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もしもし、聞こえますか?  作者: クインテット
22/59

街路樹の隙間

 (あかね)深緋(こきあけ)は、晴明(はるあき)の母校を訪れた(あと)、近くの公園のベンチに腰掛(こしか)けていた。

 実を言うと、高校に着くまで2人の会話はほとんどなく、沈黙は現在までずっと続いている。

 茜はいい加減気まずくなって何か言おうとするも、何を言っていいか分からなかった。

 そうだ。天気の話だ。

 茜は常套句(じょうとうく)を思い出すと、天気の話をするべく空を見上げた。

 青い空に、薄く大きな雲が浮かんでいる。今日はいい天気。

 雲がゆっくりと動き、茜の顔に影を落とした。


「いい天気ですね。」

 茜がそう言うと、深緋はそうですね、と返す。何だか久しぶりに深緋の声を聞いたような気がする。

「どうでしたか、綺麗(きれい)な道だったでしょう。」

 深緋はそれから間髪(かんぱつ)入れずに言う。

 茜は道のりを回想した。

 初めは道路と歩道の境が曖昧な道をしばらく歩いていた。しかし、最も印象に残っているのは、2人で歩いた、白いブロックの道。

 ゆるやかな登り坂を、右手に街路樹と2車線道路を見ながら登っていくと、最終的に平地が少しだけ現れる。そこで横断歩道を渡り、左を見れば、今度は急な登り坂が見える。

  憂鬱(ゆううつ)な心地になる。ここを登りきれば高校なのだろう。登る気は()えてしまったが。

 しかし深緋は横断歩道を元来た方へとまた渡り、この公園へと足を運んだ。何も言わないものだから、茜は驚いて後を追おうとした。

 信号が点滅を始める。

 茜は慌てて走って追いかけた。それでも、青信号の間に横断歩道を渡り切ることは出来なかった。

 せっかちな信号機である。


「白いブロックが綺麗でしたね!

 街路樹(がいろじゅ)も良く手入れされていましたし。」

 茜は思い浮かべた情景をそのまま深緋に伝えた。

 すると深緋は溜息(ためいき)()くように笑う。あまり楽しそうではなかった。

「そうですか。見惚(みと)れないで下さいね。」

 深緋はそう言って、茜の目を見た。あまり人の目を見て話さない深緋にしては珍しい。茜も何となく違和感を感じたものの、正体には気づかなかった。

「見惚れませんよ。」

 と茜は笑う。

 深緋はまた、そうですか。と言って目を()らした。


「私達3人、毎日―と言っても月曜日から土曜日までですが―あの坂を上って下りてを繰り返していたんです。」

 深緋は公園を囲む木に目をやりながら言う。

 きっとあの急坂のことだろうな、と茜はあの坂を思い浮かべながら深緋の話を聞いた。

「3人、晴明さんとふかひさんと、もう1人は?」

 茜は思い浮かべた急坂に1人ずつ人を置いてみたところ、1人足りないことに気づいた。

 深緋がまた茜の方を見る。今度はしっかりと目が合う。

 茜はまた変だ、と思った。


「晴明さんの、彼女だった人です。」

 深緋はそう言うと、溜息を吐いて、それを誤魔化(ごまか)すように笑った。


 茜ははっと息を飲んだ。全く予想していなかった。

 そうだ。晴明にも、色恋云々(うんぬん)くらいあるのだ。今は皆無(かいむ)なだけで。

「まき あかねさんという人でした。

 あ、こういう字を書きます。」

 深緋はそう言ってベンチから腰を離して近くにある小石を拾うと、公園の砂地に 牧 明音 と書いた。


「音だけ聞いて驚いたんですよ。

 牧さんと結婚したのかと思いました。」

 深緋は砂をぱんぱんと払い落としながらベンチに座った。

 茜は、はは、と笑いながらまた急坂を思い浮かべている。

 そこに茜はいない。きっと永遠にいない。

「牧さんは、私たちみたいに1人でした。

 私達は1人ずつ孤立していて。

 それがいつの間にか3人になっていました。

 牧さんのおかげなんですよ。

 彼女は明るい人でした。

 明るくて優しいのに孤独でした。

 それで良かったなぁと思います。

 そうでなければ、出会えませんでした。」

 深緋はゆっくりと語った。

 また大きな雲が泳いできて、深緋と茜を(おお)った。

 茜はまだ何も言わない。


「牧さんとは、別れたんですか。」

 茜はそう聞いたあと、良く良く考えたら変な質問だ、と思った。仮にも妻だと言っているのだから。晴明も、もしまだ牧との関係が続いていたら、茜のことを妻だとは言わないだろう。答えが分かり切っている問いだ。

「どうなんでしょう。」

 しかし、深緋はノーと言わなかった。アイドンノーと言った。

 えっ、と茜が言うと、深緋は立ち上がり、公園の外へと歩き出す。茜はその背を追いかけた。


 深緋は急坂前の横断歩道が見えるところで止まった。

「牧さんは、死んだんです。」

 そう言って深緋は信号機を()った。

 茜は何も言わない。無言でその背を見ていた。

「ここで。もう花はないですけど。

 だから、きっともうここにはいないですけど。

 晴明さんを(かば)って、死んだんです。」

 茜は何も言えなかった。何か言うべきなのかも分からない。

 帰りたくなった。

「最後に病院で彼女、笑ったんです。本当に、綺麗な笑顔で。

 晴明さんは……トラックにはねられる寸前、明音さんが『いいよ。』と言ったのが聞こえたと言います。

 私は……その場にいることすらできませんでした。」

 深緋はそう言って、また信号機を蹴った。

 泣きそうだ。でも、泣けない。

 不思議と、茜の目から涙は出てこなかった。


「帰りましょうか。」

 深緋はそう言って、茜の目を見た。

 深緋の目はいつも空っぽだ。だから、何も読み取れない。


 元来た道を戻っていた。

 茜は猛烈(もうれつ)に晴明に会いたかった。

 牧とのことは聞けないだろう。

 下らない話がしたい。だらしない無精髭(ぶしょうひげ)を引っこ抜いて、文句を言われたい。


 白いブロックが消え、2人は細い道路を歩いていた。

 もう少しで鬼灯荘(ほおずきそう)に着く。晴明が待っている。

 その時、シャッ!と鋭い音がした。2人は初め、何事か分からなかった。

 深緋が走り去る猫を見つけ、ああ、と言う。しかし茜はうんともすんとも言わない。不思議に思って深緋が茜を見ると、手を押さえていた。

「どうしました。」

 深緋が茜に聞くと、やられました。と言って、茜が傷ついた手を見せた。深緋はあまり興味無さそうにそれを見る。

「ああ、帰ったら手を洗って絆創膏(ばんそうこう)貼ってください。」

 深緋はそう言って歩きだそうとした。

「晴明さん?」

 茜の声に、ピタリと足が止まる。あの究極のインドア派が、こんなところで何を。

「えぇっ。」

 晴明が驚きの声をあげる。

 そこにいる全員が言いたい台詞を、彼は独り占めしていた。


「どうして、こんなところに?」

 ほとんど同時に、問いを投げかける、ふたり。

 深緋は答えを知りたくて、黙って見守ることにした。

 何か言うのは野暮(やぼ)。そんな気がして。

 晴明の息がまだ荒いことを認めると、茜が答え出す。正直に牧のことを言うのもはばかられて、都合の良い部分だけ切り取って伝えていた。

「えっと、私は、ふかひさんと一緒に、晴明さんの、母校に。」

 嘘ではない。それでも、罪悪感で上手く言葉が出てこない。

「えっ。」

 晴明は短く言って、恨みがましい目を深緋に向けるも、彼女は何も言わない。

 やはり何故晴明がここにいるか分からなかった。晴明にどう思われようが、今はその答えを見つけるのが最優先事項だ。


「そう、いや、はあ。

 こきちゃん……。何やって……。

 え、ああ、私は、ちょっと探し物を。」

 晴明も同じようにつかえながら言うのを聞いて、深緋は片眉を上げた。

 彼も何かを隠している。

 茜がそれに気づくことはなかったが。


「そうだ!手!手を、見せてください。」

 晴明は(なか)ば強引に茜の手を取って、見た。

 深緋は、目を見開いた。

 どうして知っているのだろう。晴明は、何を知っているのだろう。

 深緋は少し怖くなり、腕を組んだ。

「これは……。」

 小さな声で呟いた晴明に、茜は苦笑を(まじ)えて言った。

「学校から帰る途中で、猫にひっかかれちゃって。

 大した傷じゃないから、大丈夫ですよ。」

 晴明はそれを聞いて、安心しなかった。

 むしろ晴明は心配そうと言うか、不安げだ。何かおかしい。

 深緋は、何も言えずに(うつむ)いた。


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