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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
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茜と犬

晴明(はるあき)さん、起きてください。」

 現在の時刻、午前6:02。

 晴明の目覚まし時計の設定時刻、午前9:00。

「んぁ?いや、あと5分……。」

 そう言って、晴明は上げかけた頭を床へと戻した。

「そう言って、5分後に起きた人はいません!

 起きてください!不健康ですよ!」


 (あかね)は、晴明の体を激しく揺すった。

 そこまでされると、反抗心が出てきて、いかに起こそうとする相手を振り切って二度寝するか?という、水面下の作戦が始まる。


「晴明さん!もう起きてるでしょ!」

 そう言うと、すぐさま(にご)った色の薄いカーテンをこじ開けた。

 もうダメだ。晴明は、真っ暗でないと眠れないのだ。


「はぁ……おはようございます。」

 おはようございます。と、茜はふてぶてしく返した。

 晴明だって、生(ぬる)い床から起き上がった第一声が溜息(ためいき)とは、なかなか辛いのだ。

「どうしたんですか、朝っぱらから。」

 晴明も、不満気(ふまんげ)にやり返した。


 晴明は、夜型な訳でもないし、そもそも夜更かしをすると体を壊す。とはいえ、早起きができることとそれとは一致しない。

 晴明は、「早寝遅起き」なのだ。


「買い物に行きましょう。

 いつまでも、晴明さんを床に寝かせるわけにはいきませんから。」

 ああ、と、晴明は短く返した。

 意外と床も寝心地がいいな、と思っていた頃だったのだが。


 ただ、恥ずかしながら、晴明にはお金がない。2人分の寝具、食器、洋服―今まで茜は、晴明の服を借りていた―などを揃えたら、晴明の財布には何も残らない。一応印税で食べてはいけているが、それでも二人暮らしとなると、厳しいものがある。

「買い物、ねぇ……。」

 晴明は渋ったが、確かにいつまでも茜に男物の食器や服を使わせているのは忍びなかった。茜だって女子なのだ。オシャレだってしたいだろう。

「分かりました。行きましょう。」

 晴明は、ご近所さんに後ろ指を指されない程度の服を選び、のろのろと着替えた。


「今日は、いいお天気ですね!」

 茜は、いつの間にかご近所さんたちとも親しくなっていたらしい。スーパーに毎日見切り品を買いに行くのは、どうやら茜だけではないようだ。

 女同士というのは、いつの間にか仲良くなっている。

 40絡みのお節介そうな女が、挨拶を返し、不愉快そうな顔をして続けた。

「あら、茜さん。

 鳴海さんとどんなご関係が?」

「えぇと……。」

 茜は言い(よど)んだ。

 目をぱちくりとさせ、いかにも返事に(きゅう)している。

 やめてくれよ、余計怪しまれるだろ。晴明はよれよれのズボンをぎゅっと握り、言った。

「つ、妻なんです。」

 名前も知らないこの人は、晴明に親兄弟がおらず天涯孤独(てんがいこどく)なことくらい、知っていそうな顔をしていた。親族だと言ってごまかすのは無理がある。だから、悪いのは嘘をついた晴明ではない。彼女の方だ。


「あら、茜さん。

 相手に困っていたのなら、お見合い相手くらい紹介しましたのに……。」

 ステレオタイプなおばさんだな、と、晴明は思った。しかし、口が裂けてもそんなことは言えない。適当な世間話をして、彼女と別れた。


「晴明さん……。」

 ん?と、無精髭(ぶしょうひげ)をなでながら晴明は答える。

 ごめんなさい。と、茜は続けた。

「晴明さんに、嫌な思い、させちゃいました……。」

 茜は、(うつむ)いている。晴明は、茜の横顔を見て、ちょっと目を丸くして、言った。

「あんなこと、しょっちゅうですよ。

 気にしないで下さい。」

 苦笑混じりに言ったものの、それを聞いた茜は、ますます(うつむ)いてしまった。


 プー。

 少々耳障(みみざわ)りな機械音を立てて、バスはショッピングモールの前に停まった。

 茜にとっても晴明にとっても、新鮮な光景である。淡い色の石畳(いしだたみ)に跳ね返る日光に目を細めながら、茜は感嘆の声をあげた。

「すごいですね……。

  こんなに人が集まるところがあるなんて……。」

 茜はきょろきょろと辺りを見回す。晴明は、楽しげな茜の顔とは対照的に、渋い顔をしている。

「行ったことありませんでしたっけ?」

 晴明の新しい悩みだ。

 茜―少なくとも茜と名乗る人物―と出会ってから、「木枯らし」の中の茜が、どんどん朧気(おぼろげ)になっていく。それが、たまらなく怖かった。

「ありませんよ。」

 茜は、ぶっきらぼうにそれだけ返す。

 晴明は、靴の爪先(つまさき)をとんとんと地面に打ちつけて、ふぅん、とだけ言った。


 ショッピングモールには大抵のものがある。

 バスから降りただけであんなにはしゃいでいた茜には夢の国に見えるらしい。

 ふたりは、いろいろなものを買った。

 茜には金額的な面で小学生のような制限がいろいろある。例えば、このお店では千円以内、とか。だが彼女はさして気にしていない様子だった。

 ピンクの茶碗、花柄の布団、お洒落(しゃれ)な服。

 ふたりの手には、大小様々な紙袋が握られていた。もちろん、晴明の方が、重いものをたくさん持っていたが。


「夕飯までまだ時間ありますし、公園に寄ってもいいですか?」

 茜が指をさした先には、小綺麗(こぎれい)な市民公園があった。夕日は、植えられた木が風で揺れるたび、木の葉の隙間でちろちろと形を変えている。

「ああ、もちろん。いいですよ。」

 手に食い込んでくる紙袋の重みにはうんざりだ。少し休憩したいと、晴明はじっとり汗ばんだ頭で考えていたのだ。


 晴明は真っ先にベンチを陣取(じんど)り、大きな溜息(ためいき)()いた。

 時間帯のせいか、相次ぐ近所の苦情のせいか、公園には子供の姿はない。晴明は、少し異様に思ったが、こっちの方が過ごしやすいと気づき、ベンチに深く座り直した。


 キャンキャン!

 まどろみかけていた晴明は、甲高(かんだか)い犬の鳴き声ではっとした。少し痛む首をすわっと直し、辺りを見回す。

 晴明は、幼少期、2度犬に()まれている。すなわち、彼は犬が苦手なのだ。

「見てください晴明さん!

 この公園で、飼われている犬みたいですよ!」

 茜は、興奮気味に言いながら、身の丈ほどもありそうな白い犬を抱き上げた。


 晴明は、悲鳴をあげる前に、疑問に思った。

 果たして、茜は犬が好きだっただろうか?

「犬、好きなんですね?」

 上ずった声で(たず)ねた。

「当たり前じゃないですか!」

「そっか。そうですよね。」

晴明は、そう呟くと、安心して悲鳴をあげた。


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