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迷わず中年男の鳩尾に一発、拳を叩きこんだ。動きを止めないまま、もう一人の喉にも思い切り拳をいれる。
人を殴ることに慣れることはないが、綺麗事を言ってる場合ではない。
三人の騎士がぽかーんとした隙をついて走りだした。
剣を持った騎士と戦うことは避けたい。素手で剣と戦っても勝つ自信はあるが、ドレスが破けたり自身に傷を負ったら家族が心配する。
全力で走りながら、ドレスのサイドポケットを探った。兄の強い希望で常に持ち歩いていた特殊警棒を両手に取り出す。利き腕である右手の警棒をジャキンッと伸ばした。
祖父直伝の両手剣スタイル。
道はまったくわからないが勘で下町を通りぬける。
騎士達は私に追いつけなかった。
鍛え方が足りないのだろう。それで殿下の護衛とか…、あの殿下の護衛ならばそれで良いのか?
下町だからそれなりに通行人もいたが、私を見ても黙って道を空ける人が大半だ。
のんびり話しかけられる速度では走ってないし。
「ま、待て!」
背後からの声にチラッと振り返ると、追ってきていたうちの一人が年配女性に剣を向けていた。
「止まらなければこの女を殺す!」
私は立ちどまり、来た道を戻った。
追ってきた三人はゼイゼイと肩で息をしている。
「罪のない住民を殺すというのですか?」
「うるせぇ、おまえのせいだ!」
「なっ、なんなんだ、てめぇは…。まさか、密偵……」
密偵がこんな格好でのん気に王宮内を歩いているわけない。地味にはしてあるが、ドレスもリボンもそれなりに良い素材のものだ。
「貴族令嬢じゃねぇだろ……」
「生かしてはおけねぇな」
「いえ、私はこうみえても伯爵家の令嬢ですのよ。アルガ殿下のお茶会に参加するために……」
男達が笑いだした。
「アルガ殿下…だと?はは…、嘘がバレたな」
「アルガ殿下はなぁ、小さくて可愛らしい妖精みたいな令嬢しか側に置いてねぇんだよ」
「どこの密偵だっ?」
「貴族令嬢がこんな速度で走ったり、武器を持っているわけねぇだろ!」
同感だ。普通の貴族令嬢はそもそも走らない。武術なんて習わないし、強面の男に睨まれただけで気を失ってしまう。
でもさ…、祖父や父に恨みを持つ者から命を狙われたり、熱狂的な母の信者に誘拐されたり…を繰り返してきた結果、こうなってしまったのだ。
自衛、大事。
最近は減ったけど、油断はしていなかった。
だって本当にとても多かったのだ。
しかも目の前のへっぽこ騎士達とは異なり、中には本格的な暗殺者も混ざっていた。助けを呼ぶ前に殺される。ならば…、殺される前にヤるしかない。
「その女性を離しなさい」
「うるせぇ!抵抗すんじゃねぇ……」
「これは何の騒ぎだ」
低い声が割って入った。と同時に女性が救出されていた。
フード付きのマントをかぶった男が二人。怪しさ満点だが、おそらく敵ではない。
一人がすっと風のような自然な動きで女性を助け出し、もう一人は私の横に立っていた。
今、この瞬間までほとんど気配がなかった。
騎士達よりも遥かに強い…、本物の密偵だろうか?マントで隠されているが見上げるほど背が高く動きに無駄がない。
「じゃ、邪魔立てするな。我々は第三王子であるデルベント殿下の護衛だ。不審な女を追ってきた」
「不審な女?この美しいご令嬢が?」
我が耳を疑った。美しいって言いましたか、今。家族や家の者達以外からは初めて言われたかもしれない。
お世辞でもちょっと嬉しい。
「お怪我は?」
「ございません」
「それは良かった。で、あの男達はどういたしますか?」
代わりにやっつけてくれるのだろうか。それは素敵な提案だが、今回、私は怒っている。珍しく非常に怒っているのだ。
「もちろん捕まえて近衛隊に通報いたしますわ。犯罪を見逃さないのも市民の義務ですもの」
「第三王子の護衛とのことですが、うまくいきますかね」
「兄がヴェリコ殿下の騎士隊におりますの。今回は見逃されても、次はございません」
「失礼。名前を伺っても…、あぁ、先に名乗るのが礼儀でしたね」
フードをぱさっと脱ぐと、美しい銀色の髪と赤みを帯びた茶色の瞳があらわれた。文句なく美青年だった。なんか、こんな感じの美少年をほんの少し前に見た気がする。
「私は……」
「あ、あのっ、名前は聞かないでおきます。そのほうが良い気がしますので」
「そう遠慮なさらずに」
「いえ、本当に。私も名乗らずに…、この場はお任せして立ち去りたいなぁ、なんて」
今さらながらうふふ…と笑って誤魔化そうとしたが、誤魔化しきれる自信がない。
「この場を任されることには何の問題もないのですが、貴女が戦う様も見てみたかったな。戦神の孫で、戦姫の娘…ですからね。クリスよりも強いそうですが、本当ですか?」
ホントウですよ、残念ながら。
文武両道の兄ですが、武においては私のほうに才能がございました。でなければ五歳で兄を襲おうとした暴漢を食いとめ、六歳で誘拐犯を撃退し、七歳で暗殺者を返り討ちにしませんよね。
八歳で剣の師匠から『もう教えることはない』って言われました、その後もあれこれ挑戦し続け今では馬で走りながら弓までひけます。もちろん的は外しません。
困ったな…と地面に視線を落とすと。
「サフィーラ?」
お兄様の声に顔をあげた。
「サフィーラ、何故、ここに………?」
私の両手に握られた警棒を見て、眉をひそめた。
「何があった?」
「あの……、こ、これは使っておりませんのよ。その前に殿下が来てくださいましたから」
「でも、それを使おうと思うほど身の危険を感じたってことだよね?それって、相当だよね?サフィーラなら素手でも五人は倒せる」
とりあえず二人は楽勝でしたわ、誰にも自慢できませんけど。
「その、剣を抜かれましたので……」
「女性相手に剣を?」
兄が怪訝な表情で振り返った。デルベント殿下の護衛三人はさっきまでの勢いをなくし、表情を硬くしていた。
「デルベント殿下の護衛が何故、こんな場所に?」
「話せば長くなりますのよ?それよりお兄様、お願いがございます」
通用門近くで倒した中年男二人の特徴を伝え、捕まえてほしいと頼む。すでに逃げてはいるだろうが、少なくとも喉を潰したほうは病院に駆け込んでいるはずだ。
「ここではお話できませんが……」
私と変わらない年齢の貴族令嬢達が売り買いされていたなどと、人前で言えることではない。
「では詳しいことは王宮に戻ってから聞こう。ここまでは馬車が来られないが…」
「大丈夫。歩けます」
警棒をたたみ、兄に渡す。
「こんな物を持ち歩くなどどうかと思いましたが…、助かりました」
「そうだろう?これはサフィーラのための特注品だからね」
「クリス、ご自慢の妹君を紹介してくれないのか?」
ヴェリコ殿下に声をかけられて、お兄様が少し嫌そうな顔をした。
「……………」
「黙らなくても良いだろう?とても嫌そうな顔をしているな」
殿下は笑って、兄の眉間を指でつついた。
「まさか監視していたわけではありませんよね?」
「サフィーラ嬢が巻き込まれたのは偶然だよ」
にっこりと笑って言う。
「男二人はもう捕まえたから心配しなくていい」
監視していたのはデルベント殿下の護衛のほう。で、ですよね~、さすがにここまでずっと野放しはなかったか。
「本当はね、もっと早く助けようと思っていたけどサフィーラ嬢がすごい勢いで走りだしてしまったから」
あははと軽く笑って言われる。
「どこまで走り続けるのか見たかった気もするけど、サフィーラ嬢の速さに追いつけたのは私とキールだけでね。立場上、城外で護衛が一人というのはどうだろうかと困ったよ」
倒れた中年男を捕まえたのが四人。残り六人が私達を追いかけて、うち四人は少々、息があがっていた。
お兄様は別動隊で、他にも何人か不測の事態に備えて街にまぎれていた。
「さて、城に戻ろうか。サフィーラ嬢も疲れていなければ話を聞かせてほしい。君への聞き取りはクリスに頼むから」
疲れているかどうかと聞かれれば疲れているが、倒れるほどではない。
美味しい紅茶とお菓子があれば回復するだろう。