下した。
頭に直撃した岩のせいで、軽い脳震盪を起こした大鯰。その姿を見てチャンスと思ったのか、尊さんが雷を纏った草薙剣を振りかぶる。
『落ち着け尊。奥義を一点に集中し、洞窟を崩さぬ様にするのだ』
剣の中からアドバイスを送る建御雷様に
「分かってるよオッサン!! ちょっと黙っててくれ……ふぅ…………行くぜ! 真雷神剣草薙!!」
精神を集中させた雷の斬撃が、大鯰に向かって行く。
やったか!?
そう思うのも束の間、僕らの喜びが驚きの顔に変わる。
何と!! 大鯰の前に、緋緋色金の岩盤が持ち上がり、雷神剣草薙の衝撃波を防いだのだ。
それもご丁寧に、5枚もの岩盤を持ち上げて居た。
「お寺の小僧が精神集中に時間を掛け過ぎたな……」
「ええ、その為に大鯰が、脳震盪から回復した様ですね」
冷静に分析する頭上の2龍。
貫いた緋緋色金の岩盤は3枚……あと2枚……
さすがの尊さんでも、5枚までは貫けないと言う事か。
尊さんも、このまま氣を消耗させるのも勿体無いと思ったのか、すぐに建御雷様に外に出て貰い神器解放を解く。
氣を温存するには、良い判断だ。
だが大鯰のターゲットは、僕と尊さんに絞られた。
なるほど、僕ら2人さえ倒せれば、後のメンバーは雑魚って思って居るらしい。
その油断が大鯰の足元を掬う事に成るとは、夢にも思うまい。鯰に足は無いけどね。
僕はわざと目立つように動き、小鳥遊先輩から離れる様に動く。
お陰で小鳥遊先輩も、ノーマークになり、反対側から鯰の腹の下へ近づくと、懐から一本の角を取り出したのだ。
そう……洞窟に入る前に、小鳥遊先輩へ渡して置いた、麒麟の角である。
先輩は麒麟の角を大鯰に向かって突き出し発生させ、さらに帝釈天の真言で雷を上乗せしたのだ。
「因陀羅耶 莎訶!!」
完全にノーマークだった小鳥遊先輩から、突然の雷撃を貰う大鯰。
その身体は雷で金色に光り、凄まじい爆発音と共に、鯰の悲鳴が洞窟内に木霊した。
至近距離だし、今回は障害物になる緋緋色金の岩盤を持ち上げて居る暇は、なかった筈。
完全にノーガードで入ったし、倒せていなくも虫の息であろう。
其処に居る皆がそう思っていると――――――
白目を剥いていた大鯰の眼に光が戻る。
「おい……冗談だろ? モロに入ったんだぞ」
「しかも、先輩の帝釈天の真言を、上乗せして居たのに……あれでも、駄目なのか」
「二人とも、あの鯰の口元を見てください!」
赤城さんの言葉に、その場所を見ると……大鯰が髭が片方千切れ、地面に突き刺さっていたのだ。あの長い髭が電気を逃がすアースの様な形をとって、避雷針の役目をしていたらしい。
「あの髭で電撃を地面に流し、堪えたのか!?」
「避雷針か……考えたな」
それでも、完全に髭の避雷針に逸らし切れず、大きな身体に流れてしまった為。短時間だが白目を剥いたのだ。
さすが何千年もの間、建御雷様と遣り合っているだけはある。百戦錬磨だ。
直ぐに小鳥遊先輩が戻って来るが――――――
「どうしよう千尋ちゃん。失敗しちゃったわ」
「先輩、今のは仕方ありませんて、あのタイミングで防ぐとは思いませんでしたし」
しかし困った。もう後は、尊さんの雷神剣草薙に賭けるしか、無くなったわけだが……
それは大鯰も分かっているらしく、尊さんから視線を逸らさなかった。
「おい千尋。半魚人の方は、粗方片付いたぞ」
僕の頭上から水圧ブレスを吹きまくっていたセイがそう言って来た。
確かに、大鯰の周りは綺麗に片付いたが、どうやって雷神剣草薙を当てたものか……ラスト一発をミスれば、もう手立てが無いのだ。
此方が手を拱いていると、大鯰が突然土氣を集中し始めた。
「いかんっ!! 大地震が来るぞ」
何度も大鯰と遣り合った経験からか、建御雷様が大声で警告する。
ここで、大術かよ!
一応、龍玉で対策はしてあるが……容量が間に合うかどうか……
否。もうここは、龍玉に賭けるしかない。
少しずつ揺れが大きくなって行く洞窟の中で、僕らは祈る事しか出来なかった。