表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
51/59

ファンファーレ

 眠っているうちに寝返りを打ってしまったらしい。いつの間にか、左側を下にして寝てしまった。おかげで左肩が鈍痛(どんつう)をあげている。

「いててて……。」

 晴明(はるあき)は腕をぐるぐると回しながら起き上がった。

こういう日は、全身が重だるい。コーヒーを飲むのすら面倒だが、頭もしゃきっとしないので(きし)んだ音を立てそうな腕を動かして、流し込んだ。

「ふぅ……。」

 時計を見ると、もう午前10時である。頭がぼうっとするのは、寝過ぎもあるようだ。

 いっそ二度寝してやろうかと思ったその時、電話が鳴った。


「もしもし……?」

 晴明が言うやいなや、聞き慣れた声がマシンガンのように聞こえてくる。

「ああ、もしもし、鳴海(なるみ)さぁん?

 例のアレできましたからねぇ、取りに来て下さい、では!」

 ガチャ。

 (ひいらぎ)は用件人間だが、それにしても早い。もしかしたら、彼には別件もあるのかもしれない。

 晴明はこんな日に急いで支度しなければならないことにぶつくさ言いつつ、箪笥(たんす)から洋服を引っ張り出した。


 今日は数日ぶりに気温が高くて、うざったいほどの晴れ模様(もよう)だ。それでも晴明は早歩きで進んでいる。じんわりと汗が浮かんで、薄手とはいえ長袖を着てきたことを後悔した。

「今日は(くも)りだと思ったんだけどな……。」

 晴明はバス停に誰もいないことをいいことに、独り言を呟いた。バスが、晴明が気づかなかったほど静かに止まる。


 出版社の前に来ると、ズボンを(はた)いて(ほこり)を落とし、咳払(せきばら)いをして踏み出した。やはり、ここは一種の聖域のようで緊張する。

エレベーターを待っている間も、脈がいつもより早いのを実感する。これはただ緊張だけではない。うずうずしているのだ。早く、早く書いてしまいたい。出版してしまいたい。そうすれば、もう一度、きっと出会えるから。


「ああ、鳴海さぁん、お早いですねぇ。」

 柊はやはりデスクで何やら打ち込んでいる。

 そして先日の衝立(ついたて)を右手で示して、それから手のひらを向けた。あそこで待っていて下さい、ということだろう。

 晴明は衝立で囲われた中で、足を空中でじたばたとさせながら柊を待った。この時間がじれったくて仕方ない。柊がせっかちになるのもわかる気がする。

「あっ……えぇ、お待ち頂いてる間、コーヒーでも……。」

 晴明がかなり派手な貧乏揺すりをしているのを目撃した女性社員は、一瞬たじろいでコーヒーを置いた。

「どうも……。」

 晴明は足を止め、小さな声で答えた。


「お待たせしました。コレが、例のブツですねぇ。」

 柊はそう言って、持ち帰りやすいよう封筒(ふうとう)に入れた草稿(そうこう)を渡した。

「鳴海さんらしくないような、鳴海さんらしいような、変な感じがしましたよぉ。」

 柊はコーヒーを一口にあおって言う。

 晴明は、はははっと(うなづ)いて笑い、私もそう思います。と言った。

「出版は、いつ頃になりそうですか?」

 晴明が聞くと、柊はまた手を上げて制し、デスクに紙を取りに行った。

「えー、ドラマの放送が……。6月を予定してます。

 ほんで、それに合わせる形でできりゃあ出したいので、まあ早くても5月の末でしょうねぇ。」

 柊は、晴明が()いているのに何となく気づいている様子だ。

 晴明は後頭部を何度か()き、まあ、その。と言う。

「間に合うように、直してきます。」

 柊はうなずき、晴明を値踏みするように見た。だが、何も言わない。

 晴明は生唾(なまつば)と一緒にコーヒーを飲んだ。

「お願いします。来月からは、打ち合わせとかもあると思いますからねぇ。

 忙しくなることも考えて、スケジューリングお願いしますよ。」

 柊はそう言うと、鼻をぽりぽりとかき、仕事に戻っていった。

 晴明はふぅ、と一息つき、残りのコーヒーを流し込むと、いそいそと出版社を後にした。


「あ……こきちゃん。」

 晴明がのそのそと歩いていると、鬼灯荘(ほおずきそう)の前を()いている深緋(こきあけ)を見かけた。深緋は手元からぱっと顔を上げ、また戻す。

 晴明は胸に冷たいものを感じた。ひんやりとした朝靄(あさもや)が、胸を(おお)っている。深緋が、その向こうへ歩き去っていくように見えた。

「どこに行ってたんですか?」

 なんともないように聞く深緋。それが、奇怪なものに見える。

「ちょっと、出版社に。」

 晴明は軽い口調で答えた。

 飲まれてはいけない。晴明の手の平に(にじ)む汗が、警報を鳴らしている。

「外に出るようになったんですね。」

 深緋は言う。

 晴明はつっかえながら頷いた。

「私も……。見習おうと思ったんです。」

 深緋はそう言って両手を広げた。

 晴明が鼻をすするなか、深緋は続ける。

「私も、変わらなければならないと思うんです。

 いつまでも、高校生のままではいられない。

 晴明さんは、それに私より先に気づいたのでしょう。

 ずっと部屋に(こも)って叔父(おじ)明音(あかね)さんのこと、(あかね)さんのことを思い浮かべてもどうにもならない。

 まずは、外に出て……。」

 深緋と晴明の横を、鬼灯荘の住民が歩いていく。

「こんにちは、大家さん、鳴海さん。」

 晴明も深緋も、こんにちは、と返した。

「そしたら、こんな風に、大人になった人たちに出会えるのです。

 私は、彼らのマネをして、なんとか追いすがろうと思いますよ。

 ええ……彼女のためにも。」

 深緋はそう言って、何もない鼻筋を人差し指で()で上げた。

 そうか。晴明が感じた違和感はこれだったのだ。

 深緋は眼鏡をかけていない。コンタクトか何かにしたのだろう。

 それに……。表情があるのだ。声にも、どこか熱が篭っている。

 晴明は脱力して息を吐きながら、小さく笑った。

 (はた)から見れば嘲笑(ちょうしょう)したように見えるかもしれない。だが、そうではなかった。

 晴明は確かに、その口から祝砲を鳴らしていたのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ