私の名前は
「あ、ああ……はじめまして。」
晴明は、動揺が声に出ないように答えた。彼もいっぱしに、カッコつけたいのだ。今、対峙しているのは女性。画面越しにではなく女性に会うのは、やっぱり慣れない。
「えぇと……。」
晴明は、相手からの返答を促すために、とりあえず言った。
「あ、私、アカネと言います。
あなたに会いに来ました。」
女性はあっけらかんと言い、にこりと微笑む。
アカネ……?晴明には、思い当たる節は、あるようで、ない。
いやいや待てよ。初対面か……。見当もつかなくて当然か。
晴明は自問自答しつつ、感じている不信感やら得体の知れない恐怖を顔に出すまいとした。目の前のアカネは、全てを見透かしたように笑う。晴明はもじもじとスウェットの裾を引っ張った。
「ふふ……思い出せませんか?」
忘れられるというのは、とても悲しいことだ。それなのに、こんなやり取りさえも愛しそうに、アカネは笑っている。晴明はえと……と言いながら、胸がちくりとするのを感じた。
そんな、そんなはずない。どっちにしたって、そんな……。なぁ?
晴明は、それでもどちらかと言えば納得のいく答えを導き出したが、納得はしなかった。
晴明が導きだした答えは。
茜。彼女は、茜だ。しかし、いや、と晴明は頭を振った。
茜のはずがない。茜は、架空の少女だ。
「えぇと、アカネ、さん?
私の名前をご存知でしょうか。」
悪戯にしては手が込んでいる、と思った。ピンポンダッシュといい、本を置いていくのといい。それから最後にアカネの名を口にするとは。
晴明は、どうせ読者の一人だろう、と思った。だから、一応、聞いておきたかった。それが人情というものだろう。
「鳴くという字に、
海、それから晴れ。
最後に明くるです。」
女性はそう得意気に言うと胸を張った。晴明は溜息を吐く。
見た目は確かに学生くらいだろうが、いくらなんでも。
「ナルミです。ナルミハルアキと言います。」
そんなに珍しい名前でもないだろうに。という言葉を飲み込んで、晴明は言った。
こんな不毛なやり取りをするくらいなら、とっとと帰ってもらいたい。だが、女性はたじろぎもしない。
晴明は仕方なく、こう言った。
「ところで、何のご用件でしょうか。」
サインでも何でもしてやるから、早く引っ込ませてくれ。今の俺は、人に見せられるような格好じゃないんだ。
晴明は、スウェットにある毛玉をこっそりむしっている。
「はい。恩返しをしに来ました。」
恩返し?晴明は、繰り返した。
初対面の相手に、恩返しも何もないだろう、と思う。
「はい。信じられないかもしれませんが、私の名前は、」
茜。
晴明は、もう一度、繰り返した。