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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
25/59

久しぶり、愛しい人

 晴明(はるあき)明音(あかね)墓前(ぼぜん)で手を合わせている。

 あの日を(さかい)に、晴明は週に一度この霊園(れいえん)を訪れている。

 (あかね)に許されたような気がした。

 明音に許されたような気がした。

 晴明は目を閉じたまま少しの間、一方的に世間話をして、それからいくつか質問をする。

 俺のことを、宝物だと思ってくれていたかい。

 茜のことをどう思ってる?

 こんな2人のことを見たら、君は笑うだろうか?

 答えは帰ってこない。

 だけども晴明は満足してまたティムビッツを買って帰る。

 そんな、ある日々の中のこと。


「はい?」

 深緋(こきあけ)は細く扉を開けた。人と関わるのは好きではない。

 しかしドアの向こうにいる相手を認めると、直角に近い角度までドアを開いた。

「茜さん。」

 深緋は突然の茜の来訪に驚いてはいるものの、パーカーのポケットに手を突っ込む以外の無作法(ぶさほう)な反応をしない。する気にならない。

「ごめんなさい。突然。」

 少しうつむきながらそう言う茜に、深緋はああ、いえ。と多少どもりながら少しドアを閉めた。

「上がってもよろしいですか?」

 茜が顔を上げる。しかし深緋と目が合うことはない。

「どうぞ。」

 深緋はそれだけ言って茜がぎりぎり入れるスペースを残しながらドアを閉めた。

 茜が靴を脱ぎ始めたのを確認し、ドアチェーンをかける。金属質な音が静かな部屋に響く。


 どうされましたか。そんな簡単なことも、深緋は言えなかった。

 ただ(たん)すらいない(のど)を鳴らして、茜の言葉を待っている。

「あの。ふかひさん。」

 下の方に溜まった空気だけが満ちた様な部屋。

 不釣り合いな、愛称(あいしょう)

 茜は、指を組んだ。

 深緋は茜の方に視線だけを向けて、続きに備える。

「私、知りたいんです。

 明音さんのこと。(まき)、明音さんのこと。」

 深緋は視線を床に戻して、鼻を鳴らした。

 パーカーのポケットに両手を入れ、

「どうして、私に聞くんですか?

 晴明さんに聞けばいいでしょう。

 きっと、最善を尽くしてくれるはずです。」

と叱られた子供のように早口に言った。

 茜は組んだままの指にぎゅっと力を込めて、押し黙った。

 深緋は少し罪悪感に(さいな)まれたものの、時すでに遅し。

 まだまだ子供だな。私も。

 それでも最低限のことはしようと思って、コーヒーを()れるためにシンクの前に立った。

 そこで青い缶に入ったコーヒー豆を、何度も何度もかき混ぜる。

 豆はスプーンの元、ただ(うず)を巻いている。

 渦には中心がある。

 この運動の影響を受けているのか、それとも全く影響を受けていないのか。求職中の評論家たちが喜びそうな、空洞が。

 深緋はそれをじっと見つめている。でも、どうしようもない。

 そこに豆をやろうとして他の豆を移動させれば、そこにまた金属特有の光沢が(のぞ)く。

 底面だ。


砂糖(さとう)は、何杯入れますか。

 生憎(あいにく)、ミルクは切らしているので少し苦いかもしれませんが。」

 深緋は豆を(もてあそ)ぶ手を止めて、マグに2杯のブラックコーヒーを作った。

 茜はあれから何も言わず、作業中の深緋を見ていた。

 そんな彼女が久しぶりに発した言葉はというと。

「2杯入れて下さい。」

だ。

 深緋も同じく砂糖をすり切り2杯入れ、適当にかき混ぜた(あと)、茜の前と、その対面(といめん)にある席に置いた。

 湯気が揺れている。

 深緋が席に着き、ふと茜を見ると、湯気越しであるせいで、白く(かす)かで、朧気(おぼろけ)な彼女が見える。


 深緋は幼少期、逃げ水と陽炎(かげろう)を混同していた。

 近所にある急坂は、上がりきると平たい直線が続いているため、陽炎と逃げ水が同時発生するのだ。

「ねぇ、れみちゃん。かげろうだよ。」

 赤いランドセルの少女が、深緋の視線の先を指さして言った。初めて聞く陽炎というものを正視した深緋は、足を止めた。

 沈黙。

 美しい。

 まるでサンドアートのようだ、と深緋少女は思った。まっすぐ引かれていたはずの線が、少しなぞっただけで、波線になるような。

 そんな。

 その作品の足元に少し浮かんだ水溜まりがある。

 それさえも、彼女を魅了(みりょう)した。

「ねぇ、あれはなんだろ。」

 深緋は少女に聞いた。

「うぅん、なんだろね。

 あれも、かげろうじゃないかな。」

 少女はあまり深く考えずに言う。

 かげろうかぁ。深緋は繰り返した。

 そうだ、もっと近くで見よう。

 深緋が坂を上りきると、それらは消えてしまった。

 そこにはつまらない直線だけが広がっていて、また深緋は立ち止まった。


 ふと、深緋はかげろうと茜を重ねた。

 深緋はかげろうを愛しているけれど、その神秘性を損なう気がして、かげろうができる原理を知ろうとはしなかった。

 だから、かげろうがどこから来るのか知らない。

 茜がどこから来たのかも、知らない。


「晴明さんに明音さんのことを聞くのは、(こく)です。」

 茜はマグを両手で包んで、揺蕩(たゆた)うコーヒーを見ながら言う。

 茜は数週間前のことを思い出しながら言葉を(つむ)いだ。

「晴明さんは、明音さんのお墓に行く時、いつも決まった服で行くんです。

 赤いコート。暑くても、似合わなくても。

 きっと何か、思い出があるんだろうと思います。

 それをいつまでも身に(まと)うなんて、未練(みれん)があるってことだと思うんです。」

 推測(すいそく)ですけどね。(ほお)をかきながら茜はつけ足した。

 深緋はしばらく何も言わない。

 コーヒーの湯気が揺れている。

 ゆらゆら、ゆらゆら。

 深緋はコーヒーを一口飲んで、(うなづ)いた。

「少しだけなら、お伝えできますよ。と言っても、これはあなたと晴明さんとのことですから。

 私があまりいろいろするというのも……。」

 そう前置きして、深緋は話し始めた。


 結論にあるべきものを頭に持ってくると、晴明さんは、明音さんのことを何も知りません。覚えていないのです。

 晴明さんにとって、明音さんの死は、あまりにもショックだったのでしょう。

 数ヶ月ぶりに登校した晴明さんは、何をするのにも無気力な様子で、私は心配していました。

 友人として、こういう時こそ寄り添わなくては。と、今まで通り移動教室も登下校も一緒にしました。何ともない世間話をしながら歩くのです。

 しかしある日、綺麗(きれい)なお庭のある家の辺りで……。

 そう言えば、前に茜さんと高校に行った時、晴明さんに会ったのもあの辺りでしたね。

 そこで、私は無神経にも、

「前は3人でここを通っていましたね。」

と言ってしまいました。

 しまったと思いましたが、言葉を飲み込むこともできず、ただ(うつむ)きました。

 すると、晴明さんは不思議そうな顔をして、

「3人?俺達はずっとふたりだっただろ。」

と言ったのです。

 そんなはずはない。数ヶ月前のこととは言え、そんな簡単に明音さんとの思い出を忘れたりはしない。

 私はそう反駁(はんばく)しました。

 しかし晴明さんはぴんと来ていない様子で、あかね、あかね……と繰り返します。

 まさか。

「晴明さん、明音さんのこと覚えていないんですか?」

 私が問い詰めるように言うと、晴明さんは私から離れるように少し背を()らして、頭をぼりぼり()きました。

 ああ。なんという。

「誰のことか分からない。

 でも、強烈に頭の中にある記憶がこびりついているんだ。

 まるで夢みたいだよ。

 見知らぬ女の子が、俺をかばって、トラックに跳ね飛ばされるんだ。

 最後に俺ににっこり微笑(ほほえ)んで、『いいよ。』って。

 意味わかんねぇよ……。」

 その子が、明音、さん?晴明さんは用心深く聞きました。

 眉間に寄った(しわ)。ぽかんと開いたままの口。

 私はどう返していいか分かりませんでした。でも、正直に、そうだと伝えました。

 晴明さんはうぅん。と(うな)りまして。

「一緒に帰ってたってことは、仲良かったはずなのにな。

 その子に関する他の記憶が、全くない。」

 どこかから()いて出たみたいだ。

 晴明さんは他人事のように言います。

 私は少しいらついて、

「あなたの恋人ですよ!

 どうして。忘れるわけがない!」

と、怒鳴ってしまいました。

 反省しています。

 あの頃は私も不安定だったのだ、と言ったら、あなたや晴明さんは許してくれるでしょうか。

 晴明さんは(しばら)呆然(ぼうぜん)としていて、私の言ったことが良くわかっていないようでしたが、(さと)い人ですから、きっと分かってしまったのでしょう。

 自分をかばってくれた恋人を忘れてしまった。

 そんな単純な事実が、晴明さんを深く傷つけたのは言うまでもありません。


 晴明さんは、それから高校卒業間近まで、明音さんのことを口には出しませんでした。それは私も同じこと。当たり(さわ)りのない話題を選ぶ訓練みたいな毎日で。

 私は高校を卒業したらこのアパートを譲り受けて管理人になることが決まっていましたから、大学進学はしませんでした。金銭的余裕もありませんでしたし。

 一方晴明さんはというと。継げるような仕事を親がしているわけでもなく。冒険するタイプでもありませんでしたから、きっと大学進学するのだろうなぁとぼんやり思っていました。

 しかし、ある日、鬼灯荘(ほおずきそう)を訪ねてきて、こう言ったのです。

「こきちゃん。

 俺、明音のことを思い出したい。

 いっぱい小説書いて売れて、みんなが俺の本を買ってくれるようになったら、明音の伝記を書くよ。

 もう、誰にも忘れさせない。

 俺も、忘れないようにするから。」

 小説、なんて言葉が前触れもなく飛び込んできたものですから、私は驚きました。でも、どうやら本気みたいです。

 私は晴明さんに協力することにしました。

 晴明さんは大学には進学せず、そのまま小説家を目指す。と。

 4年間も無駄にできない、と言っていました。

 お互い進学の予定もなく切羽(せっぱ)詰まっていませんでしたから、晴明さんはそれから毎日鬼灯荘に来て、ノートを埋めていきました。

 今も部屋にあるんじゃないですかね。まだ夢は叶っていませんから。

 どんなノートか、ですか。

 簡単なものです。晴明さんが毎日テーマを決めて、私に質問します。私がそれに答えます。

 例えば、明音さんの趣味は?って晴明さんが聞いて、私がそれにラクロスとアライグマのアイテム集めと答えるわけです。それをマメにノートにメモしていました。

 最初はこんなふうに簡単な質問でしたが、次第(しだい)に私が長々と話さないといけないようなことになっていきました。

 夏休みの思い出とか、3人で見た景色とか。


 ああ、でもね。いくつか私が、答えられない質問もあったんですよ。何だったかな。えっと、あれです。

「告白の言葉は?どちらから?」

「明音は俺のことがちゃんと好きだったのか?」

 そして、

「どうして、最後に『いいよ』って言ったんだろう。」

 恋人同士のことは分かりませんし。最後のものに関しては、私の方こそ聞きたいです。

 ああ、すっかり話が長くなりましたね。コーヒーが冷めてしまいました。



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