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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
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共犯者と主犯格の話

「おかえりなさい。(あかね)さん。

 今日はポテトサラダが特売だったんですよ。」

 晴明(はるあき)は少し疲れたように笑う。

 茜は愛想(あいそう)笑いを優しく飛ばして返した。それは晴明に当たったものの、勢いが弱すぎてただ輪郭線(りんかくせん)をなぞるのみ。

 晴明は優しく笑う。

「ただいま、帰りました。

 晴明さん、ポテサラ好きですね。」

 自惚(うぬぼ)れでもなんでもなく、自分が帰ってくるだけで、晴明を救えているのだ。

 (ほこ)らしいような、荷が重いような。そんな不思議(ふしぎ)な感覚が、茜にはしているというのに。

「どうしました、元気ないですね。」

 晴明は茜の顔を(のぞ)き込むように見る。

 茜は見つけてしまった。部屋の隅に、仰々(ぎょうぎょう)しく置かれた8Doughnutの白箱。

 それが何を意味するか、今の茜はちゃんと分かっていた。


「いえ。大丈夫ですよ。

 食べましょうか、ポテトサラダ。」

 でも、茜はちゃんとどころかひとつも知らない。

 晴明が『木枯らし』をページが手垢(てあか)で汚くなっても読んで、小説に登場しない食べ物を―なるたけ割安で―買っていることを。

 それから、次に起こるだろう、茜が体調を崩す、なんて運命を杞憂(きゆう)にしようと晴明が腐心(ふしん)していることも。


 いつも通りの夕食と、付け足されたティムビッツ。

 それら全部胃の中に入れて、迎えた翌朝。

 次回作を書くべく、自室にこもっていた晴明の元に茜が訪ねてきた。一つ屋根の下の出来事なのだから訪ねたではすこし大袈裟(おおげさ)な気もするが、茜の心情としてはそれでも足りないくらいだ。

「あの、晴明さん。」

 毛玉だらけの丸まった背にどうにか声をかけて、深呼吸。

 晴明は眠そうな目を茜に向けた。

 深呼吸。

「私、『木枯らし』読みたいんです。

 晴明さん、持ってますよね。」

 茜は少し(かす)れた声でそう言った。

 晴明は(しばら)く返事を返さない。

 大抵の茜の要求にはうんと言うのだ。でも、何だか今回は頷いてはいけない気がする。

 なんだろう。なんか違和感が。

 あっ。

「ま、ま、ま、まずいですよそれは。

 駄目です、絶対だめ!」

 晴明は両目をがばっと開けて、尻餅(しりもち)をつくように倒れ込みながら言った。


「えぇ、そんなあ。

 晴明さん、自分の未来が分かるなら知りたくなりませんか。

 私はお手軽に知ることができるんですよ。

 『木枯らし』を読むだけで!

 まあ、小説通りになるかは知らないですけど。」

 茜は少しずつ力を込めながら言う。

 晴明はここで(あわ)てたらかえって茜の好奇心を(あお)ってしまう気がして、努めて冷静でいられるようにした。

 理性的に。論理的に、話すのだ。

 そうすれば、茜は(さと)い人だ、きっと分かってくれる……。

「いや、そうかもしれませんけど。

 そんなことしたら、毎日楽しくなくなっちゃいますよ。

 ああ、今日は雨に降られるのね、今日はポテトサラダが安いのね、って。

 意外性がなくなりますよ。」

 上げた例があまり役立たないことに気づきながらも、晴明は気づいていないフリをして話を続けた。

「まあ、それは、そうですけど。

 晴明さんが困るわけじゃないですし、いいじゃないですか。」

 茜は少し不満そうに座り込む。

 動く気はないらしい。

 晴明は(ほお)()き、気が進まないが適当な嘘を()いてどうにか場を収めることにした。

「小説家って言っても、自分が書いた本は貰えないんですよ。

 私も本は好きですけど、展開が分かっている本にお金出したくないので自分の本は買わないんです。

 ということで、『木枯らし』はここにありませんよ。」

 本当は、出版社にもらった自筆本が押し入れの中に全て揃っている。だが、茜がここを開けることはないと知っているし、安全だろうと踏んだのだ。

「じゃあ、本屋さんで買ってきますね。」

「えっ、あっ、絶版(ぜっぱん)になったんですよ。」

「図書館にありますよね。

 ここ、晴明さんの出身地ですし、特設コーナーもあるかも!」

「ちょっ、茜さん、私の知名度を()めないでくださいよ。」

「はぁ……。」

 茜が溜息(ためいき)を吐いたのに気づき、晴明ははっとした。

 ちょっと大人げなかったかもしれない。

「読んで欲しくないんですね。

 分かりました。

 私も晴明さんを傷つけてまでそんなことをする必要もありませんし。諦めます。

 お仕事の邪魔(じゃま)して、ごめんなさい。」

 茜は少し怒ったようにそう言うと、素早く立ち上がって居間に戻った。

 何だか頭が重たい。あんな話を聞いたからかもしれない。

 晴明は茜の気持ちを測れなければ頭の重さも量れなかった。


 暫くして、晴明がふと作業の手を止めると、やけに家がしんとしていることに気づいた。

 買い物に出たのだろうか。

 そう考えたがお金を渡していないことを思い出し、その検討は的外れだと気づく。

 心配になって居間に行ってみると、茜はうたた寝をしているようだった。それにしても様子がおかしい。

 茜がタオル1枚かけず寝ることは(まれ)だ。急に睡魔に襲われたにしても、現実主義の茜がそれを追い払って暖をとらないなんてこと、あるだろうか。

 晴明がそっと茜の顔を覗き込んで見ると、その頬は赤く染まっている。

 まずい。恐れていたことが。

 晴明は体調不良の原因が風邪(かぜ)だということを知っている。だからひとまず蒲団(ふとん)を持ってきて敷いて、茜を揺り起こすことから始めた。


 茜は不機嫌そうだったが、晴明がこのまま寝ていたら風邪が悪化するだろうと言って説得すると、ようやく納得したのか大人しく蒲団に収まった。

 その様子を見届けた後、何か腹に入れよう、と晴明は考えて、メニューを考えてみる。小説通りに行かせないためにカレーライスでも、と思ったが、今ここで小説通りにしないとまた茜が風邪を引いて辛い思いをしなくてはならないかも、と思い直すと悪ふざけの手も止んで、お(かゆ)作りに取りかかった。

 大丈夫、まだ中盤だから。


 鍋がふつふつと音を立てたところで、晴明は台所へと向かう。深緋に大量にもらったレトルト食品のうちお粥を選び取って、お湯の中に沈めた。

 初めて、物語を進めることに加担した。


 銀色の袋が静かに浮かび上がってくる。晴明は意味もなくそれを箸でつついて沈めた。ずっと押さえ続ければ良いのに、袋が破けるのが怖くてつい手を離してしまう。

 また、袋が浮かび上がってきた。

 水面に緩く揺蕩(たゆた)っている。

 初めて、物語を進めることに加担した。


 湯気が立っている。白い湯気が晴明の前髪を叩いては消えていく。

 少し窓を開けた。湯気は細い隙間に吸い込まれていく。

 目線で行方(ゆくえ)を追うと、1羽の(からす)が鳴いているのが見える。晴明は窓を閉めた。

 初めて、物語を進めることに加担した。


 茜はお湯が暴れる音くらいでは起きない様子で、(うずくま)るようにして眠っている。

 顔周りには(うっす)らと汗が光っており、ある程度の暖は確保されている様子だ。

 へえ、汗をかく描写なんてあったのか。なんて、俺が書いたんだよなあ。

 そして、今。

 初めて、物語を進めることに加担した。


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