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とある婚約破棄・平家物語異聞

作者: 梶 一誠

 鎧をまとった女武者(あまむしゃ)は追手の騎馬武者と琵琶湖畔にて対峙した。

 稚児のような髪をした兵が女とわかるや武者は侮り撃ち掛けんと突進してきたが、女は落ち着き払って己が大薙刀を腰だめに低く構えるや、横一閃!馬の前脚を宙へ高々となぎ払った。

 水しぶきを上げて馬ごと転げ落ちた武者は、そのまま喉仏を湖岸の砂利に縫い付けられるように刺し貫かれとどめを刺された。波打ち際の水面(みなも)が朱に染まる中、女は太刀を奪うと

「許せよ!」と、傍らで立つこと叶わず苦しげにいななく馬の首をも刎ね、主人の後を追わせた。

 その刹那、一陣の風と共に自分が落ち延びてきた近江の国粟津の方角から一際大きな勝鬨(かちどき)の声が上がるのを聞いた。

「義仲様ぁぁー」女は叫び、目に入った一本松の大樹がそびえる小高い丘を目指した。駆けながら鎧を脱げば、筒袖に袴姿となった女の細身があらわとなった。その優雅な長身瘦躯のどこに男勝りの剛力が潜んでいるのかと、かつて京の都で武威を誇った木曽義仲率いる侍たちから畏怖されたこの女武者こそ巴御前(ともえごぜん)その人であった。

 巴はその日の払暁から、秘かに婚約を交わした義仲と共に、後白河法皇の密命を受けたる源義経の軍勢に果敢に挑むもついに残り五騎ばかりとなってしまった際

「去れ!義仲最後の戦にて女子(おなご)を道連れにしたとあっては、過日に鎌倉殿(頼朝)から臆病者の(そし)りを受けようぞ」と、諭された。

 巴は何度も拒んだが、遂には「されば、せめて」と背中まであった見事な黒髪を掻き切って義仲の鎧の肩紐にくくり付けてからただ一騎、敵陣を駆け抜けてきたのだった。

 その丘から、葦原の鬱蒼とした原野のかなたを望めば、源氏の白い旗指物が林立するのがうっすらと見えた。

 巴御前はかっと目を見開き、我が夫と慕い果たせなかった思いの丈を野獣のごとくに吼えた。

「お前さまよぉー!巴はこれよりまことの女子の戦に赴きまするゆえ、そちらには往けませぬ。事が成就した暁には涅槃(ねはん)にて祝言を挙げとうござりまするぅー」

 その姿まさに猛虎。大湖の水面は震え葦原に潜む雁の群れは一斉に飛び立ち、その大音声は龍が如くに天を昇りて叢雲(むらくも)をも二つに分かつ。

 巴は涙すら浮かべず口の端を上げ自分の下腹を愛おしげに擦ると

「油断めさるな、鎌倉殿よ」と呟くや踵を返して葦原の中を駆け抜け、生まれ故郷の信濃を目指して落ちていった。

 巴御前のその後は杳として知れない。鎌倉幕府の正史『吾妻鑑』にはその戦いの記述すら無いと言う。 

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