1.貴族令嬢は走らない
貴族令嬢は走らない。
騒いだり、大きな声で笑ったりもしない。おしとやかな仕草で紅茶を飲み、ほんの少しだけお菓子をつまんで『もうおなかいっぱい』と困ったように笑う。『まぁ』と驚き首をほんの少しだけ傾げる。小さな羽虫にも怯え、真っ青になって震えている。
妖精のように小さく可愛らしく、女神のように華奢で美しい。
そんな…、そんな普通?の貴族令嬢に私はなりたかった。
その日、私はコムトラ王国の第二王子であるアルガ殿下のお茶会に呼ばれて王城に来ていた。
婚約者選び…という名目で伯爵家以上の16歳以下の令嬢すべてに声がかかっている。辞退できるのはすでに婚姻済みか婚約者がいる場合のみ。
ちなみに婚約者がいても参加できる。ふざけた話である。
我がコンツェ伯爵家にも招待状が届き、家族全員気乗りしなかったが『そろそろ断る理由を考えるのも面倒』で参加することにした。
「サフィーラは可愛らしいが、殿下の好みではないから安心だ」
「アルガ殿下のお茶会も五回目。令嬢達にちやほやされたいだけなのよ。どうせ今回も婚約者を選ばないわ」
と、両親が言えば、クリスお兄様も頷いている。
「第一王子であるヴェリコ殿下は既に騎士を率いて積極的に政務に参加されているのに、アルガ殿下とデルベルト殿下は女のことばかりだ。あんな軽薄な男に妹を会わせるのは嫌だが、仕方ない」
そう…、前の四回は断っている。病気や伯爵領に戻っている…等の理由で。
今回も断ろうと思っていたが、使者に『そんなに病弱なのか?』と心配そうに聞かれたため、仕方なく参加することにした。
アルガ殿下の好みは小さく可愛らしい妖精タイプ。
女にしては背が高い私は、完全にアウトだと思う。どうせ選ばないんだから不参加でも良さそうなものだが、自分に興味がない女は許せないらしい。
そう…、選ぶのは自分で、令嬢達には拒否権がない。
実際はあるけど。
この国の王子は三人で、第二、第三はなかなかのポンコツ具合。取り巻き以外はぬるい目で見ている。
前王時代の戦で活躍した祖父は国の英雄で、軍関係者には今もかなり慕われている。
父は騎士団の団長を経て軍師となり、母はその騎士団に在籍していた。女性でなければできない仕事もあるため、ごくわずかではあるが存在している。母はその先駆けで現役時代は父をも圧倒する強さだったとか。今はごく普通の伯爵夫人に見えるけど。
そして兄は第一王子の側近で、ヴェリコ殿下が指揮する近衛兵団の団員。貴族達が通う学院は成績優秀で通常の半分の年数で卒業し、最年少で騎士学校に入ってこれまた異例の速さで卒業した逸材だ。
私自身は普通の令嬢となるよう育てられたが、環境がハードなせいか近寄って来る男性がほとんどいない。
母に似て美人なほうだと思う。すらりとした細身のスタイルで、金髪、碧眼。派手なドレスにも負けない顔立ち。
ただね…、この国の貴族に人気があるのは妖精ちゃんタイプ。私のようなキツイ雰囲気の美人ではない。
お兄様よりは背が低いし、貴族令嬢としての作法は習っている。苦手な刺繍も頑張って習得したが、刺繍を贈る相手が家族以外にいない。
小さな頃は王子様とお姫様の絵本に心ときめいたものだが、今はもうすっかり諦めてしまった。
王子様どころか普通の男性も怖がって近づいてこない。
来るのは過剰に祖父達に憧れている軍人のみで、そういった方達は私だから求婚しているわけじゃない。
祖父や父と縁を結びたいだけだ。
ならば兄の友人で誰か…と思ったが、妹を可愛がるあまり『私が認める相手でなければ紹介できない』と拗らせている。
成績優秀で賢く、騎士としても認められた文武両道の兄が認める相手は、私が知る限りヴェリコ殿下しかいない。
第一王子…、順当にいけば次期国王だ。
『サフィーラならば王妃にもなれると思うけれど、やはり国のトップはいろいろと苦労が多いからね』
そう思うなら、家柄も見た目も平均的な優しい男性を紹介してください、私、贅沢は言いません。兄のように見目麗しくなくても、とりあえず私より背が高ければ問題なし。ドレスや宝石にさほど興味はないし、夜会だって好きではない。むしろ行きたくない。
きつそうな見た目に反して、性格は地味で温厚なのだ。自分で言うと嘘っぽいけど、人との争い事は苦手で大抵のことは黙って引いてしまう。悪くなくても謝ってしまえば、プライドの高い相手は納得してくれる。
すごく馬鹿にされるけど、どうでもいい相手にならどう思われても気にならない。
幸い家族はそのあたりも理解して、無理に社交や婚約をすすめてくることはない。
階級差による上下関係があると言っても、祖父と父の発言力は絶大だ。普段はわきまえているが、家族に害が及ぶとなれば黙ってはいない。相手が陛下だろうが、他国だろうが戦う。
実際、幼い頃には何度か危険な目にあい、家族は私のために戦っている。
うん…、平和が一番だよね。
とにかく殿下のお茶会では目立たずひっそり息をひそめていよう。
大丈夫、ドレスも髪形も地味なものにしたから。